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奈良・桜井の歴史と社会

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国のはじまり、大和の中の大和を歩く(天理市南部の古代と近世の歴史)10月26日(水)

10月の「大人の学校」(代表 溝口博己)の企画は天理市南部にこだわった歴史ウォークにした。
天理駅東口の集合は午前10時で長柄駅を3時すぎに解散する。

ツアーのテーマは西山古墳
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はじめに丹波市。旧山添郡のダウンタウン。こちらの市座神社を拝観、そのまま西山古墳、峯塚古墳、石上神宮まで東上する。午後は内山永久寺跡、夜都岐神社、竹之内環濠集落、大和神社という行程である。いつものように「ウォーキングは早めの昼食」を心がけているから、お弁当は石上神宮である。

丹波市のとっておきのテーマは青石橋。
地元ではこの橋を「あお」と呼んでいたとのことである。もともとは古墳由来の青い石板が敷かれていたことからそう呼ばれた。
この板が市座神社に置かれている。それは見学できるのだが、説明版では青板がもう一枚、民家に残っているとのことであるが・・・先日、その場所を教えてくれた方がいた。さらに「天理大学の近江先生のお話しでは、石棺の蓋ではなく西山古墳の立石」とも。
これはすごい。市座神社と西山古墳が道として話としてつながった。

石上神宮では、神剣の数々を考える。
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夜都岐神社が格別の面白い。拝殿の藁ぶき屋根の葺き直しもすごいが春日大社との関連を考えたい。
この神社と春日大社は特別の関係がある。「蓮の御供え」という神饌を毎年春日大社に献供、春日大社からは神殿、鳥居が下げられるのが例となっていた。江戸時代までのことである。
どの本にも、また境内の掲示にも「蓮の御供え」は記されているのだが、この「蓮の御供え」とは、何かが判らない。
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葺き替えられた夜都岐神社

さらに大和神社、おくの深い「ちゃんちゃん祭り」も語ってみよう。来年の4月1日のちゃんちゃん祭り、絶対に大和神社を訪れたくなる秘話もある。
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山の辺の道(国のはじまり、大和の中の大和を歩く)
■10月26日(水)
集合 午前10時  JR(近鉄) 天理駅東口
解散 午後3時ころ JR長柄駅
■コース(歩く距離 8km程度)
JR(近鉄)天理駅東口 → 丹波市 → 西山古墳 → 昼食(石上神宮)→ 内山永久寺跡
 → 西乗鞍古墳 → 夜都伎神社 → 竹之内環濠集落 → 大和神社 → 長柄駅(解散)
■参加費 800円(学校経費、資料代など)
■持ち物:弁当・飲み物・雨具・歩きやすい履物で

■ お申込み・お問い合わせは
このブログのコメント欄(カギコメでも)か

「大人の学校」代表溝口博己さんまで
hiromi-03.30@kym.biglobe.ne.jp
090-8986-8844   FAX  0743-53-2769でお申込みください

# by koza5555 | 2016-09-22 10:14 | 桜井・山の辺 | Trackback | Comments(0)

丹波市の青石橋…青石は現存

天理の丹波市にすごいものが残されていた。

一つは市の跡。
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今、一つは市坐神社に置かれた「青石」
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燈籠もすごい。1830年制である。おかけ接待所と掘り込まれている。
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天理のアーケードから丹波市にむかう旧道(上街道)をすすむと布留川にさしかかる。
小さな川、小さな橋であるが、ダム放水時の警報の出し方などの掲示がしっかりとされており、上流にはダムがあることがよく判る。
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この橋のことは、伊勢街道ぶらりぶらり(林憲次さん)でも紹介されており、近くの「お婆さんに橋の名前を尋ねてみると、一人から『あお橋』という答えが返ってきた。『あお』とは『青』なのかとさらに尋ねたみたがわからなかった」とのことである。


丹波市の市座神社の境内には素晴らしい青い石板が展示されていた。掲示は長いが全文を紹介する。

青石橋の由来
 上街道の布留川南流に架せる橋にして大なる青石を以てす。故にその名を得たり、石棺の蓋である。青石はその両側に添え石をつけて縦に掛けられていたが、明治40年前後に橋がかけかえられ、不要なった青石は百メートルばかり南のこの神社境内に移された。

青石には一方の端近くに二つの穴がある。地元では「馬が踏み抜いたあとだ」などと言う言い伝えも残っているが、おそらく運搬用の綱を通すための穴だろう。
面白いのはその穴のあけ方で、一方が口径30センチもあるのに、裏側では10センチくらい、ちょうど漏斗形に穴があけられている。こうした穴のあけ方は古墳時代に石や玉によくみられるものだという。

ここより東へ700メートルに西山古墳、同じく鑵子山古墳があるが、それらの古墳から運び出されたものか数知れぬらぬは、定かではありません。

このような穴のあいた板石は、近くの民家にも残っているらしい。

通り昔、小高い墳丘の上で大和国原を見下ろしていたたであろう青石は、何百年かの後、布留川の流れの上に箸として、その身を横たえ数知れぬ人馬に奉仕した、石であります。

                                   丹波市町    



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上街道は丹波市で道幅が二倍になった場所が残っている。屋根があり川は暗渠に。ここが市で、さらに市座神社が残されている。


市座神社に200年以上前の常夜灯が残されている。
南 太神宮 西 常夜灯 北 天保元年庚寅(かのえとら)(1830年)
東 おかけ接待所
木の加減で写真が撮りにくいが、この「おかけ接待所」の写真が撮りたかったのである。


天理の歴史を語る上で上街道は欠かせない。この丹波市を13日の奈良の布陣講座で紹介、10月の大人の学校ツアーでは、訪れてしっかり語ってみよう。
# by koza5555 | 2016-09-06 23:09 | 桜井・山の辺 | Trackback | Comments(0)

「大和の卑弥呼」 東京の奈良まほろば館

奈良まほろば館(東京・日本橋)で「大和の卑弥呼」という講演を行う。9月17日(土)午後2時から一時間半である。まほろば館は4回目で、今回は邪馬台国をテーマに選んだ。

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パワーポイント、タイトル

奈良まほろぼ館の講座案内は
「邪馬台国はここだ!」という証拠が、桜井市の纏向遺跡で次々と発見されています。纏向の大型建物群跡や石塚古墳の前で邪馬台国の時代の風景を実感していただきます。
さらに卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳を前にして「卑弥呼の姿と人となり」を共に考えてみましょう。

こんな形で紹介されている。


1800年前の纏向と箸墓を案内する。東京、関東の皆さんに卑弥呼と共に纒向に立っていただくという語りをしたいのである。

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纏向遺跡を語る。2011年の大型建物説明会


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箸墓古墳を話します

卑弥呼は祭司者か、それとも権力を持つ施政者か・・こんな話しをしてみたいのである
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纏向遺跡をかかえた桜井に住んでいて、そして邪馬台国ツアーを案内しながら考えている。
僕の身の回りの人は邪馬台国への関心がイマイチだが、纏向を見る日本の歴史ファンの思いの熱さは格別ということを。
西日本一円からお客様を集めた「邪馬台国畿内論ツアー」(おとなび)を案内して、そのことを目の当たりにした。邪馬台国ファンは勉強している。その思いには熱さと深みがある。中途半端の勉強では広島や島根、北陸からやってくる邪馬台国ファンには太刀打ちできない。

邪馬台国と卑弥呼は古代史のハイライト。「邪馬台国がきちんと語れるガイドになってこそ、奈良や桜井のガイドだ」と痛感することしきりである。今回は、それを東京で語ってみよう。

9月17日(日)日本橋、まほろば館でお待ちしています。

「大和の卑弥呼」
1.日  時:平成28年9月17日(土)14時00分~(1時間半程度)
2.講  師:雜賀耕三郎 氏
        談山神社氏子総代。NPO法人奈良まほろばソムリエの会 理事

3.申し込みは   奈良まほろば館に




# by koza5555 | 2016-08-16 09:38 | 邪馬台国(やまとこく) | Trackback | Comments(0)

石上神宮。神主、忌火(いんび)

石上神宮の勉強をしている。
10月のことだが、石上、大神というツアーを引き受けた。
軽めに考えていたが、募集要項を見て、あわくった。レベルが高いのである。

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石上神宮。この入口は現代にできたもの

まずは、石上神宮の元禰宜、白井伊佐牟(いさむ)さんの『石上大神の祭祀と信仰』が面白しそうである。

この本、「忌火職」から始まる。
石上神宮は長官職を神主とも忌火とも呼ばれたとされる。神主としての斎戒の要は、「忌火飯食忌慎」とされ、浄化されるため浄火、それによってかしがれる飯を食することが求められた。
「火鑽(ひきり)によって得た神聖な火にて煮炊きする」、これが忌火である。
さらに清浄を保つために「社の境内から出ない」ことが求められた。

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この境内だけの生涯かあ・・・僕にはできんなあ


これは石上にとどまらず出雲大社、三輪社、近江国三上社(祝など)などにも忌火の職号があり、他人と同火せず、常に清浄を求める生活が続けられたという。

お聞きしたところだが、石上神宮には忌火という制度は残されていないとのことではあるが。

「火鑽(ひきり)によって得た神聖な火にて煮炊き」という枠には当たらないが、神に伝えるということでは、様々な連想が成り立つ。

當屋が一年間の潔斎、祭の前夜からの儀式で絶食で神がかりに至るという美保神社(出雲)の祭とか、
百日行という厳しい潔斎を行う出羽三山の冬の峰の松聖の神への仕えかたなど・・・
今も残る長期の潔斎を経ての祭を取りおこなう神主の姿は、どの神社でも共通して行われていたと理解することができるのである。


時代は遡るが、あとは持衰(じさい)のことである。
魏志倭人伝は、航海の安全を祈る神主、持衰を紹介している。

「其の行来・渡海、中国に詣(いた)るには、恒(つね)に一人をして頭を梳(くしけず)らず、蝨(きしつ)を去らず、衣服垢汚(こうお)、肉を食さず、婦人を近づけず、喪人(そうじん)の如くせしむ。之を名づけて持衰(じさい)と為す。若し行く者吉善(きちぜん)なれば、共に其の生口(せいこう)・財物を顧(こ)し、若し疾病有り、暴害に遭へば、便(すなわち)ち之を殺さんと欲す。其の持衰謹(つつし)まずと謂(い)へばなり。

忌火は持衰か、あるいは持衰の末裔が忌火とみるのか。
でも、航海に持衰が必要ならば、王権の神祭りにも忌火は置かれていたとみるべきだろうか

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最後も石上神宮・本殿も拝殿も

# by koza5555 | 2016-08-04 00:27 | 桜井・山の辺 | Trackback | Comments(0)

箸墓隣接地を国史跡指定へ(申請)

「箸墓隣接地を国史跡指定へ」、桜井市の動きを各紙がいっせいに報道した

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箸墓古墳

邪馬台国の女王・卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の箸墓古墳3 件の隣接地を国史跡に指定するよう市教育委員会が文化庁に申請したことが30日、市教委関係者への取材で分かった。
 昨年、古墳前方部の隣接地3 件に商業施設が計画されていることが判明。景観を損なうなどとして市が事業者と計画撤回を求めて交渉し、史跡指定後に市が公有地として買い取ることで合意を得た。本年度中に国の文化審議会で検討され、指定される見通し
(産経WEST)。

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空から見ると。前方部の西側、国道に沿って温泉施設が・・・

箸墓古墳の前方部、西側には花卉販売の店舗跡、廃墟のような施設が残されてきていたが、この土地の所有者が今年に入って移転したと聞いた。
この新たな所有者が、こちらに入浴施設を計画したというのである。すでにボーリングも行われたとのことである。こうした事態をうけて、桜井市が動いたという報道である。

市教委関係者によると、申請は今月(7月)21日付。市は「古墳の起源やヤマト王権の成立過程を考える上で重要」とする意見を申し入れた。史跡指定を求めるのは、古墳の前方部に接する約1万5千平方メートル。これまでの発掘調査から古墳の周濠部分に当たると考えられるという。(産経WEST)


店舗跡地だけではなく、その南の植木畑なども含まれるということである。

圧倒的に県外からの参加者という「邪馬台国は畿内」というツアーを、僕はいま案内している。纏向遺跡と箸墓古墳を語り、邪馬台国や卑弥呼への思いを共有するツアーである。

西日本の各地から駆けつけてくるお客様と話していると、「纏向遺跡は日本の宝」としみじみ感じるのである。
この重要な資産である箸墓の外周部の景観が守られる。桜井市の決断を当たり前のこととして、僕は認めたい。
纏向遺跡は日本の宝、桜井市と市民はそれを守る義務があるし、守る意味もある。

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左が箸墓古墳、右が市が買いとる店舗跡地



国道側から店舗跡地越しに箸墓古墳をみると
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# by koza5555 | 2016-08-03 06:48 | 邪馬台国(やまとこく) | Trackback | Comments(0)

9月は稲淵でかかしウォーク

大人の学校、9月は明日香村、案山子ウォーク。
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このかかし、今年のジャンボは真田信繁(幸村)である。7月24日に立ち上げられた

奈良県では日本棚田百選に選ばれたのは明日香村稲渕の棚田だけ。
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稲穂の垂れる棚田、彼岸花が見ごろを迎える頃の案山子コンテストが楽しめる。
午後は初めに石舞台を訪れ、さらに不思議な石造物や飛鳥駅周辺の古墳を辿る。
明日香・飛鳥を隅々まで楽しむ9月の歴史散歩、お誘いします。
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こちらは昨年のかかし

行程は9月23日(金)午前10時、飛鳥駅の改札口前に集合。
歩く距離は約8km程度で、飛鳥駅(タクシー利用)→稲渕 → 石舞台古墳 昼食 → 亀石、鬼の雪隠、吉備姫王墓などを見学したのちに飛鳥駅にて解散
費用は1000円、タクシー代は各自払いで500円程度。



さらに10月は山の辺の道、11月は浄瑠璃寺・岩船寺に当尾を案内する。

10月  山の辺の道  邪馬台国の残照、相撲発祥の地を訪ねる
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■10月26日(水)
集合 午前10時   JRまほろば線 柳本駅
解散 午後 3時ころ 纏向駅
■コース(歩く距離 6km程度)
JRまほろば線柳本駅 → 黒塚古墳 → 崇神天皇陵 → 昼食(天理トレイルセンター)→ 長岳寺
→ 穴師坐兵主神社(相撲神社)→ 珠城山古墳 → JRまほろば線巻向駅解散
■参加費 1100円(長岳寺拝観料 350円、学校経費、資料代などで750円)。


そして、11月。 錦秋の当尾。浄瑠璃寺と岩船寺(食事付)である。
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■11月30日(水)
集合時間午前9時15分 
集合場所   JR奈良駅改札前(JRで来られる方は改札口の中で受け付けを行います)
■コース(歩く距離約6km、下りの道です)
JR奈良駅(集合9:15)→ 9:37 JR乗車~加茂駅着9:51 路線バス → 岩船寺 → 昼食(岩船寺門前「静」→ 石仏巡り → 浄瑠璃寺 → 浄瑠璃寺バス発 → 近鉄奈良駅 → JR奈良駅
■参加費(昼食付)2100円(食事代650円、岩船寺拝観料400円、浄瑠璃寺拝観料300円、大人の学校と資料代750円)          
※奈良~加茂(JR)240円 加茂~岩船寺(バス)300円 浄瑠璃寺~奈良駅(バス)570円、各自払いです。
# by koza5555 | 2016-07-25 21:24 | 橿原・明日香・吉野 | Trackback(3) | Comments(0)

「湖北観音の里」巡拝バスツアー

9月19日、敬老の日に「湖北の観音」さま拝観のツアーを企画した。
奈良まほろばソムリエの会の企画で、昨日からHPにアップされている。
アドレスは  こちらである

ソムリエの会は五周年を迎え、これを機会に会員アンケートをおこなった。県外研修の項目で最も得票数の多かったのは、滋賀県長浜市の観音の里をめぐるツアーで、これを行うことになった。
僕が新理事として、この企画の具体化を仰せつかり準備をすすめてきたのである。

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渡岸寺観音堂(向源寺)

今回のツアーは現地のガイドの案内と合わせて、往復路ではソムリエの会が解説を行い、「ソムリエの会でこそ」のスペシャルなバスツアーに仕上がりそうである。

拝観先は、石道(しゃくどう)寺、渡岸(どうがん)寺観音堂、西野薬師観音堂、赤後(しゃくご)寺の四か寺。十一面観音像が中心だが、千手観音・伝聖観音立像なども拝見できる。

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石道寺

「この十一面観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れて、いらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。野の匂いがぷんぷんする。笑いをふくんでいるように見える口もとから、しもぶくれの頬のあたりへかけては、殊に美しい」と「星と祭」で井上靖が紹介した、石道寺(しゃくどうじ ・いしのみちの村)の十一面観音さまには、皆さんをぜひともお連れしたい。

渡岸寺の十一面観音さまの化仏、暴悪大笑面も必見である。暴悪大笑面は通常、見ることができない。理由は裏だから、あるいは光背があり拝見できないのだが、渡岸寺だけ、拝観・拝見することができるのである。

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子どもが遊ぶ西野薬師堂


以上のツアーは、平成28年9月19日(月・敬老の日)に実施、集合は近鉄奈良駅(春日ホテル前)に午前8時。帰着は18時30分頃である。
参加費は昼食つきで8,000円である。

お申し込みは  kozaburo@cg8.so-net.ne.jp   まで、お願いいたします。
申し込みにあたり、①氏名 ②当日に連絡ができる携帯電話の番号 ③乗車場所(近鉄奈良駅前・JR奈良駅前)が必要である。
定員は40名、募集は昨日からだが、お早めにお願いします。

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赤後寺。いまも清仏習合の極致





# by koza5555 | 2016-07-24 11:49 | 大阪とか京都とか | Trackback | Comments(0)

ふたかみ邪馬台国シンポジウム16

7月17日と18日、ふたかみ邪馬台国シンポに参加した。聴衆である。
始めから終わりまで、それぞれ一時間の講座を五個も聞いて、講師と石野博信先生による二時間半のシンポジウムという企画である。

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このシンポは「邪馬台国時代のまるまる」というのが売りで、この「まるまる」が全国をまわっている。昨年はとうとう「みちのく」まで回ってしまった。
それで、今年は「邪馬台国時代の狗邪韓国と津島・壱岐」となった。

魏志倭人伝のはじめに
 郡より倭に至るには・・・狗邪韓国(くやかんこく)に到る七千余里。
始めて一海を度(わた)る千余里、対馬国に至る。其の大官を卑狗(ひこ)と曰ひ、副を卑奴母離(ひなもり)と曰ふ・・・・

又南一海を渡る千余里・・・・一支(いき)国にる・・・

この狗邪韓国と津島・壱岐がテーマである。現代の考古学を駆使して、邪馬台国の時代の狗邪韓国、対馬、壱岐を浮かび上がらせようとの狙いだろう。

秋からツアーと講演で「邪馬台国」が僕に押し寄せてくる。今頃から、勉強を徐々に深めたいという思いで参加したのである。

演題と講師を紹介しておこう
「邪馬台国時代の狗邪韓国」は橿原考古学研究所の井上主税さん、
「楽浪海中の倭人」は奈良県教育委員会の川上洋一さん、
「邪馬台国時代の壱岐」は長崎県埋蔵文化財センターの古澤義久さん、
「邪馬台国時代の対馬」は長崎国際大学の俵寛司さん、
石野博信名誉館長と森岡秀人(芦屋市役所)さんがパネルディスカッションの司会である。

8時間の講演と討論だからテーマ、話はテンコ盛り。一端を紹介する。

今回のふたがみの企画は、魏志が歩いた道、場所を同時代で見てみようというねらいだろう。
だから、今回は僕も魏使になりきり、魏使の眼で楽しむことができるか、どうか。そんな感じである。

邪馬台国の時代の集落の姿や生業、貨幣のありかた、墳墓・墓制の壱岐と対馬の差などはとてもよく理解できた。

墳墓から見ると、邪馬台国時代には対馬や壱岐には王はいなかったようである。

対馬では、官は卑狗(ひこ)と曰ひ、副を卑奴母離と曰ふ。
壱岐でも、官は卑狗(ひこ)、副は卑奴母離とされる

この官職は王ではなく、いわば代官というようなもので、北部九州や邪馬台国から派遣された官職であることが明らかにされていた。
他を押しのけるような墓域がない、王はいなかったのではないか。との説であり、現地での発掘が具体的に示されて説得力があった。
卑狗や卑奴母離は北部九州や邪馬台国から派遣された官ともみえて、独立した国々とも思えないのである。

北部九州の甕棺文化が、これらで横行しなかったことも初めて知った。狗邪韓国などがホケノ山古墳などと同じような木槨木棺墓、これも驚いた。

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細かい話だが、お米がとれないから、「南北に市糴(してき)す」というくだりがある。
余り考えずに、そのまま読んできたが、
市糴はコメが入ると書く。米を買うことだろう。
市糶(しちょう)とう漢字もある。これは米が出るである。コメを売る
漢字はすごいな。

今日のシンポジウムの最期は邪馬台国の時代に、倭に文字があったかがテーマとなった。
硯が出ている。知らなかったが纒向には筆も出ているようである。
中国や狗邪韓国には文字があるのだから、読める人がいた、書く人もいたというのが、すべての弁士の結論である。

# by koza5555 | 2016-07-18 23:36 | 邪馬台国(やまとこく) | Trackback | Comments(0)

兵馬俑、長安、大雁塔、小雁塔

中国の西安に行ってきた。

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西安郊外の始皇帝の陵と兵馬俑。いずれも1970年代の発見である
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西安を訪ねる格安のツアーを偶然見つけた。
西安だけで四日間・・丸々二日間くらいだけど。
兵馬俑が見学できるとのこと。
レンガ、土で作られた塔、雁塔が拝見できること。
西安の大学には、あっちゃんの友だちで「高」さんという大学の先生がいる事などから、日程を合わせて行ってきた。

6月23日に神社検定、二級と三級を受験した。7月1日は、桜井のカルチャーセンターで講演があった。そんな日程を見定めて、7月2日の出発となった。

西安、長安のことである。
秦朝の始皇帝の時代、これは2200年前。1971年に発見された兵馬俑である。

さらに長安の時代、現在の市街地は唐の時代の市街地である。これが1300年前。大雁塔、小雁塔など。
数多くの仏像が発掘されており、二つの博物館(陝西歴史博物館、西安博物院)に展示されている。

明の時代(室町から江戸時代)の史跡が残されている。この時代から長安は西安と名を変える。600年前のことで、この時代の城壁と鐘楼、鼓楼が残されている。

西安は陝西(せんせい)省の首都、ちなみに陝西省の人口は900万、西安は人口が400万以上の大都市で、この都市に古代や中世の遺跡が生まれている形である。

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はじめに鐘楼、鼓楼を訪れる。明代の建物である。朝は金で知らせて、夕方は鼓で知らせた。これが鼓楼である


唐の遺跡、大雁塔と小雁塔を見学。
大雁塔はお寺の一角にそびえたつが、建立十年、二十年、中には数年という堂もあり、寺院としての整備、復活が急速にすすめられてきているのである。この再建に奈良の薬師寺が関係しているのである。

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大雁塔
外壁修理中である。緑色のネットがかけられているが、塔は黄土色。本来は黒色の煉瓦で積まれたが、1300年も経って、黄砂でこんな色になったという

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小雁塔。十三重塔であるが、上部二層は地震で崩れている


兵馬俑である。
西安市から北に一時間。山並みを背景に始皇帝陵が築かれ、その東に、東に向かって兵馬俑が築かれている。これは軍人だ。
2000体ほどが展示されているが、もともと6000体はあったとのことである。今も発掘・復元作業が行われている。

兵馬俑一号坑。息を呑んだ。1971年に農地の空洞から降りた農夫がいたということである。井戸沿いとのことである。

兵馬俑二号坑からは将軍の俑も。
埴輪そのものである。日本の埴輪は円筒基台から祭祀用として発展したものとされているが、人の身代わりに埋めたとの伝承が根深くある。
中国の兵馬俑のありさまが日本に伝えられたということは無かっただろうか。
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あっちゃんが奈良観光案内所で案内業務をしていたころ、中国人の友だちができた。当時は立教大学の留学生、その後西安に戻っていた。
西安の大学の准教授である。
連絡がついてナイトツアーを案内していただいた。
鼓楼の北側には大きな夜のマーケットが開かれる。カイ族によりカイ族の食事が出されるのが特徴である。
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歩道上の瓦当紋。マンホールだろうか、そしてこれは朱雀か
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# by koza5555 | 2016-07-06 21:16 | 旅行 | Trackback | Comments(0)

関西のろおじ(路地)漫歩

「関西を考える会」(明治安田生命)が、今年も楽しい冊子を発行した。
昨年は橋だったが、今年のテーマは「ろおじ」(路地)である。題して、「関西のろおじ(路地)漫歩」

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今年の冊子のテーマは「路地」。関西に縁のある有識者のコメントとご一緒に、関西2府4県の魅力ある路地を紙面でゆったりと巡っていただきたいと存じます。観光地をともなっている有名な路地から、あまり知られていない路地まで、その土地々々の歴史や文化をご満喫いただければ幸いに存じます。  明治安田生命関西を考える会

幅広く取材する、有識者の知見が紹介される、多くの読者の声が反映されるという編集方針である。
A4判で80ページで、「ろおじ論」がまとまって紹介されている得難い冊子である。

紹介されている奈良県の場所は
奈良市勝南院町、不審ケ辻子町、十輪院町、陰陽町、鴨川町、京終(鹿垣の跡)、水門町、ささやきの小経、柳生道、薬師寺から唐招提寺
大和高田市の当麻街道の元庄屋方
大和郡山市の旧中心市街地と他
橿原市の今井町、札の辻、五條市、香芝市、斑鳩町、高取町である。

こんな冊子が無料である。

HPページ「関西を考える会」で入手方法が紹介されているが、

①関西の会に300円の切手を送る
②各県で一つ指定された支店の窓口に出向く。奈良県は奈良市高天町22-2明治安田生命奈良ビル4階である。

数には限りがある。
# by koza5555 | 2016-06-28 09:47 | 読書 | Trackback | Comments(0)

第5回神社検定

6月26日、第5回神社検定が行われた。奈良県の試験会場は帝塚山学園、学園前キャンパスである。
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大神神社の神奈備山、三輪山


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会場の帝塚山学園、建物模型図


一級から三級まで、100問の出題で70問以上の正答で合格である。ただし、三級のみ「受験者の7割を合格させる」という基準があるようで、合格点を下げるというシステムである。一方、一級、二級の合格率は三割程度でけっこうな狭き門である。

神社検定の場合は一級受験の資格に「二級の合格者」とあり、二級からの参加の方も多いようである。
僕は何も知らずに5月に三級の受験申し込みを行った。締め切りの二日くらい前である。
それから調べてみると、「二級から受けるよね」という声を聞き、果ては「三級は君なら勉強しなくても」とも言われて、締切日にあわてて二級も受験手続をすることとなった。

神社検定はテキストが複雑。年度ごとに重点テーマが異なり、テキストを買い足さねばならない。一級まで行けばすべてを勉強することとなるが、二級から始めるとなると戸惑うう。

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今年のテキストは
三級は「神社のいろは」と「古語拾遺の一章」。
二級は「神社のいろは 続」と「神社のおへそ(神話)」、「万葉集と神様」、雑誌「皇室67号から70号」まで。

三級、二級はテキストが重ならない。テキストは1000ページ位になる。

テキスト読みこんだ。
ツアー(ムジークフェストのコンサート前ガイド、談山神社・大神神社)の準備はしつつ、5冊のテキストを3回、読みました。ノートをとると言っても勉強は泥縄・・・とにかく読み続けた。
5冊を一週間で読み、それを三回という感じで、とにかく準備期期間は五週間ですから。

試験は先に三級。アレッとというのは2~3問で、まずまずは大丈夫である。

二級、初めは纏向遺跡が2問。幸先良しです。続いて常陸国風土記、天の岩屋戸とすすみ問題なく回答できていく。それはそれ、試験ですから、あれこれでつまずきながらも時間は足りた。

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中世に22社体制という時代がある。国家の一大事に朝廷から特別の奉幣を受ける神社のことである。大和でいえば春日、大神、大和、龍田、広瀬、丹生神社であるが、あとは京都の神社が多くて・・「これは苦手」と勉強しておいたのに・・・失敗してしまった。
帰りの電車で気が付いた。付け焼刃なんだ。22社めぐりなんてツアーもあるようで、そんなツアーを案内したら、さらにはお客になるだけでも、間違えることは無いのである。

他にもひっかけに簡単にかかった設問もあったりで、帰りの電車の中、気持ちがだんだん暗くなる。

「自己採点はやめや、金曜日の講演の準備だ」と思っても、それはそれ・・気を取り直して、採点を続けてみると、・
やはりダメかと言うのもあるが、不安な設問が逆にピタッと合っていたものも次々で、なかな健闘である。

なんとか三級は成績優秀、二級はギリギリで合格ラインに達したと思える。

一か月半の勉強だったが、神社と境内の基本、神道史、神を歌った万葉集、日本の神話、全国のお祭りの数々など得た知識は大きい。
ガイドを行っている奈良まほろばの会員の皆さんにも、この受験はお勧めしたい。

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# by koza5555 | 2016-06-27 18:33 | 神社検定 | Trackback | Comments(0)

虫送り

6月16日は、東山中といわれる奈良盆地の東側の山間地は、各所で「虫送り」の行事が行われる。

雨が降ったら中止、順延はなし。曜日は関係がなく開催される。

昨日の奈良県は朝から激しい雨、「これは中止かあ」と空を眺めていた。
「天理市の山田はやる」との情報が3時ころ伝えられた。民俗の写真を撮っている友たちの情報である。

雨の中、天理市下山田まで行ってまいりました。20キロメートルくらいです。

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春日神社境内(薬師堂)を出発して、間もなく

行事の順に写真をみてみると
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田植えのあとの行事です。畔で松明を振って田の虫を集めて殺した…そんな名残でしょうか。
そんな行事が「虫送り」というやさしい名前で残っています。
虫を追い、虫を供養し、収穫を祈り、村人の栄を祈る・・とても興味深い行事です。

16日は、天理市の上山田、中山田、下山田。宇陀市の笠間川沿いの染田や無山で毎年、行われます。

19日は宇陀市の笠間川沿いの下笠間、20日は同じく小原で行なれます。
来年と言わずに、今年でもまだ、チャンスがあります。

昨年の宇陀市小原の虫送り
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# by koza5555 | 2016-06-17 13:06 | 奈良 | Trackback | Comments(0)

三輪神道と僧形神像

神仏分離により三輪の大御輪寺から十一面観音が聖林寺に、地蔵菩薩が法隆寺に移されたとなにげに話してきていたが・・・

岡直己は「この地蔵菩薩は僧形神像」(神像彫刻の研究 角川書店)と断じているのである。
ビックリである。

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平等寺に向かう版築の土塀が続く道

中世の三輪流神道は殷賑(いんしん)を究めた。
三輪流神道は、鎌倉の初期、慶円(きょうえん)によって開かれた。
三輪の神の霊威を受けて三輪別所を開く。これが平等寺の前身である。

卜部兼邦によれば、神道四流有りとして、それは「聖徳太子、吉田卜部、弘法大師、三輪慶円聖人」とされている。

三輪明神と慶円は互為灌頂(こうごかんじょう)を取り交わしたとされ、これが「三輪流最極の大事」とのことである。
慶円は三輪明神に秘法の印明が伝授され、三輪明神からは慶円に神道灌頂の秘儀が施されたという。
神と教祖がとり替わす互いの勧請は、神仏習合の極致とされる。

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このころの、中世の大神神社の古絵図(室町時代)を見てもらいたい。
平等寺(右上の赤線のまる)の扱いがとても大きい。大御輪寺(左下の赤線のまる)も扱いが大きい。
三輪山を象徴的には描かず、里の寺院を霊場とする信仰形式に重点が移っている。


神が人間と同じように苦悩し、仏法により解脱したい、そのために神宮寺が作られた。
その具体的な姿として平安初期から僧形の神像が作られるようになった。
三輪の神宮寺は、僧形神像の作例のもっとも多いところとされる。

神仏分離に際して法隆寺に移された伝地蔵菩薩像はその一つである。

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法隆寺の地蔵菩薩像

写実的に作られていること、これが三輪神の具現である。大御輪寺に於いて浄三が祀ったとされる十一面観音と並んでこの神像が建てられた。
十一面観音の隣におられたのは、(いま、地蔵菩薩といわれる)三輪明神の僧形神像だったのである。
これは納得できた。十一面観音の隣になぜ、地蔵菩薩かは疑問だった。
だから客仏といっても、それは三輪明神だったので、法隆寺は置き場所に困ったのであろう。

多度山の僧形神像が一番古い記録(皇大神宮儀式帳)で804年という。
神仏融合が進むにつれ、神社に仏像をおき、神宮寺が成立し、神の出家、神の菩薩号、神形の造立、僧形神像と連なる。

三輪山を神体として拝まれていた、この神を僧の形にして拝したのである。

橘寺の伝日羅像、
融念寺(斑鳩町の神南)の伝地蔵像、
当麻寺の伝妙幢像などはいずれも三輪明神の僧形神像と推定されている。。
三輪明神をあらわした神像は僧形立像のため、外へ流出すると本来の信仰がうしなわれてしまい、それぞれの像名が付与された。
作像は平安時代のことである。

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神像彫刻の研究、この本は桜井図書館には、「樋口清之文庫」として特別に収蔵されている。禁帯出である。ネットで見ると1万8千円で出ている。
何でも先学があるものである。


大御輪寺
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# by koza5555 | 2016-06-16 00:24 | 桜井・山の辺 | Trackback | Comments(0)

室生寺と三本松の子安延命地蔵

涼を求めて、7月に室生を訪れてみませんか。
来月の15日(金)です。いつもの大人の学校、「雑賀が案内する奈良のあちこち」です。
女人高野といわれる室生寺を訪れます。今回は三本松の地蔵菩薩像の特別開扉・拝観を組み込みまして、今回だけという特別ウォークといたしました。
橋本屋の山菜料理も楽しみ、奈良の東の奥座敷、室生を隅々まで楽しんでみたいと思います。

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室生寺

◎行き先    三本松の子安延命地蔵と室生寺
◎実施日平成28年7月15日(金)雨天決行
◎集合時間午前10時30分 
◎集合場所   近鉄三本松駅 改札口前
◎コース(歩く距離約6km程度)
近鉄三本松駅(集合10:30)w.c.→ 10:40 三本松安産寺(地蔵菩薩)→ 11:30 道の駅発(橋本屋送迎車とタクシー利用)→ 11:45 橋本屋にて食事(室生山菜料理)w.c. → 12:45 室生寺(女人高野・五重塔)→ 14:30 室生寺下山 w.c.→14:44 室生寺バス停発 →14:44 室生口大野バス停着、14 : 50 同駅にて解散。近鉄電車に乗車   
 
◎持ち物  水筒、帽子、雨具をお持ちください。      
 ※室生寺境内を歩きます。歩きなれた靴でおいでください。

◎拝観料・入場料・食事代 
3,500円(食事代1,800円、室生寺拝観料600円、三本松拝観料300円、講師謝礼・保険代などで800円)。行程内交通費は別途必要です。
 ※バス乗車料は430円です。タクシー代は全体を案分しますので200円程度をお願いいたします。

◎申し込み先は大人の学校の溝口博己さんですが、このブログのコメント(鍵コメ)などでも受け付けます。

◎定員は30名で、残席はあと7名となっています。

三本松、子安延命地蔵
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# by koza5555 | 2016-06-15 00:03 | 宇陀 | Trackback | Comments(0)

ムジークフェストなら2016

「音楽で、奈良を元気に」・・・6月11日から音楽祭「ムジークフェストなら2016」(五回目)が始まった。二週間の奈良のあちこちが様々なジャンルのコンサートのてんこ盛りである。
なにしろ300ものコンサートが開かれる。毎年、いくつかのコンサートを僕も楽しんできたが、こともあろうに今年は「出演」である。

もちろん、音楽で舞台に立つわけではなかった。
数多くの社寺でもコンサートが開かれる。この社寺会場のコンサート前に、その社寺を解説するという企画が今年から始まったのである。談山神社、大神神社のガイドを引き受けた。

12日に談山神社を案内した。お客様は桜井駅から送迎バスで到着する。

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緑に埋まる多武峰・談山神社

その前(コンサート前)に、この神社をご案内したいと思います。演奏の前に神社を見ていただきたい、荒井知事の肝いりで、バスも出しましょう、ガイドも用意いたしますということで実現した企画です。
 これはムジーク、初めての企画、今日がその初めの始めです。奈良テレビの取材も入りました。僕も力入れます。皆さんも一緒に楽しんでください。

およそ準備も済ませたところで、ソムリエの会の鉄田専務理事から電話が入る。「ガイドツアーの始まりということで、奈良テレビの取材が入るから、よろしく」である。
緊張もしますが、燃え上がります。
このガイドを引き受けたソムリエの会の責任、談山神社の氏子総代の責任が一石二鳥で果たせる

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そんなこともあり、今度の案内は神社そのものの成り立ちを語る。

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さらに場所を変えて、談山神社が芸能と音楽の歴史の宝庫であることを語らせていただいた。

こんなガイドぶりを奈良テレビが取材、ガイドとしての奈良県への思いも熱く語らせていただいた
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奈良テレビ「ならフライデー9」。放送日は6月17日(金)午後8時57分~「ならフライデー9」(午後9時から)である。
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6月11日から26日までの「ならムジークフェスト2016」、今からでも間に合うコンサートがあります。こちらでお確かめください。 

# by koza5555 | 2016-06-14 07:05 | 桜井・多武峰 | Trackback | Comments(0)

神社検定 古語拾遺を勉強

6月26日に「神社検定」を受験する。
受験のテキストに「古語拾遺(こごしゅうい)」があった。
古語拾遺は平安時代、官人であった斎部広成(忌部  いんべのひろなり)により、大同2年(807年)に書き上げられたものである。

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古事記・日本書紀を斎部の立場で解釈、解説した書籍であるが、これが僕は初めて。
聞いたこともないのでは・・というものだった。

読んだだけ・・という所だが、少し書いてみた。

平城天皇の命により、斎部に伝わる伝承をまとめたというものである。
80歳を過ぎた老翁が書いた本である。

まずは斎部家である。
「中臣は天神寿詞(よごと)を奏して、忌部は神璽之鏡剣をたてまつれ」というような約割が決められていた。
中臣と斎部は同等のはずだったが、中臣の支配下に組み込まれていくことに、斎部広成はこれに怒りをぶちまけた。

そこで、斎部広成のめざしたものである。
斎部広成は歴史をどんなふうに認識しているか・・興味深い。

広成の歴史観は、推古天皇までが歴史時代、そのあと、孝徳天皇時代以降は現代と見ていたようである。
生まれた100年ほど前からを現代としてみる、僕らで言えば明治時代からが現代ということになり、その意味では共感が持てる。

広成の主要な主張は、歴史時代(神話時代)の天皇と各氏との関係を重視して、それに立ち返ろうとよびかけている。氏族の貢献を壬申の乱の功績だけで決めつけるな、こんな主張をしているようである。
律令の体制が、受け入れられない悲劇である。

広成は神話時代を日本書紀にそって紹介しながら、もれている事(直してほしい、戻してほしいこと)、十一ヶ条を書き連ねて、祭祀、神祇の諸制度の復活をめざしている。
部分的には斎部の主張は通っていくが、その後の歴史は中臣の圧勝、これも史実であり、斎部の主張は痛ましい。


それはそういうことで、西暦900年の頃の、当時の祭祀担当者の広成の歴史認識を紹介してみたい。
これは斎部広成がというより、著者の松本久史国学院大学助教授の考え方かもしれないが(ちなみこの本は神社本庁監修である)。

神代と人代の境目がおもしろい。
「人代の始まりは神武天皇」とするのが常識的な記紀の読み方。
ところがこちらは神武天皇が人代の始まりとしている。
「天石窟、天孫降臨、神武天皇の即位の各エピソードにおいて、登場する神々や出来事に類似性が見られます・・・神武天皇がつなぎにされているということで、連続性が重視された」

ここからは僕の意見だが、
欠史8代もすべてが神代ということになるのだろうか。
そして、ここまで考えてくると、神代はもっと下って神功皇后まで見ても良いのかも。人代は第15代の応神天皇以降と言う考えも成り立つのだろうか。

まあ、こんなことを勉強しながら、26日の神社検定、合格に向けて頑張りたい。
合格したらどんな特典があるのか、それは何ほどのものもありません。
乗ってしまった船、勉強である。すでに十分楽しんだが、最後まで頑張りたい。
60才代で、「秘かに一級までの合格」を目指しているのだが・・・・
# by koza5555 | 2016-06-05 18:19 | 読書 | Trackback | Comments(0)

三輪神は軍神

「大神と石上」(筑摩書房)、和田萃と寺沢薫両先生の論文から考えた。

和田萃さんは冒頭で三輪の神の性格の変遷を説く。

①三輪山に籠りいます神は、蛇体の雷神・水神とされていた。それが神体山である三輪山を仰ぐヤマトの範囲の国造り神・守護神となり

②さらには大和・河内連合王権が各地に進出していった際、各地に勧請されたらしい。
それが各地に、大神神社、美和神社、三輪神社や、大神郷、美和郷が広く分布する背景となったのだろう。

③六世紀前半になって、三輪山祭祀は大きく変化する。
王権の守護神的色彩の濃かった三輪山の神が一転して祟り神(オオモノヌシ)にと変化し、国ツ神の代表的な存在となった。オオタタネコを祖と仰ぐ神君(みわのきみ)によって祀られることになった。

以上の三段階が、三輪山祭祀の歴史として紹介される。
この第二段階、②のことであるが、王権の拡大に伴い、三輪神が各地に勧請されていく時期である。
この時期の「三輪山の神が軍神としての神格をも有していたことは、筑紫の大三輪神社の創祀の由来にも明らかである。」との指摘である。

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三輪明神

本からここで少し外れるが、先日、「箸中区」でこの勉強をしてきた。
桜井市にお住いの松田度さんがコーデネーター?で、箸中区の杉本ご夫妻(ご主人は箸中区長)の肝いりの勉強会である。

今回は、大神神社の山田浩之主任研究員(権禰宜)が「三輪の神」を語られた。
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箸中の慶運寺のご本堂。講演する太田浩之大神神社権禰宜


「大和を中心に東西に三輪神が祀られるが、東国では和田説の説くように軍神としての性格が個々に確認できるが、西国でも同様の性格が担わされた」とされる。

「時に軍卒集い難し。皇后曰わく、必ず神の心ならむとのりたまひて、即ち大三輪社を建てて、刀矛を奉りたまふ。軍集自づから聚る」(仲衷天皇9年9月・皇后は神功皇后)
さらに備中国風土記、筑前国風土記などの紹介もしつつ、三輪の神が軍神の役割を果たしたことを論じられた。

こうした三輪の神の性格は、石上神宮などとは違い、今の大神神社に見出すことは難しい。歴史的にこんな役割を果たしたというだけのことだが、これは目からウロコだった。

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全国の三輪神社、三輪(美和)の郷 椙山妙子氏作図


ところでこうした、三輪の神の性格の変遷が、考古学的にも裏付けられるというのが、「大神と石上」の寺沢薫論文である。

考古学的に言えば、
考古学的に、三輪山祭祀はいつまでさかのぼりうるだろうか。確実な資料から判断すると、山ノ神遺跡や奥垣内遺跡のように磐座という神の拠り所を設け・・・5世紀の後半には明確に三輪山祭祀が始まっていた。先行遺跡の検討のなかで・・・四世紀中ごろにさかのぼる可能性がある。として、三輪全域で祀られたと証明がある。
①これが三輪の神が雷と言われる時期である。自然な祭である。

大和朝廷と一体の動きをとり、軍神的な役割を果たすようになると、それは6世紀初頭だが、三輪の祭祀は狭井川と大宮川の間、現在の大神神社の境内に移ったとされる。
神社というか、境内の成立である。
祟り神になり、その傾向を一層つよめたとされるのである。

祭祀場所が限られていく(同じ場所で何度も祀る)ことと、政権との一体化を強めた時期とが一致するのが、とても興味深い。
アミニズムの祭祀と政権が関わる専門的な祭祀、そんな風にはみれないだろうか。、


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6月4日の日の出

# by koza5555 | 2016-06-04 18:36 | 桜井・山の辺 | Trackback | Comments(0)

石上神宮の禁足地

和田萃先生の編で「大神(おおみわ)と石上(いそのかみ)」という本がある。「神体山と禁足地」がテーマである。

石上神宮を考えてみた。
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拝殿・国宝に指定されている

 ご祭神は武甕槌(たけみかづち)神が出雲遠征で帯びていた神剣である。神武天皇東征の折、武甕槌神が熊野の高倉下命に降して邪神の毒気にあった神武天皇を蘇らせた霊剣でもある。これを崇神天皇七年に宮中より現地、石上布留高庭に移し、土中深く鎮め石上大神と称え祀ったのが当宮の創めと伝えられ、以後代々、物部氏が祭祀をした。
この布留高庭が「禁足地」とされている。

明治7年、宮司の管正友がここを発掘した。
社伝の通り神剣が埋められているか。発見できれば正殿に祀ろう。
そして盗掘対策である。放置して盗掘に任せていいのか。被害は出ているのである。
発掘は成功で神剣は出たのである。


天理参考館に勤務されていた置田雅昭さんが、「禁足地の成立」でここらあたりの事情を書かれている。

発掘の状況である。
30センチ掘ると瓦が敷き詰めてあった。これを取り除いて下を掘ると石囲いがあった。
地表下90センチの所に剣、勾玉、管玉などを発見した。

側壁は「一尺或いは尺余の石を積み重ね」とあるから、二段以上積んだ石室のようなものだろう。石室の壁が板石を積んだものか、円礫であったのかはわからない。所伝はないが、発掘地の標柱が石室材の転用とすれば、花崗岩の円礫である。

石室の構造、遺物の構成などが、古墳時代の竪穴式石室、横穴式石室と共通する部分がある。花崗岩を用いた竪穴系の特異な構造を推測させる。
この古墳は出土品からみて 古墳時代中期前半である。


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布留社と示された禁足地瑞垣


境内の造成にも触れている。

境内は斜面に造成された一辺が120メートルの方形平坦地にある。北から見ると10メートルの段があり、この段を取り巻くようにいくつかのため池、空き地が残されている。ため池はもともと濠のように段をコの字に巡っていた名残の用である。すなわち段もまた人工的に造成したことがわかる。  と置田さんは言われるのである。

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境内図

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これは神社東側の周濠だったかもとされるため池

境内や東側ため池からは古墳時代中期後半の土器(土師器)が発掘されている。神宮の境内で古墳中期後半の祭りが行われたことを示唆する出土品である。

一辺120メートルの方形古墳が、石室、墳丘も合わせて、神宮に転用されていったという論であろうか。

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境内を闊歩するニワトリ


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大神と石上(筑摩書房)


7月1日に、桜井カルチャーで、「山の辺の道」を講演。これはとっておきの話題だろう。
# by koza5555 | 2016-06-01 16:23 | 桜井・山の辺 | Trackback | Comments(0)

ムジークフェストなら 大神神社

6月20日(月)は大神神社の大礼記念館で、石琴(サヌカイト)の音色が奏でられる。
臼杵美智代さんの演奏である。 木琴(マリンバ)の土屋さん、声楽の庵前さんという地元桜井で活動する音楽家との共演も見られるようで、とても楽しみである。

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大神神社の拝殿と祈祷殿の「しるしの杉玉」は毎年11月13日に掛け替え

このコンサートの前に、コンサートのお客様に大神神社を案内することになった。
桜井駅から大神神社に専用のバスが運行される。このバスで来られる参加者を案内するのだ。
演奏を聞きに来ても、神社を拝観しないまま、見学もされないまま帰られるのはいかにも惜しい・・・
そんなことから始まったが、・・・コンサートに来たお客さんを坐らせて「大神神社とは・・三輪山とは・・そもそも神とは・・」と話して、これで聞いていただけるだろうか・・である。

神とは山の中や海のかなたに住み、姿かたちを持たず、定期、あるいは不定期に人里を訪れる、
これが日本の神の姿で、あるいは祭りの姿ともいえる。樹木、岩、鏡、刀、人などを神は依代とするのである。
その後、祭りの場には建物が建てられ、これが神社、本殿とされていくのである。

「建物が建てられ神社・本殿が誕生」・・大神神社はここが違うのである。
「古来宝倉なく、唯三箇鳥居あるのみ」、これが大神神社。

大神神社は三輪山山中の磐座(奥津・中津・辺津の磐座)を神の依代として、神の山を拝む古来の信仰形態を今日も継承している。三ツ鳥居を通して神と対面するのである。

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三ツ鳥居。こちらは檜原神社だけど、

それで、この三ツ鳥居を拝見していただくというのはどうだろうか。
神のお姿、神社のあり方を解説しながら、「三ツ鳥居の拝見が大神神社が丸わかり、早わかり」である。

これならコンサートを聞きに来た方の心と共鳴できると考えた。
解説が簡単に組み立てられる。「神の在り方から三ツ鳥居に至る話」、韓明に話せそうだが、これは大神神社の本質にかかわる話となる。

ムジークフェストを担当する大神神社の神職にお願いした。
「三ツ鳥居は大神神社のポイント、この企画、拝観の便宜を図りたい」と大いに乗り気である。

記紀に記されたヒメタタライスズヒメに関わるササユリの話、
この地でお酒を造った高橋活日(いくひ)のお話しなどもしつつ、「三ツ鳥居」でガツンと勝負をかけてみる。

こんな組立で、ツアーとかのガイドを引き受けて良いかとも思うが、基本は神社と僕が用意するパンフに示されているから問題はない。
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大神神社の〆柱と拝殿


ところでムジークフェスト大神神社、まだ席が残っている。
申し込みは       こちらの ムジークフェスト大神神社
 
桜井駅発の臨時バスもあります。三ツ鳥居拝観ガイドつきのコンサート、ぜひお越しください。
# by koza5555 | 2016-05-27 23:42 | 桜井・山の辺 | Trackback(2) | Comments(0)

ムジークフェストなら 2016 談山神社

談山神社、実は音楽と芸能の歴史の宝庫である。
重要文化財に指定されている神廟拝所(妙楽寺の講堂)、この上部欄間には素晴らしい天女奏楽図の壁画が描かれている。

笙(しょう)、鼓・鉦鼓(つづみ・しょうこ)、太鼓などを演奏する天女が描かれている。平等院の雲中供養菩薩を連想していただきたい
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天女奏楽図が残されている神廟拝所。堂内の撮影はできる


さて、6月12日(日)談山神社の権殿(祈祷所とも、妙楽寺でいえば常行三昧堂)にて、ムジークフェストならのコンサートが開催される。

今年の談山神社はチェンバロの演奏である。モーツアルトが小型ピアノみたいな楽器と共に演奏会場に馬車で駆けつけるという画面、映画の「アマデウス」に、確か、ありました。
あの「小型ピアノ」、このチェンバロを中野振一郎が演奏するのである。豊かな表現力で、、日本を代表する名手である。
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チェンバロ


この権殿は江戸時代までの妙楽寺当時は常行三昧堂、こちらが大和の芸能のメッカである。
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維摩八講会は平安時代から続く、多武峰の重要な法会であった。その中日二日間に神事として行われていた八講猿楽は、大和四座(金春・金剛・観世・宝生)が一堂に参勤する盛大なものだった。毎年、新作を一番は入れることなっていて、ここでの初演で好評だったものが、奈良や京都で演じられた。(道成寺など)今日まで伝わっている能もある。
絶世の美少年だった世阿弥は、多武峰の保護を受け京都に出て、将軍義満にひいきにされ、大和四座とは違った精神性の高い能を確立した。
多武峰は今日の能楽の揺籃の地だったと言える。

「多武峰様猿楽」とよばれる猿楽は、実際に馬や甲冑を使うという野趣あふれるもので、都の貴族や武士を驚かすに十分なものであった。この演出は延年の影響を受けたものとされている。延年とは正月修正会の後に、お坊さんが行う余興のことで、・・・多武峰の延年は山内の僧兵らが自作自演したもので、全国最大規模とされ、1515年からの70年間の演目台本が現存している。 「雅楽の奈良を歩く」(実業印刷(株) 笠置侃一監修)から

ムジークフェスト・・多武峰、お客様の多くは貸切のバスで談山神社に到着する。
到着時間は演奏会場の開場の40分くらい前で、到着した後は、僕が談山神社の縁起、境内の案内をさせていただく。


ムジークフェストのお客さまだから、・・西洋の古典的な楽器の演奏だから・・日本の多武峰の音楽と芸能の歴史を今回はとくに力を入れて紹介したい。
# by koza5555 | 2016-05-25 18:33 | 桜井・多武峰 | Trackback | Comments(0)