人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

奈良・桜井の歴史と社会

koza5555.exblog.jp

磐余の途を歩く  

磐余の道を歩くという僕のとっておきのウォーキングコースがある。
季節によりそれぞれ楽しみ方がある。

桜井駅南口から徒歩で出発、桜井の井、若桜神社に向かう。
若桜神社は履中天皇の磐余稚桜宮から名づけられている。
磐余の途を歩く  _a0237937_12553932.jpg

次は土舞台である。伎楽を少年に学ばせた場所との論がある(日本書紀)。

そして、艸墓古墳。国指定遺跡である。石棺の周りが一周できる。盗掘孔も明確に残る。羨道に比べて石棺は大きく、石棺を収めてから天井石などを置いたとみられる。


この後はメスリ山古墳に回るコースがある。4世紀の古墳だが、いまでも、葺石や場合によっては埴輪片を見ることができるかもしれない。

御門神社に寄ろう。ここを案内する理由は、現地でなければ語れない。
「みかどさん」と呼ばれ、明治まで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖である安倍清明を祀るお社である。


青木廃寺跡にたたずんで往時をおもう。平城京の長屋王邸跡の瓦と同笵のものが大量に出土した。悲劇の宰相だった長屋王が、父高市皇子の冥福を祈って建てたと考証されている。
今月、同所のお地蔵さんでは「泥掛け地蔵」祭が行われる。宵地蔵ということで、23日の午後3時からである。
磐余の途を歩く  _a0237937_12565652.jpg


県立農業大学で昼食・休憩であるが、大学構内の池ノ内古墳群が見学できる。

磐余稚桜神社を経て、磐余池跡(神功皇后、履中天皇)に立ち寄る。
橿原市教育委員会が発掘中であるが、最近も集落内で版築(はんちく)が発掘され、人工の堤の跡であることが明確になった。
和田萃、千田稔両先生の推定磐余池は二つながら見学できる。

磐余の途を歩く  _a0237937_125738100.jpg

御厨子神社も立ち寄りたい。清寧天皇(第22代)の磐余甕栗宮(いわれのみかくりのみや)はここと言われている。

時間が許せば、飛鳥学園の小林一茶句碑を見学できる。
遠方(おちかた)や 青田の上に 三つの山
磐余の途を歩く  _a0237937_12581978.jpg


テーマは
磐余はヤマト王権にとって特別な地であることを再確認するウォーキング。
磐余池とその地形、自分の目で和田萃説、千田稔説を確認するウォーキング。
本居宣長が歩いた(菅笠日記)道をたどるウォーキング。

盛りだくさんである。
6キロくらいのコースであるが、見学地が多く、休息込みで5~6時間のコースである。


さて、現世の話で、今日から病院にいってくる。治すところは心臓だが、手術ではなくカテーテルである。
by koza5555 | 2013-08-17 20:29 | 桜井市と安倍
<< 広陵町、百済寺 鉄筋コンクリートの建物が曳家。... >>