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奈良・桜井の歴史と社会

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桜井夏季大学 第51回

大神神社、大礼記念館で第51回桜井夏季大学が開かれた。
桜井観光協会の主催である。

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大神神社境内

午前の部は帝塚山大学考古学研究所、甲斐弓子研究員が「国家繁栄の視点から見た初瀬川周辺―古事記の中の桜井」の講演を行った。

勉強できたことは3つである。
一つは相撲の起源や役割についての詳細な説明をいただいたことである。

垂仁天皇の7年に當麻蹴速と野見宿禰の相撲のことを触れた後、この相撲というのは除災招福、相撲による祓えのことを示していると話された。
相撲は俵で結界(土俵)が作られる、四股を踏むのは地の悪霊を追い出す行為、手を打つのは神を招きよせる行為と聞き良く理解できた。

日葉酢媛命の葬儀に当たり埴輪を作ったことにも触れながら、年は違うけど相撲は7月7日、日葉酢媛命の崩御は7月6日ということで、相撲による国家の祓えをしたことを記述したのではないかという指摘があった。

これらにちなんで、聖武天皇が天平6年(734年)7月7日に相撲をご覧になられた。
826年に相撲節会が7月16日に改められるまでは7月7日が相撲節会だったと歴史を語られた。

いま一つは江包、大西などを中心にして纏向の西に出雲荘という屯田(みた)があった。のちには興福寺の荘園になったそうであるが、そのことの説明を受けたことである。

あ、ここに出雲があったかと目からうろこである。
興福寺雑役免田(1070年)によって、出雲荘、江包、大西が明示されていると岸俊男元京大教授が指摘している。
出雲臣の祖は淤宇(おおの)宿禰といい、倭屯田(やまとみた・出雲荘のこと)を支配下においたとのことである。

なるほど。
お綱祭りの泥相撲もいわば野見宿禰が関係しているんだと大いに納得できた。
「現在の出雲はこの出雲荘の長官の自宅があったということだろうか」という説明をされた。

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講演する甲斐弓子研究員

三つ目はヤマトタケルの宮のことである。
「ヤマトタケルには宮があった」と甲斐さんは熱弁をふるう。
その場所は、ヤマトタケルがいまわの時に歌った「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」という景色がみられる場所で、「そこを探しましょう」と言うのが講演のシメだった。

最後に、地名の粗雑な読み違えや出雲(現在の)やダンノダイラについての説明は少しがっかりだった。
しかし、こんな誤りは僕などはいつも冒しそうな誤りで、「あくまでも実地を見て、あくまでもくれぐれも調べて」と肝に命じたい。
なお、ダンノダイラや現在の出雲については、「大和出雲の新発現」(榮長増文著 えいなが・ますふみ)という詳細なご本が出ていることを紹介しておきたい。

苦言も呈したが、新たな視点も考えさせられて刺激を受ける講演会だった。
by koza5555 | 2012-08-27 00:02 | 桜井・山の辺 | Comments(0)
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