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奈良・桜井の歴史と社会

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桜井周辺の初期大王墓をめぐって 白石太一郎近つ飛鳥博物館館長

第51回 桜井市夏季大学で白石太一郎先生の講演があった。
演題は「桜井周辺の初期大王墓をめぐって」で、大和・柳本古墳群の解説である。

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大神神社大礼記念館まえから。大鳥居、二上山を見て

講演は「奈良盆地は三地域に分けて考えよう」と始まった。
盆地の南部の東はヤマト、西は葛城。
北半分は「曾布(そふ)」の地、いわゆる添上郡・添下郡とのことである。

このヤマトの地に代表的な6つの古墳がある。
これを検討し、桜井周辺の巨大古墳がヤマト王権の初期大王墓であることを論証するというテーマである。

結論を急ぐようであるが、
一番古いのが箸墓古墳(桜井市。ヤマトトヒモモソヒメの陵とされている)。
次が西殿塚古墳(天理市、手白香皇女衾田陵である。継体天皇の后であるが、時代が200年も合わない)。
3番目が外山(とび)茶臼山古墳(桜井市)。
4番目がメスリ山古墳(桜井市)。
5番目が行燈山古墳(天理市、崇神陵)。
6番目が渋谷向山古墳(天理市、景行陵)とのことである。
6古墳、陵とも西暦で250年から350年の間のもので、大阪や馬見古墳群、佐紀盾並古墳群と比べても100年~200年ほどは古い時代のものである。

壺、埴輪、出土物(とくに三角縁神獣鏡などの鏡)などで、建築順、時期などの考証が正確になってきていると強調がある。

興味深い話が3つほどあった。

一つは岸本直文氏の古墳の「2系列説」である。
祭祀の王(女王)と政治の王が並列に存し、陵もそれぞれ作られたという論である。
ヤマト古墳群で言えば、6基あっても二系列の3代ということになる。
白石先生は「古墳は作成時は明確で、100年以上で3代というのは考えにくい」とこれには反対と表明された。

二つにはそれとの関わり合いで、初期ヤマト王権では祭祀と政治は別々の行われた可能性もあるとの指摘があった。
西殿塚古墳(手白香皇女衾田陵であるから発掘はできない)のように、前方部と後円部にそれぞれ高まりがあり、二つの竪穴式古墳が存するとみられると言われた。同時期の二人の王が埋葬されている蓋然性が高いとの分析である。
この測量図にもとづき、こういう論拠があるとは知らなかった。
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西殿塚古墳(手白香皇女衾田陵)。二つの高まりが明瞭である

三つ目として、「メスリ山古墳は大彦墓として、安倍氏族の奥津城の始めなどというのは論拠がない」と言い切られた。
メスリ山古墳も軍事、祭祀に有能な大王墓との主張である。

大和(大和・柳本・十市)の古墳群は初期ヤマト王権の古墳群であることは疑いなかろうと結論づけられた。
纏向遺跡などとともに、文献資料だけでは明らかにできない邪馬台国から初期ヤマト王権への変遷過程を解明することができる歴史的資料群があるという。
「飛鳥の時代以降の宮、都、古墳は国と県で主導的に調査をおこない、手厚い補助を行っている。
いまヤマト王権誕生のこの地域に、国と県の力が必要である」と強調された。

行燈山古墳、渋谷向山古墳も述べられたが、ここは僕も何回も書いているので今日は省略する。
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講演する白石太一郎館長

普通の話だが、観点に独創性があり勉強となった。
暑い日(会場内は寒すぎ)、お互いにお疲れ様でした。
by koza5555 | 2012-08-28 00:05 | 桜井・山の辺
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