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奈良・桜井の歴史と社会

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禁野(しめの)天神と血原橋

「今奈良」の豆知識で僕が書いた正一位禁野天神が掲載されている。
「今奈良」のFace bookでも同じものを見ることができる。
豆知識で先週は「本居宣長と長谷寺」が取り上げられており、二週間づつで更新する豆知識、連続しての投稿採用で、ひそやかに嬉しい。
このくだりは雑賀耕三郎face book でもかかせてもらっている。


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正一位禁野天神
宇陀市榛原区の天満神社(長峰)には、正一位禁野(しめの)天神が祀られている。
宇陀の「しめの」は獣や薬草の禁猟に合わせて、丹(水銀)も対象で、宇陀全域で採集が禁止されていた。禁野天神はその証である。

大和の 宇陀の真赤土(まはに)の さ丹つかば そこもか人の 吾をことなさむ」(巻7-1376)
古代、宇陀の地が大和王権にとって、重要な丹の生産地だったことがよくわかる。


二つの血原橋に僕は注目したい。
いずれも神武東征の兄うかしに関わるエピソードがある。「宇陀の真赤土(まはに))という丹生の露頭があった場所と考えても不自然ではない。

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菟田野の宇賀志の血原橋

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室生の田口の血原橋

南北朝時代、後醍醐天皇の忠臣の「入谷(にゅうだに)金兵衛の墓」を訪ねたことがあるが、いかにも赤土の岡をよじ登るという感じで、「あっ、こここそ丹生の谷だ」と思ったものである。

神武東征に関わる宇陀の攻防を描いた、土笛(竹内もと代著。この本をテーマに14日に菟田野で竹内さんの講演会がある)では、エウカシとオトウカシは朱砂(すさ)(丹、水銀のこと)の分配をめぐって争い、それをイワレビコ(神武)軍に衝かれたという論を立てられていた。

神武東征記でイワレビコが宇陀を回るというコースをとったのは、ヤマト王権にとっての宇陀の重要性が記されたものに他ならない。そして宇陀の古代は、丹を抜きにしては語れないのである。
by koza5555 | 2012-10-06 00:10 | 奈良 | Comments(0)
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