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奈良・桜井の歴史と社会

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桜井と本居宣長

敷島(しきしま)のやまと心を人問はば朝日ににほふ山桜花
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これは代表作。桜井駅前に歌碑がある

コレクション日本歌人選で「本居宣長」が出ている。笠間書院刊行である。
古事記伝を書いた本居宣長である。
古事記の冒頭を「天地(あめつち)初めて開けし時、高天原(たかまがはら)に成れる神の名は」と著した本居宣長、この人の歌がコンパクトにまとめられている。

古事記そのもの、そういう歌もある。
古事(ふること)の文らを読めば古(いにし)への手振り言問(ことと)ひ聞き見るごとし

「禍福は糾える縄の如し」のことわざを歌にしただけ?みたいな歌もあった。でも、これこそ僕の人生観だから、心に響いた。
善きことに禍事(まがごと)は 善き事 い継(つ)ぐ世の中の道

古事記編纂、1300年である。
古事記伝44巻、古事記をよみがえらせた本居宣長の業績はすごい。

僕は桜井のガイドでも、本居宣長さんのお力は目一杯、お借りしている。
明和9年(1772年)、宣長は吉野水分神社の参拝と「吉野の花見」で、松阪から伊勢街道を逆行して桜井に至った。
行き帰り、ともに桜井を通る。

長谷寺で巳の鐘、ほら貝を聞き、黒崎まで下って女夫饅頭(めおとまんじゅう)を食べる。忍坂を経て、音羽山を見ながら倉梯に至り、多武峰を越えて吉野に至った。

帰り道もおもしろい。「飛鳥から山田村に入り、生田(おいだ)、安倍に至る」とある。
安倍寺に寄り「文殊、名高き仏なり」とし、文殊西古墳や艸墓(くさはか)古墳まで訪れる。
いったん八木、札の辻(橿原)に寄ってから、横大路を通り(桜井の)地蔵の堂(仁王堂・にょうどう)を左折し、上ツ道から三輪の社、大御輪(おおみわ)寺によって、松阪に帰った。
今、述べたような場所はすべて現存しており、桜井の人ならみんなが知っている。

この時の紀行文、菅笠日記には明日香村、橿原市、桜井市についての詳細な観光、観察記録、満載である。

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by koza5555 | 2012-10-10 05:37 | 桜井・山の辺 | Comments(0)
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