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奈良・桜井の歴史と社会

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万葉集で海石榴市を考えてみれば・・

犬養孝と万葉集、桜井を歩いてみればを考えている。
山の辺の道のポイントは檜原神社である。大神神社を経て金屋に出る。この金屋が往時の海石榴市(つばいち)である。そこで海石榴市のストーリィを考えてみる。

二つあるかな。
一つは超有名歌の問答歌がある。
紫は 灰さすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに あへる子や誰(巻12-3101) 未詳 
たらちねの母が よぶ名を申さねど 道行く人を 誰と知りてか(巻12-3102)未詳

海石榴市(つばいち)は大きな交差点であること、そしてにぎやかに歌垣が行われていたということだ。
「紫は灰さすものぞ」は序詞だが、同時に、「灰をさすことで紫が際立つように、僕の力で君を光らせてみせよう」という意味を含んでいるとの説がある。
男が歌垣で「あなたは誰」というのは求婚で、それに対して「行きずりのあなたに名前は教えません」という、ま、これは掛け合い歌である。
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桜井市金屋から外鎌山(とかまやま)をみて

そして、海石榴市には大阪(難波津)から大和川をさかのぼって到着する舟着場があった。
欽明天皇の時代に、百済の聖明王(しょうみょうおう)からの使節もこの地に上陸している。仏像と経典が届けられ、仏教が公伝したと言われている。6世紀中ごろで、日本書紀は552年と記している。

また、敏達14年(585年)に、物部守屋(もののべもりや)が敏達天皇に働きかけ、排仏をすすめたと日本書紀にある。蘇我馬子の崇敬していた尼を連れ出して、海石榴市の馬屋でムチ打ちにした記されている。
こんなことから、三輪山のふもとの海石榴市がにぎやかな市であり、駅家があり、牢獄もあったと読み取れる。
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これは昨年の万葉まつりの風景である

もう一つの話は「敷島の大和の国は」というテーマである。

しきしまの大和の国に 人二人 ありしと思はば 何かなげかむ(巻13-3249)未詳
磯城瑞垣宮(しきみずがきのみや 10代崇神天皇の宮)跡とされる志貴御県坐(しきみあがたにます)神社に歌碑が置かれている。「身代わりがないからこれだけ思います」という意の歌だが、愛の歌?それとも天皇を想う歌?ということで論をすすめると面白そうである。

敷島の 大和の国は ことだまの 助くる国ぞ ま幸(さき)くありこそ (巻13―3254)柿本人麻呂の歌で、遣唐使をおくる歌である。
「敷島の大和」の意味するところは三輪山周辺から広く大和盆地全体に、そして日本全体に広がっている。

この二つの歌に関して、今に古事記を復活させ、国学の勢いを作った本居宣長は、このフレーズを採りいれた歌を詠んでいる。

敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花(六十一才自画自賛像)
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桜井駅前に歌碑

間をとりながら、こんな話をもとにして想像力をかきたてる話を大和川畔でおこなえば、盛り上がることは確実である。
by koza5555 | 2013-01-07 00:37 | 桜井・山の辺
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