急用があり、岐阜に出かけた。
岐阜からは西に伊吹山、北には白山、北東には御岳、東に恵那山。こういう山を見て育った。
写真は伊吹山である。快晴だがもやっている。
伊吹山
その帰りに名古屋で昼食。久しぶりの名古屋である。「あんかけスパ」と考えていたが、矢場町にさしかかって、「矢場とん」に変更である。元気なうちに食べておこうということだった。
矢場とん
並んでみると30分待ち。店に沿って並ぶが壁に待ち時間が書かれている。矢場とん、昭和22年、あの戦後の食糧不足の時期の誕生である。これは僕の生れた時と同じ年で、僕が育ってきた、僕の歩んできた歳月と同じ時間を矢場とんも歩んだかと、少々、親近感を感じてきていた。
矢場とんはきっと大成功で、いまでは10店舗ほどあるようである。東京の銀座とか福岡にも出店しているとのことであった。
僕は味噌カツ丼で、あっちゃんはロース味噌豚カツの定食。ま、絵はふつうである。
食事のあと、大須観音に向かう。
名古屋には四観音というのがある。名古屋城を中心に四方向、中川区の荒子観音、甚目寺の甚目寺観音、守山区龍泉寺の龍泉寺観音、南区の笠寺観音である。今年の恵方は南南東ということで笠寺観音である。
大須観音はこれとは別格である。
ここの豆まきは少し様子が異なり、七福神や役員などの豆まきに先立ち、一般の参列者もも豆まき&祈祷(料金4,000円、枡付き)ができた。いろいろな家族が豆をまかれた。
これはこれで、一つの知恵、さすがに「下町の大須観音」である。
「節分宝船行列」というパレードも行われた。七福神がそろっての山車型の宝船である。
華やかなものである。
岐阜への急用とは、兄貴の病気見舞いだった。兄貴は子供の頃からのしっかり者であるが、今度の病気にも気丈に対しており、泣き言は言わなかった。
「福は内」、兄貴のことも十分お願いしてきた。