長谷寺、本長谷寺の本堂である。正面は銅板法華説相図 のレプリカ。向かって左側に白い顔をした像の話である。長谷寺の根源を解き明かす法華説相図と並んでいるんだが、この由緒が知られていない。
白河(しらが)の婆(ばばあ)の物語である。
観音様を造るための作業員、いま風に言えば技術者、労働者の大集団がいる。この人たちにお粥のお接待をした白河の美少女がいた。白河、泊瀬谷を登ると長谷寺へ上がる一つ手前の谷である。
この村からきてお粥を接待した。とても人気者だったが、その帰り道を誰かが追いかけていくと、道々に点々と白粉が落ちていたとのことである。その美少女は実は大変なおばあちゃんだったという話である。
おばあちゃんがお粥の接待をして功徳を積むということであるが、この話は続きがある。
40年ほど前までは、一年に一度、お正月に白河の村から長谷寺にやってきて、このおばあちゃんの化粧が落ちてはいけない、それで「びんづる」(白河のばばあ)に白粉と紅を塗りつけるという奉仕をしていたということである。とても厚化粧だから、白粉も一箱を塗りたくる。別名「一箱べったり」という名前でこの行事は呼ばれていた。
この「びんづる」さん、本殿前の礼拝堂のびんづるさん?
そうではなくて、観音説相図(レプリカ)を祀る本長谷寺を拝んでほしい。接相図の左側に、真っ白に白粉を塗った「びんづる」(白河のばばあ)が並んでいる。
お寺の然る方にお聞きをすると、「あれはびんづるじゃないよね。白河のばばあとしか言いようがない」とのことだった。
有名な長谷寺縁起はいくつもあるが、いまも寺内で祀られているのは白河のばばあだけである。
桜井の長谷寺の縁起話といえば、わらしべ長者物語が良く知られている。『今昔物語集』、『宇治拾遺物語』にその話がある。食い詰めたあとに最後に観音さまにお願いした男の話である。21日間のおこもりの後、拾ったわらしべが次々と高額のものに変えられていき、長者になるという話である。
もう一つ、安田の長者の物語という話もある。長谷谷の南側の山は「岳」(だけ)という。
それぞれ笠間のだけ、安田のだけ、雨師のだけという名前で呼ばれている。
この山を越えた安田の人が何年も月詣りして、もう蓑しかないというところまで落ちぶれたが、それを観音に供えて、その帰り、砂金を掘りあてるという縁起話もある。長谷寺南方の岳(だけ)には、その長者の家の跡があり、長者屋敷という小字もあるのである。
安田のだけ、長者屋敷方面をのぞんで・・
そんなことで、本長谷寺では白粉で真っ白な「白河(しらが)のばばあ」、よく拝見し、おばあの心意気、おばあの悲しさを感じ取っていただきたい。