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奈良・桜井の歴史と社会

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三住の稚児石 宇太水分神社

宇太水分神社のお祭りを考えた。
古い(鎌倉時代)の絵図に上下の水分神社の領域を「三住児石」と「尾崎一杉」を結ぶ境界線で南北に二分するとされているとのことである(宇陀の祭りと伝承)。
この石は現在も「ちご石」と呼ばれて、現存しているとのことである。

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三住のちご石。この石を見てきた

大門貞夫さんの「伊那佐の里」にもこの石のことが紹介されていた。

いくつかのポイントがある。
一つはこの石が上下の水分神社の境界線と言われていること。
一つは宇陀郡の上県と下県の境界であり、宇陀郡の象徴ともいうべき石で、古くから有名であること。

一つはこの石の足跡は宇太水分神社の童体神によるものだと伝承されていることなどである。したがってこのあたりに不浄は近づけないようにしているともいう。

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ちご石。足跡

この石と足跡にはいわれがあり、上下の水分神社でお祭り奉仕の稚児を選んだとき、一番かしこい子が上下の間で抽選となった。この子は仲間外れにされたと怒って地団太を踏んで、石に足をめり込ませて跡を付けたとのことである。

この石は川岸にあるとの記述もあり、見付けるのに少し苦労したが、伊那佐文化センター前の石田橋から左斜め方向を見ると山際に鳥居が見える。そこである。
三住の稚児石 宇太水分神社_a0237937_2313335.jpg

by koza5555 | 2013-02-13 23:30 | 宇陀
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