旧暦正月11日(今年は2月20日)は、長谷寺、瀧蔵三社お綱祭りである。
399段の登廊(のぼりろう)を上がりきると鐘楼である。左手は十一面観世音菩薩、本堂で右側は納経堂である。そして正面は何か。これが滝蔵三社である。
江戸時代の名所図絵にも、ここは三社と描かれており古くからのものである。
この滝蔵三社の年に一度のお祭りが、瀧蔵三社お綱祭りである。
午後1時頃から上・中・下之郷がそれぞれお綱、御供を持ち集まる。
綱がかけられる。下之郷の綱だけは株と穂の向きが違う。三社全体の「穂が中へ」という考え方とのことである。過去の写真も見ながら掛ける。
6名の僧侶が登壇して2時前から祭りが始まる。
導師の作法がある。僧侶により般若心経が詠まれる。
その後押印がある。まずは三社に対する押印がある。
長谷寺の輪違い紋が鮮やかな印である。だんだいんだろうか?
中之郷(今年は吉隠)、上之郷、下之郷(今年は柳原)の各頭屋の頭人(とうにん)に押印があり、三郷の参列者全員に押印される。
最後は三社に対して僧侶、各郷の参加者が全員で二礼二拍子一礼である。
神仏混淆の極致である。拝殿の先には瀧蔵三社
瀧蔵権現は徳道上人が長谷寺を創始した時と同じ、727年から祀られたとされている。瀧蔵権現は地主神の座を948年に与喜天満宮(菅原道真)に譲ったとされているが、その後も長谷寺内に鎮座し続けたということである。
現在の社殿は本殿と一緒に1650年、徳川家光公による再建で、いかに重要視されてきたかが理解できるというものである。
この瀧蔵権現、綱かけ祭りを拝観していると、長谷寺の地主神を追われたはずの瀧蔵権現はほんとうは引き続いて、あるいはウラの地主神だった、そういうことが感じさせられるようなお祭りである。
行事が終わってほっとした顔の中之郷の頭屋の長男の少年
下之郷だけは、この場でトウヤワタシを行う。
今年は柳原から出雲へのトウヤワタシである。
カワラケにお酒を注ぎ、豆、豆腐、ごぼうと毎年同じものが出されて、お酒を酌み交わす。
左が渡す柳原、右が受ける出雲の各頭屋と年行司である。
下之郷(出雲)に伝わる中谷楢太郎さんが記述した「頭講概説」なる貴重な郷土資料を、今日は出雲の門脇さんから頂いた。ありがとうございました。