10月の事だが、榛原から大宇陀にバスで入って、歩いて回るというツアーの計画を立てた。
阿紀神社、西口関門、松山の町並み、もちろんかぎろひの丘での万葉集の朗詠つきである。
一日コースだから食事ということなるが、弁当は持参しなくて今阪屋旅館さんでの昼食となる。
このツアーは「将来のツアーガイドを養成するためのツアー」である。
だから、「史跡をみて、食事場所も楽しんで、買い物もできるというツアーコース作りの勉強会」になるように工夫してみた。
さて、コースは最後に大願寺を訪ねることとなる。バスの時間を見ながら慌ただしくということにならないよう注意しよう。
大願寺、真言宗の御室派(仁和寺)で、大宇陀区拾生にある。道の駅大宇陀のすぐ上である。
ご本尊の十一面観音菩薩は、1885年(明治18年)に本堂焼失のとき、お身体が焼け残ったことから「焼けずの観音」として知られている。三尺三寸のお姿である。
宇陀松山城主織田信武建立の毘沙門堂や、境内には仏足石、おちゃめ庚申(漫画風の石造庚申像。江戸末期の1843年の作)として知られる、庚申像がある。
薬草などを調理した薬草料理(予約必要)でもよく知られている。
境内に立つとものすごい大樹がある。つがの樹と思い込んでいたが、このたびお寺さんのお聞きすると樅木(もみのき)との事であった。
樹齢は不明だが、人里でこれだけの巨樹は珍しいとのことである。
いま一つ見てほしい。
狛犬ですか?実は虎なんです。
織田家四代目の織田信武が毘沙門堂を建立したことを始めにして、大願寺は毘沙門天を祀っている(お堂は明治時代に再建されたもの)。
聖徳太子が物部守屋とのたたいかいで毘沙門天に助けられたのが寅年、寅日、寅刻だったので、「虎」が毘沙門天の使いとしてあつかわれる。
信貴山の毘沙門天は寅に縁のある神として信仰され、大きな張り子の虎が置かれるが、この狛犬型の寅は同じ意味である。
境内には、野依の人、山尾一楼の「あ騎野路や 古き帝(みかど)の 狩の場(にわ)」の句碑が立つ。