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奈良・桜井の歴史と社会

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古代磐余の世界

第52回 桜井市夏季大学が開かれた。主催は桜井市観光協会である。
今年は坂本信幸先生(高岡市万葉歴史館館長)が「万葉歌のはじまり桜井」、木下正史先生(東京学芸大学名誉教授)が「よみがえる古代磐余の世界」である。

午後だけの参加となり、「古代磐余の世界」だけ受講できた。
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木下先生の講演

初めに木下先生は古代磐余を、「飛鳥を発掘してきた私が言うのもなんだが、飛鳥はせいぜい一世紀、磐余は四世紀に及ぶ宮都の可能性があり、その魅力は計り知れない。僕にあと100年の寿命があれば、明らかにされる磐余の全貌をみることができるし、僕も解明することができる」と強調して、講演を始められた。


まず磐余池である。そして百済大寺、山田寺という順で話された。
今日はもっとも感銘を受けた「百済大寺」のみを紹介する。

熊凝精舎が百済大寺の前身である。舒明天皇記(639年)によれば、百済川辺りに大宮と大寺とを造営したとある。
その後、百済大寺焼失、寺を造営するにあたり、子部社(こべのやしろ)切り払ったために子部神の怒りをかった。-「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」(だいあんじがらんえんぎ ならびに るきしざいちょう)(天平19年、747年)によるー

この百済大寺は673年に天武天皇の手により、高市郡に移される。それが高市大寺である。

この百済大寺が1997年に、桜井市吉備池付近で発掘されたのである。
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吉備池付近の空中写真

①百済大寺は巨大なものだった。当時の東アジアでも最大の規模に匹敵する伽藍を持っている。

②僧坊の跡が発見された。金堂と塔は礎石の柱だったが、僧坊は掘っ立て柱で、その抜き穴が発掘された。
 柱は抜き取られて高市大寺の建築に使われたとみられる。

③あたかも火事にあったかのような記述もあるが、焼けた形跡はなかった。
北の一角に講堂などがあったとみられる。ここには春日神社が鎮座しているが、このあたりに子部という小字があり、大安寺伽藍縁起に対応していることが分かった。

④百済川とは米川のことである。米川はコメの川、大和盆地から大阪平野にコメを運び出す中で命名されたとみたいとのことである。

百済川はいずこか、百済川は磐余の池からの流れだしか、などと僕は考えていたが、木下先生に簡単に断定していただいて、これは助かった。

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吉備池から西をのぞむ。二上山もくっきりと見えて西に開けた地形である

今年も大変、力になる講演会だった。
皆さんも楽しんでくれたら幸せである。
by koza5555 | 2013-08-26 23:39 | 桜井市と安倍
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