十津川の山と谷を考えた。
十津川と新十津川の写真を並べて、平成23年の水害、明治22年の水害を考えてみた。
上が十津川。下が北海道の新十津川村の中央を流れる十津川は壮年期の起伏の激しい山々の間にV字形の谷をなして南に流れて太平洋にそそぐ。
玉置山には深い海の底でつくられたという「枕状溶岩(まくらじょうようがん)」というものがある。それが隆起して今の玉置山や紀伊半島がうまれ、日本列島の成り立ちを示す証拠とのことである。
岩に薄く張り付いた土は深層雪崩のように崩れ落ちて大被害を発生させた。
急峻な山と谷は大雨で暴れるのである。
もともと十津川(紀伊山地)は雨が多く年間で3000ミリを記録する。
年間雨量で見れば、北京が600mm、パリが700mm、奈良盆地は1400mmであるからその激しさがよくわかる。
その十津川、2011年(平成23年)9月の大水害では3日間で1600mmという日本の観測記録を上回る雨が降ったのである。
平成23年の大水害の記録・十津川村新十津川、1989年(明治22年)の大水害で十津川村から移住した人々によってつくられた町である。
640戸2667名が雪の北海道に移動したといい、村の人口の1/4が移動したことになる。
明治22年の水害と北海道への移住を描いた「北へ行く旅人たち」(川村たかし)こうした壮年期の山と谷を持つ十津川には、地底からの恩恵もあるのである。
70度Cという湯泉地温泉、十津川温泉、上湯温泉の恩恵である。
これは・・・心して浸かるべきである。そして、深い谷を越える山里の知恵と力ともいうべきものが「谷瀬の吊り橋」であり、野猿であると語りたい。
谷瀬の吊り橋、長さが300m、高さが54mあり、歩行者用の吊り橋としては日本一の長さである