年も押し詰まった21日(土)と22日(日)は「ゆかりツアー」で當麻と吉野である。
もう10日先である。「調べつくしてから下見」という方法もあるが、僕は少し違うのである。
歩いてみる、拝観して見学して、触ってみる、写真も撮ってみる・・・あまり調べつくしてしまうと、なにか心の底の驚き、感動が内容な気もするのである。
ツアーのイメージを作る上では、なかなか良い方法と思ってはいるが、欠点は・・・見落としたものが出てきて、訪れる回数が二回目・三回目ということになりかねないことであろうか。
吉野のロープウェイに乗ると、奥の方の山が真白である。下見のコースとは関係なく金峯神社や西行庵まで行くことになってしまった。
訪れる人もなく雪に静まる西行庵吉野山を近鉄電車で訪れる。迎えてくれるのは、まず吉野ロープウェイである。
近鉄吉野線が吉野駅までを開業した翌年、1929年(昭和4年)に千本口 と 吉野山間を開通させた。ゴンドラや鋼索は更新されているが、支柱は初めに造られたものをそのまま使用しているとのことである。
運行間隔は15分間隔、乗っている時間は3分である。
客室は階段状である。ロープウェイの建設時には、ゴンドラを吊る装置が未熟だったためのの名残だそうである。こんなことは乗らなければ・・わからない。
黒門がある。
ケーブル吉野山駅から徒歩数分のところの黒塗りの高麗門で、金峯山寺の総門である。現存する門は、1985年(昭和60年)に修理されたとのことである。
ここでは門の構造を解説してみよう。
続いて銅鳥居(重文)である。「かねのとりい」、聖地への入口、俗界と聖地の境界を象徴する建造物である。
吉野から大峯山(山上ヶ岳)までの修行道には発心門、修行門、等覚門、妙覚門という、悟りへの4つの門が設定されているが、そのうちの「発心門」がこの鳥居である。
東大寺大仏を鋳造した際の余りの銅で造ったという伝承があるが、現存するものは室町時代の再興である。日本語、英語、中国語、ハングルの4ヵ国語で説明されていた。
それから、仁王門(国宝)、本堂(蔵王堂)というようにいろいろと書きたいが、
そんなことを考えていたら、奥まで上がるマイクロバスがやってきた。
思わず飛び乗ってしまった。
金峯神社前に停まる。
雪で滑る道を登り、義経塔を拝観する。
展望台から北の山を望む。
竜門が音羽山が、細峠が見える。そして額井岳も遠望できる。
慣れ親しんだ山々だが、南か見るのは初めてで、これはうれしかった。
さらに、西行庵まで上ってみた。
後から地図を確かめると「つゆとくとく」の苔清水がある。それは確かに見たのだが、水道水の垂れ流しみたいな施設になっており、ついつい写真を撮りそこなった。
素晴らしい、雪だったここまではなかなか行けない。こういう写真はさらに撮れない。すばらしい経験だった。