今週のゆかりツアーは「金峯山寺から万葉の宮滝」というテーマである。
まずは宮滝。
冬枯れの宮滝である秋里籬島(あきさとりとう)の大和名所図会(寛政3年(1791年)刊)には
宮滝は滝にあらず。両方に大岩あり。その間を吉野川ながるるなり。両岩は大いなる岩なり。岩の高さは五間(10メートル)ばかり。屏風を立てたるごとし。両岸の間、川の広さ三間(6メートル)ばかり。せばき所に橋あり。大河ここに出でて、せばきゆえ河水はなはだ深し。その景絶妙なり。里人岩飛びとて、岸の上より水底に飛び入りて、川下におよぎ出でて人に見せ銭とるなり。飛ぶときは、両手を身にそえ、両足をあわせて飛び入り、水中に一丈(3メートル)ばかり入りて、両手をはれば浮かみ出づるというこんな画である宮滝、上野誠先生が大活躍だった。
歌碑などで3碑を見かけた。
まずは宮滝、芝橋に入っていくという川岸にある
吉野の宮に幸しし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌
見れど飽かぬ 吉野の河の 常滑(とこなめ)の 絶ゆることなく またかえり見む (巻1ー37)
柿本人麻呂人麻呂の傑作、いわゆる吉野賛歌の第一作品の賛歌である。
「絶ゆることなく またかへり見む」とは、風土を讃える最高の褒め言葉であり、それは吉野へのかぎりない思慕を表す言葉であった。
その吉野川への思慕は「常滑」すなわち岩盤のみごとさをもって表現されている。今、私たちは、かの万葉の川の前に立つ。 上野誠(平成24年11月)宮滝資料館の前にも歌碑が建てられている。これは少し前、平成20年の建碑である。
宮滝資料館かはづ鳴く よしのの川の 瀧の上の あしびの花そ 端に置くなゆめ 巻11―1868
蛙の鳴く吉野の川の滝のほとりのこれは馬酔木のはなですぞ
(ソンジョソコラの馬酔木ではない)。隅に置く出ないぞ。けっして、けっして
上野誠(平成20年10月26日)象山(さきやま)のすそを流れる象川、そして吉野川に流れ込む「夢の和田」も遠望してきた。
左手前、小さな白い滝が「夢の和田」象川をさかのぼると桜木神社に。
さらに上の喜佐谷集落の氏神様というが、天武天皇のいわれも残されている。
「近江軍の追及を桜の木の隠れて逃れた」という伝承の真偽は不明だが、宮滝を天武天皇(大海人皇子)の逃避先とみると、桜木神社あたりまで一体の地域と見ることができる。
壬申の乱をめぐる日本書記の一節が碑にされていた
象川を渡る屋形橋があり、境内のスクッと立つ一本杉が見事である力をいただいた