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奈良・桜井の歴史と社会

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奈良と鎌倉の長谷寺

鎌倉を訪れた。まずは露座の大仏である。

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 「高徳院の本尊、国宝銅造阿弥陀如来坐像は1252年から十年位の歳月をかけて造立」、「仏殿は・・1369年に大風で損壊・・15世紀以後再建された形跡は認められない」(チケットより)


さて、本題であるが、奈良の長谷寺を案内すると、「鎌倉の長谷寺との関係は」と聞かれることがある。
「長谷寺というお寺は日本全国で300ほどあります。それだけの関係です」と長谷寺の説明はきわめて簡略である。

鎌倉市が門前に立てた看板を読むと・・・なるほどである。
「観音像が海に流され・・三浦半島・・に流れ着いた」ということが、すべての土台になっていることがよく分る。

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以下はその看板の全文である。
 本尊の十一面観音像は日本最大級の木造の仏像です。寺伝によると、開山の徳道上人が大和国(奈良県)初瀬の山中で見つけた楠の巨大な霊木から、二体の観音像が造られました。
 一体は大和長谷寺の観音像となり、残る一体が衆生済度の願いが込められ海に流されたといいます。その後、三浦半島の長井浦(現在の発声・はつせ)あたりに流れ着いた観音像を遷(うつ)し、建立されたのが長谷寺です。
 境内の見晴台からは鎌倉の海が一望でき、また、二千株を超えるアジサイをはじめ、四季折々の花木を楽しめます。

天平8年(736)に徳道上人の開山とあり、宗派は「浄土宗系の単立」寺院とのことである。
境内はよく整えられ、順序よく回ることができる。
帰り道に大きな看板で「花と眺望の長谷寺」と書かれていたが、そういうお寺なのである。

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境内からは海が見える

一番古いとみられる遺物には梵鐘(重要文化財)があり、文永元年(1264年)、住職真光の勧進により鋳物師物部季重が造り、新長谷寺とも書かれているとのことである。

これらの縁起、遺物から考えてみると、僧侶の出自や勉学の場所は問題になろうが、奈良の長谷寺のご本尊や教義がそのまま持ち込まれたとみるのが自然である。

奈良の長谷寺はその後、真言宗豊山派の大本山の道をとって歴史を刻み、鎌倉の長谷寺は十一面観音菩薩像の守護を続けて、今に至ったということだ。

鎌倉の長谷寺も拝観してみると、奈良の長谷寺の良さも一層際立ってくる。

「開基の道明、十一面観音の徳道上人、豊山派の専誉僧正」との僕のまとめ方は、大和長谷寺の紹介方法として最適だったと思えるのである。
by koza5555 | 2014-06-03 08:47 | 桜井・初瀬 | Comments(0)
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