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奈良・桜井の歴史と社会

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今年の萬葉学会は天理大学で

10月11日に天理大学で開催された萬葉学会の全国大会で坂本信幸先生のお話を勉強してきた。
演題は「天理と万葉歌」である。

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天理大学、八号棟あたりから。とても落ち着いたキャンバスだった

講演を僕なりにまとめてみた。
①はじめに「天理市には柿本人麻呂の墓と妻の墓がある」である。
柿本人麻呂は、「万葉集にしたがって、石見で死亡したことは確実である。」とされ、それを認めながらも天理市に柿本人麻呂の墓があることも確かとと思える・・である。

「大和国石上といふ所に、かきのもと寺といふ所の前に人麿が墓有りといふを聞て」清輔集(1177年以前に成立)とか、

「人丸の墓は大和国にあり。泊瀬に参る道なり。・・・・彼の所には歌塚とぞいふなる」鴨長明「無名抄」(1211~6年)など、平安の時代から天理の柿本人麻呂の墓が論じられている。

「石見に死して」だが、天理に墓があることは間違いない、火葬して遺骨を埋めたとみたいとのことである。

妻も天理に葬られたことも間違いなしとされ、
「大鳥の 羽易(はがい)の山に わが恋(こ)ふる 妹は座(いま)すと 人の言へば」
(巻2-110・長歌の一部)と、「衾道(ふすまじ)を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし」(巻2-212)を引かれての説明があった。

「羽易の山」は三輪から竜王山にかけての山裾のことであり、それを大濱厳比古氏の「新万葉考」に従って、「三輪山を頭部に、竜王・巻向山を両翼として、いっぱいに翼をひろげて天かけてくる鳳の姿を見たのである」と羽易の山を解説された。

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 「大鳥の羽易の山」。飛鳥からはどこからもこの姿が望める


②二つ目のテーマは「柿本人麻呂はどこで生まれ育ったか」である。「柿本人麻呂の実像は不明とされる」などと聞いて納得してきたが、これはおもしろそうである。

万葉歌には略体歌と比略体歌があることを初めて勉強した。

「春楊 葛山 發雲 立座 妹念」という歌がある。
「春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思ふ」(巻11-2453)であるが、漢字10文字で31音を表す優れものと聞いてきた。助詞、助動詞などを全部省略した形で、これを略体歌というのである。

もちろん、柿本人麻呂には非略体歌もたくさんある。

画然と別れるわけではないが、傾向として人麻呂の歌は、若い時は略体歌、円熟してからは非略体歌が多いとのことである。それが地域ごとに整理されているのである。

城上郡(しきのかみ)は圧倒的に非略体歌、近江と山背国、各地方の歌は略体歌だという。若いときは近江、山城で、円熟してからは盆地の南部に移ったとみることができるとのことである。

結論を急ぐが、人麻呂の出身地は近江、山背は通過地点ではないかというお話である。
諸国の歌に略体歌が多いのは、若い時の人麻呂は「諸国の歌、伝承などの採歌・採話係」を職務としていたのではとの指摘だった。

僕の勉強、感想は坂本先生のお話とは、ちょっと差があるかもしれないが、今年は素晴らしい勉強ができた。


萬葉学会は、萬葉集を研究する学会であるが、「萬葉集を愛好する人は来たれ」と門戸を広く開いている学会である。
年間会費は4000円。学会誌が年に4回送ってきて、行事の案内もいただけて、お得である。

さて、この日の講演はもう一本あって、「よみを問う、ことばを探る」と題して、奥村悦三奈良女子大名誉教授がお話しをされた。難しいお話だったが、記紀万葉を考える上で、とても大きなカルチャーショックを受けた。様子を見てこれもアップしたい。
by koza5555 | 2014-10-13 21:34 | 万葉の旅
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