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奈良・桜井の歴史と社会

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地名の考古学 池田末則 

「地名の考古学」、副題は「奈良良地名伝承論」といい、故池田末則先生の論集と言うべき体裁になっている。

「凡そ人間の営みは、言語―地名から始まった。風土と文化は、いかに移り変わっても、地名はそのまま今も生きている化石―文化遺産である。」とし、出土木簡などが研究・保存の対象となっているが、地名の存在もまた同じ意味があるとされるのである。

12月に山の辺の道を歩く。近辺が気になるところである。箸墓古墳の東のホケノ山、ホケノ山古墳の「ホケ」の解明に納得する。

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ホケノ山古墳のあたりからの箸墓古墳

大和には「フケ」という小字が35例もあり、山麓地帯の湿沼は「フキ」「フケ」である。
ホケノ山古墳については、朝日新聞が「ホケノ山、「ホケノヤマ」は「オウケノハカ」の訛りとして、「王家の墓」が源?として報道(平成12年、2000年)している。
しかし、これがさほど単純ではなく、ホケノ山のホケは沼地、だから「沼地の山」というくらいというのが池田論である。いいぐあいに巻向川も付近に流れているのである。
論証として、ホケノ山の東には「フクマワリ」があり、箸墓古墳にかけて、「コフケ」、「三反フケ」があり、ホケノ山は湿地の山が適切で、「王家の墓」論は飛躍があるということだ。

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こんな地図も添付されている


ヤマト論もおもしろい。これは大ネタである。
ヤマトの語は「三輪山本」をさす古語で、地名「大和」の発祥地であったともいわれる。「三輪 山本」、それとも「三輪山 本」で、切るところははっきりしないが、いずれにしても、このヤマト論、僕には初めて聞く話で、興味深い。
奈良時代には三輪山に大御輪寺(だいごりんじ・おおみわでら)・浄願寺など、多くの寺院が建立せられ、明治初年の神仏分離の災いに触れるまで、神仏習合の密教聖地と仮し、三輪流神道の道場となった。
ヤマトが「三輪山 本」からの言葉から始まるとすれば、三輪山への信仰は古くて深いということである。

桜井市のメスリ山古墳の「メスリ」の解明も納得できる。
池田先生は「桜井市高田のメスリ山古墳の『メスリ』の意味がわからない」という。
メスリは他にはない地名で、「メスリ」の「ス」は「グ」の間違いで、「メグリ」かという説もある」として、別名「鉢巻山」とも称される。
県内には「メグリ」関連の地名は50以上もあり、近在の外山の茶臼山古墳周辺には「メグリ」が二カ所、さらに纒向遺跡にも小字「メクリ」に前方後円墳があり、大和郡山の新木山古墳の外濠の小字は「メグリ池」である。
「古墳を巡る」、メグリ山・・である。

この本は、総論、奈良生駒、磯城高市、山辺宇陀、宇智吉野と分れているが、全体が辞書的ではなく、楽しく読みすすめれる。

お値段はちょっと高くて、  僕は図書館で借りて読んだ。
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by koza5555 | 2014-11-18 10:49 | 読書
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