吉野山の花は白山桜である。
「花の風景」。千田稔さんである。
上田正昭先生の編著の「吉野―悠久の風景」に、千田稔の「花の風景」が入っている。
「西行にとって吉野の桜とは」、これが解説されている。
まず、「古来、桜の木は聖なる木としてあがめられた」として、
「蔵王権現は桜の木で彫られたという伝承」、
「木花之佐久夜(このはなさくや)ひめの、『木花』は桜の木のこと」、
「宮の名前に桜という言葉(履中)が使われた」などをあげて、「桜は聖なるものと信じられていた」が、冒頭である。
歌で言えば、吉野の桜は万葉集にはなく、やはり西行からである。
西行がいつ吉野山で過ごしたか、それは不明だが、たびたびこの地に庵を構えたことは明らかで、「吉野山 やがて出でじと 思ふ身を 花散りなばと 人や待つらむ」である。
西行は吉野山を共にあり、40首もの歌を詠んでいる。
西行庵千田稔は、まずは前登志夫を引くのであるが、前登志夫は「西行の桜への異様な執着」と表現し、「西行の桜の歌は、美しくのどやかな雅の趣向ではなく、むしろ息苦しい魔をはらんでいる」とさえ言われ、注目を集めた。
西行の吉野の桜への思いれは、「これは西行の心のなかにある文学者としての資質そのものではないか」と断じ、前登志夫に激しく共感をするのである。
吉野の桜である。
「まず若芽が出て、後に花が咲く、赤芽・茶芽・黄芽・緑の色と白い花の色がマッチした美しさは例えようがない美しさである。吉野の桜はそんな、白山桜である」(宮坂)。
苔清水芭蕉は西行の「とくとくと落つる岩間の若清水 汲み干すまでもなきすまひかな」の歌を、歌枕に「露とくとく 心みに浮世すすがばや」と詠っている。
吉野山は歌の山で、万葉集、古今集・古今和歌集をはじめとする勅撰集に600首くらい掲載され、桜の歌も多い。
さて、吉野山への花見も吉野参りという。それは花見と共に蔵王堂への参詣を欠かさなかったからとのことである。「桜も見れた、さあ帰ろう」という具合にはいかなくて、トコトン吉野の桜、拝見する予定である。