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奈良・桜井の歴史と社会

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大御輪寺の梵鐘は大宇陀の守道に

「旧大御輪寺の鐘が、他に移転したとは言え、今に現存してその不朽の梵音を響かしているが判明した」とある。「大美和」第57号、昭和59年の夏号である。題名は「餘音休まず」とあり、佐藤文正禰宜の短編である。

旧大御輪寺の梵鐘、半鐘が現存している。それも思わぬ大宇陀の守道(もち)の圓光寺にあるという。
これは拝見しなければ・・である。

7月7日に訪れて、ご住職の澤井さんのお話を聞いた。
「法要などの開始を伝える「喚鐘」(かんしょう)として使っています。戦時中に鉄製品の供出ということで、奈良県庁に届けましたが、係員が刻印を調べて、『これは供出に及ばぬ、持って帰れ』とのことで残された」と言われました。

「ここに大御輪寺の刻印があります」と教示もいただきました。

大御輪寺の梵鐘は大宇陀の守道に_a0237937_20441528.jpg
喚鐘と太鼓


和刕三輪山
大御輪寺
常什物

と書かれているのである。

大御輪寺の梵鐘は大宇陀の守道に_a0237937_20455436.jpg
大御輪寺とはっきり


菟田野との境の大宇陀、守道にこの梵鐘が移された経緯である。
廃仏毀釈のころ、こちらのご住職(本願寺である)が三輪の円溶寺の住持を兼ねたことがあり、米田屋の息女を後妻に迎えたことから、大御輪寺の廓道住持(橋本の米田家の出)が関係したのでは、という説もあるようだが、真偽は不明である。

それにしても大御輪寺はすごい。
聖林寺に残された覚からは、以下のご仏像などが移されたことが知られている。
一 秘仏 本尊十一面観世音   一体
一 前立 十一面観世音     一体
一 御丈 脇士(脇侍) 地蔵尊 一体
一 最勝会 ニ付 諸道具など  色々
一 幢幡(どうばん) そのほか旗、数々 一対
本尊十一面観音は聖林寺であるが、前立は兵庫県、地蔵尊は法隆寺である。
梵鐘は大宇陀ということもわかった。

なんでこんなにバラバラという感じはするが、バラバラぶりはそれ以外にも、数が知れない。

大御輪寺の庫裏は安倍文殊院、四天王のうち多聞天と増長天は長岳寺である。

さらに菩提山正暦時の宝庫には、平安時代の日光・月光両菩薩像が大御輪寺から移されていて(同寺、明治19年の記録)、さらに和蕃(わばん)一双、いくつもの文書が残されているとのことである。(大美和82号・平成4年一月 池田末則)

桜井の来迎寺には、大御輪寺と銘のある擬宝珠も残されているという。


神仏分離、廃仏毀釈は、近代国家に進む日本の必然の道だったかもしれないが、大御輪寺には過酷な嵐だった。
そして、心ある多くの方、数々の思いで、大御輪寺の仏像、什器、宝物が守られたんだなと改めて感じた一日だった。

大宇陀 守道の圓光寺。吉野の飯貝御坊、本善寺の末とのことである
大御輪寺の梵鐘は大宇陀の守道に_a0237937_20472929.jpg

by koza5555 | 2015-07-07 21:26 | 桜井・山の辺
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