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奈良・桜井の歴史と社会

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中世芸能講義

講談社学術文庫の「中世芸能講義」がおもしろかった。
中世芸能を研究されている、東京大学総合文化研究所の松岡心平教授の本である。

「勧進」「天皇」「連歌」「禅」と副題がある。
何を読んでもけっこうなびっくり屋であるが、この本もことさら、びっくりである。

連歌と染田天神が記されていた。
笠間川沿いは、虫送りなどでなんども訪れたので、染田天神社の連歌堂の写真も撮っていた。
一度、きちんと考えたかったが、ここを分りやすく紹介している。

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染田天神、連歌堂(昭和50年代に茅葺から銅版葺きに変えられたとのことである)

「一揆と連歌会がストレートに結びつく例が、すでに南北朝から見られることである。安田次郎氏が報告する、東山内(ひがしさんちゅう)と呼ばれた大和国東方地域の地侍集団により、南北朝から戦国末期まで続いた染田天神連歌講である。」(p158)

「毎年千句の連歌会を張行(ちょうぎょう)するのであるが、その費用は料田を取得して当てたとあり、当年預(とうねんよ)が、自分の館や近隣の寺院に本尊(菅原道真御影)を持ち込んで、会席を作った。・・・本尊御影は染田天神者に常置された。・・・この年預の分布を調べると、南朝方の勢力圏東山内に一致するとのことである。」(p159)

「連歌堂というのはじつに面白い建築物です。ここに天神を祀っていたわけですが、神殿がにょきっと連歌堂の中に突き出ています。連歌堂自体は正方形十八畳の空間で、その空間の奥に神殿がにょきっと突き出ていて、しかもこれがミニチュアです。神殿は庭ごと連歌堂のなかにうつし込まれていて、連歌堂の中に座ることは神殿の庭に座っていることと同じになるのです。」(p162)

染田天神連歌堂、ぜひとも拝見したいものである


花の下連歌(はなのもとれんが)、これは初めての勉強だった。
「13世紀の中頃。1240年」、「一般大衆が参加する言語ゲームの場が、法勝寺や毘沙門堂といったお寺の枝垂れ桜の下に開かれた」(p129)

花は桜、桜でも枝垂れ桜でないといけないのである。「言語の熱狂で花鎮め」ということらしい。お寺の枝垂れ桜って、そんな意味と利用方法があるんだと納得する。

「連歌の一巡目は連歌衆たちがまわして、その後はみんなが対等の立場でフリーに出句する。とくに花の下連歌は視聴者参加の番組というか、一般大衆にまでオープンになっている。」(p134)

「花の下連歌では『花鎮め』ということを考えなくていけません。『令義解(りょうのぎげ)』などをみると、季春、春の末の頃に鎮花祭が行われます。大物主命を祀る大神神社とその荒魂を祀る狭井神社です。」 (p142)

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狭井神社

「桜の花が散ってしまうのを御霊の吹き荒れと感じ、花が散るのと同時に疫神がまき散らされているような感覚があって、それを抑えるために鎮花祭を催す。」 (p144)

「芸能として、歌や笛や太鼓や摺鉦(すりがね)などでどんちゃん騒ぎをして悪霊を追放する祭をするわけですが、花の下連歌の場合は言語の熱狂によって、そのパワーで悪霊を追放し、あるいは流行病をもたらすような疫神を鎮圧する。」  (p147)

連歌、知ったかぶりで話してきていたが、一揆と連歌、花の下連歌、連歌の雰囲気が少しわかった気分である。

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中世芸能講義。桜井市図書館で借りた

by koza5555 | 2015-07-17 18:40 | 読書
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