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奈良・桜井の歴史と社会

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壊れた仏像の声を聴く(角川選書)   薮内佐斗司

伝世古(でんせいこ)、地中古(ちちゅうこ)、この言葉を初めて知った。

薮内佐斗司の「壊れた仏像の声を聴」く(角川選書)を読んだ。
壊れた仏像の声を聴く(角川選書)   薮内佐斗司_a0237937_8561197.jpg


ギリシャを旅行した時、歴史と遺跡の素晴らしさに感動したのであるが、むなしさも合わせて残った。
それはどの遺跡を巡ってもそれは復元であり、守り続けた人がいるわけでもないことだった。
「奈良はここが違うぞ」、そう思った。
そんなレポートを最近、書く機会があり、「奈良には古代から伝わる多くの神社・仏閣が残されています。そして、それらは文化財として残されているだけではなく、それを守る人がいて、祭祀・行事が営々と続けられてきていることに注目しています。」などと力を込めて述べてみたのである。

これは僕の発見かと思っていたら、この本のはじめにそんなことが書かれていて…これはがっかりと言うより嬉しかった。

伝世古(でんせいこ)、人の手から手へ守り続けられた古いもの。
土中古(どちゅうこ)、一度は否定され、土の中や海の底から見つけ出され、再評価された古いもの。

「日本は1500年間、伝世してきた古いものの宝庫。それは仏像であり、神社の宝物である」とある。

そして、僕らも「伝世古」のリレーの輪の中に入っているとも感じた。

東アジアではどこでも古いものが残されているかのようであるが、そんなに単純ではない。

たとえばお隣の韓国では李氏朝鮮時代に、儒教化政策のもとで廃仏が押し進められ、一万カ所の寺院が36カ寺にまでになってしまったという歴史がある。
中国でいえば、「三武一宗の法難」といい、歴代の四人の皇帝により、仏教文化が徹底して破却されてしまったという事実もあるのである。

幾多の戦乱を乗り越え、廃仏毀釈の嵐も潜り抜けた日本の仏教文化財、良かったなと言う感じである。日本は1500年間の仏教文化の宝庫となっている。
薮内先生はその事への感謝を言われる。


日本の仏像のルーツである。
一つは黄河周辺の「土と石の文化」を反映したものである。
あと一つは揚子江周辺の「木の文化」を反映したもので、それぞれ仏像の服装などに痕跡があるとされる。

今日は揚子江周辺のことだけ紹介するけど、こちらでは木像や乾漆像が盛んに造られていたという。
揚子江の周辺から渡来した呉の工人がその技術を伝えたという。鑑真が伴った工人もそのグループである。

たとえば「包骨真身像」(ほうこつしんしんぞう)、これは遺体を漆を塗り、麻布で包むと長期間のうちに遺体が亡くなり、漆の「張子」だけが残るという。これが脱乾漆像の元との説があるとのことである。

木像についてだが、呉の工人(その流れ)ははじめはカヤノキの大径木を使い、それが枯渇すると寄せ木、檜の寄せ木と言うように変化していったと紹介されていた。


鎌倉初頭の建築様式である大仏様(だいぶつよう)の紹介も独特である。
「柱や肘木の間を貫通する長い貫材を水平に多数通すことで、建造物内部の大きな空間を外側の構造で支えます。」「南大門を下から見上げると、まるで船底を見るような錯覚を覚えます。陳和卿と彼が率いた工人たちが木造船の建造技術を持っていたことが窺えます。」(p30)

陳和卿は船大工とのことである。
南大門の金剛力士像は8メートルを越える巨像ですが、わずか69日で完成されたことが知られている。この驚異的な作業スピードは巨大な木造船を短期間で修理していた陳和卿らの木造造船技術を導入・応用したからではないか・・とされる。

船を陸上で船をひっくり返したら、難題門、こういうことである。
大仏様(だいぶつよう)がもう少し理解できたのではと思える。

仏像を調査するときの心得が紹介されている。「仏像を拝観するときの最低限のマナーとして、みなさんもぜひ」とのお薦めである。

「信仰の有無にかかわらず、仏像に対して合掌、礼拝などの礼法を遵守すること」とか「靴を脱ぐときはそろえよ」などと紹介している。

この本を読みながら、せんと君、あらためて見直してみた。
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3年前の5月、アニマルパークで撮った。孫も大きくなった

by koza5555 | 2015-10-20 09:14 | 読書
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