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奈良・桜井の歴史と社会

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奈良観光コンシュルジュにチャレンジ

11日、奈良観光コンシュルジュアワードに出場、結果は不本意だったが、原稿とパワポには自信がある。
こんな感じである。

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こんな感じで始まる。
大ホールだが、入りは200名くらい、ライトはまぶしいが、前席の方は顔もよく見える。

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コースの紹介。
大和八木駅をバスで出発。
はじめに奈良文化財研究所、藤原宮跡資料室を見学します。
つづいて、歩いて、朝堂院南門跡
最後に大極殿にまいります。

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バスは橿原市のコミュニティバス
里中満智子が描く 天上の虹、持統天皇、ラッピングバスです。
橿原市は藤原の宮跡をぐるりと回るバス、「持統天皇を走らせたい」、里中事務所に連絡を取りました。
里中満智子さん、「藤原を走る持統天皇、私も見てみたい」などと、即決、明るくオッケー、原画が届けられました。

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バスは藤原宮 資料室、玄関前に横付け、香具山のふもとです。
こちらの展示は、藤原宮の造営、その姿と形、都の暮らしぶりなど、さまざま紹介されていますが、今日は瓦のお話です。
藤原の宮、「大極殿や朝堂院、それを囲む大垣と門はすべてが瓦葺」、大量の瓦が使われた初めての宮でした。
使われた瓦は150万枚以上、たとえば今に残る法隆寺の金堂が2万枚ですから、こちらの瓦は莫大です。瓦は藤原を考える特別のテーマ。
古代の瓦が、さまざま展示され、瓦の歴史、産地、製造方法が詳しく示されています。


古代の瓦、当時の屋根瓦は丸瓦と平瓦。
瓦の葺き方は
平・平と葺き、間に丸、丸、丸瓦を重ね押さえて、これで雨、風を防ぎます。

作り方です。
まず、桶のような木型を作り、これに布を巻きます。
そこへ粘土板を貼り付けます。粘土ヒモを巻きます。
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叩いて締めて、そこで桶を割る、木型を外すと、粘土の筒ができあがる。
二つに切ると丸瓦、
太めのものを、四個に切り分けると平瓦。とても効率的。これを焼く。
こんな作り方ですから、桶づくりの古代瓦、表側には叩き締められた痕跡、裏側には布目が残りました。

古代寺院の跡を歩きます。瓦のかけらを見ることがあります。こんな布目が見えたら、これは正真正銘の古代の瓦です。
こんなのを見たら、気分は一気に古代です。素晴らしい感動・体験です。

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これが瓦の布目です。

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朝堂院南門跡です。
こんな柱で、当時の門がイメージされています。

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門の中に入ります。
正面は大極殿。天皇が政治と祭祀を執り行いました。
左右に国の役所の朝堂院。
天皇のお住まいの内裏も置かれていました。
宮の外周には大垣がめぐらされ、大きな門が各所に開かれています。
礎石の上に立つ丹塗りの柱、瓦葺きの建物が連なる新しい宮で、宮と言っても、宮城と言えるような姿を示していた。

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大極殿前にまいりました。
造営をリードしたのは持統天皇だった
先代の天皇、夫でもあった天武天皇が、ここに都を置くと決められた。しかし、それは実現することなく、お亡くなりになる。
その構想を復活させ、工事をすすめたのは、持統天皇です。
694年に遷都となり、持統天皇、文武天皇、元明天皇、三代、16年間の都でした。
計画的に作られた初めての宮、なぜここか。これが、興味深いテーマです。


龍王山に登ってみました。飛行機やヘリコプターなら良い写真が撮れますが、予算の都合もありますから、私は歩いて竜王山。こんな大和三山、一望しました。
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北に耳成山を背負、西に畝傍山、東に香具山。
藤原宮は、大和三山の真ん中に位置しました。
これは偶然ではなく、計画的に決められた場所で、
土地の良い悪いなどを判断する風水思想では、北・西・東の三方向に山を控え、南に開けて流水のある場所が理想的、こちらは風水の適地だったのです。
 だから、この地です。ここが都です。

みなさん、振り返ってみましょう。
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これが天の香具山。
この地を選んだ持統天皇の思いを、万葉集でたどってみました。
持統天皇には有名な万葉歌がありますが、
藤原の宮都に先立って、持統天皇のお祖父ちゃん、舒明天皇がこの地で国ほめの歌を歌っている。父の天智天皇も大和三山を歌った。

大和朝廷と持統天皇にとって、この地は特別の地だった。
今日はこの地をほめ讃えた、舒明天皇の万葉歌、紹介させていただきます。

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登りたち 国見をすれば 
国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ 美し国ぞ 蜻蛉島 大和の国は

藤原宮と大和三山。この歴史を知るとき、大和三山の美しさはまた格別、誰しも感銘を受ける歴史的な景観です。


楽しめましたでしょうか?
by koza5555 | 2016-01-13 17:35 | 橿原・明日香・吉野
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