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奈良・桜井の歴史と社会

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日本人と漢字

倭といわれた日本に、紀元前二世紀頃、中国(前漢?)から銅鏡や銅鐸がもたらされたが、なぜか漢字が到来しなかった。
断ったのか、持ってこなかったのか、それとも、どうしても理解できなかったのか。
その後、銅鐸などを自らの手で作りだしていく倭人は、どのように話し合い、記録を残していったのだろうか、

そんなことが僕の最大の関心事のとき、「日本人と漢字」(笹原宏之) 知のトレッキング叢書(集英社インターナショナル)を桜井図書館の新刊コーナーで見かけた。


人類最古の文字は、メソポタミア文明で生まれた楔形文字だといわれています。・・紀元前3200年頃に楔形文字を使い始めたのはシュメール人です。
それと前後してエジプトでもヒエログリフという文字が誕生します。
そして少し遅れて、紀元前14世紀頃の遺跡から、間違いなく漢字だと言える文字が出土しています。殷王朝の中期にあたります。

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これが魚の始まり。似てますね。漢字だけ魚が立っていた。なるほど魚の始まりだ


漢字は周の時代(紀元前11世紀~211年)に徐々に整備されるが、その後の秦、始皇帝の時代にはすでに焚書などと言う事件も起きるのである。
始皇帝は同文同軌(文章同じ、車輪の間隔を同じにする)で、「広軌と狭軌の鉄道の解消」のようなことも行い、国を作り上げた・・天才やなあ・・である。
焚書もそんな意味を持っていたのだろうか、焚書を認めるわけではないのだが。

そして漢字は中国に定着するのである。

字体は周の時代は篆書(てんしょ)、周の時代に隷書、漢の時代から草書が始まり書きやすくなっていく。楷書が最後とは意外で魏晋時代から唐の時代までかかったとのことである。

魏の時代に紙が発明されたのも漢字には大きな援軍である。
105年に蔡倫が発明したとされるが、笹原先生は「蔡倫は、紙を実用に耐えるように、改良した人」と言う。

日本における漢字の歴史である。
縄文人も弥生人も間違いなく日本語を話し合っていたとされる。しかし、字は間違いなくなかった。・
銅鐸や銅鏡の文化は中国から来ていたが、漢字はどうだったのだろう。
日本に残されている最古の漢字は「漢委奴国王印」で、西暦57年である
それ以上の解説がない。ここはちょっと僕には拍子抜けで、知りたいのは紀元前200年前から「漢委奴国王印」までのことだったから。
また、日本人(倭人)が、漢字をどんな形で使いこなしていったのだろうかということだからである。

とにかく、日本人は漢字を見て驚き、漢字を見て勉強した。
日本人は日本語を漢字をあてはめていったのである。それが訓読の始まりである。

邪馬台という漢字は中国人が当てたものだと考えられます。何にあてたかと言えば、日本人が言う「やまと」に、という説が古代語の発音の面からは有力です。「やまと」とは、山(やま)処(と)という意味だと考えられていて、山のすそ野、山の麓のあたりという普通名詞が地名になり、さらには小さい国の名前になっていきました。
漢字は当て字で意味はありません。中国人にとって漢字で大切なのは、「音」なのです


卑弥呼という漢字も同様に当てられました。日本に「ひ(び)みこ」のように発音されるような女性がいた、その人に対して「卑弥呼」という三字があてられたのです。

中国人は邪馬台国とはおそらく関係なく、日本のことを「倭」と呼んでいました。



あとは訓読み、音読み、かな文字の解明などもあり、日本語の発達と充実の流れが語られていて、興味深いしおもしろい。そこは読んでいただくことにしよう。

日本人と漢字_a0237937_20174457.jpg
笹原宏之 著 「知のトレッキング叢書」(集英社インターナショナル)


by koza5555 | 2016-02-21 20:39 | 読書
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