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奈良・桜井の歴史と社会

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大神神社と狭井神社の鎮花祭

4月18日、大神神社は鎮花祭である。

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午前10時30分、三つ鳥居の御扉を開扉して鎮花祭を斎行。

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神職はその後、狭井神社に参進。薬道から上がる
重ねて鎮花祭が斎行される。

この祭りは1300年前から、この二所(ふたところ)の祭りだった。

「大宝令」(701年成立)の朝廷の規定には、三月に花鎮めの祭が行われたことが見えている。「令」の注である「令集解」(りょうしゅうげ)に引く「令釈」などによれば、大和の大神神社とその荒魂をまつる狭井神社の祭りで、春の花が飛び散るときに、疫病の神も分れ散って疫病をはやらせるのを、鎮め留めるための祭りであるという。
春の花といい、飛び散るといえば、桜の花にちがいない。大美和の神は、「古事記」でも「日本書紀」でも、崇神天皇の代に、悪疫をはやらせる祟る神としてあらわれている。この花鎮めの祭りは、その大美和の神格そのままの祭りで、大神神社の信仰を象徴する祭りとみてよい。桜の花を祟る悪霊に見立て、花の散るときに、その霊を鎮める祭りを行わなければならないという思想である。
 小嶋瓔禮琉球大学教授 (大美和第93号 平成9年)

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特殊神饌。桃の花と百合根と忍冬(すいかずら)。まともな写真は撮れない。これは境内のポスター写真である。

疫病を鎮め抑えるという祭りである。
近畿一円の薬業界、医療関係者が参列されていた。

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これは祀られた薬の数々
by koza5555 | 2016-04-18 22:56 | 桜井・山の辺
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