統治する女王か、占う巫女か?
卑弥呼のイメージは女王でしょうか、巫女でしょうか。
「邪馬台国と近代日本」(NHKブックス 千田稔)から。このイメージは女王だろうか、巫女だろうか
魏志倭人伝に描かれた卑弥呼は
「共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事(つか)へ、能く衆を惑はす。年已(すで)に長大なるも、夫壻(ふせい)無く、男弟有り、佐(たす)けて国を治む。王と為りしより以来、見る有る者の少く、婢千人を以て自ら侍(じ)せしむ。唯、男子一人有り、飲食を給し、辞を伝へ居処に出入す。」
ここから、卑弥呼は国の巫女的な役割で、佐(たす)けて国を治むとされ、男弟が政治をしているとの見方がある。
これが違うという学者がいる。義江明子さんという。
「つくられた卑弥呼 女の創出と国家」という本がちくま新書から出ている。義江明子先生が著した。珍しく桜井図書館でも入っていないような本である。
こちらで、「卑弥呼は国の乱れを治められる王、佐(たす)けてというのも、あくまでも助けてであり卑弥呼に王権あり」とされるのである。
さらに、日本書紀が考えた卑弥呼を考えるべきだと指摘される。
書紀は卑弥呼を神功皇后に当てはめている。
神功皇后の実在性や新羅への遠征などの史実性はとりあえずおくとして
神の言葉を聞く力
武装して軍隊を率いてたたかう能力
征服により支配地域を広げ、国を富ます力
妻であり、母であること
以上が神功皇后の力と特徴である。
卑弥呼は神の言葉が聞けて、たたかい、統治するというスーパーウーマンである。
600年代に考えられた卑弥呼はこんなイメージだった。
ところが卑弥呼のイメージは、近世(明治時代)に劇的に変えられたとされる。
それは明治43年(1910年)の内藤・白鳥論争に含まれたとされる。
内藤虎次郎は邪馬台国畿内説を主張し、「ヤマトヒメを卑弥呼に比定した」。
「鬼道に事(つか)へ、能く衆を惑はす」は、天照大神を奉じて遍歴したヤマトヒメにふさわしい。
夫がいないというのだから、神功皇后にはあたらない。
「男弟有り、佐(たす)けて国を治む」の男弟は景行天皇のことである。などと、ヤマトヒメの巫女的な側面が強調された。
一方、邪馬台国九州説をとなえた白鳥庫吉は、卑弥呼を九州の女酋の一人とみた。
卑弥呼は宗教的君主。
殿内深くこもって神意を伝えた。
男尊女卑は古来の伝統で、英明勇武だからではなく、神意を伝える巫女的な資質があっただけである。やはり、卑弥呼の巫女的性格が強調される。英明勇武は男の仕事。義江さんは、卑弥呼を単なる巫女として位置づけた内藤・白鳥の結論は、明治の皇室典範などにもとづく女帝否定論からの断定であり、これが納得できないといわれるのである。
「統治し、託宣する卑弥呼」、義江明子論に僕は賛成の一票、みなさんはいかが思われますか。
以上です