6月26日に「神社検定」を受験する。
受験のテキストに「古語拾遺(こごしゅうい)」があった。
古語拾遺は平安時代、官人であった斎部広成(忌部 いんべのひろなり)により、大同2年(807年)に書き上げられたものである。
古事記・日本書紀を斎部の立場で解釈、解説した書籍であるが、これが僕は初めて。
聞いたこともないのでは・・というものだった。
読んだだけ・・という所だが、少し書いてみた。
平城天皇の命により、斎部に伝わる伝承をまとめたというものである。
80歳を過ぎた老翁が書いた本である。
まずは斎部家である。
「中臣は天神寿詞(よごと)を奏して、忌部は神璽之鏡剣をたてまつれ」というような約割が決められていた。
中臣と斎部は同等のはずだったが、中臣の支配下に組み込まれていくことに、斎部広成はこれに怒りをぶちまけた。
そこで、斎部広成のめざしたものである。
斎部広成は歴史をどんなふうに認識しているか・・興味深い。
広成の歴史観は、推古天皇までが歴史時代、そのあと、孝徳天皇時代以降は現代と見ていたようである。
生まれた100年ほど前からを現代としてみる、僕らで言えば明治時代からが現代ということになり、その意味では共感が持てる。
広成の主要な主張は、歴史時代(神話時代)の天皇と各氏との関係を重視して、それに立ち返ろうとよびかけている。氏族の貢献を壬申の乱の功績だけで決めつけるな、こんな主張をしているようである。
律令の体制が、受け入れられない悲劇である。
広成は神話時代を日本書紀にそって紹介しながら、もれている事(直してほしい、戻してほしいこと)、十一ヶ条を書き連ねて、祭祀、神祇の諸制度の復活をめざしている。
部分的には斎部の主張は通っていくが、その後の歴史は中臣の圧勝、これも史実であり、斎部の主張は痛ましい。
それはそういうことで、西暦900年の頃の、当時の祭祀担当者の広成の歴史認識を紹介してみたい。
これは斎部広成がというより、著者の松本久史国学院大学助教授の考え方かもしれないが(ちなみこの本は神社本庁監修である)。
神代と人代の境目がおもしろい。
「人代の始まりは神武天皇」とするのが常識的な記紀の読み方。
ところがこちらは神武天皇が人代の始まりとしている。
「天石窟、天孫降臨、神武天皇の即位の各エピソードにおいて、登場する神々や出来事に類似性が見られます・・・神武天皇がつなぎにされているということで、連続性が重視された」
ここからは僕の意見だが、
欠史8代もすべてが神代ということになるのだろうか。
そして、ここまで考えてくると、神代はもっと下って神功皇后まで見ても良いのかも。人代は第15代の応神天皇以降と言う考えも成り立つのだろうか。
まあ、こんなことを勉強しながら、26日の神社検定、合格に向けて頑張りたい。
合格したらどんな特典があるのか、それは何ほどのものもありません。
乗ってしまった船、勉強である。すでに十分楽しんだが、最後まで頑張りたい。
60才代で、「秘かに一級までの合格」を目指しているのだが・・・・