「高畑町裁判所跡地の庭園遺構について」という発掘と現況の説明会に参加してきた。
「えー、報道されたの?」と驚かれるだろうが、20名くらいのグループ(アカダマ会)に対して、発掘を担当した大学教授と奈良県が特別に開いてくれた現地調査だった。
裁判所跡庭園遺構内。石造宝塔(仏塔)これは古いものらしい。こんなものも拝見できた
一か月ほど前に元アカダマの大槻さんから、勉強会のお誘いのメールが届いた。
「高畑町の旧裁判所跡地に大正時代の庭園遺構が残されていることが判った。発掘を担当した京都造形美術大学の仲教授の話と現地見学だが」ということである。
9月・10月の土・日だったら無理だったが、良い具合に空いていた。
現地に行く前に、遺構地の歴史、遺構の現状を一時間もかけての解説を受ける。
場所はここ。浮見堂の南、奈良市観光駐車場の西である
東から見ると外見はこんな感じで・・
この中に庭園遺構が隠されていた。
北側から入る。建物は一切残されていない。
苔むした礎石。さっそく松田さんが確かめると・・・「これ、コンクリートです」(笑)
元々は室町時代に遡る興福寺の支院、松林院の庭園であるが、大正時代に大改変されており、庭園としては松林院時代へは遡れなさそうである。
橋。切込みを入れてつなぐ。細工は細かい
仲教授によれば、「素晴らしい庭園が、まだまだたくさん残されている。その中でもこの庭園遺構は地形も利用されており、すばらしい。修復して公開するべきだろう」とのまとめだった。
良いものを見せていただきました。
修復、公開を待ちたいと思います。
こちらの庭園は室町時代、興福寺の松林院に始まるとのことである。支院では一番の上流、一番東にあるようである。松林院は一乗院、大乗院の二門跡に次ぐ四院家(松林院、修南院、喜多院、東北院)の一つである。
廃仏毀釈で松林院は廃止となり、所有者は松林為成、梅田春保を経て山口謙四郎(山口財閥)が所有し、別荘として使われることになった。
戦後、所有は裁判所に代わり家庭裁判所、官舎として使われ、平成17年に奈良県に所有が移された。