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奈良・桜井の歴史と社会

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氏神さまと鎮守さま

神社とはなに?談山神社の氏子総代だったり、町の役員として阿部八幡社の祭祀に日頃から関わりを持っていても、「神社とは何?」という決め手は、恥ずかしながら勉強不足。

そんなとき、「氏神さまと鎮守さま・・神社の民俗史」という本を、桜井市の図書館の新刊コーナーで見かけた。国立民俗博物館で仕事をされ、現在は國學院大学の教授の新谷尚紀さんが書かれている。
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「稲の民俗学」からはじまる。田んぼの造成と稲作作業が、日本の統治のシステムや文化に大きな力を果たしている。
① 稲作(水田の造営)にはとてつもない労働力が必要とされた。採集、狩猟、漁労という自然環境のシステムで生きてきた人に灌漑労働と稲作労働は過酷なものであり、強制力が必要だった。
② 古墳の築造は巨大なシステマティックな労働力の把握とその動員力が不可欠だった。水田稲作における動員力が、その背景にあってこその古墳築造と考えられる。東北(仙台市、山形市を結ぶ以北)に古墳がないのは古墳造営の強制力が働かなかったのも一因だ。ここには水田、稲作労働がなかった。
③ 祭は新嘗祭、大嘗祭、広瀬大忌神祭(ひろせのおおいみのかみまつり)と龍田風神祭。稲作に関わるもので、これらの祭りの整備と定例化が、天武朝により始まる。


神社の発生と祭祀の始まりを連動させるのが新谷先生の論である。その歴史が、そのまま生かされたりするのも、神社と祭祀の特徴である。
祭祀の歴史である。順番に・・・
① 磐座(いわくら)祭祀
② 禁足地祭祀
③ 祭地への神籬(ひもろぎ)設置
④ 祭地への臨時的な社殿配置 
⑤ 常設の宮殿設営
磐座祭祀、禁足地祭祀という段階があって、それは、4世紀後半の三輪山祭祀遺跡や、4世紀後半からの遺跡が残る沖ノ島遺跡に示される。いまでも、磐坐があり、禁足地がある、その遺跡もある。
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大神神社の大鳥居

大神神社は地元だから、いつも注目しているが、沖ノ島の重要性に改めて勉強する。
4世紀、大和王権の力が巨大となり、博多湾(西新町 にしじん)を経由しない海路として、沖ノ島ルートが整備されたと読んだばかりである(海の向こうから見た倭国 講談社現代新書 高田寛太著)。
海路の新設と沖ノ島祭祀の遺跡の始まりが接近していて、「なぜ、沖ノ島に」という疑問が氷解する。
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沖ノ島あたりをめぐる歴史


三番目である。いまの神社の姿は、神道の歴史に関わりがあると新谷先生は説かれる。
磐座、禁足地、神籬、社殿という祭祀の歴史が神社には、混ぜ合わされた姿となっている。そう言われれば、それは心当たりがある。祭祀の歴史は過去の事じゃなく、いまの姿でもある。それは神社だけではなく、村や神社に民俗としても、伝承されている。

あわせて、日本の信仰動向の解明もある。日本の信仰の土台は土着と招来されたものが混淆している。
① 古代日本の神々への神話的信仰
② 中国から伝承された陰陽五行や道教の教え
③ インドで生まれ、中国で醸成された仏教信仰
新谷先生は、「三本混じりの奔流」があり、それを土台にして日本で独自に育った神仏(山岳信仰、神仏混淆の神々)が考えられるが、現代は、それをすべて取り込んで信仰の姿があると解説される。
日本の信仰状態は、この歴史を引き継いでいる。
ここが大事であるが、引き継ぎ方は融合ではなく、それぞれの特徴も生かされているとの解明がある。
結論的にいえば、形や中味がまじりあうのではなく、「たとえていえば、あくまでもミックスサラダの状態であり、ミックスジュースではないとのことである。

混淆しながらも基本的要素をしっかり保持、それが日本の神祇信仰の特徴で、神社祭祀の特徴である。
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こちらは阿部八幡神社

なるほどでした。
「宮座の形成と運営」という項目で、「大柳生の氏神祭祀」、「奈良豆比古神社」を取り上げていて、ルポルタージュとしても学ぶものが多い。
by koza5555 | 2017-06-08 13:03 | 読書 | Comments(0)
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