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奈良・桜井の歴史と社会

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阿部八幡神社で伐採…樫の木が5本くらい切られてしまう

阿部区の氏神は八幡神社。元々は山の中、そして谷首古墳の墳頂に鎮座する。

檜などの針葉樹、樫などの常緑樹が茂り、阿部文珠院の南側、鎮守の森としてひときわ目立つ大きな森として威容を誇ってきた。

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阿部の村から見ると東の山の奥にあったのであるが、この20年ですっかり様変わりである。僕が神社に奉仕することになってからの6年の間でも、宅地化、都市化の進行が激しくて大きな鎮守の森が・・問題となってきている。

6年前に10本くらい切った。南側が中心だった。本殿の周りの桜なども、佐藤宮司の「ふさわしくない」との指摘で処分した。

クレーンが入り、森林組合が入るという伐採、だけど売れるような木はなく阿部連合区の負担である。

その後、北側、東側が問題となった。落ち葉、枝落ち出が問題で、倒れたりの危険も木もできる。立ち枯れの木もある。

週明けから本格的な伐採となり・・・神様に伐採の報告、作業の安全祈願祭を斎行することとなった。

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わが社の宮司は神職一級の佐藤さんである。

祝詞を聞きながら考えた。

大山祇の神と大神に伐採を報告された。「やむを得ないんだ」という祝詞である。いわば国ツ神に報告された。

今回も10本ほどの伐採だが、ほとんどは樫の木である。

四季を通じて常に緑葉を保っている樫の木。次々と葉が出て、更新する樫の木は、尽きることのない生命の泉というニュアンスである。

古事記にヤマトタケルの辞世の歌がある。「倭は国のまほろば」であるが、さらに「命の 全(また)けむ人は たたみこも 平群の山のくま白梼(かし)が葉を 髺頭に刺せ その子」である。

さらに神武天皇は「辛酉の歳(神武天皇元年)の正月、52歳を迎えた磐余彦は橿原宮で践祚(即位)し、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称した」とある。

畝傍山のふもとには樫の木が多かったのかな、なんて気楽に考えていてはいけない。

樫の木のように、常に、永遠の力・・・の場所、宮ということなんだろう。

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阿部八幡神社の臨時祭祀は拝殿での祭りを終えた後、境内の周囲を一周(周囲が一周できるようになってしまったのである)して、要所、要所で祈りの儀式。

「紙と大麻」を宮司が「さゆうさ」(左右左)でまき、5人ほどの役員がお米、酒、塩を 左右左である。

山の神、血の神に鎮まっていただき、足の曲がり、手の曲がりなきよう祈って、阿部八幡神社の伐採は7月3日からである。

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大きな木を切るのである。しかし、切り倒すというやり方ではなくクレーンで吊りながらの伐採。だから葺石とかハニワなどは掘り起こされないようだろうけど、あったら、拾っておこうかな(笑)、桜井市の埋文などには連絡は必要ないのだろうかなあ。




by koza5555 | 2017-07-01 14:36 | 桜井市と安倍 | Comments(0)
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