猿投神社(愛知県豊田市)に参拝。古事記ツアーの成功を祈ってきた。
御祭神は大碓命である。景行天皇の第一皇子で小碓命と双生児の兄である。
①古事記によると、大碓命は小碓命(ヤマトタケル)にみじめに殺されてしまう。
②日本書紀の話はそれと異なる。東国攻めを命令されたが、恐れて従わなかったため、美濃国を任地とされ、美濃に下らされたとされる。
③皇后である播磨イナビ(印南)ノオオイラツメを母として、大碓、小碓は双子として生まれた。双生児は兄を育てないという慣習があったが、イラツメが大碓を隠して守り育てたという説話が残されている。大碓命を殺したとか、美濃に追いやったという話は、この双生児に絡んでの説話かとも思える。
併せて、双生児はどちらかが左利きという伝承も残されている。
この、大碓命の生涯がとても気になるのである。
この大碓命を祭神とする猿投神社が、愛知県豊田市猿投(昔は西加茂郡猿投町)に鎮座することを初めて知った。
40年も前に猿投神社経由で猿投山に登ったことがある。その猿投神社である。
大碓命は東征の命に服さなかった為に、美濃国に封ぜられる。命は三野国造の祖神の二人の娘を妃とせられ、二皇子(押黒兄彦王、押黒弟彦王)をもうけられたとされる。
ちなみにこの押黒彦王が牟宣都君(むげつのきみ 武儀郡)の祖先となった。
猿投神社の社殿によれば、大碓命は「猿投山山中にて蛇毒のために薨(こう)ずる。すなわち山中に斂葬(れんそう)し奉る」とされている。
古事記には記された、「兄の手足を切り、コモにくるんで投げ捨てた」と答えたヤマトタケルの乱暴ぶりは無かったと考えようという論も古代からあったということである。
猿投神社には絵馬のように鎌がいっぱい掛けられていた。大きな、そしてそれが鉄製などで、「左鎌」とあった。
古来より左鎌を奉納して祈願する特殊な信仰がある。その由来については記録がないので判然としないが、古老の言い伝えによれば、双生児は一方が左遣い(左利き)の名手であると言う。祭神・大碓命は小碓命(日本武尊)とは双生児であるので人々が命(大碓命)左遣いであらせられ、当時左鎌を用いてこの地方を開拓せられた神徳を慕って所願の成就を祈るときに左鎌を奉納する。
職場安全・交通祈願を会社関係者に祈られおり、そのときに左鎌が奉納されるようになったという。
奉納された左鎌。さすが豊田市、トヨタをはじめトヨタ系列会社や職場のオンパレードである。ペラペラなブリキ板みたいなものではない厚くて重い鉄製・・である。
拝殿前の欄干には親子猿の彫り物・・猿投神社である
神社から歩いて70分。西宮
大碓命墓。宮内庁の管理であるが、「朝一番に参られた方は、下のペットボトルの水を花差しに注いでください」とある。僕も注がせていただいた。
大碓命はヤマトタケルの陰に隠れてしまうけど、なかなかいい男なんだ…
素晴らしい境内、猿投神社