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奈良・桜井の歴史と社会

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ヤマトタケルと白鳥

10月の「クラツウ古事記」はヤマトタケルである。

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ヤマトタケルのイメージ。天理参考館の盛装男子像と武人の埴輪。

ヤマトタケルの最後である。

伊吹山の神に内惑わされたヤマトタケルは、大和を目指す。

(古事記)能煩野(三重県亀山市)に到った倭建命は「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」から、「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」に至る4首の国偲び歌を詠って亡くなるのである。


倭建命の死の知らせを聞いて、大和から訪れたのは后や御子たちであった。彼らは陵墓を築いて周囲を這い回り、歌を詠った。すると倭建命は八尋白智鳥となって飛んでゆく。

(日本書記)白鳥の飛行ルートが能褒野→大和琴弾原(奈良県御所市)→河内古市(大阪府羽曳野市)とされ、その3箇所に陵墓を作ったとする。こうして白鳥は天に昇った。以上はウィキペディア


ヤマトタケルは死んだ後に、なぜ白鳥になったか。それが大問題である。
あれこれ調べてみると、

『ヤマトタケル伝説と日本古代国家』(石渡信一郎。三一書房)に書かれていた。ヤマトタケル=白鳥の謎である。(p106)

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全体の記述は同意しにくい。

箸墓古墳の作成年代は393年。

天武天皇は天智天皇の異母兄である古人大兄皇子と同一人物。

応神天皇と継体天皇は兄弟。
相当…違いますね‥


ヤマトタケルと白鳥・・これはうならされた。


①ヤマトタケルは建国神とみて、これが白鳥神とされたのでは。古代では白鳥が穀霊神・農耕神とみられた。『豊後国風土記』速見条。富裕な農夫が餅を的に射ると、餅は白鳥になって飛び去りのうちは乱れた。

『山城国風土記』逸文には、泰氏の先祖が餅を的に射ると、やはり白い鳥となって飛び去り、山の峰で稲になった。

②ホムツワケ(垂仁天皇皇子)は白いひげが生えても話せなかった。出雲まで追いかけて白鳥を捕らえて連れ戻り、ホムツワケがモノが言えるようになった。『出雲国造神賀詞』(かんのよごと)には、国造が生きた白鳥を天皇に献上するとあるのも、最も大事なものを献上して忠誠を誓うという行為である。

③古代の白鳥の位置づけは高い。古市の津堂城山古墳の周濠からは、埴輪の水鳥が3つ出土している。

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奈良県の馬見が丘古墳群の巣山古墳からも同じものが出土。

白鳥が橿原神宮の深田池に夏もいるとの情報があって、写真を撮りに・・・
サギがいた‥カワウもいる。白鳥はいない・・
今日はサギで‥すいません。

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建国の英雄、ヤマトタケルは、農耕の最高神ともいえる白鳥神として旅立つ・・古事記・日本書紀・・はすごい。
石渡信一郎さん、ありがとごうざいます。ちなみに2017年に死去されている。



by koza5555 | 2017-09-10 23:28 | 万葉の旅 | Comments(0)
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