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奈良・桜井の歴史と社会

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継体天皇 『北風に起つ』

5月27日(土)は継体天皇(男大迹王)の足跡をたどるツアーである。
講師は奈良まほろばソムリエの会顧問の木村光彦さんが務める。僕は、まあ、添乗員で、皆さんを安全に連れまわす役。

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継体天皇が眠る今城塚古墳。石室は完全に破壊、撤去されてしまっている


男大迹王(おほどのおうきみ)は507年に樟葉宮で即位、511年に筒城宮に遷し、518年に弟国宮(おとくにのみや)に遷し、526年に磐余玉穂宮に遷す(日本書紀による)とあり、531年に没して現在の高槻市(今城塚古墳)、(宮内庁は茨木市の太田茶臼山古墳を継体天皇陵として祀る)に葬られたとされる。

一日のツアーでは、全てを回る時間はない。それでポイントを回ることにした。
継体天皇陵とされる太田茶臼山古墳(茨木市)と今城塚古代歴史館と今城塚古墳(高槻市)は、はじめに訪れる。
続いて、即位したとされる樟葉宮跡(交野天神社 枚方市)、続いて筒城宮跡(同志社大学田辺校地 田辺市)を訪問するツアーである。

樟葉での即位は異常であるが、24年間の摂津・山背で続いた宮も不思議である。
この地図を見ていただきたい。
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樟葉から筒城だから、大和に近づくが、その後、今日の長岡京辺りまで遠ざかってしまうのである。ここ等あたりの機微が分らない。

そこで、「北風に起つ -継体戦争と蘇我稲目」(黒岩重吾)を読んでみた。「困ったときには記紀やろ」という言葉もあるが、黒岩重吾の世界もなかなかである。
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黒岩重吾は、「男大迹王については謎が多い」としつつ、妃の出自を丁寧に触れていく。これが男大迹王の歩んだ道、勢力圏ということだ・・・という具合である。

皇后は手白香皇女であるが、樟葉で即位する前までの妃の出自を次のとおりである。
尾張、近江の三尾、坂田。息長、河内の茨田(まむた)などである。いかにも北方系で、男大迹王は近江の国で勢いを増す、尾張との連合が力を強めたとみるのが自然である。

さらに、男大迹王の即位のために大伴連金村らに擁せられた経過、平群臣との戦いが紹介されている。
男大迹王は着々と力を蓄えていくが、問題は筒城宮から弟国への撤退である。

筒城の宮跡。同志社大学田辺校地
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男大迹王の大和入りは遠のいたのである。越や近江、それから大伴連金村の力では、それが成し遂げれなかったということだろうか。

弟国宮の時代に、蘇我稲目や物部尾輿の力で、男大迹王は大王として大和入りが成功するのである。稲目と尾興は九州で勃興する磐井との戦いのために大王が必要だったとの思惑も語られる。

金村が引き立て、稲目と尾輿が盛り立てた・・6世紀の歴史を考えると見ても、これが妥当だろう。

樟葉、筒城、弟国、今城塚、楽しいツアーになりそうである。
ここをきちんと押さえると蘇我や物部を正確に知ることもできて、ひいては飛鳥時代の始まりをきちんと認識することができるのである。
申し込みを募りたいとこだが、バスは満席、40名の募集で42名もお客様を取ってしまって…オーバーブッキング状態であしからずである。

終りに継体天皇が即位したとされる樟葉宮跡。交野氏である。
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by koza5555 | 2017-05-13 11:03 | 大阪とか京都とか | Comments(0)
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