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奈良・桜井の歴史と社会

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2013年 04月 19日 ( 1 )

出雲国造神賀詞と雲梯

12月に橿原から田原本、広陵、川西にかけて万葉集のツアーをガイドする。
犬養孝の万葉の旅(上)、平野南部の巻である。
ここで雲梯(うなて)の森が出てくる。超有名歌が二首ある。
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雲梯の川俣神社

この神社の森が「真鳥(イヌワシ)住む雲梯の杜(もり)」といわれるような神々しい社(もり)なのである。
この「特別の森」はどこから始まるか、それは出雲国造神賀詞(いずものくにのみやっこのかんのよごと)に触れられるところから始まると言われている。

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんのよごと)は、新任の出雲国造(県知事みたいなもの)が天皇に対して奏上する寿詞である。
霊亀2年(716年)から天長10年(833年)までの間に15回の記録があり、さらにそれよりも数十年早くには始まっていたという論もあるようである。

この神賀詞(かんよごと)に国譲りのことや、オオナムチが天皇の世を支え、祝う言葉が連ねられている。

万葉集のツアーで雲梯(うなて)に行けば、この神賀詞を紹介する。
一番の簡単説明だと次のようになる。

出雲の県知事が「国を譲った。そしてオオナムチは出雲大社にいて、自身の和魂(にぎたま)は三輪に、子どもは葛城の鴨社に、子どもは雲梯に、子どもは飛鳥坐神社に坐して天皇を守っている」と奏上して天皇の世の末永きことを祝った。そこで言われている雲梯はこの場所で、神にかけてというような誓いの対象となるような神々しい森なんだ・・・という具合だ。

もう少しキチンと紹介するパタンであれば、
大穴持命は八百丹杵築宮(きつきのみや、出雲大社のこと)に御鎮座
この国は大倭国でありますと申されて
御自分の和魂(にぎたま)を八咫鏡に御霊代(みたましろ)とより憑かせて倭の大物主と御名を唱えて大御和(おおみわ)の社に鎮め坐させ、
御自分の御子、阿遅須伎高孫根命(アジスキタカネヒコ、オオナムチの三子)の御魂を葛木の鴨の社(御所市高鴨神社)に鎮座せしめ、
事代主命の御魂を宇奈提(雲梯)の河俣神社(かわまたじんじゃ)に坐させ、
賀夜奈流美命(かやなるみ)の御魂を飛鳥の社(飛鳥坐神社、事代主神・高皇産靈神・大国主と並んで)に鎮座せしめて皇御孫命の御親近の守護神なろう


こんなことを話しながら、川俣神社の由緒や雲梯の杜のお話しをするつもりである。


万葉歌は…

真鳥棲む雲梯の杜(もり)の菅の根を衣にかき付け着せむ子もがも  (巻7-1344)未詳
思はぬを 思ふと言はば 真鳥住む 雲梯の社の 神し知らさむ(巻12-3100)未詳


古い本だが松山健氏の「出雲神話」(講談社現代新書)を読み、出雲国造神賀詞奏上式を勉強した。
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この本では他にもたくさんのことを学んだ。いくつかを列挙すると・・
①出雲神話には虚像と実像がある。
虚像は記紀における出雲を舞台とする神話群
実像は「出雲国風土記」に記されている。
②出雲神話を国中に広めたのは巫覡(ふげき)である。神を祀り神に仕え、神意を世俗の人々に伝える人。女性は「巫」、男性の場合は「覡」で合わせて巫覡という。
③出雲が大和朝廷に政治と文化で対立するほどの証拠はないとしている。
④出雲神話を大和朝廷に持ち込んだのは、出雲国造らの始めた神賀詞奏上式であり、これでオオナムチを売り込んだ。

とりあえず、こんな具合で出雲国造神賀詞の話が、できるところまでは到達できた。ツアーは12月である。
by koza5555 | 2013-04-19 20:37 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)