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奈良・桜井の歴史と社会

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塼積式古墳 舞谷と花山塚古墳

舞谷古墳群。浅古の交差点から桜井グリーンパークへの道、鳥見山から張り出した小さい稜線に舞谷古墳群という古墳が残されている。『桜井の横穴石室を訪ねて』によれば一号から五号までとのことであるが、見ることが出来るのは2号だけである。

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こんな古墳である。

いつもは笹でふさがれている道だが、桜井市(観光協会?)が最近のイベントのために切り払った。来年の春までは快適に見学ができる。
墳丘は横に長い長方形の方墳で、榛原石を磚状に加工した石材を用いて構築された磚積式の石室を内部主体にするという特徴がある。『桜井の横穴式石室を訪ねて』

こんな特異な形の石室は桜井でもここだけではなく女寄峠に残されている。
5年も前だが、こちらを探すのは大変だった。送電線を見上げながら、一万分の一の地図を見ながら4回目でやっと到達である。奈良まほろば検定の公式テキストに掲載されているのである。
花山西塚・東塚古墳という。

道順だが、昔(トンネルができる前)の、夏のバス停から林道を北に歩く。100メートル位行くと谷川の三叉路。そこを北からの尾根に登っていく。最近はテープが残されている。突き当りまで登った所から左にまくと右手に東塚が見えてくる。磚槨墳である。奥室はなく、羨道部は損壊している。

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こんなものかとさらに50メートル。

西古墳に到着。尾根の斜面を削って築かれた古墳で、円墳である。西古墳は玄室と奥室があり、境には石扉が設けられていた。壁石材に煉瓦状に加工した石材を用いており、磚槨墳と呼ばれている。
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鉄の柵が作られているが、天井から蓋をあけると中に入れる。ただし、年齢、体力、肥満度、よく注意して入るように(笑)。一人で行って猪のように捕まらないように。携帯の電波は届いていなし。


舞谷古墳群は榛原石を使用した磚積式の石室を採用し、同一集団によるものであることはまちんがいない。古墳の築造時期も7世紀中葉を前後する短期間で行われたと考えられている。舞谷古墳群の被葬者は.前代にすぐ西の尾根に築かれた古墳であるこうぜ古墳群や秋殿古墳群の後継者なのか、それとも埋葬施設が全く異なる構造をしていることから異なる集団なのか。(桜井の横穴式石室をたずねて)
これは花山西塚・東塚も同じことが問題となろう。

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一番近くで一番近い時期のこうぜ一号墳、西石室の内部。全く違うことは一目瞭然

「では、だれが、どんな氏族が」と、考えるのは自然の道理。

天理参考館には3~4世紀の磚積式の石室が展示されている。レンガの積み方の形は違うのだが、武寧王の副室などをみてみると、ドンドン横に磚を積み上げていく、桜井の古墳と同じ形も見られる。レンガを榛原石に変えれば同じ形となる。渡来氏族が墳墓を作るにあたり、百済の経験を活かしたと考えるのは、飛躍だろうか。
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最後に、桜井の古墳を回るためには必須の資料は埋蔵文化財センター発行の『桜井の横穴式石室を訪ねて』である。三輪の埋蔵文化財センターで発売、1000円
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by koza5555 | 2016-12-18 23:12 | Comments(0)