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奈良・桜井の歴史と社会

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古事記完全講義

竹田恒泰著、『古事記完全講義』。学研である。500ページはあるんだけど、面白い。三日がかりだった。

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今日は、「稗田阿礼と太安万侶の最強ペア」のことを紹介したい。

こちらは、すべて型破りの古事記解説であるが、稗田阿礼と太安万侶の紹介は極めて興味深い。

お手本にしたい四方八方を丸くおさめる歴史書の書き方

公式の歴史書だから、各地方からのクレームがつくことは予想される。

「確かに出雲も、南九州も、熱田も大和も、みんな「ふむふむ」と大方納得する歴史書になったんです。

稗田阿礼も太安万侶も天才ですから、言葉一つひとつにものすごい神経を尖らせているんです。状況設定も非常に細かい、ありとあらゆるところが、これまでに書かれた着たあらゆる文言と文章が、国譲りの正当性を担保するような書き方になっているんです。そこまでして初めて、国を譲った側、譲られた側、両方が納得できる歴史書になっているわけです。

 やっぱり日本人って和の精神なんですね。「俺たちの正義を押し付ける」じゃなしに、どうしたらみんなが納得できるか、ということを探求して、こういうものをつくり上げてきた。これは、本当に天才の成せる作業だと思います。(p311)

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太安万侶・・いないという論もあったのだが、お墓が出て墓誌が出て・・・・

天孫降臨が見事である。神から人へのエピソードをきわめてクリアに示されている。

天下ったニニギノミコトは木花佐久夜ひめと結びつく。親が大山祇という設定がすごい。追わば国ツ神の代表である。

さらに、「姉の石長ひめを帰してしまって、そこから寿命が与えられた」となっている。寿命ができるということは、神から人への移行で、これもとても自然の流れとなっている。

さらに、その子供のホデリの命、山幸彦である。こちらは綿津見神の娘と結婚する。綿津見神は海神である。国ツ神である。

こちらから、ウカヤフキアエズノミコが生まれ、その子たちが五瀬命やカムヤマトイワレビコである。東征が始まるということだ。


神から人となり、山の神、海の神の娘たちと結びつくという展開は見事で、天照大神の神勅を前提としつつも、実質的な地上の支配の体制を築き上げていくのである。

稗田阿礼、太安万侶の構想力、文筆がさえわたるところである。

古事記は二人の天才の手により完成した。長く埋もれることとなったが、本居宣長によってその全貌が解明されるのである。


古事記完全講義(竹田恒泰著)は古事記のすごさと面白さを際立たせる素晴らしい講義となっている。

この本、僕には認めにくいところも多々あるが、それを差し引いても読むべき価値がドーンと上回った。ぜひ、お勧めしたい。

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by koza5555 | 2017-07-01 22:15 | Comments(0)

塼積式古墳 舞谷と花山塚古墳

舞谷古墳群。浅古の交差点から桜井グリーンパークへの道、鳥見山から張り出した小さい稜線に舞谷古墳群という古墳が残されている。『桜井の横穴石室を訪ねて』によれば一号から五号までとのことであるが、見ることが出来るのは2号だけである。

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こんな古墳である。

いつもは笹でふさがれている道だが、桜井市(観光協会?)が最近のイベントのために切り払った。来年の春までは快適に見学ができる。
墳丘は横に長い長方形の方墳で、榛原石を磚状に加工した石材を用いて構築された磚積式の石室を内部主体にするという特徴がある。『桜井の横穴式石室を訪ねて』

こんな特異な形の石室は桜井でもここだけではなく女寄峠に残されている。
5年も前だが、こちらを探すのは大変だった。送電線を見上げながら、一万分の一の地図を見ながら4回目でやっと到達である。奈良まほろば検定の公式テキストに掲載されているのである。
花山西塚・東塚古墳という。

道順だが、昔(トンネルができる前)の、夏のバス停から林道を北に歩く。100メートル位行くと谷川の三叉路。そこを北からの尾根に登っていく。最近はテープが残されている。突き当りまで登った所から左にまくと右手に東塚が見えてくる。磚槨墳である。奥室はなく、羨道部は損壊している。

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こんなものかとさらに50メートル。

西古墳に到着。尾根の斜面を削って築かれた古墳で、円墳である。西古墳は玄室と奥室があり、境には石扉が設けられていた。壁石材に煉瓦状に加工した石材を用いており、磚槨墳と呼ばれている。
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鉄の柵が作られているが、天井から蓋をあけると中に入れる。ただし、年齢、体力、肥満度、よく注意して入るように(笑)。一人で行って猪のように捕まらないように。携帯の電波は届いていなし。


舞谷古墳群は榛原石を使用した磚積式の石室を採用し、同一集団によるものであることはまちんがいない。古墳の築造時期も7世紀中葉を前後する短期間で行われたと考えられている。舞谷古墳群の被葬者は.前代にすぐ西の尾根に築かれた古墳であるこうぜ古墳群や秋殿古墳群の後継者なのか、それとも埋葬施設が全く異なる構造をしていることから異なる集団なのか。(桜井の横穴式石室をたずねて)
これは花山西塚・東塚も同じことが問題となろう。

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一番近くで一番近い時期のこうぜ一号墳、西石室の内部。全く違うことは一目瞭然

「では、だれが、どんな氏族が」と、考えるのは自然の道理。

天理参考館には3~4世紀の磚積式の石室が展示されている。レンガの積み方の形は違うのだが、武寧王の副室などをみてみると、ドンドン横に磚を積み上げていく、桜井の古墳と同じ形も見られる。レンガを榛原石に変えれば同じ形となる。渡来氏族が墳墓を作るにあたり、百済の経験を活かしたと考えるのは、飛躍だろうか。
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最後に、桜井の古墳を回るためには必須の資料は埋蔵文化財センター発行の『桜井の横穴式石室を訪ねて』である。三輪の埋蔵文化財センターで発売、1000円
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by koza5555 | 2016-12-18 23:12 | Comments(0)