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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:桜井・多武峰( 68 )

南朝 戒重西阿と良円

外鎌山に登ると「南朝忠臣 西阿公之墓」という碑がある。
しばらく前から倒壊していて、こんなふうに寝かされている。
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桜井市の全域で南北朝が激しく闘った史実が残されている。
南朝軍の西阿、子息の良円などが戒重と河合に城を築き、外鎌山、鵄(とび・鳥見山のことか)、赤尾の山城・砦の記録がある。
一方、北朝軍は釜口(天理)に進駐し、さらに細川顕氏は阿部山に陣をしき、南北朝は入り乱れて(阿部山は戒重・河合の南方に当たり、いわば吉野との連絡路が閉じられる形)桜井市全域が戦場となったことが分る。

1337年に三輪西阿は櫟本(天理)にて北朝軍とたたかう。
1340年には北朝軍は開住(かいじゅう)西阿を討つために出兵。西阿は大仏供庄(大福)の年貢を横領。
1341年2月、幕府は西阿追討軍。釜口を奪い、阿部山に陣をしいた
     4月に河合城陥落、7月2日戒重城陥落、西阿らは外鎌山城に移り抵抗したが3日に陥落。
1347年、楠正行らは、出陣の前に後村上天皇に面会、西阿も同席している。「・・・楠将監西阿子息開地良円以下・・・」と太平記巻10に記されているのである。
同年、親子ともども 四条畷戦死した。

西阿を祀った碑は外鎌山に立てられたが、それは昭和45年のことである。

桜井市の粟殿(おうどの)の墓地には、西阿の子息、良円を祀る五輪の塔が建てられているのである。桜井市史の上巻942ページ
「為菩提亡父良円房・・・・・・・正平3年(1348年) 正月五日  願主尼良妙」
とあるらしい。(僕には全然読めなかったが・・・)

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良円を祀るという五輪塔


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戒重城の濠の跡。戒重城は江戸時代の前期に140年くらい織田藩が陣屋として使用、織田藩が芝村に移って廃城。しかし河合城、戒重城ともども明治20年頃までは大規模に濠が残っていたらしい


こうして考えてみると、南朝を助けた桜井(現在)の関係者は多かった。多武峰は無論のこと、三輪、長谷寺なども含めて多くの国民、地侍もその戦いに巻き込まれていったのである。
by koza5555 | 2017-02-03 00:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

2月のウォーキングは忍坂(忍阪)

「忍坂山(外鎌山)からの眺望を楽しみ、王家の谷を歩いてみよう」をテーマに、2月22日(水)にウォーキングを案内します。

外鎌山に登ります。奈良盆地南部の素晴らしい眺望が楽しめます。標高は292メートルですが麓からの標高差は150メートルです。

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2月1日の忍坂の山からの眺望。大和三山、二上山、奈良盆地南部が一望できる

「こもりくの 泊瀬(はつせ)の山 青旗の 忍坂の山は 走出のよろしき山の 出立の くはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまくおしも」(巻13-3331)と万葉集にも歌われた忍坂の山(外鎌山)に登ってみましょう。

石位寺で白鳳時代の薬師三尊仏(重要文化財)を拝観します。
また、舒明天皇陵、鏡王女墓(談山神社)を見学し、大王級の赤坂天王山古墳の横穴式石室を体験します。
最後の忍坂坐山口神社を参拝、境内の楠の巨樹に力をいただくというマルチのウォークです。ぜひぜひ、おいでください。

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忍坂坐山口神社の大くすのき

■実施日    平成29月2月22日(水)雨天決行
■集合時間午前10時 
■集合場所   近鉄大阪線大和朝倉駅 改札前
■コース(歩く距離約8km程度。小さな山ですが山登りもします)
朝倉台駅(集合10:00)w.c.→11:00 外鎌山頂上 → 11:30 鏡女王墓 → 舒明天皇陵→ 神籠石 → 12:00 石位寺w.c(昼食)→ 14:00 赤阪天王山古墳.→ 14:40玉津島明神 → 15:00 忍阪山口神社 → 15:30 朝倉台駅(解散)
■持ち物  弁当、水筒、帽子、雨具をお持ちください。小雨は決行ですが、コース変更をする場合もあります。※歩きやすい靴でおいでください。
 大和朝倉駅前(集合場所)では、弁当を買うお店はありません。必ず事前にお弁当を用意してください。

■参加費  1200円【拝観料300円(石位寺)、資料代含む】

申し込みは 大人の学校の溝口さん(メール)まで hiromi-03.30@kym.biglobe.ne.jp
もしくは   kozaburo@cg8.os-net.ne.jp

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赤坂天王山古墳、このウォークは横穴式石室に入ります。汚れます。覚悟してスラックスやジーンズを用意してください。
今日は一人で入りましたので、自撮りです(笑)
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by koza5555 | 2017-02-02 00:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

サッカーのルーツは蹴鞠

談山神社の社報は「談(かたらい)」という。A4の4ページ。
長岡千尋宮司から、「雑賀さん、かたらいに書いて。一ページまるまる」と昨年の夏ごろに話があった。

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今回の「談(かたらい)」のトップ

最近は一年に2回の発行だが、発行部数が2万5千以上で、これはやりがいがありそうである。
第一回目は、蹴鞠を書くことにした。昨年の9月には東京での講演のおり、お茶の水の日本サッカーミュージアムも見学しており、準備はバッチリである。

こんな文章となった。

談山神社は春と秋、けまり祭を行う。境内の一角に青竹を四隅に立てた鞠(まり)庭でけまりを奉納する祭である。

鞠(まり)を順次蹴り上げ、地面に鞠が落ちると中断となる。演技の連続が面白みで、ラリーが続くと歓声や手拍子の応援も出て、静寂な談山神社はいつになく沸き立つ。一つの鞠を落とさぬように、鞠庭にいる全員が心技を一体にして蹴り続ける。背筋を伸ばした優雅な姿勢で蹴り続けて勝負を競わず、相手が受けやすい鞠を打ち続けることが上手と言われている。
演者の男女は平安時代の貴族のような装束に身を包み、「アリ」「ヤア」「オウ」の三声を掛けあいながら蹴り回す。青壮年は若さの力、老境は円熟の面白みで、年齢、性別に関係なく楽しめる。

今日は蹴鞠の鞠のことを紹介したい。鞠は白く塗り上げられた鹿革製で、中空となっていて、重さはサッカーボールの三分の一ほど、120g程度で整えられている。


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蹴鞠のマリ

この鞠作りをする人に、桜井市の藤田久沙夫さんがいる。
藤田さんは「鞠は二枚の鹿革で作ります。つなぎ合わせた革袋の中に麦を詰めて形を整え、白く塗り、穴から麦を抜きとって中空の鞠に仕上げます」と作り方を説明される。さらに「10年がかりの試行錯誤の末、やっと納得のいくものができました」と古典芸能を支える鞠が作れたこと喜びを語ってくれた。

 藤田さんの作った鞠は、談山神社により、日本サッカー協会に贈られて、東京の「日本サッカーミュージアム」(東京都文京区本郷)、「ボールゲームの歴史」コーナーの一番初めに展示されていて、「寄贈 談山神社 桜井市多武峰」と記されている。
 解説では「古代中国の周の時代(紀元前1100年頃~紀元前256年頃)には、皮を繋ぎ合わせ 毛をつめたボールを使った球技がありました。
この球技はのちに日本にも「蹴鞠」として伝えられ、主に貴族の社交上の遊びとして楽しまれました。蹴鞠とは、革製の鞠を蹴り上げ、地面に落とすことなく蹴る回数を競う遊戯です」と紹介されていて、FIFA(国際サッカー連盟)のプラッター会長が、世界のサッカーの発祥はこの蹴鞠だと宣言したことが紹介されている。

 「蹴鞠がサッカーの始まり」、サッカー協会はそんな展示をしているのである。


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展示の説明。右下に談山神社寄贈の実物のマリが展示されている


『日本書紀』は、「中臣(藤原)鎌足は専横を極める蘇我蝦夷、入鹿の親子の打倒を考え、中大兄皇子(天智天皇)に近づこうと考えた。法興寺(飛鳥寺)の槻の樹の下で皇子が鞠を打つ、そのとき沓が抜け落ち、鎌足が拾った。ひざまずいて差し出す、皇子もひざまずいて受け取った、と記している。
鞠を打つという言い方は微妙だが、「鞠を打つ、沓が抜け落ちる、拾う、差し出す」という一連の動作からは、現在の蹴鞠の姿を感じ取ることができるのではなかろうか。

談山神社の春のけまり祭は4月29日(昭和の日)、秋のけまり祭は11月3日(文化の日)、いずれも神廟拝所西の「けまりの庭」で行われる。

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年に3000円の会費で「談の会」の会員になっていただけると、こんな社報が届き、同伴2名までは入山が無料になるという、年間パスがいただける。とてもお値打ちで、入会をおすすめしたい。
お問い合わせは、談山神社、電話は0744 49 0001である。

by koza5555 | 2017-02-01 00:09 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

ムジークフェストなら2016

「音楽で、奈良を元気に」・・・6月11日から音楽祭「ムジークフェストなら2016」(五回目)が始まった。二週間の奈良のあちこちが様々なジャンルのコンサートのてんこ盛りである。
なにしろ300ものコンサートが開かれる。毎年、いくつかのコンサートを僕も楽しんできたが、こともあろうに今年は「出演」である。

もちろん、音楽で舞台に立つわけではなかった。
数多くの社寺でもコンサートが開かれる。この社寺会場のコンサート前に、その社寺を解説するという企画が今年から始まったのである。談山神社、大神神社のガイドを引き受けた。

12日に談山神社を案内した。お客様は桜井駅から送迎バスで到着する。

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緑に埋まる多武峰・談山神社

その前(コンサート前)に、この神社をご案内したいと思います。演奏の前に神社を見ていただきたい、荒井知事の肝いりで、バスも出しましょう、ガイドも用意いたしますということで実現した企画です。
 これはムジーク、初めての企画、今日がその初めの始めです。奈良テレビの取材も入りました。僕も力入れます。皆さんも一緒に楽しんでください。

およそ準備も済ませたところで、ソムリエの会の鉄田専務理事から電話が入る。「ガイドツアーの始まりということで、奈良テレビの取材が入るから、よろしく」である。
緊張もしますが、燃え上がります。
このガイドを引き受けたソムリエの会の責任、談山神社の氏子総代の責任が一石二鳥で果たせる

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そんなこともあり、今度の案内は神社そのものの成り立ちを語る。

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さらに場所を変えて、談山神社が芸能と音楽の歴史の宝庫であることを語らせていただいた。

こんなガイドぶりを奈良テレビが取材、ガイドとしての奈良県への思いも熱く語らせていただいた
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奈良テレビ「ならフライデー9」。放送日は6月17日(金)午後8時57分~「ならフライデー9」(午後9時から)である。
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6月11日から26日までの「ならムジークフェスト2016」、今からでも間に合うコンサートがあります。こちらでお確かめください。 

by koza5555 | 2016-06-14 07:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

ムジークフェストなら 2016 談山神社

談山神社、実は音楽と芸能の歴史の宝庫である。
重要文化財に指定されている神廟拝所(妙楽寺の講堂)、この上部欄間には素晴らしい天女奏楽図の壁画が描かれている。

笙(しょう)、鼓・鉦鼓(つづみ・しょうこ)、太鼓などを演奏する天女が描かれている。平等院の雲中供養菩薩を連想していただきたい
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天女奏楽図が残されている神廟拝所。堂内の撮影はできる


さて、6月12日(日)談山神社の権殿(祈祷所とも、妙楽寺でいえば常行三昧堂)にて、ムジークフェストならのコンサートが開催される。

今年の談山神社はチェンバロの演奏である。モーツアルトが小型ピアノみたいな楽器と共に演奏会場に馬車で駆けつけるという画面、映画の「アマデウス」に、確か、ありました。
あの「小型ピアノ」、このチェンバロを中野振一郎が演奏するのである。豊かな表現力で、、日本を代表する名手である。
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チェンバロ


この権殿は江戸時代までの妙楽寺当時は常行三昧堂、こちらが大和の芸能のメッカである。
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維摩八講会は平安時代から続く、多武峰の重要な法会であった。その中日二日間に神事として行われていた八講猿楽は、大和四座(金春・金剛・観世・宝生)が一堂に参勤する盛大なものだった。毎年、新作を一番は入れることなっていて、ここでの初演で好評だったものが、奈良や京都で演じられた。(道成寺など)今日まで伝わっている能もある。
絶世の美少年だった世阿弥は、多武峰の保護を受け京都に出て、将軍義満にひいきにされ、大和四座とは違った精神性の高い能を確立した。
多武峰は今日の能楽の揺籃の地だったと言える。

「多武峰様猿楽」とよばれる猿楽は、実際に馬や甲冑を使うという野趣あふれるもので、都の貴族や武士を驚かすに十分なものであった。この演出は延年の影響を受けたものとされている。延年とは正月修正会の後に、お坊さんが行う余興のことで、・・・多武峰の延年は山内の僧兵らが自作自演したもので、全国最大規模とされ、1515年からの70年間の演目台本が現存している。 「雅楽の奈良を歩く」(実業印刷(株) 笠置侃一監修)から

ムジークフェスト・・多武峰、お客様の多くは貸切のバスで談山神社に到着する。
到着時間は演奏会場の開場の40分くらい前で、到着した後は、僕が談山神社の縁起、境内の案内をさせていただく。


ムジークフェストのお客さまだから、・・西洋の古典的な楽器の演奏だから・・日本の多武峰の音楽と芸能の歴史を今回はとくに力を入れて紹介したい。
by koza5555 | 2016-05-25 18:33 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

談山神社の神幸祭

4月10日、談山神社は神幸祭である。
今年はお渡りがある年で、4年に一度の一の鳥居までの神輿渡御が行われる。
談山神社の神幸祭、毎年、4月の第二日曜日に斎行されるが、お渡りで歩くのは2年に一度、一の鳥居まで下るのは4年に一度であるので、今年は神幸祭、お渡り拝見のチャンスである。

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これは4年前の神幸。桜井市下の西内酒造前である

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これは二年前、僕の役割は錫杖を持って先導する役割、小目代(こもくだい)だった。

僕は、談山神社の氏子総代を務めさせていただいている。28の大字が談山神社に関係しており、それぞれに氏子総代が委嘱されている。多くは区長が兼ねている。この氏子総代をはじめ、お渡りに出仕せよとのことである。僕の大字からは一人の出仕要請、今年も僕が出ることにした。

式典は10時からで10時半すぎに境内を出発する。
コースは社務所前から門前に出て売店下の駐車場まで渡御する。
駐これは境内の写真である。
車場から聖林寺前(バス停)までは車で移動、その後旧道を渡御する。午前11時頃である。西内酒造の前などを通り、一の鳥居までの渡御である。

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これは二年前、境内(学頭屋敷跡)の写真である。

境内、もしくは西内酒造前辺りが撮影ポイントである。ぜひおいで下さい。
by koza5555 | 2016-03-31 05:38 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

桜井市ムネサカ古墳群

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これが一号墳である。白状するが今回は到達。3回目だった。

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前回の敗退を教訓して今回は登山靴。

森本運輸の駐車場から入る。もちろん事務所には声をかけて許可を得る。一回目はこれも知らず、国道から無理矢理、登ったのである。
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道なりに登る。道標がある。今回も右に折れた。青い線である。
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こちらにはもう一個、道標がある。そこから稜線へ直登である、石室の入り口が無い、小高い山に上がった。くるりと周りを見てみると、丘尾切断型の円墳の上にいるように思える。西に下りてから南に回ると、ありました。

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一号墳の入口

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内部から外をみてみると


西北の方向に二号墳、これも戸惑ったが発見できた。
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しかし、これは狭い。3メートルくらい匍匐前進すると中は広そうだが、これは勇気ある撤退かな。

下りの道でよく確かめてみると、笹やぶも赤い線に沿って踏み分けがあった。


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桜井市の埋蔵文化財センターは「桜井市の横穴石室を訪ねて」を発行している。100ページくらいのリーフレットである。

このリーフレットをペラペラとめくるとムネサカ古墳がとても気になったのである。忍坂から女寄峠に登るR166の左側の山手にあるという。

終末期の大型円墳と石室、これが二つ並んで残されているのである。石室の石積みは玄室・奥壁とも二段積み、羨道は一段積みで、ほぼ切石状態で漆喰も使われているとのことである。
 このような石材の構成や規模は、明日香村の岩屋山古墳とほぼ同一でである。同じ設計図を用いて作らたとも考えられ、石室を作った工人は同じだったのかもしれない。

ムネサカ古墳群(桜井市大字粟原字峯坂)
by koza5555 | 2016-03-24 21:49 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

特殊神饌、百味の御食

談山神社の嘉吉祭。神饌は百味の御食(ひゃくみのおんじき)。

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和稲(にぎしね)。今年は陶原さんが仕上げられた。

百味の御食は多武峰の13軒ほどの氏子が一週間ほどかけて作り上げる。
なかでも和稲・荒稲が難関である。和稲は一周42粒、それを70段の米粒を餅で作られた心棒に張りつけて作られている。

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これは上杉代表役員の作

荒稲は脱穀前の穂で作られる。これは染めずに黒米・赤米を使用する。
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阿部新町の区長を仰せつかっている。
氏神のことである。本村の阿部区と共に阿部八幡神社を氏神として祀らせていただいているが、同時に談山神社の氏子でもあるのである。

そんなことから来週はそれぞれの神社のお祭りである。
談山神社は10月11日(月)に嘉吉祭。
阿部区・阿部新町区は10月15日が秋祭である。

談山神社の嘉吉祭である。奈良検定の公式テキストによると談山神社の行事の始めに「十月には嘉吉祭という特殊神事が斎行される」と紹介されている。

永享10年(1438年)10月「大和永享の乱」で全山焼失した時、ご祭神・鎌足公御神像は難をう逃れ、橘寺に移された。3年後の嘉吉元年、修復なった多武峰に御神像が帰座され、この時に郷中の人たちがお祝いしたことがお祭りの起源。
寛政6年(1465年)「永世不易の祭事」とされ、今日まで600年間、絶えることなく行われてきた。氏子が手間ひまかけて、精巧に作り上げた「百味の御食」を神前に手渡しで供える御供行列がこの祭りの見ものである。(談山神社発行の「談」から)

穀類、果実、野菜などを独特な盛り付けで美しく飾られる「百味の御食」は、奈良県指定の無形文化財に指定されている。

御供の調整、この最終日が昨晩(祭の前々日に完成させる。祭の前日は宵宮となる)の9日の夜、社務所二階で行われた。

ちょっと最近元気が出ない、僕は気持的にスランプだった。日程が混み合いすぎて疲れが出てしまった。それで「元気を頂こう」と、百味の御食、調整を拝見しようと昨晩は神社に登ってみた。

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数々の御食

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大豆、宮司作である

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これはすごい。どんぐりである

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彩色作業中のお供えの餅

こんな行事を守り続ける神社と村、奈良の魅力発信の意義・やりがいをあらためて感じるのである。

談山神社、嘉吉祭、本祭は10月11日(日)午前10時からである。多武峰の紅葉まつり、始まりの日でもある。
by koza5555 | 2015-10-10 06:24 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

聖林寺・西内酒造・等彌神社

9月16日(水)は聖林寺、西内酒造、等彌神社のウォークだが、これは桜井が誇る「珠玉の三人」が解説するというウォークで注目してほしい。

午前10時30分桜井駅(南口ロータリ前)集合で、路線バスで聖林寺に。
国宝、十一面観音菩薩を拝観し、寺内で昼食をとる。
下(しも)の西内酒造にウォーク。酒蔵の隅々まで見学し試飲を行う。
その後、メスリ山古墳と兜塚古墳を遠望、解説して。
等彌神社にいたり、正式参拝と境内の散策、等彌の霊璽 遥拝所の見学を行う。

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聖林寺、こんな景色の見えるお座敷に

回るところは、みなさんがご存じの所ばかりだが、今度のツアーの目玉は解説者のすごさ。
聖林寺は倉本明佳ご住職
西内酒造の酒蔵見学は西内隆允店主
等彌神社は佐藤高静宮司

聖林寺・西内酒造・等彌神社を「寺川沿いの珠玉の三人衆」の解説があるわけで、これは史上最高の布陣なのである。みなさんは「三人衆」なんて、思ってないですよ、僕が勝手に命名したものですから(笑)。

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西内酒造。酒蔵を隅々まで

何が見れるか、どんなお話となるのか、僕もそれが楽しみで、今日は紹介できない。
16日(水)のことで、日程は迫まっているが、ぜひぜひお誘いしたいと、再度の紹介である。

9月16日、集合時間は午前10時30分 桜井駅南口(東側ひろば)集合で、解散は桜井駅で15時30分を予定している。

持ち物は弁当、水筒、帽子、雨具。滑りやすい道もあり、歩きやすい靴でお願いします。
歩く距離は6㎞。
拝観料・経費として1700円(聖林寺拝観料と食事会場代700円、等彌神社志納金300円、その他経費700円(大人の学校経費・保険料・資料代)をお願いします。
また、バス料金は230円、これは各自でご用意お願いします。

申し込みは、このブログの「鍵コメ」に、メールならkozaburo@cg8.so-net.ne.jpにお願いします。

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等彌神社の境内・歌碑の一つ。保田與重郎の歌を棟方志功が描いた
by koza5555 | 2015-09-10 00:25 | 桜井・多武峰 | Comments(2)

西内酒造の酒蔵

「聖林寺~西内酒造~等彌神社」というウォークを計画した。
9月9日(水)と19日(土)である。
19日(土)はNHKのカルチャだが、9日(水)は「雑賀さんの歴史ウォーク」ということで、一般の申し込みも受け付ける。

自讃だが、「このウォークはすごい」、何がすごいかというと、解説する方がすごいのである。
聖林寺は倉本明佳ご住職、西内酒造の酒蔵見学は西内隆允店主、、等彌神社は佐藤高静宮司という具合である。
今回の僕は道案内だけ、頼みに回った努力(笑)を皆さんに買ってもらう。

桜井駅に集合して、聖林寺までは路線バス、下(しも)からしばらく歩いて到着である。
ご本尊の子安地蔵尊、十一面観音菩薩像を存分に拝観したのち、持参の弁当という計画である。

午後は歩いて下(しも)の西内酒造に。談山神社のお神酒はこちらである。

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西内酒造

西内隆允さんに酒蔵を案内していただき、清酒醸造の道筋を教えていただく。

まず米を蒸す。そして麹を作らねばならない。酒母を作り、もろみを管理し、搾る…そんな醸造の工程と工夫を酒蔵でおききすることができる。

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酒蔵。阿弥陀車も残されていた。クレーンであるが、正面から見ると阿弥陀さまの光背を思わせるからの名という。

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麹室(こうじむろ)も拝見できる。むしたお米に麹を混ぜ込む作業台である。雑菌は厳しくカット

西内さんの自慢は井戸水。北山の伏流水とのことで、すべてを井戸水でまかなっている。
この井戸水も味わい、試飲もして、これは本格的な酒蔵訪問である。


等彌神社へは談山神社の町石を数えながらの下り道ウォークである。

等彌神社に到着すると・・・
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等彌神社 一の鳥居

新たにできた一の鳥居はこの春に伊勢神宮から移されたものである。一昨年の式年(しきねん)遷宮に伴い建て替えられた内宮正殿(しょうでん)の最も近くにあった中重(なかのえの)鳥居を譲り受けたとのことである。

等彌神社では拝殿に上がっての正式参拝をおこなう。そのうえ、佐藤高静宮司の本格的な講話も予定している。

お天気の具合を見ながら、神武天皇ゆかりの「鳥見の霊畤」に

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最後は棟方志功の歌碑
「鳥見山のかの面この面をまたかくし時雨はよるの雨となりけり」保田 與重郎の歌である


桜井駅南口、10時30分に集合で、桜井駅で午後4時頃に解散。お弁当は持参で1800円の参加費である。歩行距離は5キロ程度である。お誘いしたい。
by koza5555 | 2015-06-30 16:56 | 桜井・多武峰 | Comments(1)