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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:大阪とか京都とか( 14 )

「近つ飛鳥と古市古墳群をめぐる」バスツアー

12月3日(日)に「奈良まほろばソムリエの会」はNPO法人化の5周年記念バスツアーを行う。

今回のテーマは「近つ飛鳥と古市古墳群をめぐる」。「湖北観音巡礼」、「継体天皇の足跡を辿って」の県外研修に続く、第三弾の県外研修バスツアーは大阪府である。

叡福寺(聖徳太子墓)、近つ飛鳥博物館を拝観・見学、そして誉田八幡宮宝物館を訪れる。

さらに世界遺産への登録を目指して推薦が決まったばかりの百舌鳥・古市古墳群のうち、応神天皇陵古墳、大鳥塚古墳、津堂城山古墳などのホットコーナーをめぐるコースを設定した。

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叡福寺。聖徳太子磯長墓

ご案内は天野末喜先生(奈良大学講師・関西学院大学元講師)。藤井寺市の教育委員会に長く勤務され、当地の遺跡・古墳の発掘・研究に直接タッチされてきた方である。今回のツアーには同行して現地を訪れ、古代日本の文化や技術を探り、日本の歴史を存分に語っていただく。今回も「ソムリエの会ならでは」の充実の特別企画、自信を持ってお勧めする。

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応神陵、航空写真。スマホをかざせば、空からの写真をみせてくれる

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津堂城山古墳、石棺のレプリカ。天野先生のホームグランドである

天野先生と相談して、このコース作りを担当、僕の自信作である。
ぜひ、ご一緒にお出かけいたしませんか。

    

■ 実施日 平成29年12月3日(日)

■ 集合場所と時間

近鉄奈良駅(春日ホテル前)

午前800

JR奈良駅(西口・ホテル日航前)

午前810

■解散時間 近鉄奈良駅にて

1830分頃 

■参加費  昼食つき

会員   7,000

会員以外 8,000

■お申し込みはメールにて

メールアドレス  kozaburo@cg8.so-net.ne.jp

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by koza5555 | 2017-08-18 11:14 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

新沢千塚古墳や高井戸山古墳

「海の向こうから見た倭国」。高田寛太著。民俗博物館の研究部助教授である。
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古墳時代(3世紀前半から6世紀前半)の倭と百済。倭と新羅。倭と加耶の歴史を検討してみた。倭から見て、同時に朝鮮半島の国々から見てである。

古墳は葬られた人間の履歴書、だから古墳がふんだんに取り上げられている。

高田先生の整理にしたがって、日韓の歴史をみてみる。

弥生時代の後半。金梅(キメ)と北部九州の海路。この海路は3世紀後半に最も花開く。
3世紀後半に畿内に倭王権が誕生。金海との直接の交易を目指す。狗邪韓国との交易が魏志倭人伝にも取り上げられる。

4世紀になると大和王権の力は巨大となり、博多湾(西新町 にしじん)を経由しない、沖ノ島ルートが整備される。
一方、半島では高句麗が南部を攻めはじめる。百済は倭のつながりを求めて、直接の交易に乗りだす。高句麗に対して倭、加耶、百済の同盟ができた。

5世紀、高句麗はさらに南部を攻撃する。倭との窓口となっていた加耶は衰退して、新羅、大加耶(でかや)、百済との交易が広がった。
各地方が大加耶(でかや)などと交易するが、倭王権は吉備、北部九州(磐井)などを抑えにかかって、地方の政権の交易は縮小する。

大加耶に日本と同じ前方後円墳が作られる。14基もあり、倭人か、その影響を受けた加耶の人の墓であろう。埋葬物も倭からの威信材、鎧などが含まれている。

このころから、新羅が大きな影響を与えはじめる。
新沢新塚古墳126号はその証拠で、埋葬物から見て新羅人である。大伴が連れてきたのだろうか。
耳飾り、腕輪、指輪などのアクセサリーはすべて新羅製。当時の新羅は金・銀・銅などのアクセサリーの組み合わせで身分をしめした。126号墳の被葬者は相当なレベルの人。
「質」と言われる、最高級交渉人か。

6世紀、562年に大加耶は新羅に併合される。倭は百済との関係かのを強める。新羅とむすびつく磐井を押さえる。吉備も大和王権の力に屈して、大形古墳は作られなくなる。

こんな歴史があるから、日本で出土する朝鮮半島系の副葬品にもそれに合わせての特徴がある。
4~5世紀は金官加耶、5世紀後半は大加耶。6世紀前半は百済系からの到来物が多い。朝鮮半島に於いても、日本系の文物はそれに対応する形で、交易は相互のものである。

「金官加耶と河内王権、大加耶と雄略朝、百済の再興と継体朝の成立」と半島の動きと大和王権の動向がタイアップしているとの韓国の学者の論も紹介されている。

新羅系の新沢千塚の126号墳と合わせて、百済系の特徴が顕著な古墳もある。
それは、大阪の高井田山古墳である。初期の横穴式古墳。板状の石材を使用した玄室で、5世紀後半のものとされて、そのころの百済の横穴式石室の影響を受けているとされる。熨斗とか金箔を挟んだガラス玉など精巧な遺物が発掘された。
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さらに橋本市の隅田八幡宮の鏡には「503年に武寧王が次の大王である継体天皇に使臣を送って(よしみ)好をつうじたとあり、百済との関係の深さが認められる。

弥生時代から古墳時代にかけて、倭から見た朝鮮半島の国々からの文化やさまざまな技術が伝えられた・・ある意味では一方的な交易が論じられてきた。

朝鮮半島の国々にとっては倭はどんな存在だったのだろう。
百済・新羅、高句麗・加耶は遠交近攻の激しい政治と軍事闘争に明け暮れていた。
倭国はすべての国にとって遠交近攻の遠交の対象となった。倭との交流は他国との関係でも誇示できる政治的活動だったのである。 一方的な交易が400年間も続くわけではないのである。

いま、次のツアーの準備で古市古墳群を歩いている。ついでではあるが、百済の影響があるという柏原市の高井田山古墳を見学してきた。榛原石の板石で作られた桜井の古墳にそっくり、百済の影響だったのか。

同じ場所で、100年くらい時代が下がってから、岩盤を掘った横穴式石室も見てきた。
安福寺古墳群も見学、これはこれですごいな・・・
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高井田横穴群

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安徳郡横穴群

by koza5555 | 2017-06-03 22:28 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

継体天皇 『北風に起つ』

5月27日(土)は継体天皇(男大迹王)の足跡をたどるツアーである。
講師は奈良まほろばソムリエの会顧問の木村光彦さんが務める。僕は、まあ、添乗員で、皆さんを安全に連れまわす役。

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継体天皇が眠る今城塚古墳。石室は完全に破壊、撤去されてしまっている


男大迹王(おほどのおうきみ)は507年に樟葉宮で即位、511年に筒城宮に遷し、518年に弟国宮(おとくにのみや)に遷し、526年に磐余玉穂宮に遷す(日本書紀による)とあり、531年に没して現在の高槻市(今城塚古墳)、(宮内庁は茨木市の太田茶臼山古墳を継体天皇陵として祀る)に葬られたとされる。

一日のツアーでは、全てを回る時間はない。それでポイントを回ることにした。
継体天皇陵とされる太田茶臼山古墳(茨木市)と今城塚古代歴史館と今城塚古墳(高槻市)は、はじめに訪れる。
続いて、即位したとされる樟葉宮跡(交野天神社 枚方市)、続いて筒城宮跡(同志社大学田辺校地 田辺市)を訪問するツアーである。

樟葉での即位は異常であるが、24年間の摂津・山背で続いた宮も不思議である。
この地図を見ていただきたい。
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樟葉から筒城だから、大和に近づくが、その後、今日の長岡京辺りまで遠ざかってしまうのである。ここ等あたりの機微が分らない。

そこで、「北風に起つ -継体戦争と蘇我稲目」(黒岩重吾)を読んでみた。「困ったときには記紀やろ」という言葉もあるが、黒岩重吾の世界もなかなかである。
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黒岩重吾は、「男大迹王については謎が多い」としつつ、妃の出自を丁寧に触れていく。これが男大迹王の歩んだ道、勢力圏ということだ・・・という具合である。

皇后は手白香皇女であるが、樟葉で即位する前までの妃の出自を次のとおりである。
尾張、近江の三尾、坂田。息長、河内の茨田(まむた)などである。いかにも北方系で、男大迹王は近江の国で勢いを増す、尾張との連合が力を強めたとみるのが自然である。

さらに、男大迹王の即位のために大伴連金村らに擁せられた経過、平群臣との戦いが紹介されている。
男大迹王は着々と力を蓄えていくが、問題は筒城宮から弟国への撤退である。

筒城の宮跡。同志社大学田辺校地
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男大迹王の大和入りは遠のいたのである。越や近江、それから大伴連金村の力では、それが成し遂げれなかったということだろうか。

弟国宮の時代に、蘇我稲目や物部尾輿の力で、男大迹王は大王として大和入りが成功するのである。稲目と尾興は九州で勃興する磐井との戦いのために大王が必要だったとの思惑も語られる。

金村が引き立て、稲目と尾輿が盛り立てた・・6世紀の歴史を考えると見ても、これが妥当だろう。

樟葉、筒城、弟国、今城塚、楽しいツアーになりそうである。
ここをきちんと押さえると蘇我や物部を正確に知ることもできて、ひいては飛鳥時代の始まりをきちんと認識することができるのである。
申し込みを募りたいとこだが、バスは満席、40名の募集で42名もお客様を取ってしまって…オーバーブッキング状態であしからずである。

終りに継体天皇が即位したとされる樟葉宮跡。交野氏である。
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by koza5555 | 2017-05-13 11:03 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

「湖北観音の里」巡拝バスツアー

9月19日、敬老の日に「湖北の観音」さま拝観のツアーを企画した。
奈良まほろばソムリエの会の企画で、昨日からHPにアップされている。
アドレスは  こちらである

ソムリエの会は五周年を迎え、これを機会に会員アンケートをおこなった。県外研修の項目で最も得票数の多かったのは、滋賀県長浜市の観音の里をめぐるツアーで、これを行うことになった。
僕が新理事として、この企画の具体化を仰せつかり準備をすすめてきたのである。

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渡岸寺観音堂(向源寺)

今回のツアーは現地のガイドの案内と合わせて、往復路ではソムリエの会が解説を行い、「ソムリエの会でこそ」のスペシャルなバスツアーに仕上がりそうである。

拝観先は、石道(しゃくどう)寺、渡岸(どうがん)寺観音堂、西野薬師観音堂、赤後(しゃくご)寺の四か寺。十一面観音像が中心だが、千手観音・伝聖観音立像なども拝見できる。

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石道寺

「この十一面観音さまは、村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れて、いらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。野の匂いがぷんぷんする。笑いをふくんでいるように見える口もとから、しもぶくれの頬のあたりへかけては、殊に美しい」と「星と祭」で井上靖が紹介した、石道寺(しゃくどうじ ・いしのみちの村)の十一面観音さまには、皆さんをぜひともお連れしたい。

渡岸寺の十一面観音さまの化仏、暴悪大笑面も必見である。暴悪大笑面は通常、見ることができない。理由は裏だから、あるいは光背があり拝見できないのだが、渡岸寺だけ、拝観・拝見することができるのである。

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子どもが遊ぶ西野薬師堂


以上のツアーは、平成28年9月19日(月・敬老の日)に実施、集合は近鉄奈良駅(春日ホテル前)に午前8時。帰着は18時30分頃である。
参加費は昼食つきで8,000円である。

お申し込みは  kozaburo@cg8.so-net.ne.jp   まで、お願いいたします。
申し込みにあたり、①氏名 ②当日に連絡ができる携帯電話の番号 ③乗車場所(近鉄奈良駅前・JR奈良駅前)が必要である。
定員は40名、募集は昨日からだが、お早めにお願いします。

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赤後寺。いまも清仏習合の極致





by koza5555 | 2016-07-24 11:49 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

くどやま 慈尊院と真田庵

3月7日(月)は桜井市民生児童委員協議会の「日帰り研修」。和歌山県を訪れた。和歌山市の福祉施設の研修のあと、九度山町の慈尊院と真田庵に立ち寄った。
研修の目的とも、行程とも順序が違うが、今話題の九度山である。紹介は九度山からである(笑)。

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慈尊院

慈尊院、弘法大師が高野山参詣の表玄関として伽藍を草創したとあり、大師のご母堂が我が子の開いている山を一目見たいと逗留した院として名高い。女人の高野参りは当院までということもあいまって子宝、安産、育児などを願う院、その象徴として「乳房型絵馬」を奉納する院として著名となった。
これを僕は知らなかった・・・・

これは鉄田さんのブログに詳しい

「慈尊院、乳型はどうでした?」と、何人もの方から激しく突っ込みを頂いたが…「あれ?」てな具合で、写真の一枚もない。情けない・・笑

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丹生神社には上がりました

「くどやま道の駅」を経て、真田庵に寄りました。こんな感じです。
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真田庵のすぐ北側に、この13日から「真田ミュージアム」(九度山町が運営する)が開館、その準備がすすめられている。「道の駅 くどやま」から徒歩5分、真田庵の北門を出ると左に見えるとのことで、まだ工事中。僕らは、これを見られなかった。大河ドラマ真田丸、九度山の観光はこれからがフィーバーである。

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丹生川から紀ノ川をのぞむ


研修は和歌山市のわかうら会(社会福祉法人)。施設利用者のさまざまな趣味が活かせるような設備が充実していると一同、感心。「末永くこの地で、健康に暮らしていただきたい」との土山憲一郎理事長の思いが生かされていた。

ロケーションは温暖・穏やかな和歌浦を臨んでいた。雜賀崎の内懐にあたり万葉集でも特筆される「和歌浦に汐満ちくれば片男波 芦辺を指して田鶴なき渡る」巻6-919(山部赤人)である。
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by koza5555 | 2016-03-11 06:34 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

平等院 雲中供養菩薩像

平等院を訪れて 浄土のことを考えてきた。
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上品下品(じょうひんげひん)の源とされる九品(くほん)のことである。
上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生・・これである。それぞれの印相もあるので、ご存知の方も多い。

昨年11月に、「大和路」(NHKカルチャー梅田)で浄瑠璃寺を訪れた際、まほろばソムリエガイドのTさんが、この九品を巧みに解説した。

「九品はお迎えの形である。生前に善業をした人と悪業をした人には、お迎えの形に差がある。その姿をあらわしたのが九品である」として、「上品上生(じょうぼんじょうしょう)から下品下生(げぼんげしょう)までのお迎えの形とお迎えの乗り物が違う」とのことである。
「上品上生の場合は、お迎えは仏・菩薩・飛天が大勢で迎えに来る、そこからだんだんにランクが下がり、下品下生まで下がると迎えは来ない」・・「自分で行く」・・というような話だった。

この話を聞きながら、僕はお迎えのお供をしてくる「飛天」が気になったのである。
あっちゃんが「通訳ガイドの下見、準備のために京都に行きたい」という。「それでは」と宇治の平等院も立ち寄ることにしたのである。

平等院は、永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改めて創建された。
10円硬貨でよく知られる鳳凰堂が建立され、仏師定朝により造像された 寄せ木造りの阿弥陀如来坐像が国宝である。合わせて鳳凰堂内壁の飛天(平等院は運雲供養菩薩としている)の全52体は国宝に指定されている。

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改装なった鳳凰堂、飛天もよく見えた(画像はパンフレットからいただいた)

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九品来迎図も復元されて残されている。これは中品上生であるが、鳳凰堂の内壁全面に九品のすべての来迎図が描かれていたという


平等院では、雲中供養菩薩像として、この飛天を「本尊の阿弥陀如来に対して、雲の中で供養讃嘆する有様」としているが、これを僕は、「上品上生のお迎えの姿」と見たいのである。

頼通は生きているときから、自らの葬儀、自らの浄土への旅立ちを姿・形で示した…それはまるで生きているときに自らの陵を築かせた古代の大王のように…間違いでしょうか?

鳳翔館という立派な博物館ができており、鳳凰堂から降ろされた一部の雲中供養菩薩像も展示されている。これは身近に見られて、この博物館も興味深い。

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宇治市のマンホールは宇治川、宇治橋がテーマだった

by koza5555 | 2016-03-07 05:51 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

当尾。浄瑠璃寺と岩船寺

「紅葉の当尾(とうの)」というツアーを11月に計画している。

当尾、浄瑠璃寺、岩船寺はなんといっても京都府で、奈良まほろばソムリエ検定の出題範囲外ということで、しばらくご無沙汰していた。

浄瑠璃寺、毎月8日に「三重塔内 秘仏 薬師如来像の開扉日」となっており、これに合わせて6月8日に歩いていてきた。

当尾 わらい仏
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近鉄奈良駅、奈良交通13番乗り場。近鉄奈良駅から浄瑠璃寺までは、片道570円であるが、奈良交通の「奈良公園・西の京」ワンディパス、一日乗り放題の500円コースで行ける地域内となっていた。

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13番乗り場、ワンディパス


浄瑠璃寺に到着。こちらの拝観は帰りで、バス停に並び、笠置行バスに乗り換える。岩船寺の門前まで連れて行ってくれて、200円である。


岩船寺、ご本尊は重文の阿弥陀如来坐像で、丈六、大きい。
胎内銘により、946年(天慶年)の造立と判明している。浄瑠璃寺は1047年の建立であるので、ここらあたりでは最古とされ、ご住職の説明も「浄瑠璃寺に先立つこと100年」と、ここに力が入っている。

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突き当たりの三重塔は南北朝の時代、重文の指定を受けている。岩船寺境内。もう一週間もするとアジサイは満開だろう。


当尾の石仏を訪ねて浄瑠璃寺まで歩く。
初めは少しだけの上りだが、後は浄瑠璃寺に向けて、だらだらの下り道である。

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 三体地蔵磨崖仏


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 ミロクの辻。ミロク菩薩(1200年代の半ば)


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 一願不動の不動明王。ここはちょっと登って石の階段を下る。(1200年代半ば)不動産らしいお顔


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 ワライ仏。(阿弥陀三尊、わらい仏は重い石を支えて、笑うという構図。1299年作で宋の名工、伊行末の作とされる

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 さらにカラスの壺二尊へ。カラスの壺は羅臼(からうす)の壺のこと?(鎌倉時代1300年初期)


左側に地蔵菩薩が。見落とさないこと。
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 藪の中の三尊磨崖仏(1200年代半ば。ここら辺りでは最古のものか)


浄瑠璃寺の到着。深緑にたたずむご本堂
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by koza5555 | 2015-06-09 11:00 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

鳥獣戯画と高山寺 京都国立博物館

京都国立博物館で「鳥獣戯画と高山寺」が開催されている。10月7日から11月24日の開催である。
あっちゃんとあれこれ日程を合わせると、5日だけということで昨日行ってきた。

端的に三点。
①「鳥獣人物戯画」はすごい。やはり必見である。
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鳥獣人物戯画甲巻(トランプから)


②列は長いが、館内はゆったり拝見できて驚いた。入館段階での入場制限を厳しくして、入館の人数を制限しており、中ではゆったりと拝見するという工夫である。
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会場への到着が午前11時・・・掲示を見ると、「待ち時間180分。館内は甲巻まで50分」の掲示・・・合計4時間・・・あきらめ、即断である。
食事をとり、あっちゃんのリクエストで三十三間堂を拝観して、午後1時過ぎにもう一度のぞいていてみると、「待ち時間90分、館内は甲巻まで50分」となっている。
これを並んで拝観した。
待ち時間の90分は実質だったが、「甲巻までの50分」というのは、高山寺(こうざんじ)の開創とか、豊富な寺宝、典籍を拝見しながら時間で、あまり待った気にはならない。

それにしても「180分待ち」とは驚いた。並びながら、よくよくチケットを見直すと、会期は10月7日~11月24日(休日)だが、訪れた日は「展示替え初日」だったのである。展示替えは知っていたが…その当日とは。

列を整理していた係も「今日は、今度の展覧会、一番のお客さん」ということである。

③面白いグッズもある。鳥獣戯画甲巻のトランプを買った。
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 「七並べ」で並べてみると、描かれた鳥獣戯画甲巻が俯瞰できるという優れものである。1500円である。


以上であるが、
鳥獣人物戯画、平安時代後期に描かれたとされる甲巻・乙巻、鎌倉時代の丙巻・丁巻の全四巻である。
江戸時代に、鳥羽僧正覚猷(かくゆう)(1053~1140)が描いたとされる。相当数が抜き取られたとされ、高山寺の朱印は抜き取り防止用とのことだった。
 今回の展示は修理完成記念の特別展で、甲乙丙丁の巻をそれぞれ前半後半に分けて、前期は10月7日〜11月3日まで、後期は11月5日〜24日まで展示される。

出口で写真を撮った。楽しんだ・・
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by koza5555 | 2014-11-06 09:27 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

水間鉄道と水間観音

春だったかに産経新聞で水間鉄道(貝塚)の関西佳子社長が取り上げられた。
つい先だって奈良まほろばソムリエの会の鉄田専務理事が紹介されていたあの新関西笑談のコーナーである。

今年の初詣リクエストであっちゃんは「水間鉄道に乗って水間観音に行きたい」と言うのである。
「えっ、電車で?」地図で調べるまでもなく、まちがいなく桜井からは、車が便利で近くて速い。

が・・これは、水間鉄道ありきである。

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南海の貝塚駅から水間寺までのわずか5キロ余りを結ぶ水間鉄道である。
この鉄道の存続・再建で活躍した女性社長、関西佳子さんが、産経新聞で紹介されていた。
「この電車に乗りたい」・・・である。

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行ってみた。水間観音は川と川、水と水との間の観音様だった

まずは聖観音出現の滝である。
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この聖観世音菩薩出現の瀧の渓流は由緒深く、今から凡そ千三百年以前、行基菩薩が龍神より聖観音象を授与された浄域であります。・・・この浄域を知らずに穢して災いを蒙る人たびたびありました。龍谷山 水間寺
とあった。

水間鉄道、水間寺、ポイントは

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近畿の駅百選の水間駅(水間鉄道、大阪府貝塚市)(認定時の駅名、2009年に水間観音駅に改称)である

水間寺には千本餅つきがある。
正月1~3日の三日間は、毎年「正月法会」が執り行われ、「千本餅つき」は、その2日、3日に行われます。
この行事は、当山に古来より伝わる唯一の行事で、ご本尊の出現を祝い、行基菩薩が、先導された十六童子と共に木の棒で歌に合わせて餅をつき、ご本尊にお供えしたのが厄除け餅の始まりで、以来今日まで伝えられています。その2日、3日に行われます。

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伊勢音頭(?)に合わせて8人の童子が杵をつく。付き上がった餅を持ち上げて庫裏に運ぶ

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楽しそうにもちをつく青年

千本餅つきの講があるとのことだった。貝塚市の無形文化財に指定されており「水間寺と提携して行っている」とのことだった。


おみくじは吉。「年老いて 務めはたして 花開く」とあった。
良い初詣であった。

最後に、突然奈良の話であるが、
近畿の駅百選・・奈良県関係を紹介しておきたい。奈良まほろばソムリエ級の話である。
今まで、あまり話題になったことがない。

第一回目
橿原神宮前駅(近畿日本鉄道、奈良県橿原市)
学園前駅(近畿日本鉄道、奈良県奈良市)

2回目
北宇智駅(JR西日本、奈良県五條市)
福神駅(近畿日本鉄道、奈良県吉野郡大淀町)

3回目
奈良駅(JR西日本、奈良県奈良市)
大和高田駅(近畿日本鉄道、奈良県大和高田市)

4回目
吉野駅(近畿日本鉄道、奈良県吉野郡吉野町)
生駒駅(近畿日本鉄道、奈良県生駒市)

これは知らなかった。今後注意して、参考にする。
by koza5555 | 2014-01-02 21:41 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

再発見 大阪の至宝

28日、「再発見 大阪の至宝」展の開会式、内覧会を拝見した。
お誘いがあった。こんな機会はそんなにない。いさんで天王寺の大阪市立美術館に出かけてきた。

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とりあえずは開会式テープカットである

「コレクターたちが愛したたからもの」である。

僕なりの感想は二つである。
展示内容には圧倒された。ジャンルは幅広く複雑である。漢の時代の仙人像があるかと思えば、佐伯祐三もあるという具合である。一つ一つを味わうという感じで楽しんだ。

いま一つは展示会の目的の鮮明さである。大阪の美術館は「美術品を散逸させたくない」というコレクターの思いの受け皿になってきたことを明瞭に主張している。
ニューヨーク型(買い集めて)の美術館もあれば、コレクターの思いを引き継いでいく、そんな形の美術館の使命もあってもいいのではという大阪型・・そんな言い方もできるような展示である。

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大阪市立美術館。背景はあべのハルカス

展示物がどの所有者を経てコレクターの手に渡ったか、コレクターがどんな思いで大阪市に寄贈したのかを鮮明にする展示に力が注がれている。
市立美術館の敷地は旧黒田藩の蔵屋敷とのことであるが、「美術館に使用する」との約束で寄贈されたことなども聞くと、「公立のミュージアム」を維持していくことの大都市の役割と責任も大きい、そんなことも改めて考えさせる展示となっている。

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大阪市立美術館、黒田門

展示物は素晴らしい。
後漢時代(一世紀)青銅鍍金銀 仙人ちょっとは見入った。

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こんな像である。四角の柱を抱いている姿か

石造如来坐像頭部は山田寺仏頭を、金銅菩薩立像は法隆寺の百済観音を思わせるような顔形である。

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石造如来坐像のお顔である

賤ヶ岳合戦図屏風とか、秀吉が羽織ったという富士御神火陣羽織とか、楽しいものも一杯だった。


あまたの豪商たちが「事・物」の集積を担ってきました。近現代になると経済界の人々が多様な“数奇”の道に足を踏み入れ、大きな美術コレクションが形成されてきました。大阪市立美術館HP大阪の至宝

このことを存分に理解することができる、ボリュームたっぷりの展示だった。
by koza5555 | 2013-10-28 23:40 | 大阪とか京都とか | Comments(0)