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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:桜井・初瀬( 53 )

「桜井の古墳」桜井東ふれあいセンター  

「桜井東ふれあいセンター」(初瀬寺駅の付近)で、4月18日(火)午後7時から、「桜井の古墳」をお話しいたします。


こちらのセンターは毎月、「地域ふれあいセミナー」を開催していますが、2017年度の第一回目に僕を選んでいただいた。「わかりやすい解説で楽しいお話し」だからと、毎年、呼んでいただいている。

今回は、桜井の古墳を丹念にたどりながら、「古墳を作った人」、「作らせた人」、「その時代に思いを寄せる」、こんなお話をしようと考えた。

これは桜井じゃないけど…奈良の野神古墳。今度のテーマで「阿蘇ピンク石」を取り上げるが、そのうちの一つである。大安寺の近くで・・・京終とか、大安寺に行かれたら、ぜひ、どうぞとおすすめしたい。
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奈良市京終の野神古墳、石棺

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掲示もじっくりみてほしい
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いまは、こんな街中だ。先は高円山


今回は、僕が見学してきた桜井を中心にした(天理や奈良もすこし)古墳を、丹念に紹介する。
ポイントは立地とか、形とか、横穴石室であれば作り方とか、そして、今回は石にもこだわった。
たとえば阿蘇ピンク石である。浅古の兜冢古墳は有名だが・・・・
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阿蘇ピンク石。桜井と天理には特殊に多い。この石の産地は始めは二上山とみられ多らしい。「二上山ピンク石」と言われたりした時期もあると知った。1991年、九州の宇土半島の石がピンク石と分り、阿蘇ピンク石と言われるようになったとのことである。
僕などは、深く考えることもなく、赤っぽい石棺を見ても、「水銀朱を塗ってあるんだろうか」・・くらいだったが(笑)。

こんなことを究明したのは倉敷の真壁忠彦さん。『石棺から古墳時代を考える―型と材質が表す勢力分布―』という本がある。あちこちの古墳で使われたピンク石の産地は熊本県の宇土半島だと証明された。


三輪にもピンク石の石棺石が残されている。
有名なのは箸中の慶運寺の石棺仏。金屋の石仏堂の床下のピンク石もおもしおろい。山の辺の道の金屋の石仏は石棺の蓋(泥岩)に釈迦如来と阿弥陀如来が彫られていて有名である。重文指定で評価も高いが、そのお堂の床下にも、石棺の残されていて…それが阿蘇ピンク石。
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床下もみて

そのまま、石室の中に残されているのは、東乗鞍古墳 (天理市杣之内町)で、くり抜式家形の石棺が残されている。

奈良にもある。野神古墳というが、これは佐紀盾列古墳群じゃなく、大安寺の近くの南京終である。
高槻の今城塚古墳歴史館に展示されている、見つけてきたばかりの石棺の残石・・・・も昨年、報道されたばかりである。
阿蘇ピンク石ばかり、辿ってもなかなかjのものである。

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看板通り、わかりやすく、楽しくおもしろい、こんなお話である。
入場は無料で、30名ほどの会場。残席はわずかだが、おいでになりませんか。
突然でも対応できますが、資料の印刷もありますので、お電話をいただけると助かります。
連絡先は0744-47-7026(東ふれあいセンター)まで
by koza5555 | 2017-04-13 09:17 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

上之郷 小夫の綱掛祭

12月と2月は小夫(桜井市上之郷)の綱掛祭である。
長谷寺から針のインターに抜ける県道を通るとき、この綱が目に入る。

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出来上がった綱を参道ころがし

12月4日(日)、午後1時からこの祭が執り行われた。
綱かけは桜井市でも各地で行われるが、シーズン入りという言葉を使ってよければ、小夫の綱掛は、綱掛シーズンの初めの祭である。今年は上之郷の三谷が3日に行われたと聞いたが、その規模、本格さでは小夫に敵わない。

午後1時に「当番となった垣内」のすべてのお家から、一人ワラ三把を持って集まってくる。
「当番となった垣内」も解説が必要である。小夫には4垣内(桑・上・馬場・東という)あり、一年ごとに祭当屋が回ってくる。この綱かけは「先廻り」といい、来年の当屋垣内の初めの仕事である。平たく言えば4年に一回当屋が回ってくる、そのまえに綱掛祭も回ってくるのである。。4年に一回だから、初めは作業のすすめかたに議論百出である。忘れたこともままありである。

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25メートルほどの大綱がなわれる。それと合わせて100メートル以上の細縄がつけられる。

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すだれを4枚。実は綱掛は3カ所になるので合わせて12枚。

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すだれの間は、こんなものがぶら下げられる。合わせて9本である。

お祓いを受けた後は、縄掛けに。
青竹の筒笛をブーブーと吹き鳴らす。単なる青竹、しかし、音はほら貝、顔負けである。

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綱掛は村の入り口の山と墓地の榧の樹の間に渡される。


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これは県道の綱


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これは初瀬川の上に掛けられた綱



小夫の綱は悪霊、疾病を絶対に村に入れないという毅然とした綱で、①川ずじ ②旧道、③新道である県道に至るまで、張り巡らすことが特徴だった。


小夫の綱掛は一年に2回である。同じ垣内が取り組み、12月のすだれは松、2月は榊と違えるのが特徴である。
by koza5555 | 2016-12-04 23:00 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

長谷寺と蜻蛉日記

8月に「初瀬・長谷寺」をテーマに講演することにした。
まだ先だし、やり慣れたところだが、パワーアップしたいと思った。

長谷寺は、源氏物語や蜻蛉(かげろう)日記に取り上げられていることを紹介してきたが、この蜻蛉日記の取り上げられ方が、きちんと話せてこなかった。
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桜、今年の長谷寺

そんなとき、ブックオフで108円で買った、田辺聖子の「蜻蛉日記をご一緒に」が本箱の隅に放置されていた。「長谷寺には確か二回きている」とむさぼり読んだが、ちょっと当てが違った。初瀬詣でのことが具体的に書かれているわけではないのである。

そこで、さっそく「日本古典文学全集」を桜井市の図書館で借りてきて、長谷寺のくだりを読み直してみた。

初瀬詣、椿市(つばいち)がポイントであることはよく分った。「椿市までは無事に来た」とか、「椿市に着いて、例のように、あれこれ支度を整えて出立するころには、日もすっかり暮れてしまった」、「椿市に帰って、精進落としなどと人々は言っているようだが」などと記されており、椿市が長谷詣での起点になっていたことが、きちん紹介されている。

あの有名な二本(ふたもと)の杉のことが紹介されていることにも注目した。
「はつせ川古川のへに二本ある杉 年をへてまたもあひ見ん二本ある杉」(古今和歌集 1009) 

坏(つき)や鍋を据えた乞食などに気を取られて、すがすがしい気分になれなかったと記している。
また、御堂に籠っている間(庶民の間に座っている・・あの礼堂であろうか)、眠ることもできず、それほどみじめそうでない盲人が人に聞かれていることを知るか知らずか大声でお祈りしている、それを聞くにつれ、涙がこばれたなどと記しており、お堂の情景が手に取るように見えるのである。

二回目の長谷詣では、「物音を立てずに通らなければならない森の前」のことが記されている。これは初瀬山口神社の前と思われると注に記されている。「祭神 手力雄命(たじからのおのみこと)が人の声を奪ったという伝承に従う」という意味らしい。
初瀬柳原に初瀬坐山口神社を遥拝する「伏し拝み」の場があり、毎晩、いまも献灯が行われているところである。1000年前から、あれは特別な場だったんだ・・と感銘。そんなことから決められた場だったんだ。

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初瀬柳原、伏し拝み

さて、蜻蛉日記、肝心の作者である。藤原道綱の母としかわからない。
田辺聖子は、蜻蛉日記が源氏物語にも大きな影響を与えたと分析する。

「年月はたっていくけれど、思うようにならぬ身の上を嘆き続ける・・あるかなきかの思いに沈む、かげろうのようなはかない女の日記ということになるだろう」と、日記を書き、その名を「蜻蛉日記」として世の残した、ものすごい女性の生きざまであり、巨大な遺産というべきである。
何をいまさらということだが、僕の感想である。

田辺聖子は、すれ違いとか女性と男性の求め方の違いとかにも触れながら、「普遍的な男と女のあり方が論じられており、人類の夢が語られる」と評価する。今でもさまざま教訓的だが、読者の人生キャリアによって蜻蛉日記は響き方もさまざま違うと締めくくる。
「蜻蛉日記をそれぞれ受け止めてみよう」だろうか。

最後に百人一首から
嘆きつつ 独り寝る夜のあくる間は いかに久しきものとかはしる(右大将道綱の母)
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by koza5555 | 2016-04-06 19:41 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

初瀬観光ガイド

初瀬で観光ガイドを始めようと、坂本さんががんばっている。

初瀬の町おこしで頑張っている坂本さんから相談を受けた。
「初瀬の町が元気になるような観光ガイドの運動をやってみたい」、「そのために助言とガイドの養成をしてほしい」との相談である。

それから、コースを相談したり、「初瀬の見せかた」みたいなことをあれこれ話し合ってきた。

坂本さんの考えるガイドは有料ガイドである。
そして、「初瀬のお店で使えるクーポン付のチケットを買ってもらう」という考え方に特徴がある。金額を決めているわけではないが、「ガイドの謝礼は500円いただくのだが、そのうち300円は初瀬で使える金券」、こんな仕組みが目標である。

夢はいろいろと広がるが、頼んでよかったというコースの設定とガイドの養成がまずは肝心である。

その養成講座、第一回目を12月20日におこなった。
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これは長谷山口坐神社の解説

柳原太鼓台蔵前に出雲、白河や初瀬の町の方が10人ほど集まった。
長谷寺と初瀬の町を知り尽くしている方々ばかりで、しかも三社権現の綱かけや興喜天満宮の秋祭で実際に活躍している方々ばかりである。
またほぼ全員が、長谷寺や初瀬の町を勉強してきた「初瀬歴史研究会」のメンバーで、勉強はしたが、ガイドの経験は無いのである。


そして、初瀬をみなさんは全部・・・知っているのである。
だから、何を話して、何を捨てるか、その見極めが大事と思える。


①長谷寺と初瀬の町をセットで案内する。
②初瀬の町は近世をテーマに考える。菅笠日記(本居宣長)を軸に組み立てができる。

みなさん、知っていることが多すぎて、歴史上の事柄の見解の相違もあちこちにある。
初瀬には山口坐神社が鎮座する。長谷山口坐神社は延喜式祝詞で幣帛が立てられた神社だ、それはみんなが一致できる。

しかし、この地が「元伊勢」となると簡単ではない。
倭姫命は「磯城の厳橿の本に鎮め坐(ま)せて祀る」(垂仁紀一に曰く)としているが、この厳橿は地名ではなく神霊の依り代となる神木(ケヤキか?)との見方が一般的、しかし初瀬はこれを地名と考えて、元伊勢はこの地と考えているのである。
こういう場合の説明の仕方を研究しなければならないと解説する。
ところが、「元伊勢、厳樫は初瀬のあっちにある、こっちにある」という声(これは僕にも予想外だった)がでてきて、大騒ぎ・・・みなさん、よく知っているし、ものすごい郷土愛・・すごいです。


長谷寺です。登廊を登り、どこで休むか、どこで何を話すかのタイミングを考えていただく。

「歴史に残る長谷寺の3人」が糸口である。

一人目は長谷寺を創建したという僧、道明。法華説相図に書かれている。本長谷寺と言う形で長谷寺は守っている。

二人目は十一面観世音菩薩尾を祀った徳道上人である。

三人目は現在の豊山長谷寺の形を作り上げた専誉僧正。中興の祖である。

順々にめぐり、専誉僧正、豊臣秀長(大納言)の五輪塔までお詣り、練習ツアーを終える。
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さすがにみなさん秀長公の五輪塔はご存知、だがここまで来たのは30年ぶりの方も・・・・・

2月14日(日)ダダ押しの日に、「長谷観光ガイド」のデビューである。
「地元のガイドで初瀬と長谷寺を楽しみ、ダダ押しを見学しよう」というツアーである。
午後1時、柳原太鼓台前集合・出発、初瀬の町の良いとこを見て、長谷寺を案内する。
練習ツアーですので無料、長谷寺の入山料(500円)は必要です。
ぜひぜひ、おいでください。僕も全行程、同行します。
by koza5555 | 2015-12-21 21:49 | 桜井・初瀬 | Comments(1)

「雄略」(Yurahaku)ポストカード、朝倉郵便局(桜井市)

産経新聞に「雄略天皇で町おこし」、「キラキラ★★ポストカード作成」、こんなふうに桜井市の朝倉郵便局が作成したポストカードが紹介されていた。

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雄略天皇ポストカード

 雄略天皇の宮殿「泊(はつ)瀬(せ)朝倉宮」の推定地に近い奈良県桜井市の朝倉郵便局が、雄略天皇をイメージしたイラストなどが入ったポストカードを作成、「ふみの日」の23日から同局で配布する。

 企画したのは、同郵便局の山下貴司局長(42)。ポストカードは縦14センチ、横23センチで、「雄略 古代国家統一の礎を築いた恋多き帝」などのロゴとともに、雄略天皇を現代イケメン風にイメージしたイラストが描かれ、万葉集巻1の冒頭に登場する雄略天皇の歌などを掲載。裏面では、その歌碑がある白山神社を紹介している。
ポストカードでは、雄略天皇を「超肉食系帝」と紹介。「データ」として、「好き=猪肉、女性」「趣味・特技=狩り(色んな意味で)」などとしている。
イラストを担当したのは桜井市内の広告制作会社のイラストレーター、米田友美さん。ポストカードは120円切手を貼ればそのままはがき(定形外)として使用できるほか、切手を貼って「消印台紙」としても使えるようになっている。
 朝倉郵便局の北東約600メートルの脇本遺跡では昭和50年代の発掘調査で、古墳時代の大型建物跡が見つかり、雄略天皇の泊瀬朝倉宮の宮殿跡の可能性があるとされている。同局では雄略天皇をイメージしたオリジナルのご当地消印も作製、今月1日から郵便物に押印している。

地元の黒崎地区出身の山下局長は、「雄略天皇は地元のヒーロー。古代の歴史を秘めたこの地域に多くの人に足を運んでもらいたいという思いを込めました。地元の人たちにも情報発信のツールとして利用していただきたい」と話した。

ポストカードの作製枚数は千枚。問い合わせは朝倉郵便局((電)0744・43・2407)。
(産経新聞7月23日付奈良版)


朝倉郵便局の窓口でお聞きすると、「ポストカードとして差し出すと120円(定形外)だが、『消印台紙』として持ち帰ると(52円切手を貼り消印を押す)と52円。台紙だけでは販売できないとのことである。

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朝倉郵便局消印

誰かに送れば120円、自分で持ち帰りたいと思えば52円、「朝倉郵便局に行かなければ手に入らない」というところがミソで、これが、これも一つの町おこしとのことである。

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旧伊勢街道、佐野の渡し・佐野の追分を東にすすむと朝倉郵便局である
by koza5555 | 2015-07-24 13:21 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

奈良まほろば館で「大和長谷寺と初瀬谷」の講演

「大和長谷寺と初瀬谷」をテーマに、日本橋の奈良まほろば館でお話します。
 3月25日(水)の14時00分~15時30分です。
 奈良まほろば館は、昨年5月の「室生」のお話しに続いての2回目ですが、今回もたっぷり奈良の魅力を語りたいと思います。

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まほろば館の募集要項は以下の通りです。

 NPO法人奈良まほろばソムリエの会より講師にお出でいただき、奈良の魅力を色々な切り口で楽しく語っていただきます。

 長谷寺式といわれる十一面観世音菩薩の魅力と歴史を考えてみます。たび重なる罹災・焼失にも関わらず不屈に再建を重ねた大和長谷寺の魅力を存分に語り、さらに初瀬の町の祭、伝統的な風習を紹介しながら、長谷寺と初瀬の町の暖かいふれあいを紹介いたします。

1.日時・演題
  平成27年3月25日(水)  14時00分~(1時間半程度)
「大和長谷寺と初瀬谷」
2.講師 雑賀 耕三郎 氏
     NPO法人奈良まほろばソムリエの会会員
     NHK文化センター梅田教室「大和路を行く」講師
     談山神社氏子総代
2.会  場 奈良まほろば館2階
3.資料代等 500円(※当日受付にて申し受けます)
4.定  員 70名(先着順)
5.申込方法 : 
 ・ハガキまたはFAX
 必要事項(講演名・講演日・住所・氏名(ふりがな)・電話番号・年齢)を明記いただき、奈良まほろば館までお送りください。
お問い合わせ先
 奈良まほろば館 【開館時間】10:30~19:00
 〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1-6-2 奈良まほろば館2F
 電話03-3516-3931 / FAX03-3516-3932


申し込み、要項はホームページで紹介されており、「申込フォーム」もつけられています。
楽しんでいただけます。東京、日本橋、奈良まほろば館でお会いしましょう。


奈良まほろば館、この講座の紹介(申込フォームも)

by koza5555 | 2015-02-15 06:12 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

「初瀬谷と長谷寺」。桜井東ふれあいセンターで

1月29日(金)午後7時から初瀬で、お話をさせていただく。
会場は近鉄の長谷寺駅から100メートルの桜井東ふれあいセンターである。

演題は「初瀬谷と長谷寺」で、初瀬で初瀬と長谷寺のお話をするのである。
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図々しいような、そして僭越ではあるがこういう行きがかりになってしまった。

話しは11月にさかのぼる。
桜井の本町通りで講演を終えたときに、東ふれあいセンターの藤井さんに声をかけられた。「初瀬の地域史講座で話さないか」、「桜井のお話でいいから」ということであった。
話し終わったばかりで、この時は僕も気持ちが高ぶっていたから、「初瀬で話すなら、せっかくですから初瀬のお話をしたい」と、その場で決断をしてしまったのである。

そのうえ、「人を語ることをモットーとして取り組まれている」とか、「『見る』『食べる』『買う』という考えで、観光の振興を提言されている」と、なかなか僕には過重な紹介まで、されてしまったのである。

それ以降、ツアーの合間に、お正月の行事の間に、ギリシャへの観光旅行の時も、それなりに「呻吟いたしまして」、パワポの形が、やっと、まとまってきたようなところである。

ブログにもたびたび書いたが、長谷寺のことはしっかりと勉強し直した。
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今日の長谷寺

泊瀬・初瀬のことも考えた。国の都、経済と文化の集約地だったハツセ・ハセが、なんとなく暗い感じの「こもりく」と呼ばれるようになった動機と歴史は「なんだったのだろうか」も探りたかった。

今回は歴史、観光案内だけではなく、町の活性もテーマに考えた。
興喜天満宮の秋祭の太鼓台、柳原や下の森の献灯のことなどを糸口に、素人の考えだが、僕なりの思いも語れるかな、そんなこともよく考えることができた。

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献灯・但しギリシャの

1月29日までわずか、2月からのツアーや町内会の仕事も錯綜しているが、いま少し練習したり、見直し・補強したりして、みなさんに思い切り、楽しんでいただこうと考えている。

また、3月25日(水)の午後2時から東京の奈良まほろば館で講演を行うが、このパワポ、初瀬をテーマに行いたいと思っているのである。
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これは、昨年5月の東京の講演の画 

「地域史講座」の入場は無料、問い合わせは0744-47-7026である。
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by koza5555 | 2015-01-21 21:57 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

何度訪れても、楽しい長谷寺

長谷寺はおもしろい。昨年、僕はここを30回も訪れた。
案内した団体名の紹介はできないが、下見を含めるとこんな回数、仁王門をくぐったのである。

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門前での解説は一度もしなかった。事前の車中で解説を済ませ、登廊の途中などでお話しするのである。

始めの話は登廊、手水舎あたりである。登廊の成り立ちとか、天狗杉、牛の目などのお話をする。399段の登廊である。ここらあたりでいったん立ち止まるのが、息切れ防止でもベストである。

ところで、立ち停まっての解説は一カ所につき5分以内、話は三個までと僕は決めている。相手の顔を見ること名もなく、知っていることを延々と話すのは・・・これはご法度だ。


さて、登廊を登りきる。
まずは本堂。東大寺の大仏殿に迫る大きさで、国宝指定である。三代将軍、徳川家光の寄進(1650年)で作られた。
大磐石の上に立つ十二面観世音菩薩は、右手に錫杖、左手に水瓶を持ち、長谷寺式と呼ばれている。

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舞台から五重塔を遠望。お正月の準備で座布団を干していた


長谷寺に名を残した三名の高僧を紹介して、長谷寺の歴史と境内を紹介する。その一人目は、長谷寺を創建したという僧、道明。法華説相図に記されている。
二人目は、東の丘に十一面観世音菩薩を祀った徳道上人。
三人目は、今の長谷寺の形を作り上げた専誉僧正。

この三名の足跡を示すように長谷寺の境内は整備されており、これで歴史も語れるのである。

ご本堂は徳道上人。木造十一面観世音菩薩音像(本堂安置)は、像高が10メートル余。徳道上人が造像して以来、度重なる火災にあったが、強い信心で再建を繰り返した。室町時代の天文7年(1538)に造像されたのが、現在の菩薩像である。

奥の院は中興の祖、専誉(せんにょ)僧正。
こちらには豊臣秀長の五輪塔が祀られている。秀長が高野山(根来寺)から専誉僧正を招いて豊山派が始まった。
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大納言 豊臣秀長公、五輪塔

本長谷寺では僧・道明と銅版法華説相(ほっけせっそう)図である。
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本居宣長が明和九年(1773年)、吉野水分(みくまり)神社に参拝、道中記として「菅笠日記」を記したが、長谷寺にも参拝しているのである。
むかし清少納言がまうでし時も。俄にこの貝を吹いでつるに。おどろきたるよし。かきおきける。

名も高くはつせの寺のかねてより きゝこしおとを今ぞ聞ける

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お昼前後に境内にとどまるツアーは、この時間に本堂・舞台で見学できるように到着時間を調整した。

昼食は 初瀬長者亭 を利用し、たびたび やまとびとのこころ店 の女夫饅頭も味わった。
江戸時代から明治にかけて黒崎の女夫饅頭は人気ものだったが、鉄道の開通で消滅、これをやまとびとのこころ店が初瀬門前町で復活させた。


長谷寺の境内では、五重塔の下、休憩所の広場で持参の弁当を食べることができる。屋根があり、トイレも近く、30名ほどでも対応できる広さである。許可を取る必要はなく、入山者はだれでも利用できる。
by koza5555 | 2015-01-06 17:58 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

観音万燈会と暁天開帳

長谷寺の観音万燈会は12月31日の午後7時から始まった。

万燈会は31日の午後7時から元旦の午前5時までと
2日と3日は午後5時から8時までである。

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お正月の三が日は入山料・無料である。お気軽にぜひおいでいただきたい。

さて、長谷寺のこの観音万燈会もすばらしいが、1月1日元旦には、ご本尊の開帳法要が行われる。

長谷寺は12月31日午後四時にご本尊の閉帳法要、元旦の午前零時には開帳法要である。

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この開帳法要を別名、暁天開帳と言うのである。
深夜のご開帳、この法要自体が珍しいと思われるが、これを暁天開帳というのも不思議である。

31日の午後4時から元旦の午前零時までは戸帳が下されている。
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導師がチリリン、チリリンと鳴らす鈴に合わせて、ずりっ、ずりっと戸帳が下がるとのことである。


200年前の「豊山玉石集」には寅の刻(いまの午前四時)に開帳しており、その後近代までは午前6時の開帳という時期もあるようで、初日の出を祝うという行事とのことである。

この法要は境内の整備費の確保のために、500年も前の豊臣秀長公の時代から(真言宗豊山派となってから)続けられたてきた行事とのことである。

この新年の暁天開帳、今年は間に合わないだろうけど、ぜひ、いつかお出かけください。

初瀬の山寺にも静かな穏やかな時間が流れて、新しい年が始まる。
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暁天開帳については、岡田普門院住職の講演(昭和61年 初瀬春秋)を参考にしました
by koza5555 | 2014-12-31 22:46 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

初瀬谷を考えてみた

「こもりくの初瀬」。
山に囲まれ奥まった土地、あるいは神がこもったり、そんな感じに受け止められているのだろう。

いつからこんな名ができたのだろうか。
初瀬は歴史的に見てどんな土地だったんだろうか。
「初瀬谷と長谷寺」、これを語るには避けては通れないテーマである。

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長谷寺。夕暮れの登り廊

大和王権は歴史(前史含む)は唐古・鍵に始まり纏向、初瀬、磐余に続いたと見たい。
外来のさまざまな権力、文化と入れ替わり、入り混じりながら、この地に続いたということ、これは遺跡から証明されつつある。

これをみれば、初瀬(昭和29年・31年の合併前の長谷村、朝倉村)には華々しい歴史がある。ところが、なぜか、これが「こもりく」である。

万葉集では柿本人麻呂が歌い、大友坂上郎女が歌っているのだから・・こんな一流に歌われては、どうしようもない。
でも、「こもりく」ではなかなか話が明るくならないわけで、今回の「初瀬谷と長谷寺」の講演では、ここに切り込みたいと思うのである。

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出雲からみた初瀬谷と奈良盆地

岸俊男先生は初瀬に宮を置いた雄略天皇が、特別の天皇だったことを論証されている。

藤原京、平城京の時代には雄略天皇が特別に意識されていたことを論証された。
万葉集は巻頭に雄略天皇の国ほめの歌を置き、日本霊異記も巻頭は山田道の先で雷を捕まえる話から始まり、、その雷を放すところがいまの雷丘という話が一番にあり、それが雄略天皇に関る説話である。

また、ワカタケル大王(雄略天皇)と刻まれた鉄剣が東の武蔵、西の肥後から発掘されるなど、雄略天皇は古代の人も現代の我々と同じスーパー天皇と見ていたと思えるのである。

そこまでは考えていたが、最近、面白い本を読むことができた。
「古事記と太安万侶」という新刊本(平成26年11月20日刊)である。和田萃先生の編集である。

この本の中で「古事記の編纂のあと、実は万葉集の巻1、2が引き継いでいる・・・推古の時代に都が飛鳥に移った。・・・それ以降、飛鳥に移ってからは、自分たちの時代になる。・・・それが二番歌で、しかもその万葉集の二番の歌が、舒明天皇が香具山に登って国の形を見るという、統治者としてそこにあらわれる。」(上野誠奈良大学教授)

そうか、だから初瀬(泊瀬朝倉宮 脇本遺跡)は、飛鳥の宮から見れば「脱してきた故地」なんだ・・・
なるほど、「こもりく」である。

初瀬谷は万葉歌で言われるほどには、山の奥でもなく、墓地・古墳だらけではないのである。
初瀬谷は政治と経済と文化の日本の中枢だった。

古代文明は交通路の果つるところに花開くと読んだことがある。近江俊秀さんである。
大陸からの巨大交通路であった瀬戸内海の先、難波津に経済と文化が集積したのと同じように、大和川を上り詰めた海石榴市、その後背の初瀬谷こそ、政治と経済と文化が花開いた時代があり、しかも、それはくり返しの大波のように押し寄せ、盛り上がった歴史なのである。

講演の筋書きとしては、えらい、簡単な話だったが、これはこれで僕としては無限に広がる話となった。
初瀬谷を語り、長谷寺をかたり、それをつなぐいくつかのエピソードもある。

初瀬谷、長谷寺は巨大な観光資源で、もっと大きな光が当たるように、そしてこの地でもっとたくさんの方の会えるように、それを願っての、「初瀬谷と長谷寺」の講演、話は出来上がりつつあるようにも思えるのだが。

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脇本遺跡上空から奈良盆地(橿考研、脇本遺跡発掘報告集から)

by koza5555 | 2014-12-26 22:33 | 桜井・初瀬 | Comments(0)