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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:桜井・山の辺( 93 )

上ツ道・上街道を歩いてみよう

上つ道・上街道 (丹波市から桜井の札ノ辻まで)というテーマでお話をする。3年目に入ったエルトのカルチャーセンタ―、「おもしろ歴史講座」である。

エルトの改装で、このカルチャーもあと二回だけ。

今回は「上街道」、最終回は「山の辺の道」と決めている。

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9月1日(金)は、上街道、桜井の札ノ辻から話を始める。

桜井は中世から有数の交通の要衝地。全国的な経済人を輩出していることからお話を始めたい。

江戸の魚河岸は日本橋である。大正12年に築地に魚市場が移るまで、こちらが江戸と東京の魚市場だった。この魚市場は「和州桜井村の大和屋助五郎が魚商として市場を開いた(生け簀が人気に)」と『東京市史稿』に紹介されているのである。

「種々活鯛場を設け、広くこの地方(静岡県)の魚類を引き受け、売りさばきしが、ついで問屋の業を営む者を増やし、ついに本船町横店安針町に市場を開くに至り・・」で、これが元和2年(1616年のこと)とのことである。大阪夏の陣の直後である。


さらに同じころに江戸に入った桜井の車力がおり、その4代後の子孫が、江戸の豪商、奈良屋茂左衛門(もざえもん)。(?~1714)であるとされている。紀伊国屋文左衛門と張り合った豪商である。

太和屋助五郎は魚、奈良屋茂左衛門は材木、桜井が生んだ、痛快な偉人だろう。

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     桜井の札ノ辻跡、魚市場跡でもある

んな話から始めて、

桜井市札ノ辻、粟殿、三輪恵比須神社、三輪宿、桜井埋蔵文化財センター、芝村の織田藩、箸中と箸墓古墳、五智堂、大和神社のちゃんちゃん祭り、朝日観音と隔夜僧、青板橋と丹波市の市座神社などをお話しする。

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   長岳寺五智堂 。昔は板が張られており、旅人が休めたようである。

確実に楽しんでいただける。おいでいただきたい。

午後7時から、桜井市の駅前、南都銀行の二階のエルトにて。参加希望の方はメール、メッセンジャーで、直接ご連絡お願いします。

  メールアドレスは   kozaburo@cg8.so-net.ne.jp

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    こんなお話もいたします。芝村ですもの、織田藩です。


by koza5555 | 2017-08-10 20:11 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

黒塚古墳と長岳寺。話題の「洋食Katsui」の特製お弁当―

大人の学校、今秋は「雜賀の歴史ウォーク」を開催する。毎月、第四水曜日を目安に3回の実施である。

今秋の計画・行先は

★1025日(水)山の辺の道 黒塚古墳と長岳寺。話題の「洋食Katsui」の特製お弁当

★1122日(水)平群のロマン 鎮まる古墳から大和の歴史を考えるー

★1213日(水)纒向遺跡と三輪そうめん ―あなたもの三輪そうめんの手延べ体験に―

今回は山の辺の道を集中的に取り上げ、その間に奈良盆地の対角線の平群谷を案内することとした。

要綱は以下のとおりで、お申し込みは「大人の学校」だが、今日はとりあえず僕のメッセンジャー にお願いします。

今日、紹介するのは

1025日(水)山の辺の道 ―黒塚古墳と長岳寺。話題の「洋食Katsui」の特製お弁当

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「山の辺の道いいとこどり」と題して、山の辺の道を歩きたい。崇神天皇陵や神籬(ひもろぎ)、相撲神社を訪ねて、初期ヤマト政権のふるさとを訪ねる。山の辺の道に新しくオープンした「洋食Katsui」のお弁当をいただくグルメウォーキングである。

「三輪山をしかも隠すか雲だにも 心あらなも隠そふべしや」(額田王)を歌いながら、三輪山を仰ぎ見て歩くウォーク、ぜひおいでいただきたい。

■行き先 山の辺の道 柳本から巻向へ

■実施日 平成27年10月25日(水)雨天決行

■集合時間 午前10時 

■集合場所  JRまほろば線 柳本駅改札口前

■コース(歩く距離 6km程度)

柳本駅  黒塚古墳 → 崇神天皇陵 → 昼食(洋食Katsuiのお弁当) → 長岳寺  → 神籬(ひもろぎ)→ 穴師坐兵主神社(相撲神社) → 珠城山古墳 巻向駅解散

高低差はほとんどありませんが、未舗装路を歩きますので、歩きやすい靴でおいでください。

■参加費 3200円 拝観料(350円) 食事代(2000円) 資料代他経費・講師料(850円)

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   洋食の勝井のお弁当を


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22日(水)平群のロマン 鎮まる古墳から大和の歴史を考えてみるー

倭建命(やまとたける)が「命の全(また)けむ人は 畳薦(たたみごも) 平群の熊かしが葉を 髺頭(うず)に指せその子」と歌った平群。

平群谷は古代には巨大な勢力を誇った平群臣の本拠地である。さらに、この地には反逆の汚名を着せられた長屋王が葬られたという歴史も残されていて、今は穏やかに鎮まる古墳から、日本の歴史を考えてみるウォークである。平群谷の紅葉も満喫したい。

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   烏土塚古墳

1213日(水)纒向遺跡と三輪そうめん ―あなたもの三輪そうめんの手延べ体験を―

12月は「大神神社と三輪そうめん」にご案内いたします。そうめんは奈良が発祥の地、その中でもそうめん作りをリードしてきた本家本元の「山本」で、そうめん延し体験と美味しいそうめんを味わっていただきます。

食事後は箸墓古墳と纒向遺跡をご案内いたします。

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そうめん手延べ体験・・自分で手延べした生そうめん、お持ち帰り



by koza5555 | 2017-07-20 15:50 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

大神神社と「夏越し茅の輪」

大神神社に夏越しの茅の輪が架けられた。夏至の日からだろう。79日まで置かれる。

青々した杉、松、榊が掲げられた茅の輪をくぐってきた。

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「杉、松、榊の三木は神霊の宿り給う霊木である」と記されていたが、「なにゆえ茅の輪」

というのも知りたいものである。

これが、「なぜ日本人は神社にもお寺にも行くのか」島田裕巳著 双葉社に記されていた。

「このみわの明神は、社もなく、祭の日は、茅の輪をみつくりて、いはのうへにおきて、それをまつる也」と奥義抄(平安時代の歌学書)にあるとされる。

大神神社には、本殿も拝殿もない時代があり、その時代には、山を、そしてその岩を依り代として祀る時代があったと、これはみんなの共通認識だが、その祭りには「茅の輪を岩の上に置きて」祀ったとあるのである。

茅の輪は夏越しの祓にとどまらず、神を祀る基本的な姿であった模様である。

心してくぐらせていただいた。

「神社にもお寺にも行くのか」は、神社のこと、お寺との関係のことが極めて端的に示されている。今年の423日刊行であるので新刊書だが、僕は桜井市図書館でお世話になった。

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神社の古来の姿が解明されている。


今日は社殿のお話だけ紹介しよう。

出雲神社榜示図というのが残されている。出雲大社ではない出雲神社で、京都の亀岡市にいまも鎮まる。鎌倉時代の榜示図が残されている。領域を示す図であるが、ここには山があり鳥居が一本たっているだけだった。現在はこの鳥居のあたりには社殿が建てられている。

鎌倉時代には社殿がなかったことを意味している。

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大神神社の場合も詳しく紹介。大神神社は今も、拝殿はあるがご本殿はない。この拝殿は徳川家綱(四代目)が造営、1664年のことである。

歴史を見ると、1317年には、拝殿の修理という記録があるらしい。

1226年には、当社古来無宝殿。唯三個鳥居あるのみ」と記される(大三輪鎮座次第)。三つ鳥居のことである。

ここに、奥義抄(平安時代の歌学書)の紹介があり、「このみわの明神は、社もなて、祭の日は、茅の輪をみつくりて、いはのうへにおきて、それをまつる也」とある。

大神神社では、平安時代までは、鳥居もなく、(茅の輪をかかげた)岩のところで祭祀がおこなわれていて、鎌倉時代までには三ツ鳥居が建てられるようになり、拝殿は室町時代にならないと建てられなかったということになります。 (p65)

宗教学者の見解だが、激しく僕は共感したい。

大神神社にとどまらず、各地の神社で夏越の祓では、茅の輪くぐりがおこなわれるが、

これは大神神社からのしきたりということであり、

元々は人が通るものでなく、供え物であったり、神と人との仕切りの意味があったりしたものと思われる。

考えてみれば、鳥居も同じで三ツ鳥居や出雲神社(亀岡)の出雲神社などの例をみても、神域と人の世界の仕切りともいえるのであり、鳥居を抜けると神域であり、茅の輪をくぐるとやはり神域ということだろうか。

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鳥居も茅の輪も心を正して入らせていただくことにしなければ。


by koza5555 | 2017-06-23 14:32 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

桜井市立埋蔵文化財センター

毎日新聞の奈良版、木曜日の「ディスカバー奈良」は奈良まほろばソムリエの会が執筆している。執筆者を募ったところ、20名以上の方が手を挙げた。今週の当番は僕。「桜井市立埋蔵文化財センター」をとりあげた。地元ネタである。

「奈良時代や飛鳥時代のさまざまな遺跡を見学しました。もう一つ前の時代の遺跡を見たくなりまして桜井市にまいりました」と、埋蔵文化財センター前で東京から来られた方が話してくれました。

町じゅうが歴史博物館という桜井市。市内のあちこちで発掘された遺物がここに集められ、弥生時代の銅鐸、纒向遺跡から発見されたさまざまな遺物、古墳時代の埴輪などが、歴史の順に体系的に展示されています。
中でも、纏向遺跡で発見された邪馬台国時代の建物の柱跡にもとづき復元された大型建物の模型展示からは、邪馬台国の時代、日本の王権の幕開けを身近に 感じることができます。

古墳時代の盾持人物埴輪も目を引きます。盾を持った最古の人物埴輪として注目されていますが、なによりこの微笑みには誰もが引き込まれます。
こちらの展示室で古代の風景、古代の暮らしを楽しんでみませんか。
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メインを盾持ち埴輪にした


常設展は旧石器時代から飛鳥・奈良時代までが見学できる。桜井市から出土した資料だけで、日本の歴史を理解することが出来るわけで、これは桜井市民は自慢すべきである。
纒向遺跡コーナー、三輪祭祀のコーナーもあり、埴輪のコーナーもある。

纒向遺跡コーナーでは、尾張、北陸、中国、九州に至るまでの各地から運ばれてきた土器が展示されおり、この遺跡の全国的な中枢の役割が理解できるのである。
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纒向・発掘された大型建物の柱穴から復原された模型

埴輪の展示も充実している。盾持ち人埴輪の笑顔は特別である。2011年2月26日に「茅原大墓古墳」の現地見学会が開かれた。今度の記事は、あの時の感動をそのままの気持ちで書いたものである。

速報展は10月1日(日)まで開催されている。
大藤原京関連遺跡では上ノ庄から、弥生時代前期のほぼ完形な土器が出ているし、三輪遺跡では中世の池状の遺跡などが報告されている。
これはすでにブログに書いた。50センチ下の桜井 桜井埋蔵文化財センター

町じゅうが博物館の桜井、そのまん中の博物館が桜井市立埋蔵文化財センターだ。ぜひとも、おいでください。
歴史の認識が深まるにつれ、この展示室では次々と新たな発見をすることが出来る。場所はJR万葉まほろば線(桜井線)・三輪駅から徒歩10分、大鳥居の足元である。
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by koza5555 | 2017-06-15 06:09 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

50cm下の桜井  桜井市埋蔵文化財センター

桜井市埋蔵文化財センターの「50センチ下の桜井」は23回目。4月19日から10月1日(日)までの予定である。

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桜井市埋蔵文化財センター

さっそく拝見してきた。
「今回の速報展では、平成28年度におこなわれた発掘調査の成果を紹介します。昨年度は12件の調査を行い、大藤原京関連遺跡では弥生時代前期の土坑よりほぼ完形の土器が、三輪遺跡では中世の池状の遺構が確認されるなど、桜井市の歴史を読み解く上で重要な発見がありました。このように50cm下に広がる桜井市の新たな発見を速報として皆さんにお届けします。」(埋蔵文化財センター展示解説書より)

「大藤原京関連遺跡」が僕には興味深かった。場所は桜井ジャスコのすぐ西、上之庄である。この発掘の現場は、僕が夜のウォーキングでいつも通っているあぜ道沿いだったことから、「何が出たのか」と関心があった。
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こんな場所である

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発掘されたのは、弥生時代中期のほぼ完形の土器(土坑から)とか、弥生時代前期の多数の土器が発見されたのである。

弥生時代の上之庄の集落はすごかった。こんな時期、形の上之庄の集落は、西方の坪井・大福遺跡に連なる遺跡だろうか。
良く考えると、坪井・大福遺跡に先行する遺跡にも思えて、興味深いところである。

桜井市は大藤原京の東五条条間路推定値として、道路を見つけかったのだが・・・それはそれで、この土器も弥生時代後期の素晴らしい発見だぅった。


大福遺跡から発掘された銅鐸、纒向遺跡から出た大型建物、茅原大墓古墳から出た盾持埴輪に象徴される貴重な発見、発掘物も健在、展示されている。
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by koza5555 | 2017-05-03 23:29 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

三輪の初えびす

毎日新聞の奈良版で今年から「ディスカバー!奈良」という連載が始まった。毎週、木曜日の朝刊である。奈良まほろばソムリエの会がこの連載を担当する。昨年から執筆者会議なども開きながら準備してきており、新年から順調な滑り出しとなった。
今日がその3回目、僕の番になったので、手始めに三輪の初えびすを紹介することにした。

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御湯の神事

文章は300字、これでは行事の紹介で終わりである。三輪の初えびす全体の紹介はムリだから、7日の「御湯の神事」を軸に取り上げた。背景とか、使われる釜とかはかってブログで紹介させていただいたことがあるが、今回はそれも割愛である。

三輪恵比須神社は、2月5日~7日「初えびす」を執り行います。万葉集でも歌われた古代の市場、海石榴市(つばいち)の伝統を引き継ぐ土地柄でもあり、大きなにぎわいとなります。
最終日の7日、午後2時から行われる御湯(みゆ)の神事が見逃せません。八つの大釜で湯を煮えたぎらせます。巫女はそれぞれの釜に米、塩、神酒を入れ笹の葉に浸して参列者に降りかけます。この飛び散る湯滴を受けると無病息災、商売繁盛につながるとされ、参列者は身を乗り出してこの湯滴を受けるのです。
三輪素麺の相場を占い、それを報告するという神事も行われます。三輪の町を練り歩く華やかな「鯛引き行列」も祭を盛り上げます。(奈良まほろばソムリエの会 理事・雑賀耕三郎)
メモ JR桜井線(万葉まほろば線)三輪駅から徒歩5分。 近鉄桜井駅下車(バス便あり)


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タイ引き行事の巨大タイ

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今年の行事のポスター。ぜひ、おいでください。

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by koza5555 | 2017-01-26 13:19 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

醸造安全祈願祭 大神神社

大神神社は11月14日に「醸造安全祈願祭」を斎行する。

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枡酒の振る舞い
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併せて奈良県酒造組合の振る舞い酒も


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出仕する祭員

酒造りの神様と仰がれるご祭神の神徳を称えて、新酒の醸造の安全を祈る祭典で、全国の酒造家・杜氏・酒造関係者が参列します。祭典後から醸造安全の赤い御幣と酒屋のシンボル「しるしの杉玉」が全国の酒造家・醸造元に授与されます。(大神神社HPより)

祭典は大神神社拝殿で参拝、続いて大物主の力で醸された神酒を崇神天皇に献酒した高橋活日(たかはしのいくひ)を祀る、活日神社にて玉串奉奠という祭祀である。

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いつもは森閑とした活日神社もこの日ばかりは


境内では全国から寄せられた銘酒の振る舞いがある。いわば、吟味し放題と言いたいが、いっぱいまでとの但し書きも。

大神神社の「しるしの杉玉」のことである。
醸造祈願祭の前日、11月13日には、吊るし替え(大杉玉掛け替え)が行われる。

「しるしの杉玉」は、拝殿と祈祷殿に吊るされるが、すべて人の手によってはこばれた。

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これは昨年の吊るし替え

昔の駕籠のように6人掛かりで運搬、どんな具合ですかとお聞きすると、「今年は230㎏です」と汗を拭き拭き、説明していただいた。神社の大杉玉が吊るし替えられ、祭りの準備が整えられます。

この醸造祈願祭、酒まつりを終えると、作り酒屋の紋章もともいえる「しるしの杉玉」は、「新酒の印」として全国の酒屋の店先に吊るされる。

この神酒は わが神酒ならず  倭なす 大物主の 醸みし神酒  幾久  幾久

崇神天皇8年冬12月、今頃だろうか。
崇神天皇が三輪の大神を太田田根子に祭らしめた日に、高橋活日が神酒を捧げて詠んだという。
全国の醸造元から届けられた数々の酒は壮観です。


大神神社、拝殿は寛文四年(一六六四)に徳川四代将軍家綱が再建したもので、重要文化財に指定されている。
また拝殿の奥正面にある三ツ鳥居は、三輪鳥居とも呼ばれ古来当社の特色の一つとされる。三つの明神型鳥居を一体に組合せた形式であり、重要文化財である。


以下は大神神社HPより
『日本書紀』の崇神天皇条には、高橋活日命(たかはしのいくひのみこと)が天皇に神酒を献じた時に「この神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久」と歌ったとあり、大物主神のご神助により、会心の美酒を造ることが出来たことが記されています。このことからご祭神が酒造りの神として敬われることとなったのです。祭典では活日命の和歌で作られた神楽「うま酒みわの舞」が四人の巫女により舞われます。そして、境内では各地から奉献された銘柄を展示する全国銘酒展が催され、樽酒の振る舞いも行われます。

また、祭典前日には拝殿と祈祷殿に取り付けられている直径1.5m重さ250kgもある「大杉玉」が青々としたものに掛け替えられます。

by koza5555 | 2016-11-14 13:48 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

石上神宮のご例祭(ふるまつり)

10月15日(土)は石上神宮のご例祭。祭は10月1日の榜示浚から始まる。

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お旅所、田町(たちょう)の榜示立

10月15日、まつりの日に石上神宮へお客様をお連れすることになった。「お祭りの日に神社」、良さそうに見えてこれがなかなかのクセモノである。
お祭りを楽しみながら、そして巻き込まれないようにである。


石上神宮のご例祭である。
平安時代、白河天皇の永保元年(1081年)に勅使が御参向(ごさんこう)となり、走馬十列(そうまじゅうれつ)を奉納された故事に始まるとされる。渡御は大和の秋祭の中でも随一という壮麗さで、「ふるまつり」とも「田村渡り」とも称された。
① 御旅所の田町(たちょう)より、稚児が騎馬にて御幣を奉持して社参(午前8時半)。
② 午前10時から昇殿、献饌、普通神饌と合わせて稚児より荷前(穂のついたままの稲株)が奉じられ、幣帛が奉じられる。
③ 祝詞奏上、氏子献幣使祭詞奏上、舞楽、玉串拝礼があり、稚児に御幣が授与されて祭典は終了する。
④御魂代を御ほうれん(神輿)に遷御する。
⑤ 午後一時からお渡り。田村町までの4キロを渡御する。

この祭りに先立って、10月1日に執り行われる榜示浚神事が神社の性格を表し興味深い。
榜示とは中世荘園の成立の折、四至榜示を明記したとされる。そこに杭を打ち、石を置いたとのことで、それが今も地名として残る例も見られる。(たとえば生駒市高山)
祭祀に当たり、境内に榜示杭を立てる場合(鳥居もその一つか)と、石上神宮のように広く氏子地域に立てる場合もその役割は変わらない。
石上神宮の場合は、北郷、南郷で八カ所。中ツ道まで領域として、南西は備前橋(神社から8キロほど離れている)に立てるのである。

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備前橋の榜示立て
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ちなみに北郷は ①石上市神社、②岩上神社、③八釼神社(田井庄町)。④三十八神社(南六条)
南郷は ①春日神社(内馬場町) ②神明神社(川原城町) ③備前町南端、④田町、厳島神社となっている。(以上は石上大神の祭祀と信仰  白井伊佐牟著参照)

こんなことを話しながら、それから石上神宮の神剣のことを話しながら、ツアーを行う。
それにしても、さすがに軍事氏族の物部が奉じた神社である。神話に出てくる主要な刀が勢ぞろいだ。
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これが僕が考えた石上神宮の神剣の数々



このパネルで・・で、どんなふうに語るか。
いずれにしても、物部おそるべし・・かな
by koza5555 | 2016-10-12 22:03 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

国のはじまり、大和の中の大和を歩く(天理市南部の古代と近世の歴史)10月26日(水)

10月の「大人の学校」(代表 溝口博己)の企画は天理市南部にこだわった歴史ウォークにした。
天理駅東口の集合は午前10時で長柄駅を3時すぎに解散する。

ツアーのテーマは西山古墳
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はじめに丹波市。旧山添郡のダウンタウン。こちらの市座神社を拝観、そのまま西山古墳、峯塚古墳、石上神宮まで東上する。午後は内山永久寺跡、夜都岐神社、竹之内環濠集落、大和神社という行程である。いつものように「ウォーキングは早めの昼食」を心がけているから、お弁当は石上神宮である。

丹波市のとっておきのテーマは青石橋。
地元ではこの橋を「あお」と呼んでいたとのことである。もともとは古墳由来の青い石板が敷かれていたことからそう呼ばれた。
この板が市座神社に置かれている。それは見学できるのだが、説明版では青板がもう一枚、民家に残っているとのことであるが・・・先日、その場所を教えてくれた方がいた。さらに「天理大学の近江先生のお話しでは、石棺の蓋ではなく西山古墳の立石」とも。
これはすごい。市座神社と西山古墳が道として話としてつながった。

石上神宮では、神剣の数々を考える。
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夜都岐神社が格別の面白い。拝殿の藁ぶき屋根の葺き直しもすごいが春日大社との関連を考えたい。
この神社と春日大社は特別の関係がある。「蓮の御供え」という神饌を毎年春日大社に献供、春日大社からは神殿、鳥居が下げられるのが例となっていた。江戸時代までのことである。
どの本にも、また境内の掲示にも「蓮の御供え」は記されているのだが、この「蓮の御供え」とは、何かが判らない。
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葺き替えられた夜都岐神社

さらに大和神社、おくの深い「ちゃんちゃん祭り」も語ってみよう。来年の4月1日のちゃんちゃん祭り、絶対に大和神社を訪れたくなる秘話もある。
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山の辺の道(国のはじまり、大和の中の大和を歩く)
■10月26日(水)
集合 午前10時  JR(近鉄) 天理駅東口
解散 午後3時ころ JR長柄駅
■コース(歩く距離 8km程度)
JR(近鉄)天理駅東口 → 丹波市 → 西山古墳 → 昼食(石上神宮)→ 内山永久寺跡
 → 西乗鞍古墳 → 夜都伎神社 → 竹之内環濠集落 → 大和神社 → 長柄駅(解散)
■参加費 800円(学校経費、資料代など)
■持ち物:弁当・飲み物・雨具・歩きやすい履物で

■ お申込み・お問い合わせは
このブログのコメント欄(カギコメでも)か

「大人の学校」代表溝口博己さんまで
hiromi-03.30@kym.biglobe.ne.jp
090-8986-8844   FAX  0743-53-2769でお申込みください

by koza5555 | 2016-09-22 10:14 | 桜井・山の辺 | Comments(0)

丹波市の青石橋…青石は現存

天理の丹波市にすごいものが残されていた。

一つは市の跡。
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今、一つは市坐神社に置かれた「青石」
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燈籠もすごい。1830年制である。おかけ接待所と掘り込まれている。
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天理のアーケードから丹波市にむかう旧道(上街道)をすすむと布留川にさしかかる。
小さな川、小さな橋であるが、ダム放水時の警報の出し方などの掲示がしっかりとされており、上流にはダムがあることがよく判る。
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この橋のことは、伊勢街道ぶらりぶらり(林憲次さん)でも紹介されており、近くの「お婆さんに橋の名前を尋ねてみると、一人から『あお橋』という答えが返ってきた。『あお』とは『青』なのかとさらに尋ねたみたがわからなかった」とのことである。


丹波市の市座神社の境内には素晴らしい青い石板が展示されていた。掲示は長いが全文を紹介する。

青石橋の由来
 上街道の布留川南流に架せる橋にして大なる青石を以てす。故にその名を得たり、石棺の蓋である。青石はその両側に添え石をつけて縦に掛けられていたが、明治40年前後に橋がかけかえられ、不要なった青石は百メートルばかり南のこの神社境内に移された。

青石には一方の端近くに二つの穴がある。地元では「馬が踏み抜いたあとだ」などと言う言い伝えも残っているが、おそらく運搬用の綱を通すための穴だろう。
面白いのはその穴のあけ方で、一方が口径30センチもあるのに、裏側では10センチくらい、ちょうど漏斗形に穴があけられている。こうした穴のあけ方は古墳時代に石や玉によくみられるものだという。

ここより東へ700メートルに西山古墳、同じく鑵子山古墳があるが、それらの古墳から運び出されたものか数知れぬらぬは、定かではありません。

このような穴のあいた板石は、近くの民家にも残っているらしい。

通り昔、小高い墳丘の上で大和国原を見下ろしていたたであろう青石は、何百年かの後、布留川の流れの上に箸として、その身を横たえ数知れぬ人馬に奉仕した、石であります。

                                   丹波市町    



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上街道は丹波市で道幅が二倍になった場所が残っている。屋根があり川は暗渠に。ここが市で、さらに市座神社が残されている。


市座神社に200年以上前の常夜灯が残されている。
南 太神宮 西 常夜灯 北 天保元年庚寅(かのえとら)(1830年)
東 おかけ接待所
木の加減で写真が撮りにくいが、この「おかけ接待所」の写真が撮りたかったのである。


天理の歴史を語る上で上街道は欠かせない。この丹波市を13日の奈良の布陣講座で紹介、10月の大人の学校ツアーでは、訪れてしっかり語ってみよう。
by koza5555 | 2016-09-06 23:09 | 桜井・山の辺 | Comments(0)