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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:奈良( 136 )

橘街道は中ツ道

桜井市の駅前エルトで2年間、「おもしろ歴史講座」というカルチャーをやらせていただいた。
ところが、この秋からこのエルトが改装するとのことで、カルチャーはいったん中止することになった。
あと、何回かはやろうということになり、連休明けの5月5日(金・祭日)は、「中ツ道と今の道。条理と環濠集落」というテーマで、桜井市の西部を取り上げることにした。
古代の街道をやりたいのだが、今回は中ツ道に絞って考える。

この中ツ道は橘街道と言われた時代がある。

古代(7世紀)、奈良盆地を南北に結ぶ3つの街道が作られました。中ツ道は、その街道の一つで、平城京と橘寺を結んだことから、近世には「橘街道」とも呼ばれていました。奈良市街の中央部から、大和郡山市と天理市、桜井市と田原本町や橿原市等の境界を通っていたのですが、現在では街道の名残はほとんどなく、細い道が所々に残っています。
・・・この中ツ道に「橘」を植樹して、橘の並木道にしようという計画がすすんでいます。大和郡山市の石川町と白土町付近で、まず20本くらいの橘を昔の街道に沿って植える構想があります。奈良盆地を南北に通る「橘の並木道」が完成すると、将来は壮観な景観が生まれそうです。
(大和郡山市石川町の掲示板から・記載者不明)
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「左近の桜、右近の橘」の橘である。
垂仁天皇の時代、常世の国に「ときじくのみ」(非時香具菓)を求めて橘を持ちかえった田道間守(たじまもり)を引くまでもなく、古代の橘は樹木としても、果実としてもその位置は高いといえる。

横大路、桜井市西ノ宮の三輪神社から北上するのが中ツ道。今回は橘街道は中ツ道と割り切って考えてみる。

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桜井市西ノ宮の氏神、三輪神社の南西側。中ツ道の始まり

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ちなみにこちらは下ツ道(中街道)

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これは上街道(上ツ道とは少しずれているが・・)。少しさびしそうだが、町つくり再建の意欲満々の交差点である。大和信用金庫の支店が戻ったり、喫茶店が間もなく開店する

横大路の交差点を、巷というか、辻というか、下ツ道、上ツ道と比べてみると中ツ道は相当趣きがことなることが分かっていただけるだろう。

今回は中ツ道である。北に向かうと、東竹田である。これは有名な大伴一族である。大伴氏の荘園、「竹田の原」である。
さらにその北には村屋坐弥富都比売神社である。
大海人皇子(天武天皇)軍と大友皇子軍が大和で対峙したのはこの地である。大伴吹負が総大将である。村屋で大伴が近江軍と戦うのは、大伴には領地的にも死活的な意味があるのだろうか。
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村屋坐弥富都比売神社参道

県道51号を北上することとなり、そのまますすむと、天理市を抜けて、西名阪道をくぐって…
路地のような細道の入り口に…「橘街道」の看板が設置されている。「橘も植わっている」。
大和郡山市石川・・である。

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橘の並木(木はまだ小さいが)

シャープの工場の東側を通り、・・県道754号線。こちらに道標があった。

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右 高野山  左 なら道

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桜井市を中心にして、古代道路と条理を整理した。明治末年頃の地図に赤い線は僕が書き込んでみた


5月5日の「おもしろ歴史講座」、大伴氏も軸にして、面白い話になりそうである。
by koza5555 | 2017-03-30 21:41 | 奈良 | Comments(0)

ヤマトロジー、3月は「世阿弥の生涯」(ゆかりの奈良の地)

奈良まほろばソムリエの会は県下の社寺・史跡の案内でその活躍が注目されている。さらに「奈良県に関わる講演なら、どの地域、どんな課題でも講師を派遣します」と公言できることが大きな自慢である。
会は各種のカルチャーセンターなどに数多くの講師を派遣しているが、なかでも近鉄奈良駅ビルのクラブツーリズムの「まほろば講座」、「まほろばソムリエのヤマトロジー講座」には、注目していただきたい。
毎月、第4土曜日(月により異なることあり)の午後に「まほろばソムリエの会」が講師を派遣している。テーマは事前に発表され、お客様は参加の申し込みを一回ごとにできるというシステムである。こんな講座は、講師はとくに腕に磨きをかけて、お客様との一期一会を楽しみにするのである。

3月の講座(3月25日)は「世阿弥の生涯」(大和の世阿弥)と題して大山恵功さんがお話しする。
足利義満の庇護のもと、京都で大活躍、観世流のもとを作り上げたという世阿弥の生涯であるが、「世阿弥の原点は奈良に在り」ということをお話しされるようである。
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大山さんは、現在の「能楽」は大和が発祥の地であること。世阿弥は大和に生まれた人物であり、それに関するゆかりの地がたくさんあることを紹介される。
「能」を鑑賞するきっかけはなかなか難しい。大山さんは観世流の世阿弥とそれと関わるゆかりの地を具体的な奈良の地名を上げながらの解説で、そんな土地も考えながら、「これを機会に御能に親しんでほしい」との思いらしい。

興福寺の薪能(薪御能保存会)、宇陀阿騎野の蛍能、談山神社の談山能など身近な場での能の鑑賞の機会もあり、この講話は僕も期待しているのである。

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薪能、これから始まります
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これは阿騎野の蛍能。能舞台で乱舞する予定だった蛍、しかし雨で・・・ネットに入っている蛍を鑑賞しただけだった。


ぜひ3月25日(土)の午後、近鉄奈良駅の6階、クラブツーリズムでお会いしましょう。


申し込は クラブツーリズムへ  電話は0742-90-1000

  申し込みフォームはこちら

会場はこんな感じだ
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by koza5555 | 2017-02-26 22:51 | 奈良 | Comments(0)

六県神社の子出来おんだ

磯城(しき)郡川西町保田(ほた)の六県(むつがた)神社のおんだ祭

2月11日に行われる。もともとは旧正月14日、その後は2月14日、現在は2月11日の行事となっている。
おんだ祭では、飛鳥坐神社の祭のように夫婦和合の所作でもって繁殖・豊作を表わされることが多いが、こちらは出産の所作で示されるのが独特である。
太鼓をお腹に入れた妊婦の姿、出産のありさまなどから、「子出来おんだ」と呼ばれている。

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六県神社、境内のオンダ祭。妊婦の弁当届け

17時から神事。境内の一角で一斗釜で湯を沸かす。巫女が着座する。笹も用意されているから湯立の神事かと思うが・・どうもこれが産湯とのことらしい。
東の天照大神、南の多武峰大権現、西の住吉明神、北の春日の若宮神にお断りして神事が始まる。

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産湯の前で
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それから拝殿での剣の舞

拝殿の配置を変えて18時から「おんだ」が始まる。

水見回り、牛使い、肥おき(施肥)、土こなげ、田植、螺(たにし)拾いと稲作が順序良く示される。
牛は必ずいるなあ・・・

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肥おき・・は竹筒の両端に椿の葉っぱをぶら下げて…昔の肥樽運びをイメージできる。ちぎってはおく・・
肥おき、田植え、螺拾い、全ての行事が椿の葉で行われるのが特徴

農作業の区切りごとに、「はい、ボチボチやで」、「それいけ」の合図で、拝殿に座った子供たちが演者に殺到する。これは風とのことだが、雨ではなかろうか。すぐ北の広瀬神社は砂を雨に見立ててオンダが進められるが、こちらは砂の代わりは子どもだろうか。
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その後、弁当を田に届ける妊婦が現れて、神主役の長老ととぼけたやり取りがあり、田んぼを回ってから出産するという運びである。
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最後に種まき神事が行われる。農夫が種まき唄を歌いながら、拝殿を回り、豪快に種を巻く。
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「宇陀の郡を通れば 一森長者に行き合うたら
行き合うたるところなら このところに蒔こうよ」

(一同)「よんなか(世の中)よけれども福の種 蒔こうよ」

「大和48万石、保田の明神蒔き納め」で、桶を空にした・・・

オンダの苗は椿(普通は松葉、御所の御歳神社は杉、石上神宮はホンマの早苗やった)というのが特徴。子どもが風(雨)というのが面白い。17時からの神事も必見。寒いから温かくして出かけるように。
出産の所作で、繁栄、豊作を祈念するのが最大の特徴的である。

よんなか(世の中)よけれども福の種 蒔こうよ


境内に以下の掲示がある。
川西町の歴史遺産を訪ねて
県指定/無形文化財 六県神社子出来おんだ祭り

六県神社は村社で、祭神は大和の六県神「高市命」「葛木命」「十市命」「志貴命」「山辺命」「曽布命」を祀る。 「神社明細帳(明治24年・1981)記載
 
 子出来おんだ祭りはこの六県神社の拝殿で毎年2月11日(以前は2月14日)の夜に演じられる御田植祭。妊婦の出産の所作を伴うことから、「子出来おんだ」とも呼ばれる。この行事の始まりは、境内富貴寺の創建時の平安時代と伝えるが、明確でない。

 所作は、水見回り⇒ 牛使い ⇒ 施肥 ⇒ 土こなげ ⇒ 田植 ⇒ 螺拾い ⇒ 妊婦の弁当運びと安産の神事及び種まきの所作と掛合い言葉の順に演じられる。
螺(たにし)拾いまでの所作では子供が風の役割を持ち、各所作の最後の演者はその場にうずくまり、風役の子供はその上に覆いかぶさる。
 妊婦の弁当運びと安産の神事では、本役の男子が太鼓を腹に忍ばせ妊婦に扮して弁当を夫(長老の神主役)の元に運ぶ所作を行った後、神主と妊婦が問答を行い、その後、問答を行い、その後、妊婦の陣痛が始まり、腹に忍ばせていた太鼓を放り出し、それを取り上げた神主が「ぼんできた、ぼんできた」と言いながら太鼓をたたく。
 最後の種蒔神事では、台詞と歌を歌いながら種をまく。この時の台詞や歌の掛合いも含めて全体的に古風な芸能所作が残っている。

by koza5555 | 2017-02-12 09:25 | 奈良 | Comments(0)

川西町 光林寺と富貴寺と六県神社

11月30日の当尾ツアーの帰り道、川西町の川端さんから、「川西の保田(ほた)、うちの阿弥陀如来も見に来て」と声を掛けられた。
「参ります」。ちょっと確かめてみると、これは快慶の作で重要文化財とのことである。
「切れ長の眼、魅力的な口もとの笑みは快慶仏の魅力を十分に見せていて、円熟の境に浸った作風である」と『大和のかくれ仏』(清水俊明著)でも、しっかりと紹介されている。

電話をかけてみて初めて分かった。川端さんはこちら、光林寺(浄土真宗)の住職夫人だった。


そっそく、拝観させていただいた。
浄土真宗と阿弥陀如来、これは基本の形だが、快慶作ということで、「これは客仏か」とも考えたが、きっちりご本尊・・・
内陣からも拝観させていただいた。80センチほど、端正なお姿で衣のひだが写実的である。
お顔は清水さんが言われるように優しさ一杯だった。
「法眼 快慶」とのことで、これは快慶の晩年の位である。

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左側に榧(かや)の巨木。実も収穫してオカキに入れる・・とか


100メートルほど南には六県(むつがた)神社、そしてその神宮寺として富貴寺。

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境内右手に寄棟造りのご本堂。この建物が、重要文化財。
「1178年に初めに堂を建立、現在の堂は1388年の建立」と江戸時代に柱に墨書(1679年)されているとのことである。

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保田の宮座といい、宮座で六県(むつがた)神社と富貴寺が管理されていたようであるが、川西町史(平成12年)によれば、六つのカイトの代表による敬神講で運営されている様子。

釈迦如来坐像と地蔵菩薩立像は重要文化財に指定されている。
釈迦如来像(重文)は、高さ84センチの桧材による寄木造で平安時代後期。
本尊の向かって右に安置されている木造地蔵菩薩立像(重文)は、高さ96センチの桧材による寄木造で彫眼、古色の声聞形立像である。
 

最後に六県(むつがた)神社
延喜式に載せられている。
広瀬郡と城下郡の境目にある。

祭神は、六県命で、
高市命
葛木命
十市命
志貴命
山辺命
曾布命
で、式内社として存在していた大和の六御県(むつのみあがた)のすべてを祀る式内社である。
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2月11日(祭)に行われる「子出来おんだ祭」が有名である。豊穣と子孫繁栄を願う神事である。
by koza5555 | 2016-12-01 23:41 | 奈良 | Comments(0)

国号地名。桜井市出雲、吉備、豊前、長門

島根県の方からお手紙をいただいた。「出雲とか、さらには吉備、豊前、備前など、こんな地名が桜井市周辺にたくさんあると聞きました。なんで」との質問だった。

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こんな地名が分からんということだ。ご返事を差し上げた
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 桜井市にとどまらず奈良県には、昔の国名を地名とする村名は数多く存在します。
桜井市でいえば出雲、吉備、豊前があり、安倍には長門もあります。桜井市jの近在の三宅町(但馬、三河)、天理市(丹波市、備前、上総)、橿原市(飛騨、大隅)、高取町(土佐、薩摩)などが知られており、県下全体では大字、中字で55ほどの村名が数えられております
 近畿地方には旧国号村名は、京都府で10カ所、大阪府でも6カ所などが知られていますが、奈良県の地名は発生が古いこと、数が多いことから特別の位置づけがなされています。
 古文書によると(大乗院雑事記、和名抄)、国名地名は東北地方の国名が無いこと、西日本の国名が多いこと、畿内は少ないこと、旧磯城郡・山の辺郡・十市郡(これらは奈良盆地の南部にあたります)に多いことを特徴としています。
 また、藤原京(奈良盆地の最南部)の造成(694年~710年)にあたっての貢進国が国名地名となっていることが多いことなどが指摘されています。藤原京造営時に生まれたとの見方もあります。
藤原京造営時、藤原京造営の貢進には人的なものも含められており、造営協力の各国(旧国)の出張所(宿泊所を含む)などが置かれた場所が、その後の村名になっていったとの見方が多いようです。
したがいまして、古文書による(現在も数多くが残っている)旧国名は大和平野の中央部と南部、藤原京跡周辺に集中しており、他は中ツ道、下ツ道、太子道、巨勢(こせ)街道などの当時の街道筋、交通路に集中していることが特徴です。
  『奈良県史14 地名』などを参照に返事を書いた。


桜井市の出雲はさらに面白い。こちらの出雲も「旧貢進国」論で解説できると考えているが、地元の伝承、信念はもう一つ、複雑である。
 
地元の伝承ではもともと出雲は桜井市だというのである。
日本書紀によると垂仁天皇の時代に、国内で初めて天皇の前で相撲が行われたとされている。
当麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢が「自分より強いものがいるならぜひ戦ってみたい」と豪語しており、それを耳にした天皇が対抗できる力自慢を探させ、呼び寄せたのがこちらの出雲の野見宿禰(のみのすくね)だということである。

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出雲十二柱神社

出雲国より「即日に招集」したという記述が日本書紀にあることから、「島根(出雲)から奈良まで即日に招集できたのか?」と考え、実は山陰の出雲ではなく、桜井の出雲から呼び寄せたというのである。

そんなことから桜井市出雲には野見宿禰に関する伝承が多く残されている。

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狛犬を支える相撲人形

十二柱(じゅうにはしら)神社には巨大な五輪塔が残されていて、これは近くの野見宿禰塚から移されたもの(現在は取り壊されている)であり、また神社のこま犬を支えるのは相撲人形で、野見宿禰の顕彰の力が入っている。


歴史の深さ、長さ、出雲の方の村名に対する誇りは、ひとしおである。
by koza5555 | 2016-11-13 20:23 | 奈良 | Comments(0)

高畑町裁判所跡地の庭園遺構

「高畑町裁判所跡地の庭園遺構について」という発掘と現況の説明会に参加してきた。
「えー、報道されたの?」と驚かれるだろうが、20名くらいのグループ(アカダマ会)に対して、発掘を担当した大学教授と奈良県が特別に開いてくれた現地調査だった。

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裁判所跡庭園遺構内。石造宝塔(仏塔)これは古いものらしい。こんなものも拝見できた


一か月ほど前に元アカダマの大槻さんから、勉強会のお誘いのメールが届いた。
「高畑町の旧裁判所跡地に大正時代の庭園遺構が残されていることが判った。発掘を担当した京都造形美術大学の仲教授の話と現地見学だが」ということである。
9月・10月の土・日だったら無理だったが、良い具合に空いていた。

現地に行く前に、遺構地の歴史、遺構の現状を一時間もかけての解説を受ける。

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場所はここ。浮見堂の南、奈良市観光駐車場の西である


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東から見ると外見はこんな感じで・・

この中に庭園遺構が隠されていた。

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北側から入る。建物は一切残されていない。

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苔むした礎石。さっそく松田さんが確かめると・・・「これ、コンクリートです」(笑)
元々は室町時代に遡る興福寺の支院、松林院の庭園であるが、大正時代に大改変されており、庭園としては松林院時代へは遡れなさそうである。

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橋。切込みを入れてつなぐ。細工は細かい

仲教授によれば、「素晴らしい庭園が、まだまだたくさん残されている。その中でもこの庭園遺構は地形も利用されており、すばらしい。修復して公開するべきだろう」とのまとめだった。

良いものを見せていただきました。
修復、公開を待ちたいと思います。


こちらの庭園は室町時代、興福寺の松林院に始まるとのことである。支院では一番の上流、一番東にあるようである。松林院は一乗院、大乗院の二門跡に次ぐ四院家(松林院、修南院、喜多院、東北院)の一つである。

廃仏毀釈で松林院は廃止となり、所有者は松林為成、梅田春保を経て山口謙四郎(山口財閥)が所有し、別荘として使われることになった。
戦後、所有は裁判所に代わり家庭裁判所、官舎として使われ、平成17年に奈良県に所有が移された。
by koza5555 | 2016-11-12 22:06 | 奈良 | Comments(0)

第68回正倉院展

第68回正倉院展は10月22日~11月7日(月)の会期で始まった。
開幕に先立ち、21日、招待客に交じり、内覧会で拝見させていただいた。
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人気の中心は、まずはこれ・・・漆胡瓶(しっこへい)。ペルシャ風の水差し。「胡は中国より見て西方の国や民族を意味し、下ぶくれの胴部と把手を有する水瓶はササン朝ペルシアで多く作られ、その影響で中国でも流行したため胡瓶と呼ばれた」(図録)。
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「こんな水差しで生活するって人、誰」と、現代でもなかなか想像しにくのである。
人の生活やそれに関わる家具什器の完成度、到達点は奈良時代や卑弥呼の時代と現代は同じレベルかもしれない、と考えさせられる。


幡がテーマだった。大幡・・15メートルもあったとのことである。「脚部の辺りはこれ」と、あれこれの部分も残っている。残欠などと言うレベルではないのである。色も鮮やかだった。

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大量の鈴が展示されている。幢幡には鈴が大量についていたようである。
風にあたれば、サラサラワヤワヤと鈴が鳴るんだ・・・
これは僕には新発見。朝堂院などに立てられる幢も同じように鈴がついたのだろうか。


古文書は戸籍にビックリ。
御野国加毛郡半布里戸籍、これは岐阜県の美濃加茂郡、富加村(僕の子供の頃の村名)のことだそうだ。
富加(とみか)村。僕は岐阜で生まれ育った。富加村はよく知っているが、まあ、あそこは山間の村。
今年、考えたのは、「あんなところまで、国で戸籍を管理したのか。村役場みたいなことも中央政権がやっていたのか」、そんなことである。
そこら辺りはどんな具合なんだろうか。


写経師解案(しゃきょうしげあん)。写経師の下書き・・みたいなものか。
待遇改善要求書の下書き・・・
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服が汚いので交換してください。洗っても匂いが取れないほど汚れた
食事の悪い。「中品精食」に改めてほしい
机に向かって長く働き、足がしびれるので、薬分として酒を支給してほしい

正倉院展、今年も面白い。


奈良市で、この時期に僕が見たいのは
平城京跡資料館の「地下の正倉院展」と
元興寺の「版木ー刻み込まれた信仰世界」
である。
by koza5555 | 2016-10-22 07:07 | 奈良 | Comments(0)

邪馬台国はどこだ?公開討論会に出ます

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これに出ます。10月9日(月)に、邪馬台国をめぐる公開討論会に出場します。


「邪馬台国は大和や」というお話をするのである。「邪馬台国は奈良・纒向だ」というお話は何度もしてきたが、今回は事情は大違い。

奈良と佐賀で、それぞれ300人ほどの会場をつくり、2人の奈良代表が15分づつ、佐賀の2人も15分づつで主張、両会場はテレビ中継を通じて結ばれている。主張の後は、さらに討論をしようという企画である。奈良側に石野博信先生、九州側に高島忠平先生が後見・応援するという豪華討論会。

8月に電話がかった。「邪馬台国で公開討論会をするんです。あなた、出てください」と。
僕も「おとなび」で「邪馬台国九州論、畿内論」というツアーを受けてる。九州側の講師は高島先生で、僕は高島先生の向うを張って「大和論」を案内している。「ここは引くことはできんなあ」と引き受けたのである。

纒向遺跡や周辺のことを語ろうと考えている。

古墳が密集していて、纏向で前方後円墳が発生したと言われている。
纒向・三輪は前方後円墳の故郷だが、纒向は日本の始めて都市、宮・都ということも明らかになりつつある・・・そんなことをお話ししてみたい。

1971年(45年前)以降、 纒向の発掘は継続的にすすめられてきている。
この発掘が進むにつれて、纒向は大和政権発祥の地として、または邪馬台国畿内説候補地と知られるようになった。発掘はさらに続いており、現在では180次を越える規模、期間の長さである。

纒向遺跡は
●まずは大きい、広い。段階がありますが、最後は南北約1.5km、東西約2km。300ha
●よそからの搬入土器の出土比率が15%。吉備、東海を中心に九州から関東にいたる広範囲な地域とつながっている。
●箸墓古墳からはじまり、纒向石塚古墳(国史)など、初期の前方後円型の墳墓が集中した。

こんな時にトリイノマエにて中軸線が一直線、方形の大型建物跡が発掘された。
ここから、纒向は「日本最初の邪馬台国の都市」、あるいは初期ヤマト政権最初の「都で宮」といわれるようになっていく。


9月30日の奈良新聞に折り込まれた「奈良観光タブロイド」・「ことなら」参照
会場はすでに満席である。

僕はがんばる。また、続報いたします。よろしくお願いいたします。
by koza5555 | 2016-09-30 22:59 | 奈良 | Comments(0)

虫送り

6月16日は、東山中といわれる奈良盆地の東側の山間地は、各所で「虫送り」の行事が行われる。

雨が降ったら中止、順延はなし。曜日は関係がなく開催される。

昨日の奈良県は朝から激しい雨、「これは中止かあ」と空を眺めていた。
「天理市の山田はやる」との情報が3時ころ伝えられた。民俗の写真を撮っている友たちの情報である。

雨の中、天理市下山田まで行ってまいりました。20キロメートルくらいです。

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春日神社境内(薬師堂)を出発して、間もなく

行事の順に写真をみてみると
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田植えのあとの行事です。畔で松明を振って田の虫を集めて殺した…そんな名残でしょうか。
そんな行事が「虫送り」というやさしい名前で残っています。
虫を追い、虫を供養し、収穫を祈り、村人の栄を祈る・・とても興味深い行事です。

16日は、天理市の上山田、中山田、下山田。宇陀市の笠間川沿いの染田や無山で毎年、行われます。

19日は宇陀市の笠間川沿いの下笠間、20日は同じく小原で行なれます。
来年と言わずに、今年でもまだ、チャンスがあります。

昨年の宇陀市小原の虫送り
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by koza5555 | 2016-06-17 13:06 | 奈良 | Comments(0)

工藤利三郎(くどうりさぶろう)奇豪列伝

飛鳥資料館(奈良文化財研究所)に、「文化財を撮る写真が遺す歴史。」が展示されている。

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展示の山田寺仏頭 レプリカ

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奈良文化財研究所はさまざまな遺跡を撮影し、学術情報として蓄積してきたこと
遺跡と遺物の撮影のノウハウを紹介すること、
こんな展示だが、先人の業績も紹介しようという企画だった。

ここで、工藤利三郎が紹介されていた。明治から大正にかけて奈良を本格的に撮影したカメラマンということである。

工藤利三郎は徳島県出身の写真家で、明治26年(1893))奈良で「工藤精華堂」を開館し、明治41年から「日本精華」全十一輯(しゅう)を刊行しました。活動範囲は全国におよび、飛鳥地方にも撮影に訪れました。仏像や建物の全体像を、陰影を抑え気味に撮影)こうした、資料性の高い写真を多く撮影しています。 (会場掲示から)

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ちなみに飛鳥資料館の写真撮影は可である

どんな人やろ・・強烈に関心が湧いた

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調べてみると、「奈良まち 奇豪列伝」(安達正興著・奈良新聞社)に、この工藤利三郎が紹介されていた。

奈良の写真を撮りたいと徳島から、猿沢池の東の菩提町(現在の吉田旅館の所)に移り住む(明治26年45歳の時)。
①写真を撮っているうちに佐伯定胤(法隆寺管主)と知り合いになり、
②また同郷の喜田貞吉を学術的パトロンとして、
③明治28年に開館した「奈良帝室博物館」で工藤の写真が販売され、
さらに明治30年施行の「古社寺保存法」、この指定(特別保護建造物・国宝の指定を受けると維持修理費を内務省が交付する)をのぞむ寺社が申請の写真を工藤に依頼したなどで、工藤の名声はさらに高まり、家計も潤っていった。

その勢いで工藤は写真集、「日本精華」(全11巻)を刊行する。とても高価(一冊20円~30円、現在の20万~30万くらいか)で、販売は好調とはとても言えない状況だった。


そんな状況の上に、飛鳥園が大正13年に帝室博物館付近に転入・開業。工藤の平面的な写真と異なり、飛鳥園の小川晴暘(せいよう)(小川光三氏の父親)の作風は黒バックに浮かび上がる鮮烈な芸術写真、軍配は一目瞭然だった。

帝室博物館、各寺社は次々と工藤のもとから去っていき、酒に入り浸った晩年だったという。

工藤のガラス原版が奈良市教育委員会に引き取られた経過や養女、琴のさんのことなども触れられているが、今日は割愛、それらはご本をお読みください。

工藤利三郎、こんな写真家の経歴であるが、奈良を撮ったカメラマンの草分けとして寺社、仏像、遺跡の撮影で果たした役割、これは巨大である。

「奈良まち奇豪列伝」(工藤以外は石崎勝蔵、左門米造、ヴィリヨン神父紹介している)、
飛鳥資料館の「写真が遺す歴木」の拝観(65歳以上は無料・7月3日までの期日)、
今日はこの二つを、欲張りに紹介させていただきました。

最後の奇豪列伝で紹介されていた、当時の猿沢池の東側の概念図を紹介しておきます
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by koza5555 | 2016-05-10 13:46 | 奈良 | Comments(0)