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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:奈良( 146 )

演能 「野守」と春日野の池とは雪消ノ沢だろうか

10月9日、「田原本の能」で「野守」を鑑賞してきた。第17回、全国障害者芸術・文化祭なら大会(9月1日から11月30日)の企画である。

狂言「棒縛り」(ぼうしばり)、金春流 能「野守(のもり)」の演能の鑑賞が無料という破格の条件だった。
安易だが、いつものように『マンガ能百番』のコピーをもって出かける。場面ごとにあらすじをマンガで示してくれるので、とても役立つのである。

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さて、
出羽の羽黒山を(葛城大峰をめざして)出た山伏が、春日の里を訪れ、鏡のような美しい池を見つける。野守の翁が現れ、「池は朝も夕も野守の姿を映し、野守の鏡といわれる」と説明する。

真の野守の鏡は鬼神が持っていたもので、、昼は人になって野を守り、夜は鬼なって塚に住んだという。(田原本町パンフから)

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この池が気になった。

この池を春日の飛火野の「雪消ノ沢古蹟跡」に充てたい。理由はあるが、僕の独断である。

「雪消ノ沢」(ゆきげのさわ)は

「春日野の 雪消の沢に 袖垂れて 君がためにと 小芹をぞ摘む」(藤原仲実 (平安後期の公家,権大納言)『堀川百首』 春 71)と古歌にも歌われている名所なのである。

 を

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  雪消沢古蹟。春日大社参道を東にすすみ、バス通りを越えて
  右側、飛火野に入ると小さな池、池の中に石塔が立っている。

湧き水であること

春日野の飛火野にあること

近くには塚(春日山古墳群)が密集していること

などの状況証拠は、バッチリであるが。



今日は、狂言、能、楽しませて頂いた。

蛇足だが、野守は鏡がテーマ。狂言の棒縛りも杯が鏡となって映しだすがテーマで、今回のテーマは・・・鏡・・・でしたか。

今回の演能は田原本町町青垣歴史センターが会場だった。田原本には鏡作神社があり、鏡造りの長くて深い鏡の伝統がある。そんなことから鏡がテーマだった?と推測したりして楽しんだ。能もおもしろい・・・・・



by koza5555 | 2017-10-09 20:01 | 奈良 | Comments(0)

神野山となべくら渓

なべくら渓という奇勝がある。奈良県の一番東、山添村の神野山(こうのやま)の東の谷である。


大小の黒々とした岩石がるいるいと重なりあい、長さ600mに渡って、「岩の川」という様相を見ることができる。


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この岩は角閃斑糲岩(かくせんせきはんれいがん)という深成岩(火成岩の一種)で、岩質が非常に堅いために侵蝕にたえてこの山をかたちづくったと考えられている。

かたい岩は角閃斑糲岩のかけらで、谷底に転げ落ち、滑り落ちて集まり、あたかも「岩の川」と見間違える・・地元の方は「天の川」と言われるような姿で堆積、今の姿となったされている。だから、水は・岩の下を流れていて、耳をすませば水流が聞こえるともいわれている。

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岩の流れ(天の川)の中流には竜王岩。しめ縄も張られていて、神体として祀られている。

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なべくら渓は「伊賀の天狗と神野山の天狗がけんかをして投げあった岩だという伝説」もあり、天狗がキーワード。


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最上流には天狗石

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神野山の裏山(南側)には神野寺(高野山真言宗一心印)には巨大な杉が残されている。神野山の天狗伝承の中心として住民に崇敬されてきた天狗杉である。これは二代目とのことだが、山添村の天然記念物だ。

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 神野山、山頂付近まで、素晴らしいお茶畑。大和かぶせ茶というらしい。初摘み一番茶のみ限定使用で「玉露の旨みと、煎茶の爽やかさ」が自慢のお茶は「千の露」。海抜600メートルの見事な環境で生育したお茶である。

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神野山、618メートル、全周が見渡される頂上はつつじの名所でもある。

山を下りたら、森林科学館には農産物の直売所のみどり屋で野菜が。そして映山紅(えいざんこう)で食事がとれる。

「茶がゆ」「茶まぶし」がおすすめらしいが、僕は、山里の食材を生かしたうどん定食。キツネうどんにおにぎり二個で860円。おいしくいただいた。

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なべくら渓、いつでも素晴らしいが、つつじのきれいな5月に、ぜひ訪れたいものである。



by koza5555 | 2017-09-22 20:23 | 奈良 | Comments(0)

松永久秀と多聞城

多聞城跡、若草中学に行ってきた。まだ夏休みの頃である。

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多聞城の棟上げは永禄5年(1562年)8125時。奈良中がこれを見物。久秀はその年の12月に大和、山城に徳政を出している。

得意の絶頂だっただろう。大仏殿が焼かれたのは1567年、その5年前である。

近世の城郭の始まりと言われる多聞城、それを築いた松永久秀を考えてみた。


信貴山城で爆死したといわれる松永久秀。将軍を殺し、主君の三好を殺し、東大寺の大仏を焼いたとされた松永久秀である。


松永久秀』、「シリーズ 実像に迫る」。著者は金松誠、戎光祥出版(えびすこうしょうしゅっぱん)である。

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松永久秀の略歴である。金松誠さんがまとめている。

永正5年(1508年)誕生

天文9年(1540年)三好長慶の家臣

天文19年(1549年)三好長慶上洛、久秀は「内者」(ないじゃ 守護の直属の家臣)として現れる。

永禄2年(1559年)久秀、超昇寺氏を案内者として大和に侵入、筒井城を攻め落とす。筒井順慶、椿尾上城に逃げる。

永禄3年(1560年)久秀、足利義輝の御供衆に召し上げられる。久秀、この年に一国を治めて、信貴山城を居城とする。

永禄4年(1561年)久秀、眉間寺を移動させて、多聞城を築く

永禄5年(1562年)8125時に多聞城を棟上げ。奈良中がこれを見物。12月に大和、山城に徳政を出す。  

永禄8年(1565年)519日 久通(久秀長男)ら、将軍御所に乱入。足利義輝は自害。              三好三人衆との軋轢強まる。

永禄9年(1566年)530日、堺で三好三人衆と戦い、敗北。逐電(堺に匿われた)する。

永禄10年(1567年)46日 堺を出て信貴山城に入る。織田信長の配下に。         1010日、東大寺に三好三人衆を攻め、大仏殿、兵火にかかる。

永禄11年(1568年)久秀、大和の支配を信長に認められる。

天正元年(1573年)久秀、2月より信長に叛旗。敗れて12月には人質を入れて屈服12月に多聞城を明け渡す。

天正4年(1576年)筒井順慶、「和州一国一円」の支配を信長から任せられる。

天正5年(1577年)閏726日、信長の命で、松永久通が奉行となり多聞城の破城を行う。817日、久秀、久通、信長に叛旗。1010日、久秀、信貴山城で自害する。

久秀、波乱多きの70歳だった。15671010日に大仏を焼き、その10年後の1010日に自害している。鎌倉時代の大仏と久秀の命日は同じである。

「将軍を殺し、主君の三好を殺し、東大寺の大仏を焼いた久秀」。金松さんは、それを否定して「久秀は手を下したわけではない」と力説されるが、「久秀の意思なしではどの事件も起きなかった」というのが僕の感想である。

年表を整理しただけのblogとなった。

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織豊時代の奈良の町の姿だそうだ。


by koza5555 | 2017-09-07 22:04 | 奈良 | Comments(0)

源信 地獄 極楽への扉 国立奈良博物館

源信 地獄 極楽への扉。源信1000年忌特別展である。

会期は9月3日(日)まで、バタバタと拝見してきた。


恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)(9421017)は奈良で生まれ、比叡山で修行を積んだ平安時代の僧侶です。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。『往生要集』(おうじょうようしゅう)などにより源信が示した具体的な死後の世界のイメージは、後世へも多大な影響を及ぼしました。

 本展では地獄絵を含む六道絵(ろくどうえ)や阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)といった源信の影響下で生まれた名品が一堂に会します。死後の世界へのイマジネーションを体感していただくとともに、真摯に死と向き合った名僧の足跡をご紹介いたします。(奈良国立博物館HP)

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当麻寺、浄瑠璃寺、宇治の平等院の「迎講」や「阿弥陀来迎図」が源信からとは知っていたが、深く考えが及んでいなかった。極楽とか、極楽への道ということであるが、それを望むが、まずは地獄を徹底してみせるのが『往生要集』である。

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展示は源信、比叡山横川、地獄絵、来迎と極楽という構成で、『往生要集』が絵として示されている。

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阿鼻地獄。熱鉄の地の上に仰むきに寝かせ、 鉗かなばさみで口を挟んで開かせ、 焼けた鉄丸を、 その口の中に入れられる。口・咽喉のどを焼き、 内臓を通って下から出る。七つの大地獄とならびにそれに付属した別の地獄のあらゆる苦しみを一分とすると、 阿鼻地獄の苦しみは、 これらに勝ること一千倍である。 (往生要集現代語訳)

強烈な地獄と極楽を、儀式や絵画で強烈に対比させながらの浄土信仰のありようを『往生要集』をまとめた源信の影響の大きさが存分に感ずることができた。

でも、現世で痛めつけられ、傷つけられる衆生が、何かあの世でも苦しむみたいで・・

これは考えすぎかな・・・それにしても、僕はこちらで阿鼻叫喚する側だろうなあ


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会期は9月3日(日)まで。ぜひぜひ、どうぞ



by koza5555 | 2017-08-27 10:22 | 奈良 | Comments(0)

十津川 小原の大踊り

13日は十津川の大踊り。朝から十津川に入り、谷瀬の吊り橋、玉置神社、玉置山登山、果無(はてなし)を見学して、夕方から小原の盆踊りがおこなわれる第一小学校を訪れてきた。

小原の盆踊りは午後8時から12時まで。桜井からは2時間30分以上かかる。最後まで拝見して、帰れば午前3時・・

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十津川の大踊りは、1974年(昭和49年)に「無形の民俗文化財」の指定を受けた。

十津川は村々で盆踊りがおこなわれているが、小原地区、武蔵地区、西川地区の大踊りが指定されている。

曜日に関係なく、13日は小原、14日は武蔵、15日は西川である。

ヤグラには音頭取り、音は締め太鼓だけで、調子を取っていくようである。

今年も木曽節で始まる。十津川の盆踊りはほとんどが扇子踊りであるが、これは手踊り。

その後は串本節とかの民謡をもとにした「馬鹿踊り」、お杉口説、たばこ口説、天誅おどりなどの「口説き」の踊りが続けらる。

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これは天誅おどり。天誅組に絡んだ十津川の物語。少女のお話である。二人で向かい合った珍しい踊り。男女のことか、あるいは切り違えの姿か

10時、過ぎに「次は大踊り」と告げられ休憩に。

ヤグラに向かって太鼓を持ち、ばちを持った男たち。その後ろには女性が扇をもって並び、竹笹の吊り灯篭が4本(白赤緑の3色の紙を切った美しいもの)並ぶ。

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初めはゆったりと足踏みするような踊りである。「元歌」といわれる。

太鼓うちは、白・赤・緑の房の付いたバチで抱えた締め太鼓をたたく。


後半はヤグラの周りが一転する。太鼓は太鼓持ちがもち、激しく太鼓が叩かれる。

踊り子はヤグラを取り囲み、頭上で扇を振り、灯篭もちが外周を走り回る。

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民謡や口説きの時とは、ガラッと異なる激しい乱舞である。

これが大踊り、これが無形文化財に指定されている。

風流踊りの流れを引くといわれる。美しい大きな灯篭を作り、みんなが飾り立て、激しく太鼓をたたき、音頭取りもここぞとばかりに歌い上げていく。

素晴らしいの一言に尽きる。糸井神社のなもで踊りの絵馬を見たばかりだが、あの絵が彩色されて、音付きの動画に代わったとみても、言い過ぎではないだろう。

近世、盆地内で廃れた風流踊りは、こんな形で十津川に残っているんだろうなと感動する。


盆踊りは大踊りの後、数曲を踊って、最後はお決まりの「伊勢音頭」で、終了した。

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小原盆踊り、8月になると奇数日に練習、7日盆は休んで8日にからは毎日練習、12日に休んで13日に開催という日程とのこと。

今日、15日は武蔵、明日の16日は西川で開催される。

実施の主体はそれぞれ、小原踊保存会、武蔵踊保存会、西川大踊保存会となっている。

朝から十津川を訪れた。はじめは谷瀬

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谷瀬の吊り橋。高さ54m、長さ297m。

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世界文化遺産、中辺路・・果無の集落
「雲を踏み嵐を攀て御熊野の果無し山の果も見しかな」『 南山踏雲録』伴林光平である



by koza5555 | 2017-08-14 14:48 | 奈良 | Comments(0)

古事記でたどる大和の旅

「古事記でたどる大和の旅」をご案内する。9月から12月まで、クラブツーリズム大阪の企画である。いずれも大阪発(新大阪と天王寺)で第三水曜日の催行である。

『古事記』といえば・・・神武天皇とヤマトタケルだろうか。書き記した太安万侶、読み上げた稗田阿礼も欠かせない。

日本最古の歴史書である『古事記』を舞台に全4回で奈良を旅するシリーズツアー。

『古事記』といえば神撫天皇、悲劇の皇子・ヤマトタケル,誦習したのは稗田阿礼、筆録したのは太安万侶。『古事記』に関わる英雄とそれを誦習、筆録した人をテーマにしました。クラブツーリズム テーマ関西より


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    丹生川上神社中社

第一回目は「神武天皇の東征 ゆかりの地めぐり」で、9月20日

で、丹生川上神社中社、宇賀神社・血原橋、八咫烏神社、墨坂神社を訪ねる。
昼食は大宇陀道の駅のレストラン甘羅。

第二回。「大和青垣にヤマトタケルをしのぶ」。10月18日の催行である。

日本武尊琴弾原白鳥陵、景行天皇陵、黒塚古墳館、石上神宮を訪れる。人気の「道の駅かつらぎ」でも、ゆっくりくつろいでいただき、昼食は柿の葉ずしヤマトあすか店である。


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日本武尊琴弾白鳥陵

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               太安万侶墓・奈良市田原
第三回は「稗田阿礼・太安万侶ゆかりの地めぐり」で11月15日である。ツアーは錦秋の大和高原から始める。

太安万侶墓、神功皇后陵(佐紀盾列古墳「」群)、賣太神社・稗田環濠集落、多神社というコースで奈良・大和郡山・田原本を訪れる。食事は倭膳 たまゆら‥ご満足いただけるだろう。

12月は「即位した神武天皇」をテーマに橿原神宮、神武天皇陵、等彌神社、大神神社を訪問する。12月は変則で6日(第一水曜日)を予定している。

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     橿原神宮 久米舞

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このシリーズツアーの工夫したところは、『古事記』を語りぬきたい、併せて、ひろく奈良を回っていただきたい・・だった。思惑通りのコースができた。全コースの参加をお勧めしたいが、日程、時間もあります。今回は一回ごとの参加ももちろんできます。

お待ち、いたしております。

お申込みはクラブツーリズム大阪 06(6733)0090



by koza5555 | 2017-07-23 07:48 | 奈良 | Comments(0)

ヤマトタケル

10月に、古事記に沿ってヤマトタケルをテーマのバスツアーをご案内する。

ヤマトタケルは乱暴者?

ヤマトタケルは知力と武力に優れた英雄?

ヤマトタケルは退路を断たれた悲劇の主人公?

ヤマトタケルのイメージが溢れつくすようなツアーを実施したいものである。


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大和琴弾原陵(御所市)。大和のヤマトタケルの陵。竹藪の中、外周を歩けるが、これは方墳だろうか

ヤマトタケル、
古事記や日本書記を見直してみるが、「魅力、どこ?」と遠い人なのである。
そこで、
例えば黒岩重吾はヤマトタケルをどんなふうに書いているのかなと考えて…ぺらぺらと読んで見た。
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ヤマトタケルのにし・東に遠征する前の大和での生活を考えるとき、兄さんの大碓命との関係は重要である。

兄に出仕するように教え諭せと天皇に言われるが、ヤマトタケルは「手足をちぎり、コモにくるんで投げ捨てた」との乱暴を兄に対して行ったと古事記は記す。

ここをしっかり考えたい。古事記のツアーだが、ここは書記の力を借りなければどうにもならない。数知れない景行天皇の皇子のうち、大碓命とヤマトタケルは母をともにする兄弟である。自らの力を弱めるような、そんな乱暴するんだろうか。

古事記によれば
景行天皇の時に、天皇は美濃の大根王の兄比売、弟比売の二人の娘が美しいと聞き、妻に迎えようと大碓命を派遣する。ヤマトタケル(小碓)の同母の兄である。

ところが大碓命は、その二人の娘を自分の妻にしてしまい、代わりの娘を偽って大和に連れ戻った。天皇はそれに気づくが、大碓命を処罰することはなかった。

大碓命が兄比売に産ませた子は宇泥須和気(うねすわけ)の祖先となり、弟比売に産ませた子は牟宣都君(むげつのきみ 武儀郡?)の祖先となった。

こんな状況だから、大碓命は天皇(景行天皇)を避けるようになってしまう。そこで弟の小碓命に、「出仕せよと教えさとせ」と命令する。

小碓命は、「兄の手足をちぎり、コモにくるんで投げ捨てた」と答えた。

天皇はその乱暴ぶりを疎ましく思い、「西の熊襲を撃て」と追い払った。

これが、古事記である。

日本書記は、ここらあたりはだいぶ違う。

天皇が美濃の国造の娘、兄遠子、弟遠子を召し上げようと大碓命を遣わすが女と通ずて、天皇が恨みに思うのは同じである。

その後、天皇は熊襲を撃つ。「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 やまごもれる 大和しうるわし」を」歌われたとされる。

こうして、いったんは平定する。さらにヤマトタケルを熊襲征伐に改めて、送ったとされていて、日本書紀には「大碓命を殺した」という話がないのである。


黒岩重吾はこれを取り上げて
500ページの「白鳥の王子 ヤマトタケル 日本の巻」を書き上げてしまった。

大碓命は山背で、秘密の屋敷を持ち兄比売を住まわせるが、天皇の知るところとなり、ヤマトタケルに「大碓命を殺せ」と命令するのであるが、ヤマトタケルは兄を殺さず、美濃に兄を送ったという話を作り上げた。

古事記と日本書記の折衷であり、またその後に大碓命が美濃や尾張・三河に足跡があるとの伝承を取り入れ、まとめ上げているのである。


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愛知県豊田市に鎮まる猿投神社の御祭神は大碓命。しかもこちらには大碓命の墓も残されているというのである。
こちらは猿投山への登山口に当たり、僕も立ち寄ったことがあるのである。写真はないので、Wikipediaから借用した。


イナビ(印南)ノオオツラヒメを母とする大碓、小碓をライバルとして敵視し、疎んだ、皇后のヤサカノイリヒメの策略による攻撃を合間に挟んで、話が楽しめるようになっている。
ちなみに大碓、小碓の母は早く亡くなっている。皇后のヤサカノイリヒメの長男は成務天皇(第13代)である。


ヤマトタケルの西征、東征にはこの皇后の意向が働くのかという予測があり、ヤマトタケルの繰り返しの遠征は景行天皇の意向というより、皇后の意向なんだろうか・・・

景行天皇をめぐるヤサカノイリヒメ(成務天皇の母である)と大碓命とヤマトタケル(仲哀天皇の父である)の力関係とか、微妙におもしろい。

使命に生きたヤマトタケル、愛に生きた大碓命がとっても好きになった。


登場人物が、とりあえず好きになること、それが講演やツアーの成功の第一歩である。

ヤマトタケルの三陵を拝見してきた。

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  • 能褒野墓。三重県の亀山市、考古学では「能褒野王塚古墳」である。
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    隣接の能褒野神社。明治18年(神社境内説明看板による)
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  • 白鳥陵(しらとりのみささぎ)御所市富田。琴弾原古墳。幅約28メートル×約45メートルの長方丘とされる。
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  • 白鳥陵(しらとりのみささぎ)大阪府羽曳野市。考古学名は「軽里大塚古墳」







  • by koza5555 | 2017-07-11 20:12 | 奈良 | Comments(0)

    龍田大社 風鎮大祭

    龍田大社(生駒郡三郷町立野(たつの))の風鎮大祭を拝見した。七月の第一日曜日である。

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    奉納される風神花火(手筒花火)

    太鼓や河内音頭の神振りの奉納の後、風神花火で神様に火のごちそうをお供えするという祭である。四月の風神祭とならんで、五穀豊穣の例大祭の位置づけである。付け加えれば10月の秋季大祭は収穫感謝の祭となる。


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    風神太鼓の奉納と河内音頭で神賑わい

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    風神花火

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    フィナーレ ナイヤガラの滝とか・・・


    こちら三郷町の龍田大社は大和川の右岸、河合町の廣瀬神社は左岸に位置して、その立地は対であるが、古くからの祭祀、神社の在り方も対とされている。


    これを引き継いでいる両社の祭も対で、龍田は風鎮、広瀬の砂かけは雨・水の祈願である。

    雨を降らせ、風を抑える、これは農業、稲作の根源の祭祀といえよう。


    平安時代(延喜式)には、宮廷の四時祭(四季節の祭)の一つで,広瀬神社の大忌祭、龍田大社の風神祭は4月,7月の4日に祭りが営まれたとされている。

    しかもこれが『日本書記』に記されている、天武天皇の時代からの祭というのがすごい。

    「天武天皇4年(675年)410日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀った」、これが、龍田と広瀬の始まりである。

    「我が宮(広瀬の河合に奉る水の神)は朝日の日向の所、夕日の日隠(ひかぐる)る所の龍田の立野に、吾が宮(龍田の神、風の神を)を定め奉」れば、公民の暮らしは成り立つ(延喜式)。

    また『延喜式』に記された祝詞、「龍田風神祭祝詞」によれば、

    「崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建された」とも記される。

    天照大御神はニニギの尊に稲と稲作の力を持たせて降臨させたというのが、古事記・日本書紀に記されている。稲作は神の教え、稲作は神そのものをたたえる行為とされているのである。風鎮大祭の根源は深いものがある。



    by koza5555 | 2017-07-03 09:36 | 奈良 | Comments(0)

    鍵と今里の蛇巻き

    田原本町のノガミを拝見した。鍵・今里のノガミ祭りである。
    祭の所作から、それぞれの地域で、「鍵の蛇巻き」、「今里の蛇巻き」と呼称している。
    期日は6月の第一日曜日(以前は旧暦の5月5日)に行われる。

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    鍵の「蛇」の出発

    鍵は八坂神社で、今里は杵築神社で蛇巻きの行事がおこなわれる。

    国道24号線を郡山インターから南に向かうと左手(東)に有名な鍵・唐古遺跡の楼閣、右側は唐古の集落、その先が鍵の村である。今里はさらに西の寺川沿いにある。明治25年までは大和川の船着き場だったという。
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    鍵の蛇巻きは午前7時30分に始まった。頭を作る・・・200㎏はあるとのことである。
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    綱は芯に荒縄を巻き込み、横向きに綯っていく。藁と麦ワラの混合である。
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    2時から祭祀が始まる。弁当箱のようなドサン箱も準備される。ミニチュアの農機具が入っている。竹竿をつけて、この先を各家に差し向けて、祝儀をいただく。
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    神社を出て、村を北に、その後、南に戻り、ツナ場(北中学校の向かい)で、エノキの木に蛇をまきつける。
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    一方、今里の蛇は 午後1時頃に集合、杵築神社にて蛇を作成する。


    午後3時頃から午後5時30分まで、今里の大字全戸をまわり、神社に戻り、蛇を巻きつける。
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    こちらは麦わらである。
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    蛇にお酒を呑ませる。


    参拝者に、藁の先にくくられた「わかめの味噌煮」が配られる。微妙に甘くておいしい。
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    奈良県の民俗と言えば鹿谷勲さんだが、鹿谷先生も美味しそうにいただいている。「撮るよ」と言って撮らせてもらった。
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    その後、中学生が蛇を持ち上げて、村の隅々までまわる。、各戸の頭を入れ、「おめでとう」と全員で声を張り上げる。
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    さらにあちこちで、蛇体で人を巻き込む。巻かれた人も福があるとされるが、なかなか、一般の見学者を巻き込むことはない。
    この巻き込みを見ていると、この行事は、ヨノミの木に巻き付けるから蛇巻きか、それとも町で人を巻き込むから蛇巻きというのだろうか。

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    巻き込まれて歓声をあげる・・・

    寺川もわたる。
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    蛇巻きは、その構成員が男子であり、旧暦の5月5日に行われる端午の節句にちなんだ行事である。今里では、蛇の巻き付けられた大樹の根元の祠に、絵馬や農具のミニチュアが祭られることから、田植え時の降雨を祈願したものと考えられる(田原本観光協会HPから)


    田原本町の鍵と今里の蛇巻き、6月の第一日曜日である。来年はぜひ、どうぞ
    by koza5555 | 2017-06-07 15:43 | 奈良 | Comments(0)

    弥生絵画 -人・動物・風景 橿原考古学研究所博物館

    橿原考古学研究所の博物館は4月22日から6月18日の会期で「弥生絵画 -人・動物・風景」展を開催している。早速、拝見してきた。

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    橿原考古学研究所付属博物館


    はじめの展示は「弥生土器は梅原末治と森本六爾によって幕開け」がなされたとある。

    森本六爾は大正13年(1924)に「原始的絵畫(かいが)を有する弥生式土器について」のなかで、…この土器を「日本で最古の自由絵畫、若しくは其の一つとして明らかな価値を有している」とし、描かれた鹿に対して「明確に且つ正確に特徴をあらわしていることに於いて一段と興味が深い」と評価しています。・・・・鹿が左向きに描かれていることから作者を「右利き」と想定したことや「日本芸術史上の最も興味ある序曲を形造るもの」と捉えたことは、弥生絵画研究の基礎となりました。
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    左向きの鹿の写真。これは森本六爾が撮影したもの。あれこれの書き込みは僕がしました(笑)


    森本六爾の野帳もすごい。これは、見入ってしまった。1927年頃の野帳とのことである。
    絵画土器をスケッチして、そのイメージを絵にしている。左下の絵が土器のスケッチ。それを船の舳先とみて、船頭を描き、左右の団扇をオールとみて漕ぎ手も描くという洞察力を発揮している。
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    森本六爾…すごすぎ

    清水風遺跡(天理市・鍵唐古遺跡の北方)から、出た絵画土器に圧倒される。僕は全く分かっていないんだが、「鍵唐古からでました」と普通考えている絵画が、けっこう清水風からも出ているのである。
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    坪井・大福からも鳥装の巫女の展示が出ている。鳥の羽を身につけ、両手を挙げる巫女の姿である。「坪井・大福遺跡は、桜井市側にすごいのがまだまだ埋まっているのでは」である。

    展示品は270点、あれこれ関心のもちようで、それに合わせたあれこれのお宝がいっぱいだ。
    弥生時代を絵画で見ることが出来る、「新作発見!弥生絵画」、ぜひご覧してください。図録も垂涎写真が満載である。

    注意は二点。
    展示品はほとんどが撮影できる。
    いつもは65才以上は無料だが、この展示は800円の有料である。
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    by koza5555 | 2017-04-26 21:36 | 奈良 | Comments(0)