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奈良・桜井の歴史と社会

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カテゴリ:奈良( 142 )

十津川 小原の大踊り

13日は十津川の大踊り。朝から十津川に入り、谷瀬の吊り橋、玉置神社、玉置山登山、果無(はてなし)を見学して、夕方から小原の盆踊りがおこなわれる第一小学校を訪れてきた。

小原の盆踊りは午後8時から12時まで。桜井からは2時間30分以上かかる。最後まで拝見して、帰れば午前3時・・

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十津川の大踊りは、1974年(昭和49年)に「無形の民俗文化財」の指定を受けた。

十津川は村々で盆踊りがおこなわれているが、小原地区、武蔵地区、西川地区の大踊りが指定されている。

曜日に関係なく、13日は小原、14日は武蔵、15日は西川である。

ヤグラには音頭取り、音は締め太鼓だけで、調子を取っていくようである。

今年も木曽節で始まる。十津川の盆踊りはほとんどが扇子踊りであるが、これは手踊り。

その後は串本節とかの民謡をもとにした「馬鹿踊り」、お杉口説、たばこ口説、天誅おどりなどの「口説き」の踊りが続けらる。

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これは天誅おどり。天誅組に絡んだ十津川の物語。少女のお話である。二人で向かい合った珍しい踊り。男女のことか、あるいは切り違えの姿か

10時、過ぎに「次は大踊り」と告げられ休憩に。

ヤグラに向かって太鼓を持ち、ばちを持った男たち。その後ろには女性が扇をもって並び、竹笹の吊り灯篭が4本(白赤緑の3色の紙を切った美しいもの)並ぶ。

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初めはゆったりと足踏みするような踊りである。「元歌」といわれる。

太鼓うちは、白・赤・緑の房の付いたバチで抱えた締め太鼓をたたく。


後半はヤグラの周りが一転する。太鼓は太鼓持ちがもち、激しく太鼓が叩かれる。

踊り子はヤグラを取り囲み、頭上で扇を振り、灯篭もちが外周を走り回る。

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民謡や口説きの時とは、ガラッと異なる激しい乱舞である。

これが大踊り、これが無形文化財に指定されている。

風流踊りの流れを引くといわれる。美しい大きな灯篭を作り、みんなが飾り立て、激しく太鼓をたたき、音頭取りもここぞとばかりに歌い上げていく。

素晴らしいの一言に尽きる。糸井神社のなもで踊りの絵馬を見たばかりだが、あの絵が彩色されて、音付きの動画に代わったとみても、言い過ぎではないだろう。

近世、盆地内で廃れた風流踊りは、こんな形で十津川に残っているんだろうなと感動する。


盆踊りは大踊りの後、数曲を踊って、最後はお決まりの「伊勢音頭」で、終了した。

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小原盆踊り、8月になると奇数日に練習、7日盆は休んで8日にからは毎日練習、12日に休んで13日に開催という日程とのこと。

今日、15日は武蔵、明日の16日は西川で開催される。

実施の主体はそれぞれ、小原踊保存会、武蔵踊保存会、西川大踊保存会となっている。

朝から十津川を訪れた。はじめは谷瀬

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谷瀬の吊り橋。高さ54m、長さ297m。

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世界文化遺産、中辺路・・果無の集落
「雲を踏み嵐を攀て御熊野の果無し山の果も見しかな」『 南山踏雲録』伴林光平である



by koza5555 | 2017-08-14 14:48 | 奈良 | Comments(0)

古事記でたどる大和の旅

「古事記でたどる大和の旅」をご案内する。9月から12月まで、クラブツーリズム大阪の企画である。いずれも大阪発(新大阪と天王寺)で第三水曜日の催行である。

『古事記』といえば・・・神武天皇とヤマトタケルだろうか。書き記した太安万侶、読み上げた稗田阿礼も欠かせない。

日本最古の歴史書である『古事記』を舞台に全4回で奈良を旅するシリーズツアー。

『古事記』といえば神撫天皇、悲劇の皇子・ヤマトタケル,誦習したのは稗田阿礼、筆録したのは太安万侶。『古事記』に関わる英雄とそれを誦習、筆録した人をテーマにしました。クラブツーリズム テーマ関西より


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    丹生川上神社中社

第一回目は「神武天皇の東征 ゆかりの地めぐり」で、9月20日

で、丹生川上神社中社、宇賀神社・血原橋、八咫烏神社、墨坂神社を訪ねる。
昼食は大宇陀道の駅のレストラン甘羅。

第二回。「大和青垣にヤマトタケルをしのぶ」。10月18日の催行である。

日本武尊琴弾原白鳥陵、景行天皇陵、黒塚古墳館、石上神宮を訪れる。人気の「道の駅かつらぎ」でも、ゆっくりくつろいでいただき、昼食は柿の葉ずしヤマトあすか店である。


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日本武尊琴弾白鳥陵

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               太安万侶墓・奈良市田原
第三回は「稗田阿礼・太安万侶ゆかりの地めぐり」で11月15日である。ツアーは錦秋の大和高原から始める。

太安万侶墓、神功皇后陵(佐紀盾列古墳「」群)、賣太神社・稗田環濠集落、多神社というコースで奈良・大和郡山・田原本を訪れる。食事は倭膳 たまゆら‥ご満足いただけるだろう。

12月は「即位した神武天皇」をテーマに橿原神宮、神武天皇陵、等彌神社、大神神社を訪問する。12月は変則で6日(第一水曜日)を予定している。

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     橿原神宮 久米舞

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このシリーズツアーの工夫したところは、『古事記』を語りぬきたい、併せて、ひろく奈良を回っていただきたい・・だった。思惑通りのコースができた。全コースの参加をお勧めしたいが、日程、時間もあります。今回は一回ごとの参加ももちろんできます。

お待ち、いたしております。

お申込みはクラブツーリズム大阪 06(6733)0090



by koza5555 | 2017-07-23 07:48 | 奈良 | Comments(0)

ヤマトタケル

10月に、古事記に沿ってヤマトタケルをテーマのバスツアーをご案内する。

ヤマトタケルは乱暴者?

ヤマトタケルは知力と武力に優れた英雄?

ヤマトタケルは退路を断たれた悲劇の主人公?

ヤマトタケルのイメージが溢れつくすようなツアーを実施したいものである。


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大和琴弾原陵(御所市)。大和のヤマトタケルの陵。竹藪の中、外周を歩けるが、これは方墳だろうか

ヤマトタケル、
古事記や日本書記を見直してみるが、「魅力、どこ?」と遠い人なのである。
そこで、
例えば黒岩重吾はヤマトタケルをどんなふうに書いているのかなと考えて…ぺらぺらと読んで見た。
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ヤマトタケルのにし・東に遠征する前の大和での生活を考えるとき、兄さんの大碓命との関係は重要である。

兄に出仕するように教え諭せと天皇に言われるが、ヤマトタケルは「手足をちぎり、コモにくるんで投げ捨てた」との乱暴を兄に対して行ったと古事記は記す。

ここをしっかり考えたい。古事記のツアーだが、ここは書記の力を借りなければどうにもならない。数知れない景行天皇の皇子のうち、大碓命とヤマトタケルは母をともにする兄弟である。自らの力を弱めるような、そんな乱暴するんだろうか。

古事記によれば
景行天皇の時に、天皇は美濃の大根王の兄比売、弟比売の二人の娘が美しいと聞き、妻に迎えようと大碓命を派遣する。ヤマトタケル(小碓)の同母の兄である。

ところが大碓命は、その二人の娘を自分の妻にしてしまい、代わりの娘を偽って大和に連れ戻った。天皇はそれに気づくが、大碓命を処罰することはなかった。

大碓命が兄比売に産ませた子は宇泥須和気(うねすわけ)の祖先となり、弟比売に産ませた子は牟宣都君(むげつのきみ 武儀郡?)の祖先となった。

こんな状況だから、大碓命は天皇(景行天皇)を避けるようになってしまう。そこで弟の小碓命に、「出仕せよと教えさとせ」と命令する。

小碓命は、「兄の手足をちぎり、コモにくるんで投げ捨てた」と答えた。

天皇はその乱暴ぶりを疎ましく思い、「西の熊襲を撃て」と追い払った。

これが、古事記である。

日本書記は、ここらあたりはだいぶ違う。

天皇が美濃の国造の娘、兄遠子、弟遠子を召し上げようと大碓命を遣わすが女と通ずて、天皇が恨みに思うのは同じである。

その後、天皇は熊襲を撃つ。「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 やまごもれる 大和しうるわし」を」歌われたとされる。

こうして、いったんは平定する。さらにヤマトタケルを熊襲征伐に改めて、送ったとされていて、日本書紀には「大碓命を殺した」という話がないのである。


黒岩重吾はこれを取り上げて
500ページの「白鳥の王子 ヤマトタケル 日本の巻」を書き上げてしまった。

大碓命は山背で、秘密の屋敷を持ち兄比売を住まわせるが、天皇の知るところとなり、ヤマトタケルに「大碓命を殺せ」と命令するのであるが、ヤマトタケルは兄を殺さず、美濃に兄を送ったという話を作り上げた。

古事記と日本書記の折衷であり、またその後に大碓命が美濃や尾張・三河に足跡があるとの伝承を取り入れ、まとめ上げているのである。


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愛知県豊田市に鎮まる猿投神社の御祭神は大碓命。しかもこちらには大碓命の墓も残されているというのである。
こちらは猿投山への登山口に当たり、僕も立ち寄ったことがあるのである。写真はないので、Wikipediaから借用した。


イナビ(印南)ノオオツラヒメを母とする大碓、小碓をライバルとして敵視し、疎んだ、皇后のヤサカノイリヒメの策略による攻撃を合間に挟んで、話が楽しめるようになっている。
ちなみに大碓、小碓の母は早く亡くなっている。皇后のヤサカノイリヒメの長男は成務天皇(第13代)である。


ヤマトタケルの西征、東征にはこの皇后の意向が働くのかという予測があり、ヤマトタケルの繰り返しの遠征は景行天皇の意向というより、皇后の意向なんだろうか・・・

景行天皇をめぐるヤサカノイリヒメ(成務天皇の母である)と大碓命とヤマトタケル(仲哀天皇の父である)の力関係とか、微妙におもしろい。

使命に生きたヤマトタケル、愛に生きた大碓命がとっても好きになった。


登場人物が、とりあえず好きになること、それが講演やツアーの成功の第一歩である。

ヤマトタケルの三陵を拝見してきた。

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  • 能褒野墓。三重県の亀山市、考古学では「能褒野王塚古墳」である。
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    隣接の能褒野神社。明治18年(神社境内説明看板による)
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  • 白鳥陵(しらとりのみささぎ)御所市富田。琴弾原古墳。幅約28メートル×約45メートルの長方丘とされる。
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  • 白鳥陵(しらとりのみささぎ)大阪府羽曳野市。考古学名は「軽里大塚古墳」







  • by koza5555 | 2017-07-11 20:12 | 奈良 | Comments(0)

    龍田大社 風鎮大祭

    龍田大社(生駒郡三郷町立野(たつの))の風鎮大祭を拝見した。七月の第一日曜日である。

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    奉納される風神花火(手筒花火)

    太鼓や河内音頭の神振りの奉納の後、風神花火で神様に火のごちそうをお供えするという祭である。四月の風神祭とならんで、五穀豊穣の例大祭の位置づけである。付け加えれば10月の秋季大祭は収穫感謝の祭となる。


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    風神太鼓の奉納と河内音頭で神賑わい

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    風神花火

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    フィナーレ ナイヤガラの滝とか・・・


    こちら三郷町の龍田大社は大和川の右岸、河合町の廣瀬神社は左岸に位置して、その立地は対であるが、古くからの祭祀、神社の在り方も対とされている。


    これを引き継いでいる両社の祭も対で、龍田は風鎮、広瀬の砂かけは雨・水の祈願である。

    雨を降らせ、風を抑える、これは農業、稲作の根源の祭祀といえよう。


    平安時代(延喜式)には、宮廷の四時祭(四季節の祭)の一つで,広瀬神社の大忌祭、龍田大社の風神祭は4月,7月の4日に祭りが営まれたとされている。

    しかもこれが『日本書記』に記されている、天武天皇の時代からの祭というのがすごい。

    「天武天皇4年(675年)410日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀った」、これが、龍田と広瀬の始まりである。

    「我が宮(広瀬の河合に奉る水の神)は朝日の日向の所、夕日の日隠(ひかぐる)る所の龍田の立野に、吾が宮(龍田の神、風の神を)を定め奉」れば、公民の暮らしは成り立つ(延喜式)。

    また『延喜式』に記された祝詞、「龍田風神祭祝詞」によれば、

    「崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建された」とも記される。

    天照大御神はニニギの尊に稲と稲作の力を持たせて降臨させたというのが、古事記・日本書紀に記されている。稲作は神の教え、稲作は神そのものをたたえる行為とされているのである。風鎮大祭の根源は深いものがある。



    by koza5555 | 2017-07-03 09:36 | 奈良 | Comments(0)

    鍵と今里の蛇巻き

    田原本町のノガミを拝見した。鍵・今里のノガミ祭りである。
    祭の所作から、それぞれの地域で、「鍵の蛇巻き」、「今里の蛇巻き」と呼称している。
    期日は6月の第一日曜日(以前は旧暦の5月5日)に行われる。

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    鍵の「蛇」の出発

    鍵は八坂神社で、今里は杵築神社で蛇巻きの行事がおこなわれる。

    国道24号線を郡山インターから南に向かうと左手(東)に有名な鍵・唐古遺跡の楼閣、右側は唐古の集落、その先が鍵の村である。今里はさらに西の寺川沿いにある。明治25年までは大和川の船着き場だったという。
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    鍵の蛇巻きは午前7時30分に始まった。頭を作る・・・200㎏はあるとのことである。
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    綱は芯に荒縄を巻き込み、横向きに綯っていく。藁と麦ワラの混合である。
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    2時から祭祀が始まる。弁当箱のようなドサン箱も準備される。ミニチュアの農機具が入っている。竹竿をつけて、この先を各家に差し向けて、祝儀をいただく。
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    神社を出て、村を北に、その後、南に戻り、ツナ場(北中学校の向かい)で、エノキの木に蛇をまきつける。
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    一方、今里の蛇は 午後1時頃に集合、杵築神社にて蛇を作成する。


    午後3時頃から午後5時30分まで、今里の大字全戸をまわり、神社に戻り、蛇を巻きつける。
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    こちらは麦わらである。
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    蛇にお酒を呑ませる。


    参拝者に、藁の先にくくられた「わかめの味噌煮」が配られる。微妙に甘くておいしい。
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    奈良県の民俗と言えば鹿谷勲さんだが、鹿谷先生も美味しそうにいただいている。「撮るよ」と言って撮らせてもらった。
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    その後、中学生が蛇を持ち上げて、村の隅々までまわる。、各戸の頭を入れ、「おめでとう」と全員で声を張り上げる。
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    さらにあちこちで、蛇体で人を巻き込む。巻かれた人も福があるとされるが、なかなか、一般の見学者を巻き込むことはない。
    この巻き込みを見ていると、この行事は、ヨノミの木に巻き付けるから蛇巻きか、それとも町で人を巻き込むから蛇巻きというのだろうか。

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    巻き込まれて歓声をあげる・・・

    寺川もわたる。
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    蛇巻きは、その構成員が男子であり、旧暦の5月5日に行われる端午の節句にちなんだ行事である。今里では、蛇の巻き付けられた大樹の根元の祠に、絵馬や農具のミニチュアが祭られることから、田植え時の降雨を祈願したものと考えられる(田原本観光協会HPから)


    田原本町の鍵と今里の蛇巻き、6月の第一日曜日である。来年はぜひ、どうぞ
    by koza5555 | 2017-06-07 15:43 | 奈良 | Comments(0)

    弥生絵画 -人・動物・風景 橿原考古学研究所博物館

    橿原考古学研究所の博物館は4月22日から6月18日の会期で「弥生絵画 -人・動物・風景」展を開催している。早速、拝見してきた。

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    橿原考古学研究所付属博物館


    はじめの展示は「弥生土器は梅原末治と森本六爾によって幕開け」がなされたとある。

    森本六爾は大正13年(1924)に「原始的絵畫(かいが)を有する弥生式土器について」のなかで、…この土器を「日本で最古の自由絵畫、若しくは其の一つとして明らかな価値を有している」とし、描かれた鹿に対して「明確に且つ正確に特徴をあらわしていることに於いて一段と興味が深い」と評価しています。・・・・鹿が左向きに描かれていることから作者を「右利き」と想定したことや「日本芸術史上の最も興味ある序曲を形造るもの」と捉えたことは、弥生絵画研究の基礎となりました。
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    左向きの鹿の写真。これは森本六爾が撮影したもの。あれこれの書き込みは僕がしました(笑)


    森本六爾の野帳もすごい。これは、見入ってしまった。1927年頃の野帳とのことである。
    絵画土器をスケッチして、そのイメージを絵にしている。左下の絵が土器のスケッチ。それを船の舳先とみて、船頭を描き、左右の団扇をオールとみて漕ぎ手も描くという洞察力を発揮している。
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    森本六爾…すごすぎ

    清水風遺跡(天理市・鍵唐古遺跡の北方)から、出た絵画土器に圧倒される。僕は全く分かっていないんだが、「鍵唐古からでました」と普通考えている絵画が、けっこう清水風からも出ているのである。
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    坪井・大福からも鳥装の巫女の展示が出ている。鳥の羽を身につけ、両手を挙げる巫女の姿である。「坪井・大福遺跡は、桜井市側にすごいのがまだまだ埋まっているのでは」である。

    展示品は270点、あれこれ関心のもちようで、それに合わせたあれこれのお宝がいっぱいだ。
    弥生時代を絵画で見ることが出来る、「新作発見!弥生絵画」、ぜひご覧してください。図録も垂涎写真が満載である。

    注意は二点。
    展示品はほとんどが撮影できる。
    いつもは65才以上は無料だが、この展示は800円の有料である。
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    by koza5555 | 2017-04-26 21:36 | 奈良 | Comments(0)

    橘街道は中ツ道

    桜井市の駅前エルトで2年間、「おもしろ歴史講座」というカルチャーをやらせていただいた。
    ところが、この秋からこのエルトが改装するとのことで、カルチャーはいったん中止することになった。
    あと、何回かはやろうということになり、連休明けの5月5日(金・祭日)は、「中ツ道と今の道。条理と環濠集落」というテーマで、桜井市の西部を取り上げることにした。
    古代の街道をやりたいのだが、今回は中ツ道に絞って考える。

    この中ツ道は橘街道と言われた時代がある。

    古代(7世紀)、奈良盆地を南北に結ぶ3つの街道が作られました。中ツ道は、その街道の一つで、平城京と橘寺を結んだことから、近世には「橘街道」とも呼ばれていました。奈良市街の中央部から、大和郡山市と天理市、桜井市と田原本町や橿原市等の境界を通っていたのですが、現在では街道の名残はほとんどなく、細い道が所々に残っています。
    ・・・この中ツ道に「橘」を植樹して、橘の並木道にしようという計画がすすんでいます。大和郡山市の石川町と白土町付近で、まず20本くらいの橘を昔の街道に沿って植える構想があります。奈良盆地を南北に通る「橘の並木道」が完成すると、将来は壮観な景観が生まれそうです。
    (大和郡山市石川町の掲示板から・記載者不明)
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    「左近の桜、右近の橘」の橘である。
    垂仁天皇の時代、常世の国に「ときじくのみ」(非時香具菓)を求めて橘を持ちかえった田道間守(たじまもり)を引くまでもなく、古代の橘は樹木としても、果実としてもその位置は高いといえる。

    横大路、桜井市西ノ宮の三輪神社から北上するのが中ツ道。今回は橘街道は中ツ道と割り切って考えてみる。

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    桜井市西ノ宮の氏神、三輪神社の南西側。中ツ道の始まり

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    ちなみにこちらは下ツ道(中街道)

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    これは上街道(上ツ道とは少しずれているが・・)。少しさびしそうだが、町つくり再建の意欲満々の交差点である。大和信用金庫の支店が戻ったり、喫茶店が間もなく開店する

    横大路の交差点を、巷というか、辻というか、下ツ道、上ツ道と比べてみると中ツ道は相当趣きがことなることが分かっていただけるだろう。

    今回は中ツ道である。北に向かうと、東竹田である。これは有名な大伴一族である。大伴氏の荘園、「竹田の原」である。
    さらにその北には村屋坐弥富都比売神社である。
    大海人皇子(天武天皇)軍と大友皇子軍が大和で対峙したのはこの地である。大伴吹負が総大将である。村屋で大伴が近江軍と戦うのは、大伴には領地的にも死活的な意味があるのだろうか。
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    村屋坐弥富都比売神社参道

    県道51号を北上することとなり、そのまますすむと、天理市を抜けて、西名阪道をくぐって…
    路地のような細道の入り口に…「橘街道」の看板が設置されている。「橘も植わっている」。
    大和郡山市石川・・である。

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    橘の並木(木はまだ小さいが)

    シャープの工場の東側を通り、・・県道754号線。こちらに道標があった。

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    右 高野山  左 なら道

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    桜井市を中心にして、古代道路と条理を整理した。明治末年頃の地図に赤い線は僕が書き込んでみた


    5月5日の「おもしろ歴史講座」、大伴氏も軸にして、面白い話になりそうである。
    by koza5555 | 2017-03-30 21:41 | 奈良 | Comments(0)

    ヤマトロジー、3月は「世阿弥の生涯」(ゆかりの奈良の地)

    奈良まほろばソムリエの会は県下の社寺・史跡の案内でその活躍が注目されている。さらに「奈良県に関わる講演なら、どの地域、どんな課題でも講師を派遣します」と公言できることが大きな自慢である。
    会は各種のカルチャーセンターなどに数多くの講師を派遣しているが、なかでも近鉄奈良駅ビルのクラブツーリズムの「まほろば講座」、「まほろばソムリエのヤマトロジー講座」には、注目していただきたい。
    毎月、第4土曜日(月により異なることあり)の午後に「まほろばソムリエの会」が講師を派遣している。テーマは事前に発表され、お客様は参加の申し込みを一回ごとにできるというシステムである。こんな講座は、講師はとくに腕に磨きをかけて、お客様との一期一会を楽しみにするのである。

    3月の講座(3月25日)は「世阿弥の生涯」(大和の世阿弥)と題して大山恵功さんがお話しする。
    足利義満の庇護のもと、京都で大活躍、観世流のもとを作り上げたという世阿弥の生涯であるが、「世阿弥の原点は奈良に在り」ということをお話しされるようである。
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    大山さんは、現在の「能楽」は大和が発祥の地であること。世阿弥は大和に生まれた人物であり、それに関するゆかりの地がたくさんあることを紹介される。
    「能」を鑑賞するきっかけはなかなか難しい。大山さんは観世流の世阿弥とそれと関わるゆかりの地を具体的な奈良の地名を上げながらの解説で、そんな土地も考えながら、「これを機会に御能に親しんでほしい」との思いらしい。

    興福寺の薪能(薪御能保存会)、宇陀阿騎野の蛍能、談山神社の談山能など身近な場での能の鑑賞の機会もあり、この講話は僕も期待しているのである。

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    薪能、これから始まります
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    これは阿騎野の蛍能。能舞台で乱舞する予定だった蛍、しかし雨で・・・ネットに入っている蛍を鑑賞しただけだった。


    ぜひ3月25日(土)の午後、近鉄奈良駅の6階、クラブツーリズムでお会いしましょう。


    申し込は クラブツーリズムへ  電話は0742-90-1000

      申し込みフォームはこちら

    会場はこんな感じだ
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    by koza5555 | 2017-02-26 22:51 | 奈良 | Comments(0)

    六県神社の子出来おんだ

    磯城(しき)郡川西町保田(ほた)の六県(むつがた)神社のおんだ祭

    2月11日に行われる。もともとは旧正月14日、その後は2月14日、現在は2月11日の行事となっている。
    おんだ祭では、飛鳥坐神社の祭のように夫婦和合の所作でもって繁殖・豊作を表わされることが多いが、こちらは出産の所作で示されるのが独特である。
    太鼓をお腹に入れた妊婦の姿、出産のありさまなどから、「子出来おんだ」と呼ばれている。

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    六県神社、境内のオンダ祭。妊婦の弁当届け

    17時から神事。境内の一角で一斗釜で湯を沸かす。巫女が着座する。笹も用意されているから湯立の神事かと思うが・・どうもこれが産湯とのことらしい。
    東の天照大神、南の多武峰大権現、西の住吉明神、北の春日の若宮神にお断りして神事が始まる。

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    産湯の前で
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    それから拝殿での剣の舞

    拝殿の配置を変えて18時から「おんだ」が始まる。

    水見回り、牛使い、肥おき(施肥)、土こなげ、田植、螺(たにし)拾いと稲作が順序良く示される。
    牛は必ずいるなあ・・・

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    肥おき・・は竹筒の両端に椿の葉っぱをぶら下げて…昔の肥樽運びをイメージできる。ちぎってはおく・・
    肥おき、田植え、螺拾い、全ての行事が椿の葉で行われるのが特徴

    農作業の区切りごとに、「はい、ボチボチやで」、「それいけ」の合図で、拝殿に座った子供たちが演者に殺到する。これは風とのことだが、雨ではなかろうか。すぐ北の広瀬神社は砂を雨に見立ててオンダが進められるが、こちらは砂の代わりは子どもだろうか。
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    その後、弁当を田に届ける妊婦が現れて、神主役の長老ととぼけたやり取りがあり、田んぼを回ってから出産するという運びである。
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    最後に種まき神事が行われる。農夫が種まき唄を歌いながら、拝殿を回り、豪快に種を巻く。
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    「宇陀の郡を通れば 一森長者に行き合うたら
    行き合うたるところなら このところに蒔こうよ」

    (一同)「よんなか(世の中)よけれども福の種 蒔こうよ」

    「大和48万石、保田の明神蒔き納め」で、桶を空にした・・・

    オンダの苗は椿(普通は松葉、御所の御歳神社は杉、石上神宮はホンマの早苗やった)というのが特徴。子どもが風(雨)というのが面白い。17時からの神事も必見。寒いから温かくして出かけるように。
    出産の所作で、繁栄、豊作を祈念するのが最大の特徴的である。

    よんなか(世の中)よけれども福の種 蒔こうよ


    境内に以下の掲示がある。
    川西町の歴史遺産を訪ねて
    県指定/無形文化財 六県神社子出来おんだ祭り

    六県神社は村社で、祭神は大和の六県神「高市命」「葛木命」「十市命」「志貴命」「山辺命」「曽布命」を祀る。 「神社明細帳(明治24年・1981)記載
     
     子出来おんだ祭りはこの六県神社の拝殿で毎年2月11日(以前は2月14日)の夜に演じられる御田植祭。妊婦の出産の所作を伴うことから、「子出来おんだ」とも呼ばれる。この行事の始まりは、境内富貴寺の創建時の平安時代と伝えるが、明確でない。

     所作は、水見回り⇒ 牛使い ⇒ 施肥 ⇒ 土こなげ ⇒ 田植 ⇒ 螺拾い ⇒ 妊婦の弁当運びと安産の神事及び種まきの所作と掛合い言葉の順に演じられる。
    螺(たにし)拾いまでの所作では子供が風の役割を持ち、各所作の最後の演者はその場にうずくまり、風役の子供はその上に覆いかぶさる。
     妊婦の弁当運びと安産の神事では、本役の男子が太鼓を腹に忍ばせ妊婦に扮して弁当を夫(長老の神主役)の元に運ぶ所作を行った後、神主と妊婦が問答を行い、その後、問答を行い、その後、妊婦の陣痛が始まり、腹に忍ばせていた太鼓を放り出し、それを取り上げた神主が「ぼんできた、ぼんできた」と言いながら太鼓をたたく。
     最後の種蒔神事では、台詞と歌を歌いながら種をまく。この時の台詞や歌の掛合いも含めて全体的に古風な芸能所作が残っている。

    by koza5555 | 2017-02-12 09:25 | 奈良 | Comments(0)

    川西町 光林寺と富貴寺と六県神社

    11月30日の当尾ツアーの帰り道、川西町の川端さんから、「川西の保田(ほた)、うちの阿弥陀如来も見に来て」と声を掛けられた。
    「参ります」。ちょっと確かめてみると、これは快慶の作で重要文化財とのことである。
    「切れ長の眼、魅力的な口もとの笑みは快慶仏の魅力を十分に見せていて、円熟の境に浸った作風である」と『大和のかくれ仏』(清水俊明著)でも、しっかりと紹介されている。

    電話をかけてみて初めて分かった。川端さんはこちら、光林寺(浄土真宗)の住職夫人だった。


    そっそく、拝観させていただいた。
    浄土真宗と阿弥陀如来、これは基本の形だが、快慶作ということで、「これは客仏か」とも考えたが、きっちりご本尊・・・
    内陣からも拝観させていただいた。80センチほど、端正なお姿で衣のひだが写実的である。
    お顔は清水さんが言われるように優しさ一杯だった。
    「法眼 快慶」とのことで、これは快慶の晩年の位である。

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    左側に榧(かや)の巨木。実も収穫してオカキに入れる・・とか


    100メートルほど南には六県(むつがた)神社、そしてその神宮寺として富貴寺。

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    境内右手に寄棟造りのご本堂。この建物が、重要文化財。
    「1178年に初めに堂を建立、現在の堂は1388年の建立」と江戸時代に柱に墨書(1679年)されているとのことである。

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    保田の宮座といい、宮座で六県(むつがた)神社と富貴寺が管理されていたようであるが、川西町史(平成12年)によれば、六つのカイトの代表による敬神講で運営されている様子。

    釈迦如来坐像と地蔵菩薩立像は重要文化財に指定されている。
    釈迦如来像(重文)は、高さ84センチの桧材による寄木造で平安時代後期。
    本尊の向かって右に安置されている木造地蔵菩薩立像(重文)は、高さ96センチの桧材による寄木造で彫眼、古色の声聞形立像である。
     

    最後に六県(むつがた)神社
    延喜式に載せられている。
    広瀬郡と城下郡の境目にある。

    祭神は、六県命で、
    高市命
    葛木命
    十市命
    志貴命
    山辺命
    曾布命
    で、式内社として存在していた大和の六御県(むつのみあがた)のすべてを祀る式内社である。
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    2月11日(祭)に行われる「子出来おんだ祭」が有名である。豊穣と子孫繁栄を願う神事である。
    by koza5555 | 2016-12-01 23:41 | 奈良 | Comments(0)