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奈良・桜井の歴史と社会

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古墳の上には村の鎮守

台風のさなかではあるが、連合区の役員会が開かれた。

議題は協力金の徴収、連合区所有土地の立木が倒れて隣家に圧し掛かった件の処理、神社の例祭の準備と祭典の計画、自主防災会が新たに取り付けるサイレンの補助金の確認などである。

さて、今日は村有地のなかにある古墳の話をしよう。

連合区は新興住宅地を抱えるとはいえ、歴史のある村だから多くの不動産を持つ。
300人も入るという公民館を持っている。
ため池を持っている。
墓地がある。
お寺もある。宗派を問わず葬儀や法要のお手伝いができる村立のお寺である。
それから神社もある。
この神社がたいそうで、実は古墳も含めての境内がある。

奈良まほろば検定を勉強すると、桜井の磐余の道には、安倍一族の奥津城と言われる安倍文殊院東・西古墳、艸墓(くさはか)古墳などは避けて通れない。

合わせて、谷首古墳も勉強したはずである。
この谷首古墳、実は墳丘上に八幡神社がある。
この八幡神社がわが村の鎮守である。

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画像は八幡神社境内と谷首古墳の横穴の入り口である。


谷首古墳は後醍醐天皇の時代に砦が築かれたという歴史がある。
天皇の京からの脱出に始まる南北朝時代に、桜井は三輪西阿が南朝側として戒重(かいじゅう)城に立てこもり、安倍山、谷首古墳の上などに砦を築いた北朝側の細川軍との長い戦が行われた。
谷首古墳はその後も戦国時代にかけて砦の歴史がある。

いつころか、この砦跡が神社として、村の鎮守として祀られることなった。

今でも年に四回の例祭、秋祭りも執り行われる。
谷首古墳を見学されたときは、こんな歴史でもあるからわが村の鎮守にもぜひお寄りください。


ところで台風12号、日本海に抜けたとのことであるが、大きな被害も出ている。
風雨は今も激しく、十津川村では家も流され、行方不明者も出ている。
被害者の心情、いかばかりかと思う。
by koza5555 | 2011-09-04 09:31 | 桜井市と安倍 | Comments(0)