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奈良・桜井の歴史と社会

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西国観音霊場、ご詠歌

ご詠歌のことを考えた。とりあえず四国ではなく西国である。


いくたびも まいるこころは はつせでら やまもちかいも ふかきたにがわ

はるのひは なんえんどうに かがやきて みかさのやまに はるるうすぐも

このご詠歌は、西国観音霊場8番の長谷寺と9番の興福寺南円堂である。
この御詠歌に桜井(初瀬)の寂しさを思うのは僕だけだろうか。

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冬の長谷寺(昨年の画像です)

歩き遍路を考えてほしい。明治まではすべて歩いているのだし。
「隠国の 初瀬の谷の 谷の間に」というような深き誓い、深き谷川の長谷寺を詣でたあと、三輪、丹波市(天理)、奈良町を経て興福寺に至る。

こんな道を経れば、そしてどんな季節を歩いても「春の日は 南円堂に 輝きて」という気分だろう。
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南円堂

明るく輝かしい奈良と興福寺、深き谷川、深き誓いという自省の初瀬。
僕はこういう桜井で第二の人生を送っていることに幸せを感ずる。

西国三十三箇所の観音霊場は奈良県は4か所。
壺坂寺、岡寺、初瀬寺、興福寺南円堂である。
ちなみにご詠歌は・・・

6番 壺坂寺
岩をたて 水をたたえて 壷坂の 庭のいさごも 浄土なるらん

7番  岡寺
けさ見れば 露おか寺の 庭の苔 さながら瑠璃の 光なりけり

8番 長谷寺
いくたびも まいるこころは はつせでら やまもちかいも ふかきたにがわ

9番 興福寺
春の日は 南円堂に かがやきて  三笠の山に 晴るるうす雲

前後を見ると5番は大阪の藤井寺、10番は宇治市の三室戸寺である。
by koza5555 | 2012-09-30 00:52 | 桜井・初瀬 | Comments(1)

伊勢街道を歩く

伊勢神宮が20年ごとに社殿を造り替える「式年遷宮」は来年であるが、近鉄電車はそれに備え「しまかぜ」という新型特急を走らせることを発表している。
これはこれで大いに期待するが、今日は伊勢神宮まで歩いて行く旅のことである。

「伊勢街道を歩く」、やまとびと編集部(桜井市の共栄印刷内)の小林義典さんが書いた。
「やまとびと」の創刊号(平成10年)から30回にわたる連載をそのまま、まとめたものである。

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伊勢街道を歩く

この本は一気に読み切ることができる。「とにかく面白い」がまずは第一の感想である。
30回の道中記である。ずいぶん勉強されたと思うが、小林さんの講釈は短く端的で、リズミカルに読み進められる。

小林さんの伊勢参りは檜原神社から始まる。

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出口橋

伊勢街道の起点は玉造であるが、桜井のやまとびとである。出発は檜原神社からである。
檜原神社と言えば元伊勢、小林さんの旅は伊勢参りだが、天照大御神(あまてらすおおみのかみ)を案内(御杖代)する倭姫命(やまとひめのみこと)を意識した旅でもあるのか、と合点がいく。
僕は不信心だからあまり考えてこなかったが、伊勢表街道も伊勢本街道も倭姫命の伝承地をたどる道という意味付けがあったのだろうかと、想像できるような旅立ちである。

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御杖神社

自然に対する小林さんの敬虔な態度、
旅がすすむにつれ、時間が経つにつれ信仰は深まっていく過程、
小林さんの旅だが、読みながら、一緒に歩いているような思いに僕もなってくる。

歩いた道を連載の都合で、30回に分けられたものとお見受けする。また、一回ごとの地図はあるが、ほぼ概念図である。

小林さん、経歴的には、「入社した最初の仕事が、歩いてのお伊勢参り?」という具合だろうか。そういうように人材をつくり、本を作る共栄印刷に「いいね」を押したい。
by koza5555 | 2012-09-29 05:58 | 読書 | Comments(0)

この秋、一度は談山神社に

談山神社のもみじ祭りの行事計画、日程が発表されている。
もみじ祭りは10月14日(日)~12月9日までだが、そのうち11月22日(木)~12月1日(土) は20時(最終拝観受付18時)まで、ライトアップをおこなう。
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談山神社、もみじ

昨年の日経新聞の土曜日のベストテンシリーズで、関西の紅葉ベストテンの二位(一位は嵐山)に選ばれた談山神社である。
十三重の塔を始め、主要な殿舎の桧皮ぶきの葺き替えも終わってきている。

明治の時代に談山神社を訪れた島村抱月(しまむらほうげつ)は「関西の日光というが、日光ほど華美でない、徳川の日光、藤原の談山神社の比較で妙があり、壮麗な殿舎が見事である」と書いた。


行事に合わせておいでください。
紅葉の見頃は例年、11月中旬~12月初旬である。

嘉吉祭は10月14日(日)10時に本殿で開催する。
奈良県無形民俗文化財の百味の御食(おんじき)を多武峰氏子中が献上する。

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昨年は権殿で執り行われた。献餞の前に準備された百味の御食

けまり祭は11月3日(土・祝)午前11時からで、けまり奉納がある。

例大祭は11月17日(土)10時30分から。
今年は「平成の大修理本殿落慶大祭」として開催され、南都楽所のよる舞楽奉納が行わる。

「増賀上人 行業記絵巻」も公開される。
骨と皮ばかりの貧相な牛に乗った増賀、腰には刀のように鮭の干物を差している。
『徒然草』に隠遁者の理想像として増賀上人が描かれる。


歴史的行事に限って紹介したが、談山神社HPに さらに詳しい。
秋の多武峰楽しみである。僕もこの秋、談山神社にて、「徳川の日光、藤原の談山神社」をじっくりかみしめるつもりである。
by koza5555 | 2012-09-28 00:23 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

民生委員の研修旅行

研修のことは昨日書いた。
泊まりは下呂温泉、有名旅館である。二日目は高山の観光である。

順序は違うが、まずは高山である。
高山線、岐阜から一個目の駅は長森で、僕はそこで生まれ育った。岐阜からでも高山は遠い。高校生の時に一度、それも高山までは列車、林間学校で山に登る時に寄っただけである。
今回は桜井市の民生児童委員の研修旅行で訪れた。
午前に二時間くらいの自由時間があった。高山祭屋台を選ぶか、高山陣屋・飛騨国分寺を選ぶかである。

聖武天皇が仏教によって国を守ろうと考えて、全国に国分寺がおかれたが、飛騨国分寺はその跡に建設されている。
三重塔がある。なによりも目通り10mという大銀杏がある。

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大銀杏である。右側を男女が歩いている

飛騨国分寺は戦国時代にすべてを焼かれた。その後復興されたが、いま見るものはすべて江戸時代のものである。

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三重塔側から本堂、大銀杏をのぞむ

高山陣屋も訪ねた。陣屋はきちんと保管され、公開されている。写真撮影もほとんどが自由である。
すべての建物が杮葺きである。
10年で張替えが必要である。順次張替えるために、板が大量に保管されている。
この板は水を速やかに流すために、柾目でなければならないとのことである。

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陣屋正面、 陣屋の大広間
杮葺き屋根 積み上げられ柾目の板


さて、下呂温泉は水明館だった。温泉の効能とか僕が書くまではない。
お酒を呑まない僕は心ゆくまで温泉に楽しんだ。
また、二次会のカラオケにも参加して、歌もうたった。人生はラ・ラ・ラ(長渕剛)で、「もしも人生をやり直せるなら、だれも人生を悔やみはしない。やり直すなら生きている今のうちだ」というような歌である。リズムも好きだが、歌詞も好きだ。
人生は毎日毎日が坂道、そして毎日が三叉路である。やり直しは毎日できるし・・・

桜井の濱観光と大阪のRバス会社の旅行だった。
バスが停まるたびに、時計で出発時間が示された。

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by koza5555 | 2012-09-27 00:01 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

情緒障害児短期治療施設

月曜日、火曜日と桜井市民生児童委員連絡協議会の研修旅行で、岐阜県の関市、下呂温泉、高山市に行ってまいりました。

研修先は特別養護老人ホームなどを運営する社会福祉法人桜友会である。
特別養護老人ホームなどとあわせて、初めて聞く「情緒障害児短期治療施設」の「桜学館」の見学である。


特別養護老人ホームの主要部分は平屋である。
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長い廊下が続く。職員が忙しく動いているが、人影がない状態は偶然である

広大な敷地を利用しての平屋である。防災上は対応がたやすい。案内の職員は事故があっても「外へ出てください」で済むと言い防災上の利点をあげながらも、職員の動線が長いことが問題であると言われる。

それで、数個のブロックに分けて、それぞれを独立させているとのことである。階数ごとの業務と生活が平屋の各ブロックごとにという感じである。

学習療法室があった。高齢者の療法に公文式を導入しているとのことである。「学習療法室 身体に栄養、頭に公文!」と書かれており、5名くらいのお年寄りが公文式の算数にチャレンジしていた。

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公文式。今、僕も孫の世話で公文とむきあっている


こんどの研修の目玉は桜学館である。
「情緒障害児短期治療施設」といい、不登校やひきこもりの子どもへの心理的治療などを行う施設である。
入所児童が情緒障害に至る原因は複雑である。家庭における虐待が原因というケースもあり、その場合は親への支援もおこなうという。
桜学館は集団生活をしながら治療をおこなう施設と学校(地域の学校の分級で教師は桜友会とは関係なく教育委員会によって配属される)によって構成されている。
生活の場、治療の場、学校(分級)を見学をさせていただいた。

この種の施設は全国で38施設しかなく、岐阜県ではここだけ、奈良県にはまだないという。
福祉、教育の場は限りなく、広く深い。

今度の民生委員協議会の研修先はテーマも場所も適切に考えられており、時局的に見てタイムリーなカリキュラムと思われた。

研修旅行の費用は民生委員の私費である。

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講堂で説明をうける桜井市の民生 児童委員
by koza5555 | 2012-09-25 23:22 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

長谷寺 午後8時のほら貝と咆哮(ほうこう)

長谷寺、正午の鐘とほら貝は有名である。
先週、そのくだりを「今奈良jp」の豆知識で書いたばかりである。

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明和九年(1772年、240年前)、古事記の解説を書き続けていた本居宣長は長谷寺を訪れる。吉野への道中に寄ったのである。
本居宣長は長谷寺でお昼のほら貝を聴いた。
「巳の時とて。貝ふき鐘つくなり。むかし清少納言がもうでし時も。にわかにこの貝を吹いでつるに。おどろきたるよし。かきおける。思い出られて」とし、歌がある。

名も高くはつせの寺のかねてより ききこし音を今ぞ聞ける  (菅笠日記)

このほら貝、いまも正午に長谷寺で吹かれる。

実は長谷寺は、「おどろきたるよし」が、もう一つあった。
先日初瀬に行った時に、「お昼のほら貝もすごいが、夜の叫び声もすごい」とみらく(株)の坂本さんに聞いた。
「駅の近くの自宅でも聞こえる日がある」という。

この叫び、咆哮は長谷寺の舞台で行われるとのことである。
門前にもよく聞こえるが、この声は、風向きや雲の具合で一キロも離れた近鉄の長谷寺駅でも聞こえることがあるらしい。

同じ桜井に住んでも、夜8時となると長谷寺まで入ることはない。
それで・・・その声を聞きに行ってきた。

8時前からほら貝が吹かれる。8時から10人くらいでてんでにバラバラ叫ぶ。
ほら貝の伴奏つきの咆哮である。叫びの内容は分からない。「ワーワー、ヒーヒー?」「本日三割引き?」。
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これは二月のダダ押しの日に撮ったものである

そこで、お寺に聞いてみた。
「修業の一コマです。ほら貝は初心者が練習で鳴らします」とのことである。なるほど、7時過ぎからは断続的に太鼓の音も聞こえた。

「なんて叫んでいますか」の質問に・・・「ひのようじーーん」。「火の用心です」とのことである。
修行する僧が次々と続き、長谷寺の伝統が続くことが頼もしく思える。

夜8時、境内は真っ暗である。時々ウォーキングを兼ねて登ってこられた方が、山門前で手を合わせられる。
与喜山からカシオペア座が上がるころ、修業は終わる。
長谷寺、昼もすごいが夜もすごい。
by koza5555 | 2012-09-24 00:54 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

古事記をめぐるバスツアー

奈良交通が「まほろばソムリエと行く 古事記をめぐるバスツアー」を企画した。
全体で12回の実施だが、12月1日(土)、16日(日)は「神武東征の軌跡をたどる」とのいわば、「宇陀コース」である。この2回を生駒でガイドをされているTさんと二人で、案内、講師をすることになっている。

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ツアー案内チラシの一部

墨坂神社、八咫烏(やたがらす)神社、宇陀水分(みくまり)神社中社、宇賀神社、神武天皇聖蹟菟田穿邑(うだうがちむら)顕彰碑、阿紀神社、宇陀松山の町並み散策というコースである。

神武天皇の一方的征服記で終わらないように、コースの見どころも工夫した。

「宇陀における神倭伊波礼(かむやまといわれ)毘古(びこの)命(みこと)(神武天皇)の東征の路をたどります。
建国にふさわしい地を求めて、大和を目指したイワレビコノミコトは熊野に入り、神の使いである「八咫烏」に導かれて宇陀に至りました。
「古事記」の中つ巻の冒頭に書かれる「神武東征」の意義を語り、その伝承地を歩きます。そして、この宇陀の地での攻める側の勢い、攻められる側の痛みも語りながら古代に生きた人々に思いを寄せます。」

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左は八咫烏神社  右は墨坂神社

奈良交通の「まほろばソムリエと行く古事記ツアー」は、9月から畝傍コースが始まり、太安萬侶(おおのやすまろ)コース、葛城山麓コースと続いている。

その後の12月に「神武東征の軌跡をたどる」ツアーが実施されるわけで、来年3月のヤマトタケルコースまで含めて12本の大型シリーズである。

来年以降も奈良中南部の神社仏閣、あるいは記紀万葉を語るバスツアーなどを企画し成功させていきたいものである。
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ツアー後半のチラシ
by koza5555 | 2012-09-22 00:01 | 奈良 | Comments(0)

飛鳥の木簡  中公新書

飛鳥の木簡
古代史の新たな解明 市大樹著、中公新書である。

最近の本である。先日も天文学者の海部宣男さんが書評を書いている。
こんな本は僕の手におえないが、桜井つながりでサラッと書けそうだ。

最古とみられる木簡は上之宮遺跡?
いずれも状況証拠だが、その可能性が高いという。

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上之宮遺跡(桜井市上之宮)

阿部丘陵の東端、寺川の左岸に古墳時代末期~飛鳥時代初めの遺跡が発見されている。掘立柱の大型建物14棟やその西に苑池の遺構が発掘された。
苑池の遺構では、排水溝をもつ石組みとそれを円形に巡る石溝などがあり、木簡、ベッコウ、ガラス玉の鋳型、和同開珎などが出土しており、強力で富裕な古代豪族の居館の姿が示されている。

「聖徳太子の上宮」という説に、僕はいま一つ納得できなくて近づかないようにしていた。
ここに最古の木簡があったらしいと知り、頭を下げて写真を撮ってきた。
500年代(6世紀初めから7世紀初め)の可能性があるとされ、金銀で飾る太刀のことが書かれているという。

桜井の山田寺跡からの木簡も古そうである。

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山田寺跡

さて、「飛鳥の木簡」という本だから、桜井の事だけ書いて終わりではまずかろう。

木簡のことである。
飛鳥・藤原京の木簡が大量に発見されたのは、そんなに古いことではない。
発掘が広がったことにより大量に発見されたとの意見もあるが、僕は平城京の教訓などから「こういうところに木簡があるだろう」と探す側、掘る側の認識の発展が木簡の大量発掘につながっていると思う。

本はいくつかの章がある。
「飛鳥の総合工房」と題した、飛鳥池工房のことである。
どんな工人がいたか。いつ頃からの工房かということを明らかにしている。
木簡の分析から東漢(やまとのあや)(渡来人で蘇我の支配下にあった)が特に多いと示し、時期は蘇我氏滅亡後としたうえで、飛鳥池工房は飛鳥寺・蘇我氏の支配下の工人が天皇・国家の支配下に組み入れられて作られたと論証している。
県立万葉文化館に行くたび(飛鳥池工房跡をいつでもみることができる)に疑問に思っていた。あれだけの技術、工人の集団がどこで訓練され、組織されてきたかと。それが判り、飛鳥池工房跡がとても身近なものになった。

あと、飛鳥寺の多彩な活動が木簡で証明されていた。宗教、医療、経済活動である。
この飛鳥寺を支配した蘇我氏の綜合的な力が改めて感じ取られる。
ここでは、完全な万葉歌の木簡も出ている。

朝なぎに 来寄る(きよる)白波 みまく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね
巻7-1391 未詳

さて、木簡はゴミとして棄てられたもので、意図的な改変は無いと言い切れる。
奇想天外な事実が明らかになる訳でない。むしろ「やっぱり、そうだったのか」が多いと著者は言う。日本書紀、続日本紀が木簡で裏付けられる。別系統の資料が手に入るようなものだ。
歴史も科学であれば、資料の相対化が必要となり、大量の木簡がその役割を果たしているという事だろうか。

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「飛鳥の木簡」、市大樹先生は事実をよく積み上げて論証しており、楽しく読みすすめることができた。
by koza5555 | 2012-09-21 00:13 | 読書 | Comments(4)

夏越の祓 小麦餅

奈良の夏は暑い。夏越の祭祀はねんごろである。
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6月30日、大神神社は激しい雨だった

奈良の夏なら、まず小麦餅のことである。
夏の小麦餅、今年は食べましたか。
半夏生餅(はんげしょうもち)とかさなぶり餅、いずれも同じものである。
忙しい田植えが終わって一息つく、田の神様へお供え物をし、手伝ってくれた人々を招待して宴をもった。感謝の気持ちをこめた「早苗ふるまい」が「さなぶり餅」になったと聞いた。

わが家が親しくしていた農家は、小麦餅を丼に入れて持ってきてくれた。
濡れ布巾をかぶせてというのが正式だそうである。
思い思いに掬い取り、きな粉をまぶして食べる。
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丼に入れた小麦餅

今ではそういう風習は聞かない。小麦餅も作っていないようである。
さくらいとれとれ市場(桜井市粟殿、あるぼーるの東)に行くと、その時期に出品されているのを見たことがある。

橿原市のおふさ観音の門前のさなぶりやは、このお餅を通年で販売している。
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小麦餅を考えながら、奈良の夏を考えた。東海地方から奈良に来た僕が思ったのは、奈良の夏の祭祀、夏の行事だった。

大神神社の夏越の祓は格別でねんごろだ。
ご存じのように、大神神社は6月に独特の「茅の輪」(杉、松、榊の順にくぐる)ができ、お正月から心と身体についた罪・穢(けがれ)を祓い、清々(すが)しく、下半期を過ごすための夏越の祓が行われる。

さらに「おんぱらさん」、御祓祭がある。
7月31日に「夏越えの大祓(なつごえのおおはらえ)」が行われる。

水無月の夏越(なごし)の祓(はら)へする人は 千歳の命 延(の)ぶというなり

奈良盆地は暑い。奈良盆地は閉塞的である。奈良盆地は人が多い(古代から中世のことだが)、疫病の猛威をいかに恐れたかを示す、夏の対処だったと感じる。
by koza5555 | 2012-09-20 10:23 | | Comments(0)

氏神様の例祭

17日は氏神様の例祭だった。

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断続的な雨が降り、いっさいを拝殿内ですませた

わが町の氏神さんは八幡神社である。談山神社の郷中でもあるが、氏神様を持っている。
その八幡神社は谷首古墳の墳丘をそのまま境内として鎮座している。
八幡神社参道(古墳の上)から西側を望む、鳥居の間に二上山を見ることができる。

17日は秋の例祭。この時期だと、古来から穫り入れはまず済んでいないだろうから、稲刈り直前のしばしの休息を兼ねてのお祭りだったんだろうか。

連合区の役員として氏神様に奉仕して二年目に入っている。
昨年は分からぬことばかりだったが、あれこれの段取りは分かってきた。

年間祭祀も簡単には覚えられない。町の人に聞いても知っている日と知らない祭もある。
そこで一月に回覧用のチラシを作った。

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新住民の方にもわかりやすいようにとつくったつもりであるが

結果的には僕の頭の整理には役だったが、町の人には「知っていることばかりで無用のもの」だったかと思っていた。
ところが、このチラシを大切に保管されている方を最近みたり、これで日程を確認する役員さんを見かけたりで、少しは役に立ったかと、うれしい。
by koza5555 | 2012-09-19 06:59 | 桜井市と安倍 | Comments(0)