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奈良・桜井の歴史と社会

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八咫烏神社からみえる高見山

八咫烏神社を月曜日の雨の中、訪れた。
伊那佐山も半分霧の中だったが、右の方にかすんだ山が見えた。山容は高見山である。
ウワッ、今まで考えても見なかったが、「大和からは見えない、宇陀からどこでも見える高見山」である。
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「吾妹子(わがもこ)を いざみの山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも」(万葉集巻1-44)である。

宇陀は大和から見て秘境であると同時に四通八達の地でもあった。
ヤマトから宇陀への入り口は3本の坂道。
墨坂(西峠・国道165号線)と男坂(半坂・国道166号線)と女坂(大峠・今は針道からの大トンネルができた)である。

東国へのメーンのルートは西峠と思われる。
この峠への入り口に脇本遺跡がある。
5世紀なら雄略天皇の初瀬朝倉の宮。6世紀には欽明天皇の敷島の金刺宮。7世紀は大来皇女の伊勢斎宮にあたり、身を清めた泊瀬斎宮があったとされる。
それぞれ時代の柱穴列が見つかってきている。

初瀬谷の入り口は交通の要衝だったが、斎宮がここにあってヤマトの出口ともいえる。宇陀はまだ山の向こうである。

高見山に注目したい。
神武天皇東征の際、櫛田川(三重県)から大和へと入ったとする説があり、山頂には八咫烏を祀る高角神社(たかつの、たかかど)がある。1248mの高さがある。
宇陀では二番の高さで、一番は三峰山である。

「吾妹子(わがもこ)を いざみの山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも」
「大和が見えない」、「大和からも見えない」という高見山は宇陀にとっては身近な山である。奈良時代の人々が宇陀の地をどんなふうに見ていたのかということを、僕はこの歌で感じたいのだ。

高見山の頂上にはこの歌の歌碑がある。奈良で一番高い所にある万葉歌碑である。
ソムリエの会の小北会長が「今ならの豆知識」でそのことを書かれている。
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僕も登ったが、知らずに降りてしまった。僕の写真は高見山の歌碑の下の方が少し切れていて残念である。

奈良で一番高い山は八経ヶ岳で1915m。これが近畿でも一番たかい。吉野も奥が深い。
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八経ヶ岳
by koza5555 | 2012-11-30 00:29 | 宇陀 | Comments(2)

談山神社(妙楽寺)と増賀上人

談山神社は紅葉まつり(12月9日まで)の間、増賀(ぞうが)上人の一代記、「増賀上人 行業記絵巻」(江戸時代)が展示されている。
「徒然草に隠遁者の理想像として登場し、今日も多くの日本人から敬愛される増賀上人の一代記絵巻」である。
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牛に乗って、高僧良源の先触れとして行列の先頭に現れた増賀上人。干物の魚を刀の代わりに差している
増賀上人は平安時代の比叡山の高僧であったが、比叡山の世俗的な側面を批判して、多武峯にこもったと言われている。「増賀上人行業記」はそれらの説話を絵巻としたものである。

談山神社の前身の妙楽寺は、比叡山延暦寺から増賀上人を迎えたことにより、同じ藤原氏の氏寺でありながら、宗派の違う興福寺とは争いが絶えなかったことがよく知られている。
談山神社(妙楽寺)、多武峰の村々は興福寺とそれに従う各寺の僧兵によって何度も焼打ちにあっている。

今年の談山神社、本殿の落慶大祭には比叡山の横川の大僧正が参加された。
直会にも参加され、「神社(当時は妙楽寺)中興の祖、天台僧増賀(そうが)上人の縁で、初めて参りました。共々の発展を期したい」と挨拶された。

そんなこともあり、先日、増賀上人の墓地である念誦崛(ねずき)を訪ねた。
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古墳みたいな感じを想像して訪れてたが、妙楽寺や多武峰の墓地の一角に念誦崛は建っていた。この墓地の一番上、中心に増賀上人の念誦崛がある。奥深い山の墓地であるが、長く地元の方が大切にしてきたことがよくうかがえる墓地であった。

談山神社の中(権殿の西)には重要文化財に指定されている比叡神社がある。
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これも比叡山と関連があるのだろうか。
今日は談山神社の比叡山のことを考えてみた。
by koza5555 | 2012-11-29 00:01 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

古事記を巡る宇陀バスツアーは今週から

12月1日(土)、16日(日)に奈良交通の「古事記をめぐるバスツアー」を案内する。
心配事がいくつかあり、コースをもう一回りしてきた。今度のツアーは「奈良まほろばソムリエ友の会」の手づくりツアーであるから、何でも自分で確かめようという心構えである。

食事をする宇太水分(うだみくまり)神社中社の休息所のこととか、コース全体のトイレの事とか、道路事情などが心配である。僕としてはイマイチの不安を残している。
それで、「こんな日に」というような月曜日の激しい雨の中に回ってきた。
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宇陀水分神社の紅葉

先日回った時、宇太水分神社の休息所のビデオが動かなかった。神職にお願いをしておいたが、今回は順調に見ることができた。なによりも大型の石油ストーブが置かれており、これは心強い。
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宇太水分神社、休息所

トイレのことである。ツアーのいくつかのポイントに清潔さ、数量的にみて問題のないトイレが完備されていることが分かった。
もちろん、見に行った甲斐もある。たとえば阿騎野などは体育館横の仮設トイレではなく、「かぎろひの丘」の入り口に清潔なトイレが設置されている」と案内できるとか。

準備は着々である。
16日(日)の日曜日には、まだ空席があるようである。「10個のびっくり」とかの工夫もして、地元の方でも楽しめるようなバスツアーである。
年末、忙しい日ではあるが、みなさんをお誘いしたい。
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by koza5555 | 2012-11-28 00:02 | 奈良 | Comments(0)

高倉下命と椋下神社

宇陀市榛原の福地、その椋下(むくもと)神社を拝観してきた。
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椋下神社
11月3日、榛原の駅前で神輿に付き添う榛原の福地のM(桜井市で勤務)さんから、「墨坂ばかりじゃなくうちの神社にもきてよ」と声をかけられた。
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11月3日、あぶらやの前で町を奮い起こす福地の太鼓台
この椋下神社、祭神は高倉下命(たかくらじのみこと)である。
神武東征の折、神武天皇にフツツの御魂の剣を献上する、高倉下命である。

12月1日の(土)の奈良交通の「神武東征と宇陀」のバスツアーの最初は榛原、墨坂神社である。
墨坂神社には萩原、福地、榛原バイパス、トンネルを経由して南から入る。福地の椋下神社の下もバスは抜ける。

神武東征、祭神からみても、無視する神社ではない。しかも延喜式内社でもある。今更いかんともならないが、とにかく、月曜日、雨の中お参りを済ませてきた。
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神社社叢

古事記、日本書紀によると神武東征のみぎり、熊野へ到着された時、荒ぶる神の毒気に当たって、一行のものはみな気を失い、倒れ伏してしまった。
この時高倉下命(たかくらじのみこと)は、自分の倉板に刺さっていた天の神の剣(天照大神により武甕槌神が救援することになるが、武甕槌神は「私が参らずともここに在る国土平定の剣を下ろせば必ず平定される」)を献上する。
これをフツツの御霊の剣と言う。慶雲2年(705年)八咫烏神社と同時に祀られたという。

墨坂神社の例祭(お渡り)の11月2日・3日、椋下神社も例祭である。
太鼓台は市内を巡行するが、他の太鼓台とは町で分かれ、宮入は椋下神社である。
by koza5555 | 2012-11-27 00:25 | 宇陀 | Comments(0)

高井の千本杉

英検一級試験、二次試験で残念な結果だったあっちゃんが傷心である。
激励の方法は「服を買うか、酒を呑むか、大きい樹を見にいくか」であるが、とりあえず安上がりの「樹を見に行く」こととなった。

高井の千本杉である。
実は僕もまだ見ていない。伊勢本街道沿いということを聞いていたので、榛原高井の仏隆寺の入り口から分かれる伊勢本街道に入った。

しばらく登る。
落ち着いた民家がある。風もないのに銀杏の葉がバラバラと落ち続ける。本街道ぞいであるが、今は山の中である。
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高井の千本杉、ありました。息を呑むとはこのことだ。
伊勢街道沿いから・・・
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下の方から
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「伊勢本街道沿いの古い井戸の周囲の数本の密植された杉が成長にするにつれて、株元がゆ着したものである。地上1m位から16本の枝群が数えられ、直径55センチから80センチのものがあり、全体では目通り25m、樹高30mあり、これだけで森のように見える。
井戸杉と言い、井戸杉では県下最大、最古のもので樹勢もきわめて旺盛である。八つ房杉に似ているが、こちらは直立である」(奈良県教育委員会の掲示を略述)。

榛原赤植(あかばね)甲までは車で上がれる。念のため、帰りに車で上がってみた。
大平山。仏隆寺の東側の山。ちなみに西側は三郎岳でここは登ったことがある。
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帰りに出雲(165号、長谷寺の手前)の「ぶれーど・う」へ行ってきた。
お目当ての一つは前から気になっていた竹輪の一本揚げである。僕はカレーうどん、あっちゃんはキツネうどん。おいしくいただいた。

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カレーうどん
by koza5555 | 2012-11-26 00:27 | 宇陀 | Comments(2)

山田寺跡

24日(土)民生・児童委員の安倍地区協議会の定例会を桜井市山田公民館で開いた。
お昼前に会議が終わったので、山田寺跡や山田の集落を回ってみた。

先ずは山田の集落である。112軒とのことである。
山田の旧家は大和棟もあるが、それよりも家紋が浮き彫りされ煙出しがあることに特徴がある。
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山田は110軒余りである。落ち着いた静かな村。落ち着いたお家の数々。
村の小路の路傍にはお地蔵さまも落ち着いている。

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桜井市山田の山田寺跡。
いま、たずねても會津八一が歌うように、叢のなかに礎石が残るのみである。

くさふめば くさにかくるる いしづえの
くつのはくしゃに ひびくさびしさ

しかし、山田寺は三つの記憶を残してくれている。

まずは文献に明確なこと。
本尊が残っていること。
東回廊がまとまって出土していること。

山田寺は整地、金堂の建立、僧が住み始めた時期、すべてが文献に明確である。
『上宮聖徳法王帝説』に述べられているとのことであるが、この書は僕には歯が立たず、これ以上は触れられない。

建立は641年に始まり、685年までかかったとのことである。
始めは蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)の手により建立がすすめられる。
大化の改新後、この石川麻呂の自害で建設が中断するが、麻呂の孫の持統天皇の力により、塔の建設、銅造の本尊、丈六の薬師如来像が鋳造されたとされる。

南都焼き討ち後の復興のとき、興福寺衆徒は山田寺からこの薬師如来像を奪取し、興福寺、東金堂の本尊に据えた。この像は、その後の火災で焼け残った頭部だけが保存されるという数奇な運命をたどり、いまは仏頭として、興福寺の国宝館で穏やかに微笑んでいる。

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70年代の発掘で、塔・金堂・講堂が南北に並ぶ四天王寺型の伽藍配置だったこと、金堂の南には礼拝石があることなども判った。
また、当時の東回廊が倒壊したままの状態でみつかり、これはすぐ西の奈文研の飛鳥資料館で展示されている。
by koza5555 | 2012-11-25 00:52 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

氏神様の新嘗祭

桜井市の安倍(町・もしくは村)の氏神さまは八幡神社である。11月23日は新嘗祭。区の役員と神社の総代だけの祭祀である。
わが社は拝殿と本殿の間に防水(屋根)がなく、今日のような雨が降ると、拝殿に神饌台(八脚台)を設けてお祭りを行う。
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佐藤靖夫宮司の祝詞奏上
佐藤宮司は出雲(桜井市)や生田(桜井市)などの宮司を兼ねて回られている。
少し体を痛めておられたが、元気に復活、復職されて喜ばしい。

神饌は普通神饌で、お米、お酒、餅、魚、海菜、山の菜、野の菜、果物、菓子、塩水などで、三方8皿である。
お酒は新嘗祭に限り、新米で醸されたにごり酒が供えられる。これは宮司が持参する。西内酒造によるものと聞く。

我が社の祭祀は正月が元旦祭、2月が祈年祭、3月に例祭を持つ。
4月~8月までは、農繁期で祭祀はなく、9月が例祭。10月が宵宮祭、11月が新嘗祭である。


今日は本殿、宮垣の中に入り清掃。
見事な大石が社の後ろに。黒光りしており花崗岩と思われる。
これは谷首古墳の天井石の上辺である。わが八幡社は、谷首古墳の上に坐している。

桜井市の埋蔵文化財センターの「桜井市の横穴式石室をたずねて」では、本文にはないが、図面ではこの石が書かれている。素晴らしい石で、覆土が全部なくなれば、ものすごいものだと思われる。

谷首古墳。奈良県史跡。桜井市阿部に所在し、墳丘が八幡神社になっている。
方墳だが、丘尾切断した痕跡がある。
全長14.8m、玄室長6m、羨道長8mで奥壁は巨石二段積み、玄室天井も巨大な二石で作られている。六世紀末~七世紀初めとみられる。安倍氏の奥津城で、文殊西古墳、艸墓古墳と一体で回ると建造時期が実感できる。
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by koza5555 | 2012-11-24 00:38 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

西大寺

所用があり西大寺(駅前)に出かけた。今週は日曜日、火曜日、木曜日と一日おきに奈良である。
西大寺(駅)北口に午後4時半の約束だったが、少し早めに出かけて、西大寺(お寺)に寄った。
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西大寺東門
奈良まほろばソムリエの試験を2年前に受けた。
まほろばソムリエの試験は400字で見学案内、200字で史跡の案内という短文試験がある。
見学案内は都祁水分神社を書き、史跡案内は西大寺と平城宮跡だった。奈良ばかりである。

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南門前から塔跡、本堂を見て
久しぶりに西大寺に入った。
「南都七大寺のひとつである。藤原仲麻呂(恵美押勝)の謀反に対して称徳天皇が四天王像を発願したことに始まるという。764年のことで四王堂が建立され、七堂伽藍が完成した。

その後衰退したが、鎌倉時代に叡尊により再興された。
愛染堂は京都御所の近衛公御殿を江戸時代に移築したものである。

大茶盛式が有名である。鎌倉時代に叡尊が鎮守社での祈祷の後に湯茶の振る舞いをしたのが始めと言う。
北西の体性院は叡尊の荼毘所で、その場に建てられた大五輪石塔が現存する。」みたいなことを書いたと思う。

塔跡は東西両塔の東塔跡を利用したものである。その北側に本堂が建てられている。
今日は、時間も不足して堂内の拝観も体性院も行かないまま辞去したが、一度大茶盛の時にでも、訪れてみたいものである。
by koza5555 | 2012-11-23 00:27 | 奈良 | Comments(0)

新甘樫の丘

あっちゃんのお供で近鉄デパート橿原店に。
あっちゃんはご用がある。僕は何の役にも立たなくて、所在無げにブラブラしながら、屋上に上がった。デパートの屋上って、見晴らしがよくて遊園地があったりしたよね。

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耳成山が目立つ
近鉄橿原店の屋上、やはり遊園地でしたか?今は遊園地はない。しかし、見晴らしは最高である。
この屋上は名前もついていて、「新甘樫の丘」とのことである。

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西の方をみると素晴らしい二上山を見ることができた。
建物や町の形で南北はイマイチで画像は省略である。

あっちゃんのご用の済み次第、デパ地下で、お決まりの「○○候」を買い、チェーン店、道頓堀「○るる」で明石焼きをいただいてきました。
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by koza5555 | 2012-11-22 00:07 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

バスツアーの解説でラミネートを多用(計画)

ラミネーターを買った。ラミネートを作る機械だ。ビニールのカバーを写真などにかける機械である。熱ローラーでビニールシートを圧着する。
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先月の近鉄「楽・元気」プラザの講演はパワーポイントで行った。話す機会は比較的多い人生だった。しかし、パワーポイントが実は初めてだった。
話しながら、パソコンを操作するのは至難だと考え練習を重ねた。やってみるとさほどではないことが判った。

パソコンの操作の困難さよりも、説明のしやすさに驚いた。
思い込みが激しい男だから、「まとまった話ならパワーポイントだ」とすでに心に決めている次第である。

12月の「神武天皇と宇陀」のバスツアーを案内する。
ツアーの案内をするとき神社であれ、お寺であれ、史跡であれ、見えたものを解説するという範囲では僕は納得できない。対象の歴史をキチンと抑えたお話がしたい。この神社のお祭りがどんな具合だったか、地域のみなさんとどんな具合に結びついているのか、そこを語りたい。そんなことも知れば、いっそう理解されやすいという思いである。

たとえば、宇賀神社を案内する。神武東征で大きなエピソードがある穿(宇賀志)の氏神様である。この宇賀神社の祭神は、神武東征に対して、敵味方に分かれたウガシの兄弟である。拝観すれば形は分かる。この神社を村人はどんな思いで守っているのだろうか。そして、どんなふうに祭りをしているかを話したいということである。

こんな説明には、祭の写真を示したりすることが一番である。
そこで、紙芝居方式で次から次へと写真を示すことを考えた。手動パワーポイントである。
しかし、ペラペラな写真を画板に貼ったりすることを考えたが、数に限りがあるし重い。

そこでラミネーターだ。A3のものがとじれる機械でも4000円くらいだ。フィルム代も一枚20円程度である。
紙芝居みたいに扱える。手動パワーポイントの完成である。資料が楽しく編集できた。
今日、宇陀の方に見ていただく機会があった。写真の一枚、一枚に共感の声をいただくことができた。

バスツアーまであと10日である。
12月1日(土)は、ほぼ満席。12月16日(日)は、まだ空席があるようである。地元の方が参加されても楽しいようなツアーにしたいとしっかり準備をすすめている。
by koza5555 | 2012-11-21 00:29 | 奈良 | Comments(4)