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奈良・桜井の歴史と社会

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長谷寺、三社権現の綱掛祭

4月からのJTBツアーの準備をボツボツやっている。
15回のツアーであるので、奈良まほろばソムリエが5~6人くらいでガイドする。まずはガイドシナリオ、そして下見という順番である。

そこで、シナリオは一応書き上げてみた。でも・・なんとも心もとない。
たとえば長谷寺である。大きなお寺だから初瀬谷のことから始まり、歴史、建築、文化財、会式、花などものすごいテーマが目白押しである。
案内する一時間半、質問の嵐を覚悟しなければならない。
この準備は僕にとってもとても勉強になるし、ガイドに当たる皆さんにもしっかり長谷寺をマスターしていただかなければならない。

399段の登廊(のぼりろう)を上がりきると、本堂の東に出る。鐘楼の下である。ここで本堂とご本尊を説明する。舞台に回ってと言う案もあろうが、それだと眺望に目が先にいってしまう。

ここで、正面は何があるか。神殿が見える。誰しも「なんだろう」と思う。
江戸時代の大和名所図絵にも、ここは「三社」と明記されて神殿が描かれている。
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滝蔵三社

三殿であるが、中社を瀧蔵権現といい、三社全体も瀧蔵権現、瀧蔵三社とも呼ばれる。
瀧蔵権現は長谷寺の守り本尊とも伝えられる。もともとの地主神だったが、その席を菅原道真(与喜山天満宮)に譲り(平安時代中期)、元地主と言われる。
滝倉には瀧蔵神社はあるが、祭神を替えていまも長谷寺の境内に神社があるのである。

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これは上之郷の滝蔵神社の本殿である

1000年前の長谷寺の地主神のチェンジを語る。その歴史を語りつつ、現在は、それがどうなっているか、こう話すと話が楽しくなる。これでこそ説得力は増すのである。

しかもこの三社のお祭りがある。瀧蔵三社綱掛祭りという。この説明も大切であろう。
この祭は旧正月の11日と決まっている。今年なら2月20日にあたる。
いまから、計画をたてて、この祭、必ず拝見したいものである。午後の祭りである。

上之郷(萱森、中谷)が第一殿、中之郷(吉隠、榛原の柳、角柄)が第二殿、下之郷(柳原、出雲)が第三殿に奉仕して、綱かけを行う。
刀の形のお餅とか五重塔という五段重ねのお餅が供えられる。


長谷寺、14日のだだ押し、20日の瀧蔵三社綱掛祭と大切な行事も連続して目が離せない。
by koza5555 | 2013-01-31 18:58 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

雪の高見山

3月8日に「記紀万葉と宇陀路」というお話をする。
普通に自己紹介をして、古事記や万葉集のいわれを話しながら、始めるという手もある。
でも、学者でもない僕が、「記紀万葉と・・」、そして住んでもいない「宇陀路」である。
よほど、用意周到に考えなければ、これは皆さんに無駄足を踏ませることになる。

はじめのタイトルクレジットのバックの絵は・・・やはり高見山だろうか。
いろいろな高見山を持っているが、もう一つおもしろいものが撮れないかと菟田野まで入ったが・・
そのまま、鷲家を越えて木津(こつ)峠へ。
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高見山。秀麗だが西からみると尾根筋の雪と氷は・・・

そして、すぐに、あるいはすべての前に、宇太水分神社の御例祭、太鼓台三基ねりの動画で行きたい。これは迫力がある。
僕は動画をやらない。宇太水分神社の動画は宇陀のもんちゃんからfbのシェアでいただいたものである。このダウンロードは至難のわざである。データをお借りするしかないとお願いすると「なんでか、消えてしまっている」とのことである。
ここは僕の力では何ともならないので、図々しく橿原のKさんにお願いをしたのだ。
Kさんはこれを見事にダウンロードしてくれた。しかも16MBもある大きなデータをネット経由で送ってさえいただいた。「わかる人はわかる」、「できる人はできる」である。
もんちゃんにもKさんにもお礼の言いようがないほどの感謝である。

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この絵が動画で示せる。1分くらいだが、二回ほど見ていただいても飽きは来ない

ありがとうございました。

始めが決まれば、後は大丈夫。
簡単な試験をしたり、
神武東征、
大海子皇子東国発ち、
柿本人麻呂の阿騎野行き、阿騎野を歌うなどで楽しくつないでゆく。

あくまでも講談、学術的なお話しや新解釈はなにもないけど・・よろしくお願いします。
by koza5555 | 2013-01-27 23:23 | 奈良 | Comments(0)

トラットリア前澤でランチ

僕らの昼食はまず自宅である。外出した時は仕方がないが、家にいるときは・・・
すると「桜井のお店にはいつ行くんだ」ということになりませんか。

お店で食べるというのは、あっちゃんの英検の試験が終わった時などに居酒屋に行くばかりで、桜井できちんとした食事は最近とみにすくない。

お客さんを招いても、食べてないところには絶対連れて行けないし・・「桜井の歴史と社会」なんだから、とにかく外食比率を少し増やそうという、そんな話である。

それで、今年初めの楽しみ、試みは、まずトラットリア前澤さんである。
桜井市粟殿(おおどの)の創作イタリアン・ダイニングバーで、桜井の市役所の直近である。
昨年の桜井グルメグランプリにトラットリア前澤は出店されていた。大和牛のパスタをいただいたが、お店に行きたいと思いつつもずいぶん日が経ってしまっている。

昨日始めて訪れた。席は空いていたが、どうもテーブルのしつらえをみると予約がいっぱいという感じである。僕は念願の大和牛のパスタ、あっちゃんはアサリのスパゲッティのランチをオーダーする。

先ずは有機野菜のサラダ。エノキがビックリ。サラダエノキとのことで生で食べれる。自家製ドレッシングがおいしい。
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続いてエビイモのスープ。もちろん自家製です。「フォカッチャ」です。自家製です。
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それからパスタ。大和牛と吉野産キノコのバターしょうゆパスタ。パスタがおいしい。大和牛もとてもおいしい。右がアサリのボンゴレ。素材が生きている。
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イタリアのコーヒーである。あっさり目の美味しいコーヒー。
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食べたものを紹介するだけでも、次々と「自家製」である。
こだわりの自家製、そして素材を生かす調理だが、なによりもとてもおいしい。
奥様の睦さんは気さくできれい、ワインの呑みっぷりが豪快という三拍子そろったステキな方でした。
楽しみ、試み、大成功のランチだった。
by koza5555 | 2013-01-27 00:38 | | Comments(0)

宇陀市のこと

室生村だったころ、村の花はスズラン(むこうじ)と村の樹は松だった。
訪ねて回ったら、「三本松にちなんで松が指定された。その松はもう枯れてない。天然記念物だった」と教えてくれた。「どこにありましたか」と、もう一声聞けなかったため、現状がつかめずにその話は浮いてしまった。

ずっと寝覚めが悪かった。今日、三本松に行ってきた。地蔵菩薩の拝観だが、元区長だった洞出さんに「別件ですが」と「三本松はどちらにありましたか」と思い切って聞いた。
「元の宿場の山の上にある。小さな墓地があり天然記念物の石が立っている」と教えてくれた。他の方からも「伊勢湾台風で折れたので切った。植え替えた樹が大きくなってきた」ということも教えていただいた。
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三本松はいまは一本松だった

バスツアーの時、宇陀市のことを一言で説明する。こういう説明は神社の前とか、本殿の前ではなく、ふつうバスの中である。
どんな産業、人口は、面積は?そんな話は前提だろうけど、「記紀万葉と宇陀」とか「神武東征を宇陀で見る」とか「犬養孝と阿騎野を歩く」というようなツアーの参加者には、これはあまり受けない。

そこで、僕はとっておきの話を二つ用意する。
一つは市や町の花と樹である。
宇陀市のシンボル、市の花はスズラン、鳥はうぐいす、木はヒノキである。

そして、宇陀市の場合は合併前の町と村のシンボルの話が楽しい。

榛原は山つつじ(鳥見山に群生)、ウグイスにヒノキ。
大宇陀はカザグルマ、ホオジロに橡(くぬぎ)。大宇陀はカザグルマ自生地の北限で天然記念物。
菟田野はアジサイにウグイスに杉。
室生はスズラン(むこうじ)と松である。
こんな話をすれば、どんなでも話が続く。

もう一つの話はマンホールである。この花や木がマンホールの図案に入っている。
菟田野はウグイスにアジサイである
大宇陀はカザグルマ。
榛原は鳥見山に鶯、桧
室生は公共下水道がなかったから、村のマンホールの蓋はなかった。
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現在は幾何学模様(都庁型)で、順次これに入れ替わるとのことであった。

それにしても、三本松のことは何も知らなかった。知っていたのは、近鉄の駅と道の駅だけである。
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こんな町並みが残っていた。

参宮鉄道の開通によって一気に宿場町としては衰退したと思われる。
「これより西 萩原まで二里六町」、「これより東 名張まで二里十二町」と刻まれた道標が残されていた。
近代の村名の由来となった三本松は、宿場の小高いところにあった、株元から三つ又に分かれた大松は枯れて、昭和三十年代に伐採され、現在は三代目とありました。
by koza5555 | 2013-01-25 00:42 | 宇陀 | Comments(5)

宇陀、猟路の池

宇陀、猟路(かりじ)の池の池を考えてみた。榛原の古代は沼沢地だったとのことである。
それを示す万葉歌が榛原西小学校に建てられている。
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写真は先週のことである。グランド越しに左から鳥見山、貝ヶ平岳、香酔山

「記紀万葉の宇陀路」と題した講演を3月8日に行うことになった。
万葉集でも古事記だって、まして日本書紀に至っては聞きかじりみたいなレベルの僕が、こんなテーマのお話しである。

僕の持ち味はある。新鮮な気持ちで現地を一所懸命見てきたこと、新鮮な気持ちで地元の方のお話しを一所懸命聞いてきたこと、あとは大きな度胸(笑)である。

「記紀万葉の宇陀路」、このテーマを考えた。
一時間半を一本の話しで通す自信がない。
いくつかのテーマで組み立ててみようと考えた。

神武東征と宇陀、菟田野のことである。八咫烏神社もここに入れる。
直接の記紀万葉とは異なるが、宇太水分神社、墨坂神社の秋祭を話す。
大海子皇子(天武天皇)の壬申の乱、「東国発ち」もやりたい。
そして、万葉集、柿本人麻呂のことを話す。

総じて12月のツアーを話すということである。
そこで柿本人麻呂である。ツアーでは阿騎野の事だけを話したが、今回は初瀬から阿騎野入りのコースをたどってみる。

初瀬、狛、岩坂、笠間に出て、猟路(かりじ)の池の西側を通り、阿騎野入りというのがそのコースである。コースに沿いながら、絵を見ながら(講演はパワーポイントである)、エピソードを織り込み阿騎野に向けて話を盛り上げていく。

コースの一つの柱になる、「猟路の池」、これが今はない。今はないが万葉学者、鳴神善治さんが古代の池の地図を作った。榛原周辺の池に関わる小字名を池岸としてつないでいってこんな大きな池を推定した。
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宇陀市の榛原駅、西南一帯をさすといわれる「猟路(かりじ)の池(つつみ)」である

榛原西小学校のグランドの端に万葉歌碑がある。

大君は 神にしませば 真木(まき)の立つ 荒山中(あらやまなか)に 海をなすかも (巻3―241)柿本人麻呂

裏にはそれに先立つ長歌があり、短歌一首が刻まれている。これらの歌は桜井の鹿路(ろくろ)での歌との論があり、歌碑もたてられている。が、「真木立つ荒々しい山中に海をつくる」というには鹿路は谷が小さかった。猟路(かりじ)の池が推定されている今では、榛原の歌と見る論が主流である。

榛原西小学校は猟路の池に南から突き出した岬の上に建てられている。この歌碑はその突端近くに建てられていた。
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by koza5555 | 2013-01-23 22:15 | 宇陀 | Comments(1)

シルバー会の新年会

一月の土日は新年会の日程でいっぱいである。日曜日はその一つ、地域のシルバー会(老人会)の新年会だった。

今年も皆さん、集まっていただいた。
参加者は圧倒的に女性である。男性は会長と福祉委員の長(社会福祉協議会を地域の一端で担い、高齢者支援をしている)、そして区長、民生委員の僕だけである。
後は女性ばかりが十名以上。地域活動というのは、老いも若きも女性によって担われている。
60歳代はとりあえず僕だけで後は70才代である。

今年はどこにもいかずに区の集会所で弁当を楽しみ、お酒を楽しみ、カラオケを楽しんだ。日ごろは会いにくい年齢の方も多く、話も大いに弾む。
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正月らしい弁当を頼んだ
一人で暮らしている方もそうとうみえて、みなさん、ほんとにハレバレと楽しむ。
民生委員をしていると、解決しにくい問題に遭遇して立ち往生することもあるが、こういう行事は一緒に楽しみながらゆっくりできる。

さて、新年会。下戸の君は酒席でどうしているんだ?である。僕は酒の雰囲気に大体は溶け込んで楽しく騒いでいる。

今年のカラオケは僕はちょっと趣向を変えた。歌は「男はつらいよ」、あのフーテンの寅である。ディサービスに通う方から、「この歌をディサービスで歌いたい、セリフの感じをもう一度やって」とアンコールが出るほど、人気を博した。
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男はつらいよ

とても楽しいシルバー会の新年会でした。
by koza5555 | 2013-01-23 00:02 | 民生・児童委員・町内会 | Comments(0)

ニコンの一眼レフ

一眼レフのカメラの修理が終わって帰ってきた。
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先々週の土曜日、針道のかんじょう綱かけのとき、谷川に激しく落ちた。
年甲斐もなく無理をした。若い時のようにちょいちょいと川岸の岩をよじ登ろうとした時、それも片手にカメラを持って・・である。

チョット腰を痛めたりしたが、大事には至らなかった。頭から落ちなくて良かったと強運に感謝している。

そのときカメラを飛ばした。交換のレンズがはじけて飛んでいった。
なんとか拾い上げたが、どうもレンズを固定する爪が折れたようでレンズが固定できない。
これでは使えない。

「このカメラももう無理か」と思ったが、A電器に持っていって見積りを待った。
レンズの爪が折れていること、カメラ本体にもゴミが入っているとの連絡があった。「5年保障」も切れており修理費はけっこうな値段だったが、「ここは修理だな」と考えて修繕を行った。

このカメラが一週間で戻ってきた。これは嬉しい。1月中は無理と諦めていたのだ。
それというのも、レンズ交換式の一眼レフを5年ほど前に買ったが、ゴミが入り、空などを写すとゴミが写るという状態に悩まされた。
たびたび修理に出したが、解決しないという状況が続いている。何よりも一度、修理、清掃に出すと、カメラが一カ月くらい帰ってこないという困った状態である。

いままでの修理は今回とは違うB電気だったが、修理期間の差に驚いた。B電器での修理は「5年保障」を利用していたが、今回はオール自費という修理で、支払いの条件は異なった。

一週間と一カ月、これは販売会社の力量の差か、それとも「5年保障」と「自費」の差か。

釈然としないが、とにかくカメラは帰ってきた。いま撮りたいのは、雪の高見山の遠望である。
by koza5555 | 2013-01-22 00:37 | パソコン・インターネット | Comments(0)

奈良県立美術館の田中一光展

先日、田中一光展のチケットを2枚いただいた。家に持ち帰るとあっちゃんも2枚持ってニコニコしている。産経新聞の読者サービスでいただいたとのことである。

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田中一光展、チケット

思い立って20日、奈良市に出かけた。
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五重塔である。電線がない。左側図書館、右側サンルート奈良ホテル

所用があって、もちいどのを通り、行基広場の工事現場を見て、県立奈良美術館に。
あっちゃんは無印良品のコアなファンである。あっちゃんは田中一光には「無印良品」つながりでも大きな関心があった。
田中一光は、奈良市出身で20世紀の日本のグラフィックデザイン界を代表するデザイナーである。そして、その作品を見れば、だれしも心当たりがあるというようなデザイナーである。
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県立美術館

展示を見ながら、いくつかを驚いたり感じたり。

田中一光にも不遇な時代があったこと。画家としての優れた力はあったが、アートデザイナーとしての道でこそ、その才が花開いたと思える事。

ポスターの表現にこそと心血を注いでいる。40枚ほどの産経観世能のポスター、奈良シルクロード博(5枚)、アムネスティ・インターナショナル(2枚)などの70枚ほどの様々な企画ポスターは迫力がある。
ポスターは苦悩、呻吟の中で生み出されるが、出来上がるポスターには作成時の苦悩は見せず、陽光に照り輝くものだったと説明されていた。

綱が20枚ほどあったが、すべてが紅白などのお祭り用で右よりである。右よりの綱は明るい。ところがアムネスティのロープの絵だけはなぜか、左より・・・ん?なんで・・なんて変な所を見ていて、自ら観察の視点のズレを感じたりもする。

自分の人生を振り返れるような田中一光展であった。

期日は3月20日まで、県立美術館で。昨日の産経新聞奈良版には招待チケットを先着順に送ると書かれていた。産経新聞、奈良支局にハガキを出すとチケットが届く。
by koza5555 | 2013-01-21 00:48 | 奈良 | Comments(2)

宇陀市、雨師の丹生神社

「古事記と宇陀」のツアーをガイドした時、たくさんのことを説明から外した。ま、それは当たり前である。すべて話したら時間も足らないけど、聞いている方が嫌になるだろう。
一方、「これはもう少しきちんと触れた方がいいんだけど、知らないから話せなかった」ということもあり、これは心が残る。
3月に宇陀の観光案内みたいな講演をすることなった。宿題みたいなものになっているので、宇陀のことを順次読み、見て、考えてみたい。
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雨師の丹生神社の鳥居越しに東南をみる

榛原にそのうちの二つを残している。
一つは雨師(あめし)の丹生神社であり、
もう一つが榛原は古代、池だった、その名も「猟路(かりじ)の池」という問題である。

今日はそれを見てきた。
神武東征の折、飴を造って戦勝祈願をしたという話が日本書紀に記されている。東吉野村の丹生川上神社がその地として聖蹟顕彰碑が立てられているが、「宇陀の朝原」と書紀には記載されていることから、榛原にその伝承があるのである。
それが延喜式内社の雨師の丹生神社である。

さっそく訪ねた。榛原の雨師。桜井から入ると女寄峠(みよりとうげ)のトンネルの手前を左に入り、そのまま榛原にすすむ。笠間、安田、雨師の順である。村と神社は「岳」を背負い南向きの斜面にあるが、雪がすごい。普通タイヤの僕の車では無理、歩いて登るがそれでも滑る。
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神社入り口に鳥居がある。ここに宇陀の朝原の碑が立てられている。ご祭神は「たかおかみのかみ」(水と雨の神)とのことである。
登ってみると、屋根も葺きかえられており、立派な本殿、拝殿である。
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偶然、村の人が雪の被害状況を見に来ておられた。「由緒正しい神社であるが、なにせ23軒の雨師の村で守しているから、十分なことはできません」と謙遜される。お聞きすると「氏子総代の森本です」と言われた。秋の例祭のことなども聞いた。「前は10月17日だったが、いまは体育の日の当たりで日柄の良い日に」と言いながら「丹生神社をもっと脚光の浴びるようにしたい」と言われていた。
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拝殿前の森本氏子総代。ブログに写真載せてもいいですかと許可をいただいた

もう一点は宇陀市の榛原駅西南一帯をさすといわれる「猟路(かりじ)の池」である。
これはまたの機会にするが、雨師の丹生神社はこの池の西端に位置しており、古代の交通の要所(長谷から狛(こま)、岩坂をこえると)だったことも付け加えておかねばならない。
by koza5555 | 2013-01-20 00:38 | 宇陀 | Comments(0)

桜井市、白河の秉田神社

桜井市、長谷寺の手前の谷を上がると白河(しらが)の集落がある。そこに延喜式内社(桜井市史)の秉田(ひきた)神社がある。
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秉田神社

白河の棚田に降った雪は5日経った今日もまだ残っている。
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白河の村の道端の竹藪も雪にへし折られて無残な姿である
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古事記の雄略天皇のところで、引田部の赤猪子(あかいこ)の話がある。
美和河ぞいでみめ麗しい童女を見かけた雄略天皇が「汝は誰が子ぞ」と問う。「引田部の赤猪子(あかいこ)というぞ」と名乗り、天皇は「喚するから、夫を取るな」と伝えた・・とある。
その童女は待つがずっと召されない。80歳になってから、「待っていたのに」と宮を訪れて繰り言とをいうお話である。
古事記には「引田の若い栗のとれる原、睦むまえにこんなに老いてしまって」という歌もあり、天皇が謝るという結末である。

最近も学習会でこの話を聞いた。
前から初瀬川、大和川沿いということだが、「引田部とはどこ?」との問題意識があった。そんなことから、猛烈にそれを「知りたい欲」がこみ上げてくる。

「古事記と奈良大和路」(千田稔著・東方出版社)にその明確な答えがあった。引田とは白河(しらが)とのことである。長谷寺の手前、出雲を越えてから左の山へ入る道である。
この引田が秉田(ひきた)神社(白河字神山)と同一の地名とのことである。

秉田神社、ご祭神は大己貴命(おおむなちのみこと)で、延喜式内社(同じ場所にあるとすれば平安時代から存在している)である。

白河は30軒あまりの村だが、この村でかっては長谷寺本尊脇のビンズルゴゼンに紙衣を着せオシロイを塗るベニスリゴゼンという供養をしていたという。白粉をひと箱塗りつけることから、「一箱べったり」と言われていたという。

白河、雄略天皇の時代から始まる奥深い歴史がある村である。

さて、この白河(しらが)は秉田神社とは別に巻向山(村は巻向山の東になる)に向けて登ったところに龍王社があり、龍王池(トドロキノフチ)があるという。
白河、トドロキノフチ、ダンノダイラ、巻向山という「長谷山?縦走」コースを歩くことが今年の春の課題だ。
by koza5555 | 2013-01-18 21:25 | 桜井・初瀬 | Comments(0)