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奈良・桜井の歴史と社会

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義仲穴(ぎちゅうけつ)、桜井ロケのリハーサル

源(木曽)義仲の映画、「義仲穴(ぎちゅうけつ)」という映画のロケを桜井市の等彌神社で行う。

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今日はその練習会で、50人からの参加である。

義仲穴」、木曾義仲を描いた映画であるが、倶利伽羅峠の戦いとか、京都への進軍で平氏を打ち破る・・・そういう華々しい木曽義仲ではなく、いわば「その後の義仲」という感じの映画である。

監督は秋原北胤(ほくいん)さんといい、東京のカエルカフェがこの映画を作るのである。

この秋原監督と思わぬ縁があり、思わぬ展開で、この映画の奈良ロケをお手伝いすることになってしまったのだ。
ロケ地の決定とその使用許可を取るために走り回ったり、
市長(懇談は副市長)への表敬訪問のセットをしたり、立ち回りする剣道の達人に出演交渉(エキストラだが、剣をふるったり、セリフがある)を行ったりだった。

10月28日が撮影である。今日は東京から秋原監督も参加してその練習を行った。
だいぶそろってきた衣装の確認もする。
衣装と動き次第では自分のアップが映るということで、リキが入っている方も多い。
立ち回りがあり、物売りや通行人が右往左往するというシーンであるが、みなさんの動きがリアリティ


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等彌神社の境内はあたかも鎌倉時代にさかのぼったような感である。


桜井のほんとうの言いだしっぺは、聖林寺の倉本住職。「お寺のご用でロケは参加できない」と言いながらも、今日はいそいそと演技に取り組んでいる。
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義仲穴、桜井ロケの「僕の役割は今日で終わり」と思って出かけたが、ロケ本番に向けて、あれこれの仕事も出てくる。難しいことは残っていないが、地元でなくてはという仕事もあり、今しばらくお手伝いすることにした。
by koza5555 | 2013-09-30 23:13 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

鹿の角きり、春日大社と神鹿

「鹿の角きり」の日(10月12日・13日・14日)に高畑界隈や春日大社を案内する。

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春日大社

改装なった行基広場、近鉄奈良駅前で集合である。

宿泊する旅行であるので荷物が大きい。まずは駅のコインロッカーに直行である。
はじめに外回り環状のバスで破石(わりいし)町に至り、あとは夕方まではウォーキングである。

高畑あたりの美術館や寺院を回り、鹿の角きりを拝見し、春日大社の参拝、そのまま興福寺に下りてくるというコースを考えた。
これは、「角きり」ありきの散策・ウォーキングである。「鹿、春日大社、奈良のなりたち、奈良の自慢」みたいな話をしたいのである。

鹿の角きりを見るのだから、今回は徹底して春日大社と鹿にこだわってみたい。
ご祭神の武甕槌命(たけみかづちのみこと)は鹿島(かしま)から、春日の地に到る。「鹿島立神影図(かしまだちしんえいず)」はその説話を画像に示したものである。
春日大社と鹿、奈良と鹿、「鹿島立神影図」を示すことが一番わかりやすそうである。

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鹿の角切りを拝見する。このチケットが難物で前売り券がない。当日の11時からの売り出しとのことで、入手方法は別途考えねばならない

今回は鹿の角きりを見てから春日大社を参拝、見学する。

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二の鳥居に至る。伏鹿の手水である。やはりこれが人気者だろう。

「鹿と奈良」なら、「石子詰の三作」は欠かせない。
綱吉の時代という。手習いをしていた三作の習字草紙を咥え去ろうとした鹿に文鎮を投げつけ、打ち所が悪く鹿が死んでしまうという事件が起きる。三作は「神鹿を殺せば石子詰め」という当時の定めにより、生き埋めにされるのである。
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三作を悼む碑が菩提院の境内におかれている

「誰が三作を処刑したんだろうか。石子詰めは幕府の公的な処罰だったんだろうか」などと考える。

神鹿の角が伸びて町民が難儀していると考え、興福寺にその処置を求めたのは奈良町奉行の溝口豊前守である。それが鹿の角切りにつながり、それが1671年のことである。

同じ溝口豊前守が鹿殺しの犯人を興福寺への引き渡しを拒否して奉行所で裁くこととなる先例は1678年である。

三作の事件は綱吉の時代ということで、1700年のころだろう。
三作を処刑したのは奈良の代官所ということになるが…それが石子詰めか・・
とか、そんなふうに僕の疑問が広がる。

しかし、ツアーでは、疑問を言い立て並べても参加者は困るばかり。
こんな素材を楽しく盛り上げながら、奈良の鹿を語りつつ鹿の角きりを楽しむ。

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あとはさわやかな秋晴れを望むばかりである。
by koza5555 | 2013-09-30 10:38 | 奈良 | Comments(6)

ダイエットとウォーキングタイツ

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こんなタイツとシャツを買ってきてウォーキングに汗を流している。

8月からダイエットに取り組んでいる。
5年ほど前にレコーディングダイエットをやったときは空腹との戦いであったが、劇的に体重は減っていった。
その後も、頑張ってきたが、4年かかりでだいぶ体重が戻ってしまった。

そんなこともあり、8月12日から、ダイエットを再開、今回はよく歩いてはいるけど、基本的に食事制限はないので、やはり効果が出ない、なかなか体重が減らないという状況にある。

そして、夏の間は半袖とTシャツ、ハーフパンツで歩いていたが、急に寒くなってきている。

ダイエットの効果が出ないことにあっちゃんは業を煮やして、ここで、「やる気は恰好からだわ!」と、今はやりのウォーキングタイツを買ってきた。

うーーん。


とりあえず、今晩からはこの格好だ。シャツは腕を組んでいるが、ウォーキングの時は腕は組まない(笑)・・・
by koza5555 | 2013-09-29 22:54 | 健康 | Comments(0)

興福寺 西室の発掘調査

興福寺西室の発掘調査の現地説明会が開かれた。28日、一日だけであった。
再建工事中の中金堂と北円堂の間の、元の松林の中である。

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北から発掘現地を見る。南円堂を背景に

興福寺西室は720年代に建立され、以後焼失を繰り返し、近世に廃絶しています。本調査では西室南半分の礎石、礎石据え付け穴などを検出し、創建当初の建物規模と、再建の際には創建建物の位置・規模を踏襲していることがわかりました。建物規模は南北約62メートル、東西12メートル、桁行10間×梁行4間に復元され、「興福寺流記(るき)」などを参照に桁行11間として従来の復元案とは異なる成果が得られました。(以上、興福寺・奈良文化財研究所の現地見学会資料)
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現地説明会のパネル

西室は寺の中心建物の金堂と講堂をコの字形に取り囲む僧房の一つで、8回にわたり焼失、最後の焼失は享保2年(1717年)で、以後再建されることがなかったとのことである。
そんなこともあり、赤い色に変わった礎石なども示されており、今からでも猛火が想像できる資料も展示されていた。

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土器、創建当時の瓦なども展示されている。これは創建当時の瓦や鬼瓦が

現地見学会、古が現代にあからさまに、そして突如現れたかのような、そんな感じしませか。
お聞きすると、「たくさん来ました」とのことであるが、閉門間際で800人だから、なんと言おうか・・・もったいない話である。

ちなみに奈文研 heijo@nabunken.go.jp  に名前、住所、メールアドレスだけを登録すれば、奈文研の現地説明会の案内がその都度、送ってくるので利用すると便利である。


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秋空に映える五重塔
by koza5555 | 2013-09-28 23:56 | 奈良 | Comments(4)

万葉集と橿原市・広陵町・三宅町

万葉集のツアーの下見に行ってきた。

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馬見丘陵公園のナガレヤマ古墳

コースは雲梯川俣神社、御厨子観音、常磐町春日神社、百済寺、馬見丘陵公園、伴堂杵築神社である。
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奈良交通の募集チラシ

まほろばソムリエの会と奈良交通で作り上げる、「歌って巡ろう」の平野南部の巻である。
12月1日(日)と15日(日)、木枯らしが吹くころの話である。
昨日、26日(木)に、このコースの下見・勉強会を行った。

大津皇子、曽我川に三宅町。楽しみ、見どころが満載のツアーである。
今回は馬見丘陵公園などの古墳も回る。今回は古墳関係の解説はMさんが担当する。Mさんは奈良まほろばソムリエの会のなかでも古墳の知識が深く、その案内に定評がある。草を踏み分け、ライトを持って横穴古墳にどんどん入っていく女性探検家(?)ともいうべき方で、今回は、自身の経験も合わせて、古墳論を語ってくれる。これは僕も楽しみしているのである。

さて、万葉集であるが、「父母(ちちはな)に 知らせぬ子ゆゑ 三宅道(みやけじ)の  夏野の草を なづみ来るかも」(巻13―3296)である。この歌は長歌がセットになっていて、これは親が歌い、子が応えるという楽しい歌である。

ツアーでは、この歌を三宅町で歌う。
この三宅町の万葉歌の解説と朗詠を三宅町ボランティアガイドの皆さんにお願いした。

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犬養孝揮毫の万葉歌碑前で三宅町ボランティアガイドの皆さんの解説を聞く。実はさらに楽しみがあり、ツアー当日は、三宅町ボランティアガイドの皆さんに「天平の舞」もおどっていただけることになった

そして、万葉歌碑から太子道を200メートルほど歩くと伴堂杵築神社である。
こちらの拝殿に掲げてある「おかげ踊り」の絵馬が拝見できる。奈良県指定民俗文化財に指定されており、神社の境内で多数の踊り子が輪になって踊っている絵で、村役とか踊り子の一人一人の所作などが詳細に書き込まれている。

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今日の写真はレプリカ。ツアーにおいでになり本物を見てください

三宅町はボランティアガイドの片岡会長さんや杵築神社の宮北総代(元区長)さんに案内をしていただく。


犬養先生の万葉の旅によれば、奈良盆地南部は「万葉の故地がこの地域に数カ所しかないのも、ここがいわば穀倉であり、宮廷人らにとっては、通路に過ぎなかったのにも因るところがあろう」とのことであるが、橿原市の御厨子神社、三宅町のボランティアガイドの皆さんなどに助けられて、今までにないような素晴らしいツアーになりそうである。


奈良交通の工夫で、昼食も楽しみ、ぜひおいでください。
by koza5555 | 2013-09-27 09:37 | 万葉の旅 | Comments(0)

伊勢神宮や夫婦岩

桜井市の民生・児童委員協議会(略称)の今年の一泊(24・25日)研修旅行は三重県だった。
研修の後は伊勢神宮、あご湾遊覧、二見が浦を回るという良く学び、良く遊ぶという一泊研修である。

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宇治橋鳥居。ガイドによると「この鳥居(橋の手前)は前の式年遷宮の棟柱で作られています」とのことである

研修は三重県津市の「三重県障害者総合福祉センター」と障がい者支援施設の「いなば園」である。

福祉センターは「高次脳機能障がい」者に対する診察、評価、リハビリ、就労支援などの総合的な対策を行っている。
外傷、脳血管障害(脳内出血など)により、記憶や行動の障がいが生まれる。それを高次脳機能障害というが、外見などからは分かりにくく、人間関係が壊れるなどの問題が生じているとのことである。
それに対する総合的な対応をする施設を見学して、具体的な相談の窓口の勉強ができた。
奈良県だと同等の活動は県総合リハビリテーションセンターが担っている。

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福祉センター玄関

同じ津市内のいなば園を訪問した。施設運営の責任者から、「いなば園は障害には知的、身体的、精神的障がいがあるが知的障がいに対応する施設」との説明を受け、園の日常生活、生活支援や諸活動についての解説をいただいた。
児童対応の施設で入所者が成人となっても行き先がないとか、待機者が増え続けているとの悩みなどもお聞きすることができた。

民生・児童委員は日常的に部会に分かれて、さまざまな勉強会は行っているが、今回もドーンと課題を突き付けられた研修となった。

あとは内宮の参拝。
ちょうど一緒に歩いた方が桜井市芝の区長で民生委員の生駒さん。
三輪山のふもとに檜原神社がある。大神神社摂社、元伊勢と言われる檜原神社の8月の社祭は桜井市の芝区と箸中区(いずれも織田校区)の氏子によって神饌が整えられている。
生駒さんはこの芝区の区長さんで、いわば檜原神社祭の氏子側の代表である。
「神宮、どうですか?」と聞くと、心得たもので「うちから行かれた方だ」・・・である。

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五十鈴川御手洗場

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あご湾遊覧船。エスぺランサ

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二見が浦。夫婦岩。僕はきっと40年ぶりだ


観光の比重が高と思われるでしょうが、経費は本人もち(実質)ということですので、お許しいただきたい。
by koza5555 | 2013-09-25 22:34 | 旅行 | Comments(2)

万葉集の宇陀(奈良交通のバスツア―)

23日(祭)は奈良交通の万葉の旅、宇陀コースである。
吉隠(車窓)、阿騎野、大願寺、松山、カエデの郷ひらら、墨坂神社を回る。

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阿紀神社で解説する大山さん

「絶妙のコース、奈良の良いところが全部見れた」、「とても有意義な一日だった」とか、「穂積皇子の万葉歌の木簡を奈良で見たが、その歌が紹介されて感激した」など、みなさんから暖かいお言葉をいただいた。

コースは宇陀である。「宇陀なら柿本人麻呂だ」と決め打ちである。
人麻呂、長歌が二首ある。それに関わる短歌6首、そして柿本人麻呂の妻の歌というのもあるのである。

「まほろばソムリエ万葉ツアーは短歌だけで」という形で始まったが、792年の「軽皇子、阿騎の野に宿る」は長歌と短歌4首(45~49)が一体となり、はじめて理解することができる。
猟路の池も同じことで、「長皇子、猟路の池に遊でます時に・・」(239~241)も長歌抜きではなかなか理解が難しい。

万葉の故地を訪ねるツアーである。それを考えれば長歌ヌキは考えられなかった。

そこで、今度のツアーは長歌2首、短歌14首だったが、中途半端にせず、すべてをきちんと暗誦して解説することとした。トータルで171句、1000字くらいであろうか。

バスの中で柿本人麻呂の姿を説明する。
そして、歌を詠みながら山を指し、歌を歌いながら野を歩く、長歌と短歌を入り混ぜて歌い、話す・・である。気分よく、楽しく案内できたが、皆さんには、どんなふうに受けとめていただけただろうか。

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阿騎野の朝、柿本人麻呂像

菟田野の「奈良カエデの郷ひらら」も訪れた。万葉集とは関係のないように思えるが、宇陀の宝のような施設である。コースの都合もあり、強引に組み込んだ。
カエデ、もみじ、万葉集ではどうなっているかである。定義があった。カエデはカエル手で名詞。モミジは色の変化のしていくさまで、動詞とのことである。

我が宿にもみつ蝦手(かえるで)見るごとに 妹を懸(か)けつつ 恋(こ)ひぬ日はなし(巻8-1623)大伴田村大嬢が坂上大嬢に送った歌という。

犬養孝の「万葉の旅」だと、中巻の250ページに東国の歌として、カエデ、もみじの激しい歌がある。
子持山(こもちやま) 若かへるでの もみつまで 寝もと我(わ)は思(も)ふ 汝(な)はあどか思(も)ふ (巻14-3494)東歌・未詳
カエデの色が変わるまで汝と寝ていたいという、まあ、激しい歌である。

カエデの郷では1200種のカエデを収集してきたという矢野正善さんに解説をしていただいた。
矢野さんのカエデについての博識、その愛情、参加者はビックリである。あわただしくはあったが、買い物もでき、飲み物もいただくことができた。

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カエデの郷、入り口で旧校舎を背に説明する矢野さん


今回も「準備は徹底して苦しみ、ツアー当日は楽しんで」という僕のモットー通りに、たくさんの勉強ができ、楽しく案内ができた。
参加された皆さん、ありがとうございました。
by koza5555 | 2013-09-23 22:01 | 宇陀 | Comments(4)

弥生人の船 大阪府立弥生文化博物館

大阪府和泉市の大阪府立弥生文化博物館に行ってきた。
弥生文化博物館の存続が5年ほど前に激しく取りざたされていたことがあった。そんなこともあり、弥生文化博物館には特別の関心があったが、訪れたことがなかった。
このほど「弥生人の船」という特別展示のチケットをいただき、とりあえず訪れてきた。
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大阪府立弥生文化会館

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弥生人の舟」の展示室は撮影不可だったが、常設の第一展示室に「そのレプリカが展示されていた。八尾市の久宝寺遺跡から発掘された。12メートルほどの構造船で四世紀初頭のものという

船のお話も面白いが弥生時代を立体的に展示する第一展示室も面白かった。

弥生時代から古墳時代への境目に邪馬台国があり卑弥呼がいるという展示である。
その前後の王宮の姿、農村の姿、弥生人の生活と技術、そして移動と葬送などがグループごとに展示されている。

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弥生時代の展示の始まりが稲、コメという形が大事な発想のようである。
稲の伝播からはじまり、上海・杭州からというか、揚子江からというか、そこからのジャポネカ種の伝播と台湾からの南方ジャポネカの伝播という解説であるが、図面を示して説明されると説得力がある。

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弥生時代の村と水田のジオラマも面白い。
奈良県御所市の中西遺跡・秋津遺跡などから弥生時代の水田遺構が発掘されていて研究はより進んでいるが、この絵を見ると、水田を軸にした弥生人の生活が想像できる。

弥生時代やその前後の時代への理解を深める展示も作られており、学童の教育施設かと思われたが、大人が見ても興味深い展示であった。

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こんなTシャツも買った。



「弥生人の船 モンゴロイドの海洋世界」は10月14日(祝)まで開催されている。
by koza5555 | 2013-09-21 22:32 | 邪馬台国(やまとこく) | Comments(0)

仏教美術資料研究センター

23日は万葉ツアー宇陀コース、24日・25日は桜井市民生委員・児童委員の研修旅行、26日万葉ツアー奈良盆地南部コースの下見という具合で、いよいよ過密日程である。

そんななかで今日は奈良市を訪れ、西の京とか春日大社あたりを歩き回っていた。
実はそこら辺りを回るツアーを10月に案内するのである。
2年ほど前、遷都祭などで3回ほど奈良市を案内したが、それ以来は奈良市の案内をしてこなかった。
そんなこともあり、諸日程の間を縫っての予習である。

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仏教美術資料研究センター

とりあえず仏教美術資料研究センターである。
春日大社の一の鳥居を越えると左側に近代の和風建築を見ることができます。

明治35年(1902)竣工、同年奈良県物産陳列所として開館し、県下の殖産興業と物産の展示販売をおこなう施設として利用されました。設計者は、建築史学者で当時奈良県技師として古社寺保存修理事業に尽力した関野貞(せきのただし)(1867-1935)です。
仏教美術研究センター

昭和58年(1983)に重要文化財の指定を受け、奈良国立博物館が管理するに至り、現在は博物館の仏教美術資料研究センターと公開されているのです。

仏教と歴史に関わる資料は膨大で、一般の図書館では見ることのできない資料が数多く公開されており、開架状態で図書約7万冊、雑誌約3千タイトルが公開されている。

ちなみに、一般の公開日は毎週、水・金曜日で、「春日大社参道沿いの南門から敷地内に入り、建物西入口内の受付で利用手続きをおこなって下さい」と公表されている。
ところが参道沿いの南門は常にロックされている。インターフォンがついているので、声をかけるとロックが解かれる。
扉を押して入る。左側に回り、西側に入り口がある。鞄や靴をロッカーに入れ、氏名、使用目的、資格などを記して入館申請を書く。
申請書には資格欄などもあるが、大学・研究者などと並んでボランティアなどという項目もあるので、何ほどのこともない。

こんな煩雑さはあるが、入館して、書籍を読んでみる(閲覧机もある)、建物内のホールに立ってみる・・「どなたも一度はこの至福を味わってほしい」、ぜひ、どうぞとお勧めしたい。
by koza5555 | 2013-09-20 22:52 | 奈良 | Comments(0)

仏隆寺の茶臼と彼岸花

23日(月)は宇陀を万葉集でたどるツアー(奈良交通)を案内する。
準備は済んでいるはずなのだが「心配の種は尽きまじ」で、フラット大宇陀松山に出かけてみた。

行く方向は合っていたのだが、途中から道が変わって仏隆寺に。今度のツアーとは関係のないところだが、懸案があった。
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とりあえず仏隆寺、「黄金の茶臼」である

奈良の史跡とものがたり・・詳しく書かれていた。
寛文(かんぶん)年間(約3百年ほど前)、宝生寺の南門といわれてきた佛隆寺(宇陀郡榛原町赤埴(あかばね))に、側面に麒麟(中国の想像上の目出度い動物)を彫刻した石の茶臼があった。

重さ25キロほどのこの茶臼は、その昔、弘法大師が唐より帰朝の折に、唐の徳宗(とくそう)皇帝から拝受された寺の宝物であった。

さて、ある時、宇陀の松山城主・織田長頼(ながより)は別荘を築き、お茶会を催したがその際、この茶臼を権力で強奪し一向に返す気配を示さなかった。

やがて夜毎に獣(けもの)が出没しては、城中を暴れ回り器物を壊してしまう。
よく見ると茶臼に彫った麒麟のしわざであった。

城主長頼は立腹して臼を庭石に投げつけ、ついに寺に返したという。
この時の傷を金で補修して以来、この臼は金の茶臼と呼ばれ、今も佛隆寺に現存している。

奈良の史跡とものがたり第六話から
仏隆寺、鈴木ご住職奥さまも、茶臼の由来をこのように話された。


僕は仏隆寺の茶臼を「室生の講演」でも少しは触れているのである。
また、「大和茶供養式が仏隆寺で開かれ、弘法大師の弟子堅恵(けんね)大徳の遺徳をしのんだ」(8月21日)という報道を見て、茶臼を拝見していないことが気になっていた。
見て、触ってみて納得することができた。

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堅恵大徳が入寂したという石室。国指定の重要文化財である

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仏隆寺石段
彼岸花がない・・・
赤埴(あかばに)の村の辻々には彼岸花が咲き誇っていたが、仏隆寺は・・・??である。
「これからですか」とお聞きすると、「猪と鹿に食べられました。今までなかったことですが、きれいさっぱり」と言われる。
「村でも、今年二人の方が猟銃の免許を返されたと聞きます。猪を撃っても山から降ろせない、とのことで。毎晩来ました。鹿も夕方に群れて降りてきます」と言いながら、「一粒も植えていない、本当に残念」と落胆されていた。
こういう獣害もあるのである。


しばらくは仏隆寺の彼岸花は見れないこととなった。写真は帰り道に寄った森野旧薬園の彼岸花である。
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by koza5555 | 2013-09-19 23:24 | 宇陀 | Comments(0)