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奈良・桜井の歴史と社会

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棟方志功の歌碑・・その拓本

前田昌善さんから、棟方志功の軸装された拓本をいただいた。
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前田さんはまほろばソムリエのメンバーで、奈良交通の万葉集のツアーやJTBの美仏を訪ねるツアーを共に案内するガイド仲間である。
8月に大病をされたが今は元気、健康を取り戻されている。

いつかのツアーの時に、「kozaさん、等彌神社の棟方志功の拓本が取りたいのですが、なんとかなりませんか?」と相談があった。
その後、前田さんが入院したり、僕もバタバタしていたのであるが、そのチャンスは思いがけないところからやってきた。

「義仲穴」のロケを等彌神社でおこなう、そんな仲立ちをすることになったのだ。
撮影は10月29日に行われた。

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撮影前のスナップ、秋原北胤監督と松井正剛桜井市長、佐藤高静等彌神社宮司がそろった

こんなことから、前田さんの思いが叶えられることとなった。桜井には、棟方志功による歌碑が二つある。
車谷にある。「穴師川(あなしがは) 川波立ちぬ巻向の 弓月が岳に雲居立てるらし」(巻7-1087)である。棟方志功の揮毫で巻向川畔にある。

もう一つが、等彌神社にある。この歌は保田与重郎、画は棟方志功である。
「鳥見山のかの面この面をまたかくし時雨は よるの雨となりけり」。鳥見山に降る時雨、夜の雨となり鳥見山は闇の中に、というような感じである。
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不遇時代の棟方志功は、桜井の保田与重郎の手厚い援助を受けたとのことで、棟方志功の意思でこの歌碑の画が描かれたとのことである。

前田さんの拓本、そして前田さんの表装である。

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出来上がったばかりの一本を僕がいただいてしまったのである。

ただ嬉しい。
前田さん、夫婦ともども元気になられて、また一緒にガイドしましょう。
by koza5555 | 2014-01-29 21:26 | 桜井・多武峰 | Comments(2)

台湾旅行

忙しいツアーや講演の合間を縫って、弾丸ツアーで台湾を観光してきた。

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忠烈祠の衛兵交代式

あっちゃんの英検一級の合格祝いとして、「とにかく海外旅行を」ということである。
ところが、これがなかなか行けないのである。
僕の日程、あっちゃんの日程、孫の日程を混ぜ合わせての公約数として、一月末の「台湾ツアー」が実現した。

夕方にホテルに到着する。まずは、「世界の10大レストラン」に選ばれたという小籠包(ショウロンポウ)の「ディンタイフォン(鼎泰豐)」である。
ホテルは松江南京、ディンタイフォンは東門。タクシーが便利とのことだが、地下鉄がたったの二駅、これを見逃す手はない。

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コインを買って、かざして入り、出るときに投入というシステムだった。
東門からの帰りが面喰らった。東門はターミナル駅で、着いた月台(ホーム)は地下三階、帰りはその反対側ホームかと乗りかけると、それが違う路線。あれあれ?と探してみるとホームが地下二階と地下三階に分かれていました。
乗り換えが便利?たんに工事の都合?
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ディンタイフォンの本店前。さすがの混みようである

ツアーのはじめは行天宮である。生駒聖天を思わすような境内の雰囲気であった。
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とても熱心なお祈りをされていた。境内全体が撮影禁止で、ご本尊は激しく赤と青で彩られた鐘馗(しょうき)様である。あとで確かめると鍾馗さんは、台湾では民間伝承に伝わる道教系の神とされている


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ここは蒋介石を記念する忠誠記念堂忠烈祠(もとは台湾護国神社だったそうである。ガイドは「忠烈祠は日本の靖国神社」と紹介していた。今は、宗教色は全く感じられなかった)
衛兵交代式を拝見した。衛兵の職務は人気が高いとのことであるが、台湾軍人の給与はとても安いとのことである。

故宮博物院に行き、キールンの九ふん(鉱山跡が観光地になっている)や台北市内の夜市(よいち)などを回った。

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夜市は強烈だった。日本の有名寺院の初もうでみたいであるが、こちらはこれが一年中である

朝8時から夜9時までの強行軍の観光だったが、台北市内の主要観光スポットを回りきった。

胡宮博物院も一度は見ないとわからないことがある。まずは四ヵ国語表示である。
そして、展示の中心的な目玉は翠玉の「白菜」、これはほんとうに見事なものである。

台湾は食事もおいしい。さすがに海の幸があふれており、食事はおいしかった。

さて、案内してもらうのも楽しいが、案内してる時もとても楽しい。
これをどう理解してもらうか、ここではどんな反応が出るだろうか、どうやって楽しんでもらうか。連れていただ
きながら、いろんな勉強もできた。

さあ、元気いっぱい、明日も頑張ろう
by koza5555 | 2014-01-28 23:02 | 旅行 | Comments(0)

奈良県を歩き切ったモニターツアーの「締め」は朱雀門

留学生の皆さんを案内して奈良県の全域を歩いてきた。
昨年の10月に始まったのだが、2月1日が最後の6回目である。
6回、12日間のモニターツアーの一番初めは、新薬師寺だった。
最後の最後は、平城京跡の朱雀門となる。

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一泊二日で毎回、「奈良県のいいところは全部見てみたい」、「いろんな体験をして、見てビックリ・やってみて感激」、「さまざまな奈良の食材を楽しみ、おやつも味わってみたい」という素晴らしいモニターツアーだった。

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十津川まで行ってきたのである。

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吉野山にも上り、東は室生寺まで行ってきた。

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最後の二日間で奈良県の西の端、「家門隆昌の毘沙門天」を祀る信貴山朝護孫子寺と「願い事は何でも叶えてくれる」宝山寺の拝観である。

西から東、南から北へ、留学生の皆さんを案内して6回・12日間かけて、都合70カ所(寺院・神社・史跡・博物館などありとあらゆるところ)を案内したのである。

留学生は一回ごとにメンバーが変わり、結局、通しで回ったのは僕だけなのである。
このモニターツアーを案内するに当たり、このすべてを僕は下見した。聖林寺とか談山神社、長谷寺や室生寺はさすがに下見をしなかったが、納得できない所は2回も3回も通ったりもした。

9月から準備を、下見を始めたが、あれこれ他のツアーや教室が錯綜して、時間のやりくりで大変な時期もあったが、準備して、案内しきれた。あれこれに反省もあり、完璧とは言えないが、我ながら納得できるガイドだった。

ツアーの最後は・・・平城京跡。最後の最後は朱雀門で終えるのである。
今から考えれば、「京の正門は羅城門。宮の正門は朱雀門」であるのだから、こちらから始めれば良かったかも…

2月1日・2日が最終日である。週末は他用で準備ができないが、来週はもうひと頑張りで、終りを飾りたい。

春の日に張れる柳をとりもちて 見れば都の大路思ほゆ(巻19-4142)家持である
by koza5555 | 2014-01-24 20:50 | 奈良 | Comments(0)

初瀬の町から近鉄朝倉駅までのウォーキング

初瀬観光センター、水辺の広場でお昼ご飯を食べてから伊勢街道・初瀬街道を下って、近鉄朝倉駅までのウォーキングをすることとなった。
このコースで一番の注目点は、ヤマト王権の勢力が飛躍的に拡大したという雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)跡である。

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泊瀬朝倉宮跡と言われる春日神社の鳥居と注連縄、そして境内

ウォーキングでは出雲人形の水野窯元の工房が見学できる。八代目の水野佳珠(かず)さんに今日、了解をいただいてきた。工房見て、工程見て、購入すること(一個2000円程度)もできる、これはほんとうに得難い機会でありツアーである。

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相撲人形、左前人形

菅笠日記で本居宣長が触れた黒崎の女夫饅頭 佐野の追分と渡し・・面白そうである。

時期は三月の中旬である。
大神神社摂社の玉列(たまつら)神社の椿は満開だろう。椿まつりは三月の最終日曜日で、今年は3月30日と思われる。

桜井ボランティアガイドの迫間さんに、このコースの下見、勉強のお願いをした。
快く案内をしていただいたが、このコースを熟知しており、見学ポイントを見逃さない、解説ポイントをコンパクトに解説する。
そして何よりも助かるのは、安全に歩きやすい道を示してくれたことである。

昼食を摂る初瀬観光センター、初瀬川に面した「水辺の広場」に座る迫間さんである
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下見は完璧だったが、出雲の十二柱神社の神宮寺ともいえる地福寺の地蔵菩薩が発見できなかったことが残念である。

指先を丸めて錫杖を握り、頭が大きく柔和な面相という。長岳寺の石工 僧善教作とみられ、善教の石仏の南限を示すと言われている。
頭部と足元がひどく摩耗してのは、病気平癒を祈願した人々がなで減らした救済の記録という。

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地福寺の地蔵菩薩群。ところが、この室町時代の地蔵菩薩が判らない。出雲の友達においおい聞くこととする

さらにさらにこのコースは紹介したい場所や隠し味が満載である。案内する僕自身が楽しみで、驚き満載のウォーキングとして、楽しみにしている。
by koza5555 | 2014-01-21 23:48 | 桜井・初瀬 | Comments(2)

外国人留学生 奈良の魅力を母国にPR

18日(土)と19日(日)は一泊(長谷井谷屋泊)で留学生観光モニターツアーを案内した。
まず初日、山の辺の道を少し歩き、崇神陵や黒塚古墳、長岳寺を拝観した。

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山の辺の道を歩く

712年に編纂された古事記に、この道が記されている。
「御陵(崇神天皇陵)は山辺道の勾(まがり)の岡の上にあり」である。

今回は崇神天皇陵で取材をすると連絡があったが、内容は「?」だった。
しかし、どんな形の取材にせよ、よく準備したコースであり、ポイントである。問題はないと考えつつ、西から崇神陵に入っていくと・・

テレビカメラが待っていた。勝手に紙の「県政だより」の取材と決めつけていた僕は、「アレッ」で、これは少し緊張である。
インタビューが中心で、崇神陵堤の南東の高いところか額田王の歌碑前と決めて、歩きだす。
カメラマンになにげに聞くと、「今晩(18日)の県政フラッシュ。午後10時53分から放送」とのことである。

山の辺の道は万葉歌を歌って、と今度のツアーは考えていた。古事記からだったが、「倭建命」(ヤマトタケルノミコト)の、「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣  山隠(ごも)れる 倭しうるはし」をさっそく朗誦して、はじめからアクセルいっぱいである。
そこから大和を語り、天皇朝廷と、崇神陵の歴史、成り立ちまでを5分(寒い日だった)で語るのである。

山の辺の道を歩く。インタビューの場所が突然に決まった。
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インタビューに「山の辺の道を歩いた。うれしい風景です」と中国から来ている黄家玉さんは語り、「古い歴史が好き。寺が好き」とにこやかに答えて、言ったビュー、一発でオッケーである

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これが奈良テレビ県政フラッシュのオープニング画面である
長岳寺ではにゅうめんをいただいた後、本堂を拝観。

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みんなで思いをこめて鐘をついた

このツアーは秋から数えて今回で5回目。参加者が毎回変わりながら、全体として奈良県全部を回ろうという企画である。
春日大社から十津川の玉置神社まで、法隆寺や当麻寺から室生寺まで、奈良県の東西南北を案内してきた。

参加した留学生はfbやラインなどで発信しているが、3月24日には全コース、訪問地についての感想、意見を留学生自信で行うという企画も進行している。

こんなコースの通しガイドを行ってこれたことを誇りにしている。
このガイドを準備するに当たってはそれなりの準備、勉強をすすめてきたが、「県下全域を案内する基礎ができたかな」って、結果的に、そんな思いがするのである。


でも、こうして回ってみると、外国人向けの表示は実にさまざまである。各(観光)施設で、外国人向けの解説パンフが受付ですぐ手に入るかというと、これはこれで、大きな格差があるのである。

たとえば、道しるべが四ケ国語の表示になっているところがある。スッと英語や中国語、ハングルのパンフも出てくるところもあるgあ、「なんで、ここで」というような公的施設で外国語のパンフレットがなかったりするのである。


そんなことも含めて、外国人が見た奈良の魅力、そしてこんなところを改善してほしい、そんなナマの声を発表する3月の「留学生モニターツアー、留学生が語る」は、とても楽しみである。
by koza5555 | 2014-01-19 23:23 | 奈良 | Comments(0)

吉田製材 桜井市

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近鉄奈良駅前行基広場

「なんだ、なんだ」ということだが、今日はこの行基広場の柱のお話し。
「万葉集の話をしてくれ」と講演を頼まれた。頼んできたのは桜井の吉田製材の社長である吉田格さんである。この講演のことはまた書くとしてであるが・・・

吉田製材の応接に入ると、大きなパネルが。
「近鉄奈良駅前行基広場  大屋根設置」と大書されている。

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  「吉田製材では、屋根を支える6本の柱(奈良県産材吉野桧)を納入させていただきました。」とある

 さらに、「大屋根は,アーチ型ガラス製でS造(スチール建築のこと・koza注)平屋 建築面積375,69平方メートル、最大高さ11メートルの規模。景観を配慮した大屋根は開放感のある透明材強化ガラスを採用、屋根を支える6本の柱に「奈良県産桧角材」を周囲に張りつけ、奈良らしく大仏殿の柱をイメージした帯をつけているのが特徴です。
材の大きさは幅100ミリ、厚さ70ミリ、不燃処理を施した432本の材は、すべて自社にて加工され、奈良県の玄関を支えています。」

すごいよね。

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断面は、こんな風に製材されたが、長さは3メートルほどとのことである

吉田さんにいろいろ聞くと・・・
「製材した材木は一日で形が変わる。きちんと合わせるために一日に製材することが必要で、432本の製材を一昼夜でやりきった」とのことである。

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嬉しそうな吉田さんで、僕の素晴らしい友人である。
by koza5555 | 2014-01-17 12:43 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

本居宣長と「多武峰」

大人の学校のMさんから、「月に一回のテンポで2回の講演、1回のウォーキングという3カ月のセットの歴史講座ができないか」というお話だった。

この教室はお話が一時間半、質問、討論が30分である。
桜井の話や宇陀の話は夏にやらさせていただいている。

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そこで今回、選んだテーマは・・「多武峰」である

本居宣長の菅笠日記には、明和九年の吉野行にあたり、多武峰を経て細峠を越えるくだりがある。
ここらあたりを中心に組み立てたら面白いかなと考えた。

谷ふかく 分いる たむのやまざくら かひあるはなの いろを見るかな(本居宣長)
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こんな歌があるのである。
宣長は新暦の4月9日に多武峰妙楽寺に至った。
「桜が盛りのこと。自然に育った木が咲いており、それぞれ趣があること、多武峰に桜が多いとは聞いていなかったので、喜ばしい。」というようなことを触れている。

さらに、崇峻天皇陵のことを書いておれば、町石のことも書いている。
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この町石は16町。元の多武峰小学校の敷地の角に立つものである

妙楽寺(談山神社)に至ると、寺の前は広々としていると紹介しており、現在とは相当違う。
大和名所図を見ると納得できる。
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大和名所図会は1791年。本居宣長が訪れるのは1772年である
細峠での吉野山を見た感想もすごいし、うれしい。
原文で紹介すると、「ゆきゆきて。又たむけにいたる。こゝよりぞよしのゝ山々。雲ゐはるかにみやられて。あけくれ心にかゝりし花の雲。かつがつみつけたる。いとうれし。」

細峠から見て、吉野を眺めて、「花の雲。かつがつにみつけたる。いとうれし」であるが、こんな本居宣長の思いを語れば、楽しい講演ができるだろう。

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細峠からの吉野山。いまは、植林がちょっと、すすんで眺望は厳しい


「多武峰」。写真は厳選して40枚に抑えた。そして、これが僕のパワーポイント4作目である。それにしても、新しいテーマに挑戦できてよかった。

談山神社や聖林寺はもちろんのこと、音羽山観音寺や鹿路、針道、高家の皆さんにはたくさんのことを教えていただいた。
明日は元気に明るく、笑顔いっぱいで話す。
by koza5555 | 2014-01-13 23:08 | 桜井・多武峰 | Comments(4)

桜井市の高家のかんじょう綱がけ

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今年の高家(たいえ)のかんじょう綱、拝見してきた。綱かけ場に向かう高家の綱。暴れている

一月の第二日曜日は桜井市の高家(たいえ)と針道(はりみち)のかんじょう縄、かんじょう綱である。
来週は強烈に忙しいが、高家は地元である。この綱は毎年の当屋宅で作る。下高家14軒で当屋を回しており、14年は通おうと決めていた。
今年は谷口さん宅で、ちなみに来年は「田舎料理 千恵」さん、、再来年は民生委員仲間の東出さん宅である。

もともとは正月11日に行われていたが、いまは第二日曜日に変わっている。
下高家と上高家の境目に張られる。この綱を「魔よけ」と言う方もいるが、高家の考えは、「勧請綱」で神仏を招き迎える行事である。

各戸(14戸)が12把づつ(閏年は13把)の藁束を持ち寄る。集合時間は正午と決まっている。
鹿路や針道は二人でなう綱であるが、高家は三人でなう綱である。
三人で次々に藁束を回してゆく。さながら人間、縄編み機である。

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高家の綱は太い

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高家の勧請綱。つくりあげた綱を巻き上げて、五穀豊穣、垣内(かいと)の安全を祈り、般若心経を唱和する。そして綱を一気にひっくり返して、当屋を頭から綱に沈める。そして綱を持って、綱かけ場に一気に駆け出す

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坂を下り、坂を登る綱

綱かけ場。今年の綱は長くできており、その処理で時間がかかった。立派にかかった高家の綱である。
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坂を下りてくるともう町は真っ暗である。▲の黒いところが耳成山だ。
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by koza5555 | 2014-01-12 21:56 | 桜井市と安倍 | Comments(2)

天誅組 楠目清馬 所用 鎖網頭巾

談山神社の拝殿には、神社に関わるさまざまな事物が展示されている。
新たにこの場に、天誅組の砲一番組長だった楠目清馬所用の「鎖網頭巾」が展示されるようになった。

天誅組は最後の戦いを鷲家(東吉野)で行うが、楠目清馬はその戦いの後、宇陀を抜け、大峠を経て針道に逃げのびた。針道の辰巳家で一泊したのち、農民に姿を変えて山を下って行ったとされる。

当時、辰巳家は針道の一番上に住まいされており、山から下りてくると最初に出会う民家だった。針道集会所の上に辰巳家の住居はあったが、現在は村を去られていると聞いている。
この辰巳家に鎖網頭巾(鎖で編んだヘルメット)を、残していったということである。

楠目は百市(もものいち)、音羽と下って、倉橋に入るところで津藩兵に見破られ、自刃したとされている。

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これが展示されている頭巾である

楠目清馬は、土佐藩出身。天誅組では、砲一番組長として参加。文久3年(1863年)9月24日、吉野鷲家口のたたかいに敗れ、多武峰の針道(はりみち)、辰巳家にて一夜の宿を借りる。辰巳家の伝承では刀傷を負っていたという。今回の遺品は清馬が辰巳家に残したもので、当家では長く秘蔵されていたが、この度、当社に寄贈された。

 清馬は針道から倉橋に出たところで、藩兵(津藩)に発見され、自刃した。享年22歳。若くして没しているので、彼の存在を示すものは、この頭巾だけであり、天誅組の研究の上でも貴重である。

 明治29年4月、維新後に栄進した同郷の同志・土方久光(宮内大臣・伯爵)は当地を訪れ、談山神社の氏子地区、倉橋の墓を修理した。それが現在の通称「すずめ墓」と呼ばれている清馬の墓である。談山神社展示の掲示より


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楠目清馬 すずめ墓   宮内庁が管理するすずめ塚(明治9年~明治22年まではこの地が崇峻天皇 倉梯岡陵とされていた)のすぐ上である
by koza5555 | 2014-01-07 22:05 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

鹿路 綱掛式

正月の第一日曜日は、桜井市鹿路(ろくろ)の天一神社の綱かけ祭りである。
この綱かけ祭りを拝見した。

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神事を終えて、綱かけ場にむかう鹿路のかんじょう綱

談山神社の氏子総代の総会などで、鹿路の総代さんに「来年はいつ?」などと、たびたびお聞きしてきたが、新年の第一日曜日はなかなか出かけるのが困難だった。
今年はここに焦点を当てた。

天一神社の巨樹の杉は昨年、あらたに桜井百選にも選ばれている。
「瑞垣で守られたスギ・・これが神杉でご神体か?木の精霊 神杉」と紹介されているが、他にも8本ほどの巨大杉が境内を埋め尽くしているのである。

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天一神社の巨大神杉

鹿路は5日(日)、午前9時から天一神社で勧請綱をなう。
二人でなう綱だったが、掛け声が独特で効率的である。

藁束を受け取る。
まず、「さあよい さあよい」で藁のつなぎを二回絞りねじる。
「よい よい」で相手と藁の綱を二回交換してなう。
さらに「さあよい」で手に持つ藁を一回絞りねじる。
そして「よい よい」で相手と藁を交換して(なうことになる)、次が藁継ぎという繰り返しである。

「さあよい」の掛け声の時に、藁をねじり締めることから「鹿路の綱は強い」と感じた。

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綱の引上げ係が一人、なう役が二人、藁補給係りが二人で五人チームである

綱をなう時間も長いが、祭礼の準備に手間ががかる。

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注連縄に吊り下げられる神饌はここで初めて見た。略称、ハンドルと称していた

祝詞は天保7年(1836)書写の「天一神結鎮祭文」である。歴史があるのである。

さらに弓打ちがあるのに驚く。
巻き上げられた綱はアキの方向に積み上げられる。割竹だけで作った献饌台が建てられ、弓打ちがある。

吉兆を占い、凶事を払うということであるので、さながら大和の「けいちん」である。
談山神社から派遣の神主(今日は黒住さん)が、まず空へ、地へ、東へ、西へ、南へ、北へ、そして的に弓を引く。

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区長をはじめ次々と弓を引く。
「あなたも射って」と声がかかったので、お言葉に甘えた。

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けっこうな当たり矢で、神饌台をなぎ倒してしまって、恐縮

それにしても、鹿路の綱は暴れ者だった。
いつまでもいつまでも綱を巻かせない。綱が巻き上がってきて祭事が始まるかと思うと、ひっくり返される。

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綱で暴れる(戯れる)鹿路の氏子たち

綱掛け場で手打ちがある。
千秋楽というが、これもまた独特だった。

打ってくれシャンシャン
もう一つせ シャンシャン
祝うて三度で シャンシャンシャン

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手打ちの図

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立派にかかった綱。朝8時半に集まり、掛かったのが午後5時を回っていた
鹿路の皆さん、お疲れ様。ずっと見学した僕もお疲れ様・・である。
by koza5555 | 2014-01-05 20:37 | 桜井・多武峰 | Comments(0)