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奈良・桜井の歴史と社会

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長谷寺、朝の勤行

長谷寺は一年中、毎朝、朝の勤行と遥拝を行っている。
寺内の僧侶、学僧が全員、参集する。

午前7時にはじまり、20分くらいの読経のあと「外舞台法楽」として、遥拝が行われる。

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3月16日の「まほろばソムリエの会」の合宿研修会で朝の勤行に参列、特別に撮影の許可をいただいた


外舞台法楽では・・
与喜天満宮を拝し奉りて拍掌二度
愛宕大権現に
弘法大師御影堂に
奥の院に向かいィ(南無興教大師、南無専誉僧正)
五重宝塔に向かいィ
などと・・遥拝が行われる。荘厳なものである。

朝の勤行は7時からであるが、本堂前に6時45分くらいに上がり、500円の朝拝券を求めれば、どなたも参加できるのである。

さて、「JTB大和の美仏を出会う旅」の冬シリーズは明日が最後である。
12回のツアーだった。始めと終わりは僕がガイドすることになったが、最後は定員いっぱいの35名のお客様がいらっしゃった。
4月からの春夏シリーズを前にして、冬シリーズの最後が満席というのは心強い限りである。
ちなみに春夏シリーズは4月から9月までで15回実施される。

ガイドの皆さんのモチベーションの維持のために、この勤行のパネルを明日から配布することにした。

美仏を訪ねる旅は長谷寺、室生寺、聖林寺、安倍文殊院であるが、初めに訪れる長谷寺が大きなポイントになる。
まずは長谷寺に向かうバス内で長谷寺の歴史を語る。

僕はこの歴史を三人のビッグネームで紹介するのである。
一人目は長谷寺を創建したという僧、道明である。法華説相図の解明から天武朝のころ686年に本長谷寺と呼ばれている西の丘に三重塔を建立したといわれる(創立年号は諸説あり)。
二人目は徳道上人である。727年に東の丘に十一面観世音菩薩像を祀って開山したとのことである。
そして、三人目が今の長谷寺の形を作り上げた専誉(せんにょ)僧正である。豊臣秀吉に滅ばされた根来寺の頭職だったが、秀吉の弟、豊臣秀長に長谷寺に招かれた。
いまでも、長谷寺の奥の院(地域)には専誉僧正や豊臣秀長の五輪塔が祀られているのである。

朝の勤行、外舞台法楽ではこうした長谷寺の歴史の偉業が存分に遥拝されるのである。
十一面観世音菩薩の前から、与喜天満宮(地主の神・とこぬしのかみ)、弘法大師に並んで興教大師(覚鑁)や専誉僧正・豊臣秀長を祀る奥の院に向かって遥拝が行われる。

朝の勤行のパネルを見ていただきながら、こんな説明をして、長谷寺の心意気を紹介し、長谷寺と真言宗豊山派の歴史が、いまも生かされている・・そんなことを感じていただくような解説を行う。
こんな解説が土台となって、長谷寺と「大和の美仏に出会う旅」、この探訪がより興味深々となるのである。

さあ3月30日、明日のお客様35名、強雨・強風という天気予報は極度に悪いが、桜は咲いている。
冬シリーズの〆、しっかりと楽しんでいただくつもりである。
by koza5555 | 2014-03-29 20:38 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

馬見チューリップフェアと馬見古墳群

梅田カルチャアセンターの「大和路を歩く」、4月は「牧野(ばくや)古墳と馬見(うまみ)丘陵公園」である。
テーマは「馬見丘陵公園に花と古(いにしえ)を求めて」と名付けた。

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馬見丘陵公園ではピッタリの「チューリップフェア」である


五位堂からサイクリング・ウォーキングロードを歩いて、牧野(ばくや)古墳を見学する。門扉を開けていただく段取りである。

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牧野古墳、玄室は高く大きい。桜井の艸墓古墳などと比べるとその差は歴然で、大王家に関わる古墳という主張は納得せざるを得ない

そのあと、馬見丘陵公園に至って昼食をとり、ナガレヤマ古墳、巣山古墳、乙女山古墳を勉強して、「チューリップを見て」というコースである。

「花を楽しんで古墳を勉強する」なら、このウォーキングは出来上がっているように見えるが、参加した方が「おもしろいかな?」と、ふと思うのである。
目指すは、やはり「勉強」というより、「花も古墳も楽しむ」という形である。

このツアーを一緒に案内するMさんは、まほろばソムリエの会、屈指の古墳通であるから「任せておけば」とも思うが、僕としてはもう一つテンションが上がらない。

そこで、広陵町の古墳を改めて考えてみようと、広陵町文化財保存センター(町役場敷地内)に行ってきた。ここの展示の中心は巣山古墳である。
巣山古墳は馬見古墳群の中核的な役割をもった最大級の古墳であり、馬見古墳群の代表として特別史跡に指定されている。

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巣山古墳を上空から見ると(広陵町のパンフレットから)


この巣山古墳の語り口を考えた。
古墳は規模、築造の時期、被葬者、埋蔵資料みたいな感じで語るが、これはやはり「お勉強」だろう。
古墳の側から語りたい、「古墳が生きているように語りたい」が僕の思いである。

平成15年に広陵町が発表している出島状遺構の解説がポイントである。
この遺構は、前方部西側に葺石がおかれた遺構で、多数の形象埴輪が発見されている。家屋、柵で囲まれた家屋、平たいくちばしをもつコハクチョウ三体の埴輪などが展示されていた。

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 「水鳥形埴輪 平たいくちばしのコハクチョウがモデルのようですが、3羽は顔つきや大きさがすこしづつちがいます。ひょっとして家族でしょうか」(展示説明)


古墳の周辺は1000年も前に田畑になっていくが、周濠と交わりつつヘドロの中に埋もれて・・いわばヘドロが守った1600年前の遺跡である。

そして馬見丘陵公園を改めて回ってみると、前回は佐味田狐塚古墳の面白さを見落としているし、乙女山古墳も北側に回らなかったために大事なところを見落としていたし・・

解説しようとするのだから、「現場100回」とは言わないにしても、「現場5回くらいは必要だなあ」と反省しきりである。

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佐味田狐塚古墳の入り口

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乙女山古墳の北側の登り口

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チューリップも問題である。公園のチューリップフェアは4月12日から20日であるが、「今年は早いよ」と手入れの方が言うように、咲始めの品種もあるのである。

あれこれ心配しながら、さらに2~3回は行かないとこのツアーはできないと感ずる。
by koza5555 | 2014-03-28 23:17 | 奈良 | Comments(0)

榁ノ木峠と追分梅林

「大和路を歩く」、竹の寒干しを見学するために冬の生駒を歩くことにしているが、それとは別に、もう一度、生駒に行きたいという計画である。

奈良から大阪へ、暗越(くらがりこえ)と榁ノ木(むろのき・もろのき)峠は一直線である。この道を歩きたいのである。そこで暗峠をとりあえず眺めて、榁ノ木峠を下見してきた。
下見の下見の下見だから車で回った。

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榁ノ木峠に差し掛かる前に振り返ってみると・・暗峠への登り道が遠望できる

南生駒から登る道はとても狭い。
見通しが効かない、狭い、そして登り坂、恐れをなして「はぎのだい」経由で大きく南に迂回する。

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榁ノ木峠である

榁ノ木峠。松尾寺・矢田寺から矢田丘陵を降りてくる道がある。榁ノ木大師を経て、東生駒に向かう遊歩道もある。どこからどこへ行くか・・それが問題だが、とても歩きたい道である。

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追分本陣村井家住宅


村井家住宅は奈良から生駒暗峠を越えて大阪にいたる街道沿いに位置し、ここが大和郡山との分疑点であるために追分の本陣と呼ばれる。 
主屋の屋根は茅葺きと桟瓦葺きを組み合わせた大和棟形式で、この主屋の南東に上段の間、控の間、玄関の間などからなる座敷棟が接続する。・・奈良市教育委員会


村井家の斜め向かいが追分梅林である。

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  梅畑とは関係なく広がる造成された大きな空地。「今年度までは土壌改良のために閉鎖」(暗越奈良街道・読書館)とされていたが、写真の通り、実態はそんな感じではない。

通りかかったSさんが話してくれた。
「8軒だけで管理してきたが、今はこんな形だ。梅はもう植えないかも。あそこらあたり(駐車場の一角を指さしながら)の4反が我が家のもの」と言いながら、「ほしければ売るけど」と言われる。「オッ」と思ったが、「手持ちがないので」(笑)と断らせていただい。

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きれいな梅は散見。立派な8軒の記念碑も。第二阪奈からもきれいな梅が見えたんだな・・と

榁ノ木峠、魅力があちことにあるが、安全面でちょっと問題があり、多人数のウォーキングコースとしては無理のようである。ここは、下見の下見の下見で終わりかも・・である。
by koza5555 | 2014-03-23 22:39 | 奈良 | Comments(0)

賀名生(あのう)梅林は満開  

来年の3月の「大和路を歩く」で梅を見ていただこうと考えた。
NHKのカルチャーセンターは長い歴史があるので、月ヶ瀬梅林も奈良市の追分梅林(現在は休園中で来年は開園すると聞いている)も訪れているのである。

それで賀名生の梅林を考えて、21日に下見をおこなった。下見の下見と言うことで、あっちゃんを誘ったのである。

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賀名生の梅


西吉野町の北曽木の丘陵をおおいつくす賀名生梅林。月ヶ瀬、広橋とともに奈良県の三大梅林である。
古くは穴生(あなう)と呼ばれていたが、後村上天皇が「南朝が正統であるという主張が叶うように」と叶名生(かなう)と名づけ、その後「賀名生」に改めたと伝えられる。
梅林の入り口の賀名生和田北口には南朝の皇居にもなったという堀家が健在である。堀家に残された「皇居」の表示は天誅組の吉村寅太郎の書とされる。

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まずは堀家を訪ねた。門が開かれていた


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二万本の梅である。こんな画も撮れた

ツアーの下見だったので、五条バスターミナルまで車で行き、賀名生には路線バスで入った。
五条バスターミナルを13時7分発である。13時30分くらいから2時間、隅から隅まで賀名生を歩いた。


食事場所がない、トイレがほとんどない・・・「女性の多いツアーには厳しいなあ」とあっちゃんが指摘する。
梅はすごいんだけどなあ・・である。

さて、15時55分の五条行のバスをあてにして山を下りたが、これが「平日ダイヤ」で、祭日の今日はなし。
6キロくらい山道を歩いてきて、「バスの待ち時間は2時間」と言われたら・・(笑)
五条まで歩くことにする。
生子(おぶす)までは国道、そこからバス専用道に入り、五条まで下る。トータルで13キロメートルのウォーキングとなり、歩きに歩いた一日となった。

バス専用道、五新鉄道(予定地)跡である。五條から新宮への五新鉄道構想が生まれ、昭和初期に建設が始まり、その工事は戦後再開されたが、この路線は完成しなかったという廃線跡(鉄道として使われなかったことから未成線という)である。

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生子のトンネル、500メートルはあり、この通過が嫌でここまでは国道を歩いた


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こんな橋桁も残されている

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踏切もあるのである。廃棄レールを利用した踏切の安全帯も作られている。遮断機も残されていて、これにはビックリで、バス路線に使われていることからの遮断機?鉄道開通を期待する先行投資?不思議である


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五條の町に差し掛かると雄大な金剛山


とても疲れたが、ハードな、そしてすばらしいハイキングだった。
梅林、どこを歩くか、もう少し考えてみたいと日曜日には月ヶ瀬に行くこととした。
by koza5555 | 2014-03-21 22:39 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

宇陀市西芳寺の薬師如来立像が重要文化財に

文化審議会は18日西芳寺(さいほうじ・宇陀市)の薬師如来像を需要文化財にするように答申した。
6月には官報で告示されるとみられ、重要文化財としての指定は確実である。

薬師如来立像が安置されていたのは西方寺で、この西芳寺とは宇陀市山辺三の西方寺のことである。

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西方寺(西芳寺)ご本堂

19日の朝、さっそく伺うと・・・・
住職、ご婦人は「如来様は東京にお出かけで秋には戻ります。その後はこの地で拝観していただきます」と話されています。
「朝から電話がかかります。おいでになったのはあなただけです」(笑)とのことである。

境内の西方寺の掲示板には
天正9年(1581年)春、宗仙大徳の開創であって、融通念仏宗大阪市平野区平野大念仏寺の末寺である。
十一尊天得如来掛け軸と共に奉安する薬師如来立像は胎内文書によれば、弘安元年(1278年)の造立と考えられる(鎌倉時代)。
奈良西大寺釈迦如来と相似の彫像で美術的に優れている。

と記されている。

同じく境内の榛原町教育委員会の掲示によれば、「素朴で平明な作風から像の制作は、像内の結縁交名(けちえんこうみょう)に記された「弘安元年」(1278年)と考えられ、鎌倉時代の基準作例として注目されるものです」とある。

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木造薬師如来立像。宇陀市のHPから

木造薬師如来立像(もくぞうやくしにょらいりゅうぞう)、所有者は西方寺である。
住所は宇陀市榛原山辺三496番地で、榛原から国道165号を東に向かい、天満台を越えてから、細い左への微妙な登り道から入ることができる。国道からは歩いて登る道もある。

西方寺は1581年の創建、薬師如来は1278年造立。
薬師如来はどちらから?
誰しも興味が湧くところだろう。

宇陀市のHPによれば、「西方寺に客仏として伝わった薬師如来立像・・・もとは、山辺中村の安楽寺にあった」と解説している。
一方、「口の薬師堂」にまつられていたとのことで、口の薬師とは、この村の奥にある戒長寺(戒場の薬師)の入口にまつられていた との戒長寺由来との論を展開する清水俊明(大和のかくれ仏)氏のような見解もあるのである。

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西方寺から額井岳をのぞんで

9月には重要文化財、薬師如来立像は東京から帰ってくるとみられる。
そこで、この重文の薬師如来を目玉に、室生口大野から榛原までというウォーキングを行ってみたいが、どうだろうか。

コースは大野寺、半焼、篠畑神社、(食事は榛原ふれあい広場?)ぬれ地蔵、西芳寺、天満神社、椋本神社、あぶらや、墨坂神社であるが、どうだろうか。
by koza5555 | 2014-03-19 22:53 | 宇陀 | Comments(0)

ゆかりツアーの思い出

昨年の十月から今年の一月まで、留学生のモニターツアーを案内した。
一泊二日で6回、奈良県下を駆け回り、80カ所くらいで留学生に観光案内をしたのである。

調査が足りずに主観的なお話もたくさんしてしまい反省をしている。
しかし、奈良への思い、奈良県人への熱い思いを精一杯語ったつもりではある。

奈良を語るには、それなりの歴史観がやはり必要である。
中国や韓国、ベトナムと台湾、フランス、ポーランド、リトアニアからの留学生を案内した。
中国との古代の長い交流と日本が受けた影響、、韓国(百済や新羅)との交流や一体の文化圏について語ると、みなさんは弾んだ思いで話を聞いてくれた。一方、ベトナムの留学生とは唐の横暴との戦いを語って盛り上がるとか・・そんな具合だった。

奈良県中を回ってあれこれの下見戸勉強を行い、ツアー当日の説明など僕としてもほんとうに大きな勉強ができたと満足していた。

今日の午後、中国の友人からメールがきた。
「中国版のTwitterに(Weibo)雜賀さん発見o(^▽^)o」である。

記事の内容は12月21日・22日の当麻寺、吉野・宮滝という複雑コースのツアーだった。
「吉野での思い出、お菓子つくりの体験ができました。お醤油工場の見学もできました、満喫の二日間でした。自然と戦いながら共存する日本人に感心しています」と書かれていた。

ま、これは観光のモニターツアだったが、こんなコメントが「中国版のTwitterに(Weibo)」に書かれたら…ジーンときません?

ガイド冥利ですね。
こんな出会いを求めて、さらに勉強を重ねていこうと心に決めた夜でした。

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写真は吉野杉の大桶で一年間、 じっくりと時間をかけて熟成するという梅谷醸造元


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ツアー最後の宮滝

by koza5555 | 2014-03-12 22:52 | 奈良 | Comments(0)

NHK文化センター梅田教室

NHK文化センター梅田教室の講師を引き受けた。4月からの「大和路を行く」の講座である。

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NHK文化センターのチラシから

奈良まほろばソムリエの会が引き受けた仕事だったが、これを「やってみないか」と会の方から打診があった。テーマは「大和路を行く」である。文化センターの担当者と相談し(面接を受けて)、依頼をきちんと受けて、その具体化を始めたのが一月のことである。

この講座は10年来の人気コースとのことで、これを継続させる責任は重い。
奈良好きの方が、もっと奈良の魅力を発見できるような、そんな講座をつくりあげたい、そんな思いである。

過去の行き先を検討してみると、地域と季節を考慮して奈良県下を隈なく効率よく回っているのである。
新しいコースを考えねばならない。お客さまは、毎年・毎期(一年に2回の募集)少しづつ代わってきているわけで、必ずしも同じコースがダメだということはないが、直近に行ったところを避けることは当然で、さらに同じようなコースなら、まほろばソムリエなりの新味も出さなければならない。

コースを研究した。
また、講師の協力をしていただく方に依頼をすすめた。ツアーを一緒に案内した方、専門的な知識の高い方への依頼である。僕に足りない力を求めたのである。

そんな具合でコースを作り、絶妙なコースが出来上がり、講師の分担も決めて、その準備(テキスト・下見・諸以来)を進めている。
コースを決定したのは今年度の前期5回分(4月~10月、8月は休み)ですでにチラシが発行されている。
さらに、後期や来年の研究も行い、あちこちのご意見をお聞きしているさなかである。

4月は「馬見丘陵公園に花と古を求めて」と題した。
牧野古墳と馬見丘陵公園を回る。
牧野古墳(ばくやこふん)で横穴古墳を見学、馬見丘陵公園と公園館で古墳や日本の歴史を考える。
4月13日から20日(日)まで馬見丘陵公園は「チューリップフェア」を開催している。植えつけられたチューリップは20万球という。どうだんつつじや花水木も美しい。

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馬見丘陵公園にはチューリップの巨大花壇が作られていた


5月は「宇陀・松山の町なみとカザグルマの花を訪ねて」である。
近鉄榛原駅からバスに乗り、大宇陀に入りカザグルマを見学するのである。
その後、西口関門を経て松山の町歩き、久保本家酒造の試飲などを計画している。
天然記念物のカザグルマが拝見できれば、この日、このコースだけのゴールデンコースである。
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カザグルマ

6月は「初夏の長谷寺・初瀬谷を探訪する」である。
初瀬の谷を歩き与喜浦に至る。化粧坂(けわいさか)を越えて、愛宕山、長谷寺に入山する。
長谷寺では、「巳の刻とて貝吹き鐘つくなり」のほら貝を拝見し、出雲の十二柱神社まで下り、出雲人形の水野佳珠窯元を訪ねるという計画である。
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出雲人形。手前が左前人形、奥が相撲人形

そんな具合で7月は「高畑から禰宜道を通り春日大社・東大寺をウォーキング」、9月は「今井町(重要伝統的建造物群)と横大路を歩く」である。

10月以降の構想もどんどん膨らむが、これは文化センターのチラシが出てから紹介したい。
人気が出れば、こんなふうに5回単位でどんどん続いていくというウォーキングである。
「大和路を行く」、これがさらに長いシリーズになるように清新な思いで努力を重ねたい。
by koza5555 | 2014-03-11 21:13 | 奈良 | Comments(0)

上街道・初瀬谷、そして大和神社(佐保庄)を歩いた隔夜僧

まほろばソムリエの会の初瀬研修は3月15日・16日である。
資料を読んでいると隔夜堂というのが目にはいった。
奈良と長谷に関係がある。調べてみると大和神社にも深く結びついたお話しだった。

「長谷寺境内図の古図に、本堂裏側の山に隔夜堂としるしてある小さな堂がある。この隔夜堂は初め法起院にあって、その後天神社の興喜寺にうつり、最後に長谷寺に建てられたが今はない」(桜井市史上680ページ)とあった。

隔夜堂は隔夜僧が泊まった堂で中世から明治初年まで、一晩おきに奈良と初瀬に泊まって修行する僧がいたという。奈良で泊まった次の日は初瀬にと言う具合である。
白い着物に黒い衣を着て、ハスの花笠をかむり、胸に鉦を下げて叩きながら念仏を唱える…

1000日とか1500日を続けた修行と言う。

奈良では新薬師寺の奥、隔夜堂に泊まった。
空也上人が開かれた修行と言われ、隔夜僧たちは上人の徳を慕って修行を続けた。

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これが今も残る奈良の隔夜堂である。くう也上人の碑が門前に立てられている。ご本尊は木造十一面観音菩薩立像で長谷寺本尊の十分の一のお姿とのことである(僕が訪ねたときはお留守で拝観できませんでした)。


この隔夜僧が朝日を迎えた場が大和神社の北、佐保庄の朝日堂だったという。
ここは朝和村という行政区画(明治22年から昭和29年まで存続。天理市に合併した。朝和保育園とか朝和公民館が残されている)だったが、この村名は朝日堂から一字を取ったとのことである。
朝日堂は明治8年に廃寺、本尊の観世音菩薩は佐保庄の島岡家が管理しているという。この境内に置かれていた朝日豊明姫明神は、今では大和神社の摂社として祀られている。

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大和神社内の朝日明神。交易を奨める明神で、奈良・桜井を往来する旅人は必ず詣でたという

白い着物に白い脚絆、黒い衣を着て、ハスの花笠を冠り鉦を胸につるして・・
こんな隔夜僧を思い、石仏を訪ねながらのウォーキング、これは面白そうである。
by koza5555 | 2014-03-08 22:55 | 桜井・山の辺 | Comments(4)

5月の「大和路を歩く」は大宇陀・松山に

3月11日(火)に「大人の学校」、5月にNHKカルチャーの「大和路を歩く」で大宇陀を案内する。

大宇陀はこれまで何度も案内した。
大海人皇子東国発(たち)、宇陀と古事記、万葉集と宇陀路、まほろばソムリエ試験の体験学習などテーマは異なったが、大宇陀・松山の町並みをていねいに案内してきたつもりである。

記紀万葉の時代から大和朝廷に注目されてきた宇陀、大和から東国への重要な交通路となった宇陀・松山、城下町として繁栄を究めた松山の歴史などの切り口・語り口が豊富で、案内のやり甲斐のある宇陀・松山である。

春から夏にかけての「大和路を歩く」のウォーキングは、4月に馬見丘陵公園で「古墳とチューリップ」を見てもらい、五月は大宇陀・松山で「カザグルマと中世」をテーマにしたいと思ったのである。

榛原から大宇陀の内原までは路線バスである。バスを降りて小附(こうつけ)へ歩く。
カザグルマを拝見する。
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これは現在のカザグルマである
カザグルマは花も実も風車(ふうしゃ)型というのがすごい。

カザグルマはキンポウゲ科の落葉つる性植物で、大宇陀町に自生地がある。
5月ごろ、大輪で淡紫色の美しい花を枝先に1個咲かせる。花弁状に見えるのは「がく」で、一般に8枚ある。
旧大宇陀町の町花であり、大宇陀のマンホールはこのカザグルマを5~6個ちらしたものである。

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これが春のカザグルマである


さて、ウォーキングは松山を昔の街道筋に沿って、北から入る。
かざぐるま自生地の辻本さんから、「松山を歩くなら、薬の館は必ず寄ってね」との強い依頼があった。
「大和路を歩く」は30名のツアーで薬の館のキャパをこえているが、工夫すれば寄ることはできる。

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薬の館

初めは西口関門である
次は伊勢辻である。ここの説明を重視して、江戸時代の松山の姿を鮮明にしたい
道標には榛原、京大坂、大峰山上、吉光尼御塚などが彫られている。伊勢屋が建てたものといわれるが、西口関門から入った、このあたりのにぎわいを思わせる道標である。
この後、薬の館を見学するのである。


4月からのNHKカルチャーの「大和路を歩く」、「古墳とチューリップ」、「カザグルマと松山」、「長谷寺と初瀬谷」、「禰宜道から知足院まで」と、バラエティに富んだコースができ、今日までに下見をすませて微調整も行うことができた。

花があり、古墳があり、社寺があり、歴史の道があるこれらのコースは、まほろばソムリエのチームでこそ案内できる素晴らしいウォーキングである。
この企画に参加し、これを案内することができる僕自身が、一番楽しみに思っているんだろうけど・・・
春が楽しみである。
by koza5555 | 2014-03-04 22:55 | 宇陀 | Comments(0)

長岳寺の弥勒と出雲の地蔵菩薩

初瀬にて、3月15日・16日に「まほろばソムリエの会」の一泊研修をおこなう。
長谷寺を徹底探索してみたい。そして、初瀬の町もていねいに見て回ろうという企画である。

あわせて6月にはNHKカルチャーで初瀬を歩くので、その下見も行ってきたのである。
この二つのツアーの勉強のなかで、すごいことをたくさん知ることができた。

長谷寺の門前を桜の馬場(さくらんば)というが、このさくらんばから流れてきたというお地蔵様に、出雲で会うことができた。

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出雲の流れ地蔵(堂)という


「本尊は室町時代末の地蔵菩薩で、上半身だけを地上に出し、腰から下は地下に埋まっている風変わりな地蔵さんとして有名である。
文化8年1811年)の大洪水で、初瀬川上(長谷寺の桜の馬場)から現在地まで流されてきたのを当時の出雲村の人たちが助けてまつった、と語り継がれている。
本かわらぶき宝形造りの立派な堂前に建つ石燈籠に、天保11年(1840年)の年号が刻ま
れている。」(地蔵菩薩前の掲示板から)


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流れ地蔵である(半身地蔵ともいうべきか)


さらに、この出雲の会所寺の地福寺にすごいお地蔵さんがいた。
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知福寺の地蔵菩薩
この地蔵菩薩を長岳寺の石工僧善教が彫ったというのである。
指先を丸めた錫杖の持ち方、頭の大きい柔和な面相などから善教作とされ、善教の作の東限、南限と言われているのである。病気平癒を願った人に撫でられ尽くして、額や顔がひどく摩耗しているのがほほえましい。

長岳寺の石工僧善教の作品をさがして長岳寺あたりを回る必要が出てきた。

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長岳寺境内の弥勒石仏

善教は、この石仏を触発されて石仏彫に励んだと思われる。
長岳寺と初瀬谷、三輪山をぐるりと回る大きなつながりが感じさせられるお地蔵さんの物語だった。
by koza5555 | 2014-03-03 23:32 | 桜井・初瀬 | Comments(0)