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奈良・桜井の歴史と社会

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まほろばソムリエの深イイ奈良講座

7月15日(火)、午後2時から4時半まで、近鉄「楽・元気」生活(学園前パラディ南館6階)において、「多武峰」のお話をすることになった。

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楽・元気イベント・セミナーのチラシ。これはチラシの一部ですからご了解ください。会場周辺には新聞折り込みが入ることになっている。クリックすると大きくなります

今回が「楽・元気」生活セミナーも4回目、あれこれが忙しくなってきているが、「楽・元気」生活は、僕にとっては、数々の勉強の力になった場所だった。今回も90分間、悔いなく、お話しするつもりだ。

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多武峰の桜である

本居宣長菅笠日記を縦糸に、談山神社や聖林寺、音羽山観音寺や鹿路(ろくろ)や高家(たいえ)の場所場所を横糸にして、文字どおり縦横に多武峰を語ってみる。

このセミナーはワンコイン(500円)の資料代をいただくが、来られた方にはお得なパラディの駐車場のサービスもある。

ぜひおいでください。
このセミナー、対になっているのは22日(火)の露木さんの「入鹿の首塚を考える」である。合わせて紹介しておきます。
by koza5555 | 2014-06-26 18:28 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

奈良で一番古い在銘狛犬。深野の神明神社

今日は室生寺である。
その前に懸案の室生、深野に寄ることにした。

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北から入った。かんじょう綱を張った峠を越えたら深野だった


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林間のアジサイ

伊勢街道の近道として、笠間峠を抜ける道が使われたという。
東大寺のお水取り、この松明を3月12日に名張から東大寺に送る街道だったが、この街道から2キロくらい南に下がると深野の村がある。

最近は「ささゆり」を保護し、育てる村として知名度アップである。

実は僕はこちら通ってもいないのである。先日も「深野に行きたいけど、大野や三本松から歩いて行けますか?」と聞かれたが、「それは無理」とまずは否定したが・・・気になるよね。

ささゆり、そして池にその姿を映すという篠田の山桜、神明神社の狛犬と十三重塔である。

とにかく行ってきたが、知らないとはいえ、この道順が全くの大回りで・・
大野の西の緑川あたりの交差点から向淵(むこうじ)に入る、無謀にも適当に右の山道に入り、苦労して抜けるとやっと染田で、それから小原である。やまなみロードに上がり、看板を見て脇道に、ガソリンスタンドを右に折れて、峠を越えて深野である。

森に囲まれた山間の村かと思うと、これが明るい高原村である。

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ささゆりは今でも咲いていた。


神明神社の歴史は深い。
室町時代創建(境内には室町時代の十三重塔が置かれている)と言われ、元は熊野系の十二所権現とされてきたが、明治維新後にこの名になったという。
いまの祭神は大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)(天照大御神)と大物主命で、天地の神を共に祀っているのである。

拝見したいのはこちらの狛犬である(本殿前のものではな社殿高床に置かれている)。
享保16年(1731年)の作といい、在銘では浪速や大和では最古のものという。
ただしこの狛犬は浪速・大和系ではなく中部地方の影響のものだそうで、大和で一番古いと言っても、なかなか複雑なものである。

ちなみに深野は、山を降れば名張であり、大和の盆地にはいくつもの山を越え、20キロも山の中を行かねばならない。「中部地方の影響が」と言われればたやすく納得できる場所柄である。

この狛犬は神殿高床におかれ普段は拝見できない。ご例祭の時などに開扉されるのであろうか。
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室生 神明神社
by koza5555 | 2014-06-24 21:47 | 宇陀 | Comments(0)

談山神社 観音講祭

談山神社は6月22日、神廟拝所において観音講まつりを開催した。

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観音講まつりの談山神社。これは本殿前のアジサイ

アジサイはまだまだ楽しめる。標高500メートルの力で長谷寺などと比べても5日は遅い。

さて、6月、今頃の日曜日は談山神社、観音講祭である。
多武峰、妙楽寺は明治初期の廃仏毀釈の嵐によって、数多くの仏像がことごとく流出、廃棄されてしまう。
そのなかで唯一残された仏像が、神廟拝所に置かれている如意輪観世音菩薩である。
残された経過も不明で、秘仏として公開もされてこなかった・・・というより、神社としては祀りようがなく公開してこなかったというべきか。

談山神社はこれを公開して、現在は祭も行っているのである。
「仏さまを前に神職が祭りごとを行う。どうだろうかというご意見もあろうが、神仏混淆の極致であった多武峰でこうした祭を行うことは、歴史に合っているのでは」と長岡千尋宮司は言われる。こんな経過で、この祭も執り行われるようになったのである。

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如意輪観世音菩薩坐像である

今年は、この祭の主役の一人だった室原慶和さんが退職されていて、どんな具合に運営されるのかと心配していたが、案ずるには及ばずで神事の後は 松村龍古 談の会(かたらいのかい)事務局長が、観音様の功徳の力を簡潔・明瞭に説明されて参加者の共感を受けられた。
心強い限りである。

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神事のあと観音菩薩を語る松村 談の会事務局長

藤原鎌足の長男の定慧和尚が唐から観音像を招来したという。この像は永久4年(1146年)の水害で失われたが、その像を模して、現在の如意輪観世音菩薩像は造像されたといわれる。髪型、衣文などからみて、南都の在地仏師の手により、1200年代に造られたと推定されている。

さて、僕の最近の関心事は狛犬である。
神廟拝所の檀上(元の須弥壇?)には、二組の狛犬が置かれていた。
まずは木造の狛犬。鎌足公御神像を守る形で阿吽像である。頭身が同一方向にあり、社殿前に置かれることを想定せず、神殿内部に置かれたものと思われる。
吽の角が折れている他は破損がなく、表情の優しさが特徴である。

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木造の狛犬、今まで注意しなかったが実に堂々たる狛犬である



石造の狛犬も置かれていた。
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神廟拝所の檀上には、もう一組の狛犬が置かれていた。
これも由緒深げな狛犬で、神社に聞き忘れてしまったが、これは境内社の比叡神社から移されたものであろうか。比叡神社は寛永4年(1627年)の棟札があり、飛鳥の大原から談山神社に移されたものである。狛犬も同じように、この道を登ってきたのだろうか。
しっかりした姿勢、口角が上がった口元、はっきりした鼻孔、複雑な尾、狛犬は楽しい。(狛犬の項は、「狛犬の研究」奈良文化財同好会による)

さて、談山神社のアジサイ、しばらくは見ごろである。久しぶりに一度どうでしょうか。そして、神廟配所の狛犬、ぜひ熟視、願いたい。
by koza5555 | 2014-06-22 23:41 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

「大和路を行く」は「トコトン長谷寺と長谷の町」

6月の「大和路を行く」は長谷寺である。

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今日の長谷寺。登廊(のぼりろう)の手水舎に降りるアジサイ。七分咲くらいか

始めの計画では近鉄長谷寺駅発、長谷寺を回り、近鉄の朝倉までのコースを考えてみた。
「化粧坂(けわいざか)、愛宕神社からの長谷寺の望見」はどうだろうかとも考えてみた。
でもこれはコースとして、ありきたりだし、ハードすぎかなとも考えた。

夏至の日のウォークである。暑くはないか、歩行距離はいいだろうか。
そして、長谷の町をもっと楽しめるウォークができないだろうか・・・である。

三つのことを考えた。
長谷寺をトコトン回ろう。そして正午のほら貝も楽しんでもらいたい
やまとびとのこころ店での女夫饅頭(めおとまんじゅう)はどうだろうか
柳原の太鼓台蔵、これを拝見するという手はないだろうか



そんな検討を経て、今日のツアーを迎えた。
午前10時に長谷寺駅で、寄り道せずにご本堂まで。

長谷寺の画期をなした道明上人と法華説相図、十一面観世音菩薩と徳道上人、真言宗豊山派祖の専誉僧正をいまの姿を境内の形に合わせて解説するのが僕の工夫だ。

上部回廊(僕が名づけた)を経て、始めに奥ノ院まで入り、豊山派の派祖の専誉(せんにょ)僧正と専誉を招いた豊臣秀長の五輪塔に詣でる。

本長谷寺を詣でる。銅版法華説相図と道明上人を拝観してから、ここで長谷寺縁起を語り、白河(しらが)のおばあちゃんの物語まで語る。上部回廊はこれで終わりで、本堂、舞台に戻る。

12時までの間は、だだおしの話などをしながら時間をつなぎ、12時の「貝吹き、鐘つくなり」の時間にあわせる。話を伸ばしたり、端折ったりしながら、ピッタリに合わせることができた。

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これは2年ほど前に撮った鐘楼の写真である
「巳の時とて。貝ふき鐘つくなり。むかし清少納言がまうでし時も。俄にこの貝を吹いでつるに。おどろきたるよし。かきおきける。」
 「名も高くはつせの寺のかねてよりきゝこしおとを今ぞ聞ける」(
菅笠日記)である。


その後、本堂下の境内売店前の休息所で食事、休憩して、素戔嗚(すさのお)神社、興喜(よき)天満宮、興喜寺、法起院を経てやまとびとのこころ店で「女夫饅頭(めおとまんじゅう)」をいただいた。

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興喜天満宮での小野さん、熱弁。指差す先にみなさんの視線が集中


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女夫饅頭。ぜひとも一度ご賞味あれ

最後は柳原太鼓台蔵を開けていただいて、地元の柳原の方から興喜天満宮の秋祭りのこと、太鼓台のこと、その復興のこと、担い手(にないて)・担ぎ手(かつぎて)のことをお聞きした。苦労に苦労を重ねて再興にこぎつけた人たちだけが語れる熱い話だった。

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柳原太鼓台蔵前で村田さんや木口さんの解説をお聞きする

考えたことは今度のツアー、すべて実現、文字通り「トコトン長谷寺、長谷の町」らしいツアーができたと思う。
僕も楽しく案内した。みなさんにも、楽しんでいただけただろうと思いたいけど。
それにしても、暑かったです。
by koza5555 | 2014-06-21 21:11 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

今井町と今井町の楽しみ方

9月に今井町(橿原市)を楽しむこととなった。
「今井町を隅々まで楽しむためには今井町町並み保存会の若林稔会長に声をかけるのが一番」というのが、衆目一致の声である。

午前が今井、お昼ごはんも今井でという案で、午後は小綱(しょうこう)町の入鹿神社で最後は札の辻という密度の濃いウォークを計画している。

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今西家、いわゆる八つ棟。城郭風外観である

19日、下見と打ち合わせで今井を訪れた。
まずは華甍(はないらか)(今井まちなみ交流センター)にて若林さんと合流、あらましの今井町をお聞きする。当日は二階にあがり、あいさつと説明を受ける段取りだ。

高木家、河合家を経て、旧米谷家に。

旧米谷家はお住まいはされていなくて、こちらは家の中まで見学できる。
蔵前座敷が拝見できて、当時の商取引がうかがえるところである。
井戸もある。なによりもカマドがあり・・・重要文化財で火気厳禁の建物であるが、このカマドが時々は現役として活躍と聞き…これがビックリだ。

座敷の形は復元と聞くが、当初の姿の保存にはなかなかの努力と工夫がなされていることを知る。
何度も訪れたことのある米谷家だが、若林さんの説明を聞くと、当時の家、形の善さ際立つ。

 
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旧米谷家 蔵前座敷前で解説を受ける


こんな形で、中橋家、称念寺、豊田家、今西家と順々に説明を受けた。

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豊田家前(木材業、西の木屋と呼ばれた旧牧村家)前で、今井の商人が福井藩の材木を扱ったことなどを紹介する若林さん

こうして歩いてみると、今井の魅力は奥深く、適切なガイドがあればその楽しさは倍増どころか3倍、5倍である。

また、街角の端々で、町なみ保存の苦労も聞いた。「みなさん、なかなかわかってくれない」と若林さんは語り、「奈良県の人にまずは理解してほしい」と言うのが、町並み保存会のみなさんの強烈な思いである。

食事はサプライズがある。食事の予算はそんなに大きくない。その範囲でメニューもあれこれ考えられており、これが楽しみだ。
最後に「今井町は人の住む町である。町の人々との触れ合いを楽しみ、節度を持って町を楽しむ」という気持ちも大切かな・・・である。

9月の今井町、小綱町の入鹿神社、札の辻、思い出の多い良いウォークが出来上がりそうである。
by koza5555 | 2014-06-19 23:48 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

正連寺大日堂と入鹿神社

9月に「今井町、小綱町と札の辻」というウォークを計画している。
午前中は今井町である。これは今井町町並み保存会の若林稔さんにお願いしており問題はない。

午後、初めに訪れるところは小綱(しょうこう)町の入鹿神社と正連寺大日堂である。

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大日堂である。ご本尊の大日如来ともども重要文化財に指定されている。

もともと橿原市ができる前、それは昭和31年までだが、旧今井町というのは今井と小綱町だったんだということを初めて知った。

小綱町、日本書紀なら壬申の乱が忘れられない。
大伴吹負は6月29日に飛鳥で立ち、4日に及楽山(ならやま)で近江軍に敗れ東の墨坂まで退去、そこで東国軍に会い、力を盛り返して金綱井で再結集を図る。
この金綱井が小綱(今井)ということである。

金綱井で、高市郡大領高市県主(たけちのこおりのこおりのみやっこたけいちのあがたぬし)許梅(こめ)が言い、近江軍の動静を語ったと記されている。
日本書紀を読んでいただくとよく分るが、この話のポイントは大海人皇子側が皇軍だと言うことが大きなポイントであるが、日本書紀が書かれた当時には、神武陵がどちらかということが知られていたということが分ったりして興味深いところではある。

「小綱町文化財保存会」が活動していることが分った。
しっかりしたHPもあり、拝観などへの対応もされているとのことである。

「小綱町文化財保存会の活動の目的は、いにしえの先祖から引き継いだ貴重な文化財を後世に正しく伝承することを目的」とされており、

入鹿神社は廃寺真言宗高野山派仏起山普賢寺の東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは同寺の鎮守社であったと伝えられる。
祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)と蘇我入鹿の両柱を合祀している。
素盞鳴命と蘇我入鹿の木造坐像を神体とする。
 素盞鳴尊・・木造立像、丈一尺 作者・年代不詳
 入鹿大臣・・木造座像、丈一尺 作者・年代不詳
現在の橿原市周辺は蘇我氏ゆかりの地であり、「蘇我」、「曽我」といった地名も残る。小綱町の隣の曽我町には、蘇我馬子が創建した宗我都比古神社があり、蘇我氏の始祖を祀っている。

と紹介されている。

橿原市史や合併前の「今井町史」などに書かれていることが紹介されており、さらにその後も調査や検討をすすめられている。
とりあえず、保存会に拝観をお願いした。

正蓮寺・大日堂、・入鹿神社のHPは・・・・http://dainichido.net/

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入鹿神社の本殿、拝殿前の狛犬も立派である(安政5年、1858年のものという)。

by koza5555 | 2014-06-18 22:50 | 橿原・明日香・吉野 | Comments(0)

長谷素戔嗚神社と百人一首

長谷寺から連歌橋を渡り、興喜天満宮に登りかけると、左側は素戔嗚神社である。
奈良県下では一番という大銀杏で、長谷寺からもよく見えるのである。

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この素戔嗚神社の境内に石づくりの十三重塔が立てられている。
「伝えによれば、藤原家隆卿の供養塔と称する。花崗岩造。金剛界四仏梵字はやや弱く、鎌倉末期の造。」(高さ4メートルほどである)(桜井市史)

この塔を「菅笠日記」で本居宣長が紹介している。
「このやゝおくまりたるところに。家隆の二位 の塔とて。石の十三重なるあり。こはやゝふるく見ゆ。そこに大きなる杉の。二またなるもたてり。又牛頭天王の社。そのかたはらに。苔の下水といふもあり」である。

暁鐘金も「西国三十三カ所名所絵図」で、「鍋倉神社 今は牛頭天皇という。家隆卿之塔 鍋倉社のまえにあり、十三重塔の石塔也」と紹介している。

250年前に紹介された姿と現在の素戔嗚神社は変わっていない。
ただし最近、十三重塔は少し傷んだ。桜井市史の写真(35年前)と比べると、大きく欠けたところがある。

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長谷寺から素戔嗚神社に向かうと初めは連歌橋である。
連歌橋は「藤原定家一門が長谷寺から興喜天満神社へ歌を作りに行く時、渡った橋。もとは太鼓橋」と「泊瀬まちづくりマップ」でも解説されている。

ここで僕は考えた。
橋は定家をいい、素戔嗚神社の十三重塔は家隆という。
定家と家隆はライバル?友達?別世代?である。

少し読んでみると、後鳥羽上皇のお声がかりで始まった新古今和歌集は定家と家隆はともに撰者とわかった。
そして、定家が作り上げた百人一首では、自身の歌を97番、家隆を98番、あとは後鳥羽上皇が99番、後鳥羽上皇の皇子の順徳天皇が100番で、定家は家隆に大きな敬意を払っているように見える。

読んでみると定家もおもしろい。
19歳の日記では、「源平の戦は関心がない。軍旗をなびかせ敵を撃つことは私には関係がない」と言い、歌の道を目指すことを宣言してたり、

それから、百人一首もうまく構成されているなと、読んでこなかったことを反省するばかりである。

ちなみに定家の87番歌は
来ぬ人を まつほの浦の夕凪に
焼くや藻塩の 身もこがれつつ

従二位家隆の98番歌は
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
みそぎぞ夏の しるしなり ける

で、

最後の100番は後鳥羽上皇の皇子である順徳天皇が古き良き時代をしのんだという
「百敷(ももしき)や 古き軒端(のきば)の しのぶにも
なほあまりある  昔なりけり」だった。

21日は、「大和路を行く」である。今回は地元のコースで、元気よく成功させたいものである。

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さらに素戔嗚神社の例祭は「ゴッテラさん」といい、7月13日、茅の輪くぐりがあるとのことである。
今年はぜひ行かなけば・・・
by koza5555 | 2014-06-17 18:56 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

大本山 長谷寺の朝の勤行

「10月、奈良の一泊旅行を案内できないか」と名古屋の友だちから声がかかった。
ウォーキングのサークルだが、毎年一回、一泊旅行を楽しんでいるグループである。4年前の遷都祭を案内したことがあり、会員の中から「今年の旅行は、もう一度、奈良の雜賀さんだ」コールが出たとのことである。
あの時は、初日に飛鳥をレンタサイクル、當麻寺の練供養、二日目は遷都祭、興福寺の国宝館を拝観するというハードで楽しみ満載ツアーだった。

グループは10人くらい・・・さて、今回はどこに行こうか。
一泊旅行である。メインを長谷寺の朝の勤行と決めた。

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長谷寺、朝の勤行。これは3月の写真で10月だともう少し夜明け前の雰囲気だ

初日、9時10分に近鉄名古屋発である。三本松までは近鉄で、少し歩いて三本松中村の子安延命地蔵の特別拝観である。

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三本松中村、子安延命地蔵

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タクシーで室生寺に入り、橋本屋旅館で昼食


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室生寺は奥ノ院まで。ここはウォーキングのグループだから歩行力はある

15時30分の路線バスで室生口大野に出て、近鉄で長谷寺駅まで。井谷屋旅館さんに迎えに来てもらい、大宴会(笑)、宿泊する。

二日目は6時半に旅館を出て、長谷寺の朝の勤行、遥拝を拝観する。

朝食後、長谷寺をトコトン案内し、泊瀬長者亭にて昼食、長谷寺駅経由にて名古屋に15時30分に帰着するという案である。

江戸時代に室生寺から流出した三本松の子安延命地蔵の特別拝観に始まり、室生寺の隅々まで回る。
長谷寺の早朝勤行は、人生の新たな経験で、これは心身が引き締まる。最後に穏やかな時間を初瀬の町でゆったり過ごすこともできる。

僕が案内したい、僕も行きたい室生と初瀬のツアーコースが出来上がった。

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木漏れ日に輝く室生、五重塔

名古屋からの交通費、旅館代、拝観料、すべてが入って2万6千円くらいの予算である。
by koza5555 | 2014-06-14 00:01 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

狛犬の研究

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スサノオ神社の狛犬。これは向かって右側に置かれ、阿吽の阿(あ)であるが、角がないのでこれは獅子。左側の吽(うん)には、2センチくらいの角があり、これを狛犬という。獅子と狛犬合わせて狛犬ではあるが・・・・

来週の土曜日、21日はNHKカルチャーの「大和路を行く」で長谷寺を訪れる。もともとは長谷寺から出雲、脇本を越えて近鉄の朝倉駅まで下る予定だった。しかし暑そう、みなさんの体力も心配だということもあり、「とことん長谷寺、長谷の町」をテーマに、長谷寺駅から長谷寺駅までという、密度の濃い初瀬だけのウォークに変更をした。

そこで、ソムリエの会の小野さんと、最後の下見に行ってきた。

午前中は長谷寺を隅々まで歩く。
境内の休憩所で弁当を取り、午後の一番は桜馬場(さくらんば)を経て、連歌橋、そして、スサノオ神社を訪れる。長谷八ケ郷の一つ、初瀬川上の氏神様である。

初瀬のスサノオ神社の銀杏は県下最大の銀杏、県の天然記念物で、「雄株で樹高約40メートル、目通り周囲7、15mあり、銀杏の巨樹としては県下最大のものである」(奈良県教育委員会)と表示されている。

さて、スサノオ神社、江戸時代の様子は、本居宣長の菅笠日記や暁鐘成(あかつきかねなり)の西国三十三カ所でも紹介されている。
このやゝおくまりたるところに。家隆の二位 の塔とて。石の十三重なるあり。こはやゝふるく見ゆ。そこに大きなる杉の。二またなるもたてり。又牛頭天王の社。そのかたはらに。苔の下水といふもあり。こゝまではみな。山のかたそはにて。川にちかき所也。 菅笠日記より

と、こんな具合に解説するつもりだったが、ここの狛犬を、「狛犬の研究」(奈良文化財同好会)で紹介されていた。
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狛犬の研究。3月に復刻したばかりである

「(スサノオ神社の)狛犬は前肢を屈げ後肢を伸ばし体を弓なりに反らせ、力を溜めて獲物に跳びかかろうとする構え。ふさふさとした流れ毛は・・」・と、解説は極めて具体的で、楽しい。
出雲型とのことである。桜井の出雲ではなく、石像の世界では丹波の出雲のことを示すそうだ。
1861年の作で、大阪から運ばれたか、大阪で修業した石工が彫ったとされている。

狛犬の定義もあり、「獅子と狛犬の総称で、向かって右の角のないのが獅子であり、口を開けた姿(阿形)で、左側の角があるのが狛犬で、口を閉じた姿(吽形)である」とのことである。

この本は奈良県の狛犬を実に丹念に紹介していて、それに驚く。
江戸時代の作者の紹介もあるし、大阪の長堀の石屋浜など水運を利用した産地、積出し港などの紹介もされている。

この本もおすすめである。そして、こんなぐあいに狛犬の紹介もすれば、神社の案内は抜群に楽しくなる。
by koza5555 | 2014-06-13 00:33 | 読書 | Comments(0)

奈良・国宝 室生寺の仏たち 仙台

7月4日~8月24日まで、「奈良・国宝室生寺の仏たち」が仙台市博物館で開催される。金堂はご本尊の釈迦如来像を除くすべて、十二神将もお出かけとなり、弥勒堂は釈迦如来座像がお出かけである

金堂、弥勒堂はそれぞれご本尊が残るのみで、すべて・・お出かけである。
搬出はほぼ終了しており、お帰りは「9月の御影供(みえく)前、9月21日までには」となっている。とくに金堂、文字通り、ガランという状態である。

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東日本大震災復興祈念特別展「奈良・国宝室生寺(むろうじ)の仏たち」

「美仏に出会う旅」(JTB)を案内しているが、この仏が出かけた室生寺に10回ほど訪れるのである。
講師・ガイドの皆さんの思いはいかほどかと、とても心配である。
入山料はいつもの半額の300円である。これは、室生寺の気持ちだろうが、「これで何を見よと言うの」という関東から来られるお客様の声に、僕らは応えねばならないのである。

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この画を見てほしい。小川光三さんが合成した写真である。釈迦如来像があり、右側は三本松の地蔵菩薩、左端が十一面観音菩薩である。金堂の本来の姿がこの図だとの推定図である


室生寺の金堂はご存じだろうか。
金堂内陣の柱間は三間であり、そこに五仏の林立が窮屈である。
台座が接して立てられており、一体ごとにずらして並べられているという。集められたものである。
地蔵菩薩は光背が合わず、入れ替わりが明らかである。もともとのものは、三本松の子安延命地蔵で間違いない。
これを田中重治という方が研究しており、「室生寺金堂と創建当初の安置仏 」という論文を書かれた(40年も前である)。
田中さんは、金堂は三尊形式、独尊像の可能性もあるとの指摘を行い、ご本尊は釈迦如来、作風の共通性から左脇侍(向かって右)は三本松の地蔵像、右脇侍は失われた(現在の十一面観音菩薩は作風の共通性がない)としたのである。

この論は定着しており、これによれば、ご本尊一体(いつもは見えにくい聖観音、蔵王権現、大日如来はよく見える)の金堂であるが、金堂の歴史をふりかえってみると、これも本来の姿かとも思えるのである。

こんなお話をしたい。

念のために付け加えておけば、現在の金堂の五仏は春日大社の本地仏として集められたものである。
一宮は釈迦、二宮は薬師、三宮は地蔵、四宮は十一面、若宮は文殊菩薩である。
ご本尊は、はじめは薬師如来だが、春日本地仏として釈迦如来と改称されるのは室町時代初期とみられ、さらに江戸時代には薬師如来として祀られ、明治から再び、釈迦如来とされるという経過を経ている。

あれこれややこしいが、重ねて整理すると
①始めから金堂に安置されたのは、現在のご本尊だけであること(今回も残っている)。
②このご本尊は薬師如来として造られたが、春日本地仏で釈迦如来とされ、江戸時代には薬師如来(江戸増築部分の蟇股に薬壺あり)とされ、明治に釈迦如来とされたのである。

見た目というより、金堂の歴史を語るというガイドである。
これはこれで、奈良まほろばソムリエの力が試されるというもので、このガイドに心に期するものもあるのである。
台風による五重塔の破損した時に、全国からの支援により修復された。「それへの恩返し、東日本大震災からの復興を祈念するために」、という室生寺の心意気も紹介しながらであるが・・・・

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新緑の室生寺金堂
by koza5555 | 2014-06-12 00:02 | 宇陀 | Comments(0)