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奈良・桜井の歴史と社会

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長谷寺 尾上の鐘(おのえのかね)

来年のことを話しては鬼が笑うというが、一月に初瀬の講演を引き受けた。

桜井東ふれあいセンター(近鉄長谷寺駅の近くにある)の藤井さんから講演の依頼を受けた。「桜井のお話をして」との話だが、「せっかく初瀬でお話しするのだから、初瀬のお話をしたい」と、無謀にも「初瀬谷と長谷寺」でどうですかと言ってしまって、話はとんとん拍子に進んでしまった。

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長谷寺の仁王門を入ると始めは道明上人の御廟塔である。11月27日の写真


長谷寺から始まる「大和の美仏に出会う旅」(JTB)のテキストつくりで力を入れて、長谷寺を勉強した。2年前のことである。
同じころに、「桜井の四季折々」の講演の準備で初瀬谷の勉強もしたのである。

合わせれば、何とかなる・・そうは思ったが、長谷で暮らし、長谷で仕事をしているかたが相手では、不足がある。
初瀬谷と長谷寺を外から見て、地元の人が笑い、楽しみ、元気が出るようなお話をしたいのであるが、「こんな本を読んだ、あんな話がある」では、ちょっと楽しんでいただけるようなお話にはならない、距離があると、そんな思いで、勉強を始めたところである。

あれこれ勉強をし直す、まずは長谷寺である。

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長谷寺、登り廊を登りきると鐘楼である。こんな形で今も毎日、「巳の刻とて貝吹き鐘つくなり」で正午には、ほら貝が吹かれている

今日はこの鐘のことである。
この鐘は「尾上(おのえ)の鐘」と呼ばれる釣り鐘である。

長谷寺の掲示にあるように、
「年も経ぬいのるちぎりは初瀬山 尾上の鐘のよその夕暮れ」(小倉百人一首の撰者であり、新古今和歌集の藤原定家の歌である)
恋の成就を長谷に祈ったが、時を告げる長谷の鐘は人のために鳴るだけだという意だろう。

藤原定家が元久2年(1205年)に詠んだと言われているが、この「尾上」が気になる。

「登廊を龍に例えて、その尾の上にあるからだ」と、そう言われた方がいた。
仁王門を龍の頭としてのことだが、これはおもしろい論だが、定家の歌には、本歌があって、
「高砂の尾上の鐘の音すなり 暁かけて霜や置くらん」(千載集)で、定家はこの歌は知っているのである。

「絶妙の音が出る鐘は、すべて比喩で尾上の鐘と言ったのでは」とも聞いた。

「高砂の尾上の鐘」を、長谷寺に置き換えたということだが、この高砂の「尾上の鐘」が分らない。

兵庫県の加古川市がその大元だろうと考え、とりあえず尾上の鐘、尾上の松がある尾上神社にお聞きすると、
「神功皇后が三韓征伐より御凱旋の時、お持ち帰りになった鐘と伝えられています。それが尾上に置かれたから、尾上の鐘ということだと思います」と言われる。

この尾上神社には尾上の松というのもあり、クロマツとアカマツが絡み合い相生の松と言われるもので・・妻(片思いかもしれないが)と会えないことを嘆く定家の歌との関係は如何にかとも思えるのである。

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尾上の鐘、長谷寺にて

こんなふうに勉強していくと、お話の形がだんだんみえてきそうである。しばらくはツアーの合間を縫って、「初瀬谷と長谷寺」、これに熱中である。

講演は1月29日(木曜日)、午後7時から。長谷寺駅から100メートル、桜井東ふれあいセンターです。
by koza5555 | 2014-11-29 16:04 | 桜井・初瀬 | Comments(0)

桜井市  さくらぁと

桜井市本町通・周辺まちづくり協議会は、「さくらぁと」でちょっと張り切った。
21日は「駅前イルミネーション」(桜井商工会青年部)、22日は「ソラほんまちフェスタ2014」、23日と24日は「さくらぁと」で、等彌神社と本町通りから等彌神社に至る「光の道ライトアップ」で、連続一大イベントだ。

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図書館前では、古墳とイチョウ。古墳の絵柄もていねいで、前方後円墳が帆立貝形、柄鏡形、中期古墳と三種類に分かれているのがすごい


等彌神社のライトアップも例年以上にたくみにセットされていた。

今年はなんといっても、「ソラほんまちフェスタ」である。
魚市場があった場所での海産物の販売に奈良情報高校生が参加していた。
僕もここでは、しっかりとお魚を買い求めました。新巻きザケの切り身が一枚58円、割安である。
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ほんまち、考え直してみた。
一度、これはきちんとしたウォークを組んでみたいものである。


コースは
まずは等彌神社である。そして、神武天皇の祭りの庭、鳥見山の霊畤まで登る。なだらかな優しい林間コースで、これは秋から冬のコースだ

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食事場所のこころあたりもある。
外山(とび)で拝見するものを一つ考えて(あれこれ聞きまわって)、最後は桜井本町通りの大願寺(浄土宗)、そして来迎寺(らいこうじ・融通念仏宗)を訪れるコースである。

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来迎寺の庭には粟原寺や安倍廃寺の礎石が移されており、また池の中島には「春の夜は桜に明けてしまひけり」の芭蕉句碑が立てられている。

コースを考えたが、相当にローカルでマニアックだ。大阪の方に喜んでもらえるかなあ?

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来迎寺、本堂



by koza5555 | 2014-11-24 21:43 | 桜井市と安倍 | Comments(0)

トーアの「ボイスウォーカー」かサンワの「ワイヤレスポータブル拡声器」か

ハンズフリーマイクのことである。
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ハンズフリーのマイクを買い直した。左がトーアのボイスウォーカー。右がサンワのワイヤレスポータブル拡声器マイクセット

奈良まほろばソムリエの会はツアーガイドのためにハンズフリーマイクを持っていたが、台数に制限があり、使用者の間での引き渡しが困難だった。

そんなことから2年ほど前にTOAのハンズフリーマイク、商品名はボイスウォーカーを買ったのである。生涯、さまざまマイクを使う機会は多かったが、自前は初めて。「マイアンプ、マイマイク」で、すごい決断だった。
「自分で決めればよいけど、そんなに使うことがあるの?」って、あっちゃんが顔をしかめる。それは普通の心配だろう。

ツアーも20名を超えると屋外、たとえばボタンの時期などの長谷寺の門前などでは肉声では難しいのである。だから必要だし、欲しいのだが、「そんなに使うのかな」・・である。

そして、このマイクもけっこうな出動回数となった。奈良交通の「万葉集ツア―」、JTBツアーの「美仏ツアー」、NHKカルチャーの「大和路を行く」などで30回ほどは使用したのである。

ところが、最近、このマイクセットの調子が悪いのである。
アンプ本体にマイクを差し込むと、雑音が出て、差込口にどうも問題があるようである。
30回で故障ではちょっと問題だが、こちらはカバンに押し込んだりなどで、扱いも乱暴だった。

修理の段取りをいろいろ考えたがその見通しが立たない。
僕は年内に7回のツアーを抱えていて、参加人数を考えるとそのうち5回はマイクが必要だ。
NHK文化センターが一回、
大人の学校が2回、
JTBの「美仏ツアー」が2回、
中国の友だちが一回である。
そして、中部地方の「高年大学」を長谷寺に案内するツアーが直近にある。ここは40名の団体でマイクなしでは、なんともならない。

そこで決断して、買い直しである。。
「同じものを」とも考えたが、パソコンを前に考え込んだ。

熟慮、サンワの「ワイヤレスポータブル拡声器」というのを選択した。

前に使っていた「ボイスウォーカー」、製造元のトーアはマイクシステムでは名が通っている。
買い直したのは、サンワのワイヤレスポータブル拡声器で、ちょっと小さ目である。

◆ボイスウォーカーは17500円でサンワのポータブル拡声器は10500円。
◆ボイスウォーカーは480グラム。サンワは330グラム。
◆ボイスウォーカーは単三乾電池6本、サンワは充電式。
乾電池は経費はかかるが、充電式もこれはこれでリスクがある。
◆音量は同じ10Wだが、スピーカーの大きいボイスウォーカーが上である。
◆入力がボイスウォーカーはライン入力、サンワはワイヤレスとライン入力と二本立て。

さて、サンワはきちんと動くか。
きちんと動けば、使い勝手もよさそうなサンワの勝ちだが…

まあ、「資料を操らねばならない、観光(歴史)ガイドにはハンズフリーマイクは必須」ということで、このお話も、ブログの範囲と考えた。 
ガイドを目指す方の参考になれば…
by koza5555 | 2014-11-19 08:16 | 奈良 | Comments(0)

地名の考古学 池田末則 

「地名の考古学」、副題は「奈良良地名伝承論」といい、故池田末則先生の論集と言うべき体裁になっている。

「凡そ人間の営みは、言語―地名から始まった。風土と文化は、いかに移り変わっても、地名はそのまま今も生きている化石―文化遺産である。」とし、出土木簡などが研究・保存の対象となっているが、地名の存在もまた同じ意味があるとされるのである。

12月に山の辺の道を歩く。近辺が気になるところである。箸墓古墳の東のホケノ山、ホケノ山古墳の「ホケ」の解明に納得する。

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ホケノ山古墳のあたりからの箸墓古墳

大和には「フケ」という小字が35例もあり、山麓地帯の湿沼は「フキ」「フケ」である。
ホケノ山古墳については、朝日新聞が「ホケノ山、「ホケノヤマ」は「オウケノハカ」の訛りとして、「王家の墓」が源?として報道(平成12年、2000年)している。
しかし、これがさほど単純ではなく、ホケノ山のホケは沼地、だから「沼地の山」というくらいというのが池田論である。いいぐあいに巻向川も付近に流れているのである。
論証として、ホケノ山の東には「フクマワリ」があり、箸墓古墳にかけて、「コフケ」、「三反フケ」があり、ホケノ山は湿地の山が適切で、「王家の墓」論は飛躍があるということだ。

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こんな地図も添付されている


ヤマト論もおもしろい。これは大ネタである。
ヤマトの語は「三輪山本」をさす古語で、地名「大和」の発祥地であったともいわれる。「三輪 山本」、それとも「三輪山 本」で、切るところははっきりしないが、いずれにしても、このヤマト論、僕には初めて聞く話で、興味深い。
奈良時代には三輪山に大御輪寺(だいごりんじ・おおみわでら)・浄願寺など、多くの寺院が建立せられ、明治初年の神仏分離の災いに触れるまで、神仏習合の密教聖地と仮し、三輪流神道の道場となった。
ヤマトが「三輪山 本」からの言葉から始まるとすれば、三輪山への信仰は古くて深いということである。

桜井市のメスリ山古墳の「メスリ」の解明も納得できる。
池田先生は「桜井市高田のメスリ山古墳の『メスリ』の意味がわからない」という。
メスリは他にはない地名で、「メスリ」の「ス」は「グ」の間違いで、「メグリ」かという説もある」として、別名「鉢巻山」とも称される。
県内には「メグリ」関連の地名は50以上もあり、近在の外山の茶臼山古墳周辺には「メグリ」が二カ所、さらに纒向遺跡にも小字「メクリ」に前方後円墳があり、大和郡山の新木山古墳の外濠の小字は「メグリ池」である。
「古墳を巡る」、メグリ山・・である。

この本は、総論、奈良生駒、磯城高市、山辺宇陀、宇智吉野と分れているが、全体が辞書的ではなく、楽しく読みすすめれる。

お値段はちょっと高くて、  僕は図書館で借りて読んだ。
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by koza5555 | 2014-11-18 10:49 | 読書 | Comments(0)

シダレヤナギもポプラも同じ柳科

「樹木ハカセになろう」はおもしろかった。
岩波ジュニア新書で石井誠治さんが書いている。

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巨樹の定義はきちんと決まっていた。
1988年の環境庁が全国の巨樹の調査を行うことに定義したとのことである。
地上から130センチの位置で幹周(幹の円周)が300センチ以上の樹木を対象とする」と定義された。
幹周3メートルならば、直径はほぼ1メートル。2000年の調査では6万8千本くらいあったとのことである。

ベスト5は 杉、ケヤキ、イチョウ、クスノキ、スダジイ(椎の木)の順である。

巨樹ナンバーワンは鹿児島県の楠で、こちらは幹回り24メートルほどあるとのことである。
楠は黒潮にのってやってきた。樟脳を含むことから、腐りにくく育ちが早いため、とくに太平洋岸の神社などに植えられる。楠は多用途有効材で、役に立つ木としてすぐ切られたが、鎮守の森の王者として残された。

これが熱田神宮(名古屋市熱田区)の大クスノキである。熱田神宮には楠が多いが、とくに大きい楠を7本楠として保存に努めている。

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季節柄のお話だが、紅葉の仕掛けも丁寧に解説してくれている。
樹木(落葉樹)は老化した葉を切り離す前に、切口を守るための「離層」という樹皮を作りのである。
この樹皮により、葉と木材本体が遮断されると、葉で作られつつある糖分が葉に残り、さらに糖度が高まって、赤色色素、アントシアンが作られるのである。この色素が・・これが紅葉である。
紅葉は葉っぱを落とす準備作業だったということがよく理解できる。

あとは、柳と楊のお話である。
ヤナギ科ヤマナラシと言えば、西洋で言えばポプラのことで、中国は楊(楊枝をつくる)という。
葉柄(ようへい)が長くてしっかりしているため、少しの風でもハズレの音がして、ここからヤマナラシと命名されたという。ポプラはざわざわ騒がしいのである。

一方ヤナギ科の代表はシダレヤナギ。これも中国からの伝来で、長安の街路樹がシダレヤナギだった。湿地に強くて、平城京などにもよく合ったという。
とにかく、シダレヤナギは水につけて運搬することができて、それを植えるとすぐ根が出て、活性する。

楊本は・・葉が上向き。
柳本は・・葉が下向き

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下向き葉っぱのシダレヤナギ

ここで、最近気になる織田柳本藩のことである。柳本は地名で、もともとは楊本家、楊本状であったが、織田家は幕府に対する恭順の姿勢から、上む向き葉っぱの楊本を憚って、下向き葉っぱの柳本に改名したという。

それ以外にも、イネの分けつ、花粉症のしくみ、仏教の聖樹の菩提樹・沙羅双樹、イチョウの木のことなど楽しいお話、満載である。

「樹木ハカセになろう」、石井誠治さん、岩波ジュニア新書侮れないなあ。

ところで、クスノキの巨樹と言えば、忍坂坐山口神社のクスノキである。
左が熱田神宮、右が桜井のクスノキである
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忍坂坐山口神社の楠も大きくて、樹勢も強くて、なかなかのものである

by koza5555 | 2014-11-14 21:06 | 読書 | Comments(0)

NHK文化センター梅田教室「大和路を行く」

「大和路を行く」、12月は「山の辺の道」を歩くことにした。
その下見を13日に行った。講演、下見と連続しているが、元気に歩いてきた。
今回は「古墳ならまかせて」のMさんがサポート、そして地元のSさんにもお手伝いをお願いして、今日はこの3名で下見である。

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崇神天皇陵で、拝所や遠景の二上山をみた

「12月に山の辺の道」かという声も出ようが、こちらを選んだ理由は・・
① 黒塚古墳、崇神天皇陵、長岳寺にいつかは行きたいと考えた。
② 三輪山、崇神天皇陵からみる大和三山や二上山、これは冬の空でも楽しめる。
③ 柳本から行動するとして、昼食場所として天理トレイルセンターが使用できる。
などであった。

「10月は西大寺の大茶盛」、「11月が談山神社から明日香に下る」などで、連続して大型企画を組んだこともあり、今回は「軽く歩きたい」という設定でもあった。

柳本駅集合で、黒塚古墳・崇神天皇陵を経て長岳寺を拝観、天理のトレイルセンターで食事しようという計画である。

山の辺の道を歩いた後、巻向駅で解散する。

この途中に、神籬(ひもろぎ)を拝見したい。
ここは素通りという方が多い。見ても、看板を見て、「何もないのに」と立ち去る。この看板を背にして記念写真した人をなかなか見ることがないのである。

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巻向の神籬(ひもろぎ)

この一角の小字名である「ヒモロギ」は、神祭りの際、神が降臨する依代(よりしろ)であった神籬(ひもろぎ)に由来すると考えられる。
 「日本書紀」の崇神天皇六年条に、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこ)をして天照大神(あまてらすおおみかみ)を「倭の笠縫邑に祭る。仍りて磯堅城(しかたき)の神籬たつ。」とあり、神籬が神祭里の古い形式だったことが分る。
この場所に神籬を設け、神霊を御迎えして、神祭が行われたのであろう。
一帯は邪馬台国と有力候補地である纒向遺跡に含まれ、倭笠縫邑と伝承される檜原神社にも近く、古代祭祀を考える上で注目される。

巻向小学校昭和16年卒業生同窓会が、この石碑を立てた。「文責 桜井市文化財審議会委員 白井伊佐牟」とある。

神籬(ひもろぎ)のことである。
三輪山をご神体の依代(よりしろ)として、鳥居(三ツ鳥居)だけという檜原神社がある。
さらには鳥居もなく、神が降臨する場所を常緑樹で囲い(これが依代)、祭りが終われば(神が帰れば)、それを取り壊し、焼却するという「神社」がいまもあるのである。

常住する神もいれば、おりおり降臨(影向)する神もいるのである。
ところで、巻向の神籬、古代はどんな形だったのだろうか。

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今も行われている長岳寺境内の依代。この形を見たことがあるが、焼却の跡を見たという方もいた


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珠城山古墳からみた大和三山

寒い頃になりそうだが、良いツアーにはなりそうである。


下見中に見知らぬ電話番号で僕の携帯に電話が入った。名古屋の方であったが、12月2日、「長谷寺のガイドを頼みたい」という電話だった。貸切バスいっぱいである。
「誰の紹介でしたか」と聞くと、「名刺を見て」とのことである。勇気のある依頼だなと思いながらも、「ブログも見てください」とお伝えしつつ、これを受けることとした。


そういえば、昨日の講演の会場でも、「一月に講演をお願いしたい」という依頼があり、これも受けることにした。「桜井全般でも良いが」とのお話であったが、依頼主は「桜井東ふれあいセンター」で長谷の団体である。テーマを「初瀬谷と長谷寺」と決めて、90分のパワーポイントを作ることにした。

僕自身が楽しみながらであるが、こんな形で奈良県や桜井市の活性にささやかでも力になれれば、幸せは限りなしである。
by koza5555 | 2014-11-13 22:28 | 桜井・山の辺 | Comments(5)

紅葉の多武峰から飛鳥へ 万葉展望台

「大和路を行く」は「紅葉の多武峰から飛鳥へ」をテーマに11月15日(土)に歩く。お天気も良さそうだし、談山神社の紅葉も相当すすみそうである。

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11月10日(月)の談山神社

問題は多武峰から明日香村に下る道である。

このコースは「多武峰・飛鳥の里コース」(近鉄 てくてくぱっぷ 奈良―10)では、西口(談山神社)から念誦窟を経て、万葉展望台に至り、その後は大原(飛鳥坐神社)と石舞台古墳に下りる道が紹介されている。
それぞれ、大原コース、石舞台コースと、僕は呼んでいる。

それ以外にも、西口から念誦窟に至る前に、左に入り上(かむら)の「もうこの森」=気都倭既神社(きつわきじんじゃ)を経て石舞台に出る道がある。これは上(かむら)コースである。

さらに西口、念誦窟を経て、万葉展望台に至る前に、右へ降りて高家(たいえ)に降りる道がある。高家の春日神社の下に出る道である。これは高家コースである。

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万葉展望台

今度のウォークは、万葉展望台がテーマであるので、はじめから「大原コース」と決めていた。
大原は藤原鎌足の生誕地(多武峰道場最高霊東源寺)とされていて、
「藤原夫人の和(こた)へ奉れる歌」という、「わが岡の おかみに言ひて ふらしめし 雪のくだけし 其処(そこ)に散りけむ」(巻2-104)の万葉集まであるのだし・・・

したがって、ここをメインにしていたが、雨の場合は、キツイ、滑るということで、「上コース」で石舞台に降りるコースは雨用に考えている。歩いてみると、こちらも由緒があり・・・町石はこちらにあるのである。

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いくつ残っているか不明だが、二カ所で見ることができた

「もうこの森」も、「入鹿の首もうこん説」、「蒙古襲来にたたかったご利益のある蒙古説」、「もうこは みくまりの転化という池田末則先生の論」などがあり、ここもお話には事欠かないのである。

そんなことを考えていた時に、15日は、大原には降りにくい交通事情が生まれてきたのである。
そこで石舞台に降りることとしたが、万葉展望台も見たい、万葉展望台を経由した「石舞台コース」は下見ができていないのである・・

それで、10日に、この道を歩いてきた。

 
上居(じょうご)に下り、石舞台にストンと出る道である。
狭いところもあるが、丸太を利用した階段が各所にあり、滑り止めはされていた。道の崩れかかったところも二カ所ほどあったが、さほどの危険はない

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柿の紅葉、そして眺望も最高である。
この道を下りよう・・・皆さんに提案してみよう。
by koza5555 | 2014-11-11 08:27 | 桜井・多武峰 | Comments(0)

西乗鞍古墳 周濠・外堤発掘の現地説明会

「天理市教育委員会は6日、同市杣之内(そまのうち)町の西乗鞍古墳の墳丘周辺で、南北の周濠と外堤が見つかったと発表した。これまで西側でのみ確認されていた周濠と外堤が墳丘全体取り囲んでいた可能性が強まり・・・」(産経新聞奈良版11月7日付)として、8日(土)午後1時半から現地説明会を実施すると報道された。

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三年ほど前の西乗鞍古墳、外観

「高い外堤に囲まれ周濠も有した墳丘とわかり、より有力な被葬者である可能性が高まった」として、「墳丘周辺の所有者の同意を得て、国史跡の申請をすすめたい」、これが天理市の目論見である。

西乗鞍古墳の墳丘は天理市所有とのことであるが、墳丘の周辺は民有地という。

昨年の9月に、「天理市は24日、土地所有者が『動物霊園予定地』の看板を立てている同市杣之内町の西乗鞍古墳について、古墳の保護保存のため史跡指定を目指す考えを示した。ただ、そのためには土地所有者の承諾が必要で、難航も予想される。」(奈良新聞 平成25年9月25日付)と報道されている。

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ここらあたりが、まだ解決されていないようだが、フェンスが張られて古墳には立ち入れない状態が続いている。

今回の現地見学会は、普段は入れない西乗鞍古墳に立ち入り、発掘の現場を見ることができるし、久しぶりに墳丘に上ることもできるようである。

後円部の頂上には、「大元帥陛下駐蹕之處」の石碑が建てられている。
昭和7年、大阪平野と奈良盆地で陸軍大演習が行われた際、墳頂部から昭和天皇が演習を統監したとのことである。
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さて、あとは西乗鞍、石室の発掘である。東乗鞍古墳と同じような横穴の埋葬施設が残されていることが確実で、その発掘も期待したい。

11月8日(土)は、藤原宮跡内でも、奈文研の「古墳を壊し造営、(墳丘の土を宮の)整地土に利用」という現地説明会が行われるが、8日は西乗鞍に足を運びたい。
by koza5555 | 2014-11-07 12:43 | 奈良 | Comments(0)

鳥獣戯画と高山寺 京都国立博物館

京都国立博物館で「鳥獣戯画と高山寺」が開催されている。10月7日から11月24日の開催である。
あっちゃんとあれこれ日程を合わせると、5日だけということで昨日行ってきた。

端的に三点。
①「鳥獣人物戯画」はすごい。やはり必見である。
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鳥獣人物戯画甲巻(トランプから)


②列は長いが、館内はゆったり拝見できて驚いた。入館段階での入場制限を厳しくして、入館の人数を制限しており、中ではゆったりと拝見するという工夫である。
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会場への到着が午前11時・・・掲示を見ると、「待ち時間180分。館内は甲巻まで50分」の掲示・・・合計4時間・・・あきらめ、即断である。
食事をとり、あっちゃんのリクエストで三十三間堂を拝観して、午後1時過ぎにもう一度のぞいていてみると、「待ち時間90分、館内は甲巻まで50分」となっている。
これを並んで拝観した。
待ち時間の90分は実質だったが、「甲巻までの50分」というのは、高山寺(こうざんじ)の開創とか、豊富な寺宝、典籍を拝見しながら時間で、あまり待った気にはならない。

それにしても「180分待ち」とは驚いた。並びながら、よくよくチケットを見直すと、会期は10月7日~11月24日(休日)だが、訪れた日は「展示替え初日」だったのである。展示替えは知っていたが…その当日とは。

列を整理していた係も「今日は、今度の展覧会、一番のお客さん」ということである。

③面白いグッズもある。鳥獣戯画甲巻のトランプを買った。
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 「七並べ」で並べてみると、描かれた鳥獣戯画甲巻が俯瞰できるという優れものである。1500円である。


以上であるが、
鳥獣人物戯画、平安時代後期に描かれたとされる甲巻・乙巻、鎌倉時代の丙巻・丁巻の全四巻である。
江戸時代に、鳥羽僧正覚猷(かくゆう)(1053~1140)が描いたとされる。相当数が抜き取られたとされ、高山寺の朱印は抜き取り防止用とのことだった。
 今回の展示は修理完成記念の特別展で、甲乙丙丁の巻をそれぞれ前半後半に分けて、前期は10月7日〜11月3日まで、後期は11月5日〜24日まで展示される。

出口で写真を撮った。楽しんだ・・
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by koza5555 | 2014-11-06 09:27 | 大阪とか京都とか | Comments(0)

談山神社の蹴鞠、墨坂神社と椋下神社の秋祭、八咫烏神社の秋祭

激しい雨が二日続いた後の11月3日(月)、晴れた。
お祭の皆さん、とても嬉しかっただろう。

講演の準備やツアー続きで、今年はどこにも行けなかった。

今日に祭スケジュールはトコトン欲張りである。長いタイトルの通りである。
談山神社の蹴鞠は行かねばならない。
墨坂神社の秋祭、ここも行きたいのである。
そして、八咫烏神社である。八咫烏は雑賀に関わりがあり、今年も行きたいと思った。
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多武峰ふくやさん

談山神社、登ってみたら、峠のふくやさんが開いていた。「ふくや」さんは、嘉吉祭の神饌調整のベテラン、和稲(にぎしね)作りの名人の福本さんが、昨年急逝されてからは閉まっていたのだ。奥さまがおられたので「驚きました」とごあいさつ、奥さまは「夫が亡くなったことは、亡くなった夫が一番びっくりしているでしょう。私も体が治りましたので、これからがんばります」とのことである。

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本殿で祭事を終え、蹴鞠会場に向かう京都蹴鞠会


午後から榛原に。祭好きのMさんが福地の太鼓台を担いでいた。
「祭好き」と言っては失礼だろうが、大神神社でも長谷寺でも祭事では、とにかく張り切っているのである。

そのMさんに引きずられて、そのまま椋下(むくもと)神社を伺った。
榛原の秋祭は墨坂神社のお渡りが軸の祭りであるが、椋下神社を氏神とする福地も太鼓台を繰り出すのである。街中を太鼓台は一緒に巡行するが、神事は別々で、福地は椋下神社で神事を行う。

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神輿が本殿へ上がる
椋下(むくもと)神社は神武天皇に神剣を届けたという高倉下(たかくらじ)を祀る式内社である。

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椋下神社前のサセー、サセーは5回も6回も続く


さらに、八咫烏神社の秋祭にも行ってきた。
神武東征からみで、八咫烏神社と椋下神社は、慶運三年(705年)に同時に勅祭された(続日本紀)とされ、いわば兄弟社である(僕だけが言っているだけだが)。

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比布区だけが太鼓台を出す。田畑を貫く参道を太鼓台が上がってくる。「手作りの小さな太鼓台や」と謙遜されていたが、なかなかのものである

60軒だけの比布区が運航するのがすごい。ちなみに比布区は氏神の八咫烏神社に向かう遥拝所があるというのもすごい話だ。

ここは御供まきがすごい。一石四斗?量もすごいが拾う人が少ない。
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どうですか。5キロはありそうだ。僕もいささかひろうことができた


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これはエエトカイトという
池上の垣内が祭を終えるときにおこなう「エエトカイト」も、すごい。
他の垣内は太鼓台を下ろしたり、それぞれ帰ったりするが、池上は「さあ、エイトカイトや」と区長が言って、歩き始める。火の周りを左回りで三回、気が付いた垣内の方が徐々に集まり、最後は大きな輪となる。
「エエトーカイト、エエトーカイト」。よい垣内でありますように、ということで、村と家族の安全、繁栄をみんなで願う、簡略だがすばらしい祭事である。

今日は、僕はお祭り三昧で楽しく過ごした。
蹴鞠や太鼓台の鼓舞を、僕もご相伴させていただいた。
これで今週も、今月も、今年と来年も頑張れる。
by koza5555 | 2014-11-03 21:31 | 奈良 | Comments(0)